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「ハリル! お黙りなさい」
その声に、ハリルはびくりと大きく肩を震わせ振り返った。
「は、母上! これは一体どういうことなのですっ。私の婚約届が受理されていないなどそんなことがあるわけ……!」
王子の口を、側妃であるハリルの母アルビアが扇でびしりと制する。そしてじろり、と目の前に立つフローラとミルドレッドに視線を向けた。その視線は針のような鋭さで二人を射貫く。
「あなたたち、それが我が国の側妃である私と次期国王に対する態度? たかが伯爵風情の小娘がなんと無礼なっ! 控えなさいっ」
キンキンとした耳障りな甲高い怒声に、フローラとミルドレッドは無言ですっと片足を引き優雅に礼の姿勢をとった。
仮にも目の前にいるのは、この国の側妃なのだ。そしてこの国内に他に王位継承の可能性がある者がいない今、ハリルが次期国王と目されていることも確かだった。
少なくとも、今はまだ――。
「これは何の騒ぎです。まさか陛下、あなたが裏で何か……」
アルビアは険しい表情でつかつかと国王のもとに歩み寄ると、玉座に座ったまま冷静な表情を浮かべ事の成り行きを見つめていた夫を鋭く見つめた。
「……まさかあなたは、この期に及んでまだあの子を次期国王にすえようなどと……? 国を背負う責務から簡単に逃げ出すようなあんな情けない子に、次期国王が務まるものですか! この国を背負うのは私の息子、ハリル以外にはあり得ませんわっ。一体何度言えば分かるのです!」
その鬼のような形相にも、国王は顔色をまったく変えることなくただ静かに見つめ返す。
「それを決めるのは、国王である私だ。そなたにその権利はない。それにリカルドがこの国を出たそもそもの原因は、そなたが作ったのではなかったか? 私が何も知らぬとでも思っていたのか、アルビア」
国王の声は低く淡々としていたが、耳にした皆の腹の底が一瞬にして凍り付くような冷たさと、それとは真逆の怒りの熱を帯びていた。
アルビアはその静かな迫力に一瞬ひるんだように動きを止めたが、手にしていた扇をぎり、と握りしめ顔を上げると国王をにらみつけた。
「一体何をおっしゃっているのか分かりませんわ。あの子は国を担う重責から逃れようと、無様にもこの国を捨てて自ら逃げ出したのではありませんか。私もハリルも何もしておりませんわ。ただあの子が弱く、次期国王になる器などなかっただけのことでしょう」
吐き捨てるように言い切り、鼻で笑った。
アルビアの言うところのあんな子というのは、すでに儚くなった前王妃の残した息子リカルドのことである。すでに二十を超える年であり、現在はこの国を遠く離れこの国の土を二度と踏むことはないだろうと目されていた。本来であれば、リカルドが王位継承権第一位であるにもかかわらず。
そのため、この国の次代を担うのは他にないと、ハリルが事実上の次期王位継承者として位置づけられていたのである。
となれば、次期国王の母である側妃アルビアの権力は絶大なものとなる。ハリルとアルビアはそれを振りかざし、この国を好きなように牛耳ろうと一部の貴族たちを抱き込んで我が物顔で振舞っていた。
しかも最近では隣国の有力貴族と裏でつながり、ある意味将来的に国を売り渡しかねないやり方で私腹を肥やす計画まで立てていたのである。
が、そんな企みを国王が見逃すはずもなかった。
そして今日がまさに、その断罪の日だった。
「アルビア、ハリル。そなたたちに会わせたい者がいる」
国王がすっと小さく手を上げ合図すると、一人の男が会場に姿を現した。
引き締まった筋肉質なすらりとした体躯を王族のみに許された色の正装に身を包んだその男は、艷やかな黒髪と深碧色の目をしていた。その堂々とした立ち居振る舞いと姿とは、まるで若い獅子のようなしなやかさと豪胆さを感じさせた。
その姿を目にした聴衆から、大きなどよめきが起こった。
男はゆったりとした余裕のある仕草で場をぐるりと見渡すと、一瞬フローラに視線を止めその目元を優しげにやわらげた。そしてフローラもまた、その視線を微笑みを持って受け止めしばし二人は見つめ合う。
それから男は顔に余裕のある笑みを浮かべつつもどこか冷たさを滲ませて、アルビアに視線を向けた。
「随分とお久しぶりですね。お変わりなさそうで何よりです。いや、少し以前よりふっくら豊満になられましたか? さぞ良い暮らしぶりをなさっておいでのようだ。……そして」
次にハリルへとその視線を移す。
「お前も相変わらず、といっていいのか。背は伸びたようだが剣の鍛錬は……あまり進んでいないようだな」
ハリルのゆるんだ腹と筋肉など微塵もついてなさそうな細い腕とに目をやり、男は口元に小さく笑いを浮かべた。ハリルの表情に、一瞬にして朱が走る。
「お……お前がなぜここにっ、リカルドッ! もうこの国には二度と戻らないのではなかったのかっ」
口から唾を飛ばしそう叫んだハリルを、リカルドと呼ばれたその男は眉をひそめて見やった。
その声に、ハリルはびくりと大きく肩を震わせ振り返った。
「は、母上! これは一体どういうことなのですっ。私の婚約届が受理されていないなどそんなことがあるわけ……!」
王子の口を、側妃であるハリルの母アルビアが扇でびしりと制する。そしてじろり、と目の前に立つフローラとミルドレッドに視線を向けた。その視線は針のような鋭さで二人を射貫く。
「あなたたち、それが我が国の側妃である私と次期国王に対する態度? たかが伯爵風情の小娘がなんと無礼なっ! 控えなさいっ」
キンキンとした耳障りな甲高い怒声に、フローラとミルドレッドは無言ですっと片足を引き優雅に礼の姿勢をとった。
仮にも目の前にいるのは、この国の側妃なのだ。そしてこの国内に他に王位継承の可能性がある者がいない今、ハリルが次期国王と目されていることも確かだった。
少なくとも、今はまだ――。
「これは何の騒ぎです。まさか陛下、あなたが裏で何か……」
アルビアは険しい表情でつかつかと国王のもとに歩み寄ると、玉座に座ったまま冷静な表情を浮かべ事の成り行きを見つめていた夫を鋭く見つめた。
「……まさかあなたは、この期に及んでまだあの子を次期国王にすえようなどと……? 国を背負う責務から簡単に逃げ出すようなあんな情けない子に、次期国王が務まるものですか! この国を背負うのは私の息子、ハリル以外にはあり得ませんわっ。一体何度言えば分かるのです!」
その鬼のような形相にも、国王は顔色をまったく変えることなくただ静かに見つめ返す。
「それを決めるのは、国王である私だ。そなたにその権利はない。それにリカルドがこの国を出たそもそもの原因は、そなたが作ったのではなかったか? 私が何も知らぬとでも思っていたのか、アルビア」
国王の声は低く淡々としていたが、耳にした皆の腹の底が一瞬にして凍り付くような冷たさと、それとは真逆の怒りの熱を帯びていた。
アルビアはその静かな迫力に一瞬ひるんだように動きを止めたが、手にしていた扇をぎり、と握りしめ顔を上げると国王をにらみつけた。
「一体何をおっしゃっているのか分かりませんわ。あの子は国を担う重責から逃れようと、無様にもこの国を捨てて自ら逃げ出したのではありませんか。私もハリルも何もしておりませんわ。ただあの子が弱く、次期国王になる器などなかっただけのことでしょう」
吐き捨てるように言い切り、鼻で笑った。
アルビアの言うところのあんな子というのは、すでに儚くなった前王妃の残した息子リカルドのことである。すでに二十を超える年であり、現在はこの国を遠く離れこの国の土を二度と踏むことはないだろうと目されていた。本来であれば、リカルドが王位継承権第一位であるにもかかわらず。
そのため、この国の次代を担うのは他にないと、ハリルが事実上の次期王位継承者として位置づけられていたのである。
となれば、次期国王の母である側妃アルビアの権力は絶大なものとなる。ハリルとアルビアはそれを振りかざし、この国を好きなように牛耳ろうと一部の貴族たちを抱き込んで我が物顔で振舞っていた。
しかも最近では隣国の有力貴族と裏でつながり、ある意味将来的に国を売り渡しかねないやり方で私腹を肥やす計画まで立てていたのである。
が、そんな企みを国王が見逃すはずもなかった。
そして今日がまさに、その断罪の日だった。
「アルビア、ハリル。そなたたちに会わせたい者がいる」
国王がすっと小さく手を上げ合図すると、一人の男が会場に姿を現した。
引き締まった筋肉質なすらりとした体躯を王族のみに許された色の正装に身を包んだその男は、艷やかな黒髪と深碧色の目をしていた。その堂々とした立ち居振る舞いと姿とは、まるで若い獅子のようなしなやかさと豪胆さを感じさせた。
その姿を目にした聴衆から、大きなどよめきが起こった。
男はゆったりとした余裕のある仕草で場をぐるりと見渡すと、一瞬フローラに視線を止めその目元を優しげにやわらげた。そしてフローラもまた、その視線を微笑みを持って受け止めしばし二人は見つめ合う。
それから男は顔に余裕のある笑みを浮かべつつもどこか冷たさを滲ませて、アルビアに視線を向けた。
「随分とお久しぶりですね。お変わりなさそうで何よりです。いや、少し以前よりふっくら豊満になられましたか? さぞ良い暮らしぶりをなさっておいでのようだ。……そして」
次にハリルへとその視線を移す。
「お前も相変わらず、といっていいのか。背は伸びたようだが剣の鍛錬は……あまり進んでいないようだな」
ハリルのゆるんだ腹と筋肉など微塵もついてなさそうな細い腕とに目をやり、男は口元に小さく笑いを浮かべた。ハリルの表情に、一瞬にして朱が走る。
「お……お前がなぜここにっ、リカルドッ! もうこの国には二度と戻らないのではなかったのかっ」
口から唾を飛ばしそう叫んだハリルを、リカルドと呼ばれたその男は眉をひそめて見やった。
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