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4章 冬
42話
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さらさらとなにかが動く音が聞こえる。小気味よいリズムは子守唄のようにやさしく頭の中に流れこむ。それは胸の真ん中あたりまでおりてくると、粉雪みたいに、ふわりと着地した。
「あ、ねぼすけさんが起きたね」
頭を起こすと、目の前にイーゼルが置かれていて、その向こうから心美が顔をのぞかせていた。僕の身体には花柄の毛布がかけられている。身体が冷えてしまわないように、心美がかけてくれたのだろう。
「ごめん、いま何時?」
窓の外をみると、もうすっかり暗くなっていて、僕は自分が何時間もねむり呆けていたことに気づいた。
「まだ六時前。十二月だもん、日が沈むの早いよね」
心美はイーゼルにむかって絵を描いている。夢のなかでさらさらと動く音をしていたのは、彼女のもつ筆の音だったのかもしれない。立ち上がろうとすると、腰のあたりがにぶく痛んだ。われながら、よくこの体勢で眠れたものだと感心する。
「なにを描いているの?」と心美の後ろに回りこんだ僕は、その筆先がつくり出す絵に驚くことになる。
彼女が描いていた絵の真ん中にいたのは、僕だった。
ベッドを背もたれにして、身体に毛布をかけられた僕は絵の中ですやすやと眠っている。太陽の光が、となりの民家の屋根に降りつもった雪と反射して、僕はまるでその光に包まれているみたいだった。
「ある冬の日」
「え?」
「タイトル。起きたら身体がかるくなってて、部屋のなかにきれいな光が入ってきてたの。で、よこを見たらきもちよさそうに恭二郎が寝てた」
描くしかないね、と心美は言う。
彼女は絵を描く人種なのだ。のこしたいもの、のこしたい想いがあれば、絵を描く。
そういう女の子なのだと、改めて気づく。
「・・・身体のほうは、大丈夫なの?」
心美は勝手に人の寝顔を描いておいてわるびれた様子もない。人に見せないでよ、と心美に釘をさしておくことにした。
「半日ねむったらだいぶ良くなったよ。ありがと」
完成!と言って心美は僕のほうへ顔を向ける。描いていた絵ができあがったみたいだ。全体にキラキラとした光が伸びていて、のんびりとした映画のワンシーンみたいな絵だった。とてもすてきな絵だ。僕が素直に、すごく良い絵だね、と言うと彼女はとても嬉しそうに笑った。
心美は完成した絵を眺めて満足そうにほほえむと、立ち上がり、道具を片付けだした。てきぱきと片づけをすると、絵はイーゼルにかけたままベッドの中にもぐりこむ。寒かったのだろう。窓の外ではちらちらと雪が舞っている。
「ヒデさんにわたしの話、聞いたんでしょ?」
心美は布団から顔だけのぞかせて、じっと僕を見た。人の心を見透かすような、透明な目で彼女は僕を見る。「わたしの話」とはきっと、心美の過去のことだ。十文字は僕に話したということを、心美に伝えていたのだろう。
「なんの話?」
「あ、しらばっくれるんだ」
心美は布団の中でころころと笑う。重たい話だということが分かっているからこそ、彼女は笑って話すのかもしれない。明るく笑って振舞っていても、心で泣いている人がいるということを、僕は彼女から教わった。
「ヒデさん、おせっかいだなあ」
心美はこまったように笑った。
十文字が心美のためをおもって僕に話したことを、彼女もちゃんと分かっている。不器用だけど憎めない優しさをまとった十文字を、心美は心から信頼しているのだ。こまっているのと、すこし嬉しいのと、両方の気持ちがあるのかもしれない。
「僕に、できることはないかな?」
僕が言うと、心美は僕をまた、じっと見た。僕がほんとうに、本気でそう言っているのかどうか、測りかねているようだ。ただ、僕は自分でもおどろくほどに素直に、彼女の力になりたいと思うようになっていた。
犀川の会でずっと一緒に過ごしてきたから。
自分とおなじように大切な人を失っているから。
危なっかしくて放っておけなくてどこかに行ってしまいそうだから。
それとも。
「君はやさしいね」
また、心美は笑った。
そのさみしい微笑みに、胸の奥がしめつけられる。
理由はたくさんあるように思える。だけどそれは僕が、僕自身の弱さがつくりあげたまやかしのもので、ほんとうの理由はただ一つなのかもしれない。僕は彼女の微笑みに、そのくるくると変わる表情に、自分の心がうつっているように感じていた。
「君じゃなくて、恭二郎だよ」
十二月の初雪は、この世界での形の残し方を忘れてしまったみたいに、道路に触れるとすぐに溶けて消えてしまった。心美はその光景を眺めて息を吐くと、消えてほしくないなあ、と小さな声で呟いた。
「あ、ねぼすけさんが起きたね」
頭を起こすと、目の前にイーゼルが置かれていて、その向こうから心美が顔をのぞかせていた。僕の身体には花柄の毛布がかけられている。身体が冷えてしまわないように、心美がかけてくれたのだろう。
「ごめん、いま何時?」
窓の外をみると、もうすっかり暗くなっていて、僕は自分が何時間もねむり呆けていたことに気づいた。
「まだ六時前。十二月だもん、日が沈むの早いよね」
心美はイーゼルにむかって絵を描いている。夢のなかでさらさらと動く音をしていたのは、彼女のもつ筆の音だったのかもしれない。立ち上がろうとすると、腰のあたりがにぶく痛んだ。われながら、よくこの体勢で眠れたものだと感心する。
「なにを描いているの?」と心美の後ろに回りこんだ僕は、その筆先がつくり出す絵に驚くことになる。
彼女が描いていた絵の真ん中にいたのは、僕だった。
ベッドを背もたれにして、身体に毛布をかけられた僕は絵の中ですやすやと眠っている。太陽の光が、となりの民家の屋根に降りつもった雪と反射して、僕はまるでその光に包まれているみたいだった。
「ある冬の日」
「え?」
「タイトル。起きたら身体がかるくなってて、部屋のなかにきれいな光が入ってきてたの。で、よこを見たらきもちよさそうに恭二郎が寝てた」
描くしかないね、と心美は言う。
彼女は絵を描く人種なのだ。のこしたいもの、のこしたい想いがあれば、絵を描く。
そういう女の子なのだと、改めて気づく。
「・・・身体のほうは、大丈夫なの?」
心美は勝手に人の寝顔を描いておいてわるびれた様子もない。人に見せないでよ、と心美に釘をさしておくことにした。
「半日ねむったらだいぶ良くなったよ。ありがと」
完成!と言って心美は僕のほうへ顔を向ける。描いていた絵ができあがったみたいだ。全体にキラキラとした光が伸びていて、のんびりとした映画のワンシーンみたいな絵だった。とてもすてきな絵だ。僕が素直に、すごく良い絵だね、と言うと彼女はとても嬉しそうに笑った。
心美は完成した絵を眺めて満足そうにほほえむと、立ち上がり、道具を片付けだした。てきぱきと片づけをすると、絵はイーゼルにかけたままベッドの中にもぐりこむ。寒かったのだろう。窓の外ではちらちらと雪が舞っている。
「ヒデさんにわたしの話、聞いたんでしょ?」
心美は布団から顔だけのぞかせて、じっと僕を見た。人の心を見透かすような、透明な目で彼女は僕を見る。「わたしの話」とはきっと、心美の過去のことだ。十文字は僕に話したということを、心美に伝えていたのだろう。
「なんの話?」
「あ、しらばっくれるんだ」
心美は布団の中でころころと笑う。重たい話だということが分かっているからこそ、彼女は笑って話すのかもしれない。明るく笑って振舞っていても、心で泣いている人がいるということを、僕は彼女から教わった。
「ヒデさん、おせっかいだなあ」
心美はこまったように笑った。
十文字が心美のためをおもって僕に話したことを、彼女もちゃんと分かっている。不器用だけど憎めない優しさをまとった十文字を、心美は心から信頼しているのだ。こまっているのと、すこし嬉しいのと、両方の気持ちがあるのかもしれない。
「僕に、できることはないかな?」
僕が言うと、心美は僕をまた、じっと見た。僕がほんとうに、本気でそう言っているのかどうか、測りかねているようだ。ただ、僕は自分でもおどろくほどに素直に、彼女の力になりたいと思うようになっていた。
犀川の会でずっと一緒に過ごしてきたから。
自分とおなじように大切な人を失っているから。
危なっかしくて放っておけなくてどこかに行ってしまいそうだから。
それとも。
「君はやさしいね」
また、心美は笑った。
そのさみしい微笑みに、胸の奥がしめつけられる。
理由はたくさんあるように思える。だけどそれは僕が、僕自身の弱さがつくりあげたまやかしのもので、ほんとうの理由はただ一つなのかもしれない。僕は彼女の微笑みに、そのくるくると変わる表情に、自分の心がうつっているように感じていた。
「君じゃなくて、恭二郎だよ」
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