恋愛四季折々

奔埜しおり

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第六話 夏~前林菜摘と加藤明の場合~

夏①

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 七月下旬。
 夏休みに入り、私の所属している吹奏楽部は、今月末にあるコンクールの地区大会に向けて猛練習の日々が続いている。

 そんな日々の唯一の休憩である昼休み。
 加藤かとうが私の前にやってきた。

前林まえばやしさん、協力してほしいことがあるんだけど……」

 私よりも背が高いくせに、大きな瞳を上目遣いにしてこちらを見てくる。
 こうやって訊いてくるときは、だいたい内容は決まっていた。


 そのはずだった。

「なっちゃ……菜摘なつみ! ぼ、俺と付き合ってくだ、くれ!」

 大声で言うと、勢いよく両手を前に突き出してお辞儀をする加藤。
 その勢いになにを言われたのかわからず、少しの間だけ思考が停止する。

 いったいこいつはなんと言った?

「加藤、ちょっと落ち着こうか」

 言いながら眉間に指をあてる。
 いけない、しわができている。
 まっすぐにしなきゃってそうじゃない。
 考えることから逃げるな私。

 吹奏楽部は別館で活動している。
 比較的広い建物なので、大部屋を複数のパートで使えば、小部屋がいくつか空く。
 その空いた小部屋のうちの一つに今、私たちはいる。
 練習で使っているところから遠い部屋を選んでよかった。
 大声であんなことを言ってもしも聞かれていたら、餌にされかねない。

「え、なに。罰ゲームかなにか?」

 突然の呼び捨てや、僕から俺への一人称などを無理矢理変えているところから、一番最初に浮かんだ無難な答えがそれだ。
 だけど、加藤は言いづらそうに首を横に振る。

「いや、ちがう……けど」
「じゃあなに?」

 加藤は私の問いかけにもじもじと指をいじりながら、あの、だとか、ええと、だとか言っていたが、やがて諦めたのか、小さくため息を吐いて、ふい、と視線をそらした。

「今、姉ちゃんが夏休みで帰ってきてるんだけど」
「……へえ、美紀みきさんが?」

 加藤が頷く。

 加藤のお姉さんである美紀さんは、私たちより五つ年上で、今は県外の大学に通っている。
 そのため独り暮らしをしているのだが、夏休みになるたびにこちらへ帰ってくるのだ。
 ちなみに春休みはバタついているから、冬休みはバイトが稼ぎ時だから、という理由で帰ってこない。

「姉ちゃんに悩み事がないか訊かれたから、最近の悩み事を言ったんだ。そしたら、とりあえず告白してみれば? って軽い調子で言われて」
「うん、その悩み事がなんなのかわからないと、美紀さんに相談してなにがどうなって、いきなり変な言葉づかいで告白されたのかよくわからないんだけど」
「そ、それは、その……」

 もにょもにょとなにか言っているが、小声すぎて聞こえない。
 自分の姉の美紀さんには言えて、私には言えない悩み事ってなんだ。
 なんでそんなにもじもじするんだ。
 その態度にイライラするのに、加藤の赤い頬がもしかして、と私に期待させる。

「……去年の文化祭、覚えてる?」

 上目づかいに問われて、うなずく。
 期待が私の中で確信へと変わっていき、一緒に鼓動がどんどん速度を上げていく。

「僕と長谷川はせがわ先輩、前林さんと鳴海なるみ先輩でお化け屋敷に入ったでしょ? そのときの前林さんたちのことが気になるってことを相談して」
「気になるって?」

 心臓が本当にうるさい。
 必死で落ち着いてる風に見せようと、さりげなく背中側に両手を持って行って握ったり開いたりを繰り返す。

「前林さんと鳴海先輩が仲良さげにしてるのを見てたら、前林さんがどこかに行っちゃう気がして。それが不安だって話を姉ちゃんにしたんだ」

 去年の文化祭での、鳴海先輩の言葉たちが頭の中で響く。

 私、もしかして意識されてる……?

 そうだとしたら嬉しい。
 なのに、どことなく不安を感じる。
 その不安に首を傾げながらも続ける。

「告白の仕方はもしかして……」
「姉ちゃんのアドバイス」
「……それ、絶対に遊ばれてるからね」

 美紀さんは見た目こそ清楚系美人なのだが、中身は弟いじりが生きがいのただのブラコンだ。
 確かに加藤はいじりがいがあるものの、美紀さんのそれは時々ストップをかけたくなる。
 理由はもちろん、その被害を被るか、そうじゃなければフォローに回るのがほとんど私だからだ。
 美紀さん自身はうまいこと交わして傍観に徹する。
 器用というかなんというか、本当にずるい。
 加藤は純粋なのに。
 姉弟で顔は比較的似ているが本当に性格は真逆だ。

「あ、遊ばれてたんだ……」

 そしていじられる対象である弟は、いじられていることに気がつかずに、けなげに姉を信じている。
 本当に、お前ら姉弟はなんなんだ。
 毎回毎回巻き込まれる私の身にもなれ。
 今だって、美紀さんの遊びに引っかかって加藤が告白したんだというこの落ち込んでいく気持ちと、でもそのきっかけになったのは、もしかしたら私を意識してくれたからこそなのかもしれないという期待で胸の中が訳の分からないことになっているのだから、責任くらいとってほしい。

「前林さん」

 そわそわとした声に、私は首を傾げる。

「そ、それで、返事は――」

 加藤の言葉を遮るようにドアがガチャガチャと音を立てる。
 私たちは驚いてそちらに顔を向けた。

「あ、ここかな。菜摘せんぱぁい! 加藤せんぱぁい! 今鈴村すずむら先生がいらっしゃって、十分後から合奏始めるそうです!」
「わかった! ありがとう!」

 私が返事をすると、パタパタパタと足音が遠のいていく。それを聞いてから、私は加藤と向き合う。返事なんて決まっている。

「とりあえず……付き合ってみようか」

 震えないように、噛まないように、慎重に言葉を発したら、その声は少しかすれていた。
 嬉しい言葉のはずなのに、とりあえず、なんて付けてしまったのは、不安を完全に取り除くことができなかったからだ。

 加藤は笑顔で頷いた。
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