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第四話 三白眼の男
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何もせずとも、じっとりとした汗がにじみだしてくる。
明かりとりの窓ひとつない岩で囲まれたこの部屋が、血と汗と腐臭に満ちていたからだ。
目の前には、筋肉質で長い髪をもった六尺はゆうに超えるであろう男が、うつ伏せに倒れている。
光がほとんど入らないため、何もかもが黒く見える。血の色さえもだ。
男は、二本の太い丸太を組み合わせた拘束具で首と左右の手を固定されていた。
樫の木と鉄の輪で作った極めて丈夫なものだ。
体には、あらゆる拷問を受けた痕が刻まれていた。
棒で殴られたあとはもちろん、鋸で挽いた痕さえある。火傷の痕に加え、指の爪も剥がれている。
さらに、あちこちに蠅がたかっていた。腐りはじめた肉に卵を産みつけているのだ。
もうじき蛆がわくだろう。
「頑固なやつよ。あばら家で臥せっている妻や義母が哀れと思わぬか」
その野太い声はよく響いた。
「早う白状すれば楽になれるものを。往生際の悪いやつじゃ」
そう言いながらも、声は喜びにあふれていた。
それでこそいたぶりがいがあるとでも言うように。
「おなごとて火つけや流言ぐらいはできよう」
別の声が聞こえた。
「おお、ならば同罪じゃ。引っ立てて罪に問わねばならん」
その言葉に、倒れた男は、目やにで塞がれていた瞼をあげる。
しかし、その目は白くにごっていた。
もはや、その瞳には何も映ってはいないだろう。
「犯した罪を認めよ。認めればおなごどもの罪は問うまい……さすれば、おまえの子も生きていけよう」
*
天井の梁や垂木が見える。
この家は良人のシバが見よう見真似で作ったものだ。
素人離れした出来のこれらの細工をいつまで見ることができるだろうか。
日に日に力が奪われていく。意識を保てる時も少なくなっていく。
横で眠っているわが子を抱くことはおろか、乳をやることもできなくなっていた。
良人はいつになったら帰ってくるのだろうか。
*
――雨の音が耳朶に響く。ああ、これは夢なのだ。
実際に見たはずも覚えているはずもない両親の姿が黒い影となって、ときおりこうして現れる。
幾度見たことだろう。
奇妙なことに、いつ見ても寸分たがわぬ夢だ。
おばばに聞いたこと、人からあびせられた言葉からつくりだしたのだろう。
続いて、男にのしかかられる夢を見た。
男はいらだっていた。
歳は三十前後か。
顔立ちは整っているが目に品がない。俗にいう三白眼だ。
*
鬼の子は板の間の一番奥に寝かされていた。
板の間の冷えが伝わらぬよう筵を幾重にも重ね、体には衣が二重掛けられている。
その額には汗が浮かんでいたが、これは熱のためだろう。
腕を横に動かし、肘のあたりに尻を乗せ、親指と人差し指の間に自分の指をこじ入れ、力を振り絞った。
花緑青色の勾玉が姿を見せた。
汗だくになった手で、むしりとった。
「へっ、やっぱり持っていやがった。これが龍神から貰ったと言う勾玉だな。目利きのできないおれでも、これが……」
と、口にして目をむいた。
空いていない指の間から、緋色の光が漏れている。近づいてみると勾玉に見えた。
しかも透きとおっている。
「おおっ、ほかにも持っておったか。しかし、このような色の物は見たことも聞いたことも……」
「なにをしているのです!」
突然、背後から声をかけられ、ぎょっとして振り向いた。
入り口の土間に三十半ばのおなごが立っていた。
口うるさく虫のすかないおなごだ。
かたわらには、これもよく知る幼い女童の姿があった。
適当に言い抜けようとしたが言葉を発することはできなかった。
何者かに手首を掴まれたからだ。
鬼の子が目を覚ましていた。
獣のようなその目でにらみつけられ、肝が冷えた。
あわてて掴まれた手を引きはがそうとするが、鬼の子の力は凄まじかった。
肘に乗せた尻ごと片手で持ち上げられ、なすすべもなく、後頭部から床に叩きつけられ、部屋の隅まで転がった。
髪は乱れ、烏帽子も脱げ落ちた。
痛みに顔をゆがませ、烏帽子を手に鬼の子の様子をうかがった。
ゆっくりと体を起こしてきたが襲ってくる様子はない。
手首には掴まれた跡が、くっきりとついていた。
戸口に目をやるが、騒ぎを聞いて駆けつけてきた者はいない。
このあたりが引き際かと、おなごの腰にしがみついて、おびえている女童に声をかけた。
「ちゃんと、食わして貰っているようじゃな」
考えを見透かしたように、眉をひそめたおなごが声をかけてきた。
「咎人になりたくないなら、手の中にある物を置いていきなさい」
「化け物が持っていてもしょうがねえだろ」
「酒や双六に溺れて今のようなことを続けていると、そのうち死罪となりますよ。長生きしたければ悪所に通うのをやめなさい」
おなごは、顔色を変えるでもなく近くにあった包丁を手にとった。
意外に肝のすわったおなごと、立ちあがろうとする鬼の子の気配に舌打ちし、花緑青の勾玉を床に叩きつけて立ちあがる。
「おまえより長生きするさ。何なら賭けてもいいぜ」
痛む手首を左手で擦りながらも、女童の手を引いて避けるおなごへの捨て台詞は忘れなかった。
横をすり抜け、土間に唾を吐く。
「まあ、死んじまったやつから銭は取れないが」
*
明かりとりの窓ひとつない岩で囲まれたこの部屋が、血と汗と腐臭に満ちていたからだ。
目の前には、筋肉質で長い髪をもった六尺はゆうに超えるであろう男が、うつ伏せに倒れている。
光がほとんど入らないため、何もかもが黒く見える。血の色さえもだ。
男は、二本の太い丸太を組み合わせた拘束具で首と左右の手を固定されていた。
樫の木と鉄の輪で作った極めて丈夫なものだ。
体には、あらゆる拷問を受けた痕が刻まれていた。
棒で殴られたあとはもちろん、鋸で挽いた痕さえある。火傷の痕に加え、指の爪も剥がれている。
さらに、あちこちに蠅がたかっていた。腐りはじめた肉に卵を産みつけているのだ。
もうじき蛆がわくだろう。
「頑固なやつよ。あばら家で臥せっている妻や義母が哀れと思わぬか」
その野太い声はよく響いた。
「早う白状すれば楽になれるものを。往生際の悪いやつじゃ」
そう言いながらも、声は喜びにあふれていた。
それでこそいたぶりがいがあるとでも言うように。
「おなごとて火つけや流言ぐらいはできよう」
別の声が聞こえた。
「おお、ならば同罪じゃ。引っ立てて罪に問わねばならん」
その言葉に、倒れた男は、目やにで塞がれていた瞼をあげる。
しかし、その目は白くにごっていた。
もはや、その瞳には何も映ってはいないだろう。
「犯した罪を認めよ。認めればおなごどもの罪は問うまい……さすれば、おまえの子も生きていけよう」
*
天井の梁や垂木が見える。
この家は良人のシバが見よう見真似で作ったものだ。
素人離れした出来のこれらの細工をいつまで見ることができるだろうか。
日に日に力が奪われていく。意識を保てる時も少なくなっていく。
横で眠っているわが子を抱くことはおろか、乳をやることもできなくなっていた。
良人はいつになったら帰ってくるのだろうか。
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――雨の音が耳朶に響く。ああ、これは夢なのだ。
実際に見たはずも覚えているはずもない両親の姿が黒い影となって、ときおりこうして現れる。
幾度見たことだろう。
奇妙なことに、いつ見ても寸分たがわぬ夢だ。
おばばに聞いたこと、人からあびせられた言葉からつくりだしたのだろう。
続いて、男にのしかかられる夢を見た。
男はいらだっていた。
歳は三十前後か。
顔立ちは整っているが目に品がない。俗にいう三白眼だ。
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鬼の子は板の間の一番奥に寝かされていた。
板の間の冷えが伝わらぬよう筵を幾重にも重ね、体には衣が二重掛けられている。
その額には汗が浮かんでいたが、これは熱のためだろう。
腕を横に動かし、肘のあたりに尻を乗せ、親指と人差し指の間に自分の指をこじ入れ、力を振り絞った。
花緑青色の勾玉が姿を見せた。
汗だくになった手で、むしりとった。
「へっ、やっぱり持っていやがった。これが龍神から貰ったと言う勾玉だな。目利きのできないおれでも、これが……」
と、口にして目をむいた。
空いていない指の間から、緋色の光が漏れている。近づいてみると勾玉に見えた。
しかも透きとおっている。
「おおっ、ほかにも持っておったか。しかし、このような色の物は見たことも聞いたことも……」
「なにをしているのです!」
突然、背後から声をかけられ、ぎょっとして振り向いた。
入り口の土間に三十半ばのおなごが立っていた。
口うるさく虫のすかないおなごだ。
かたわらには、これもよく知る幼い女童の姿があった。
適当に言い抜けようとしたが言葉を発することはできなかった。
何者かに手首を掴まれたからだ。
鬼の子が目を覚ましていた。
獣のようなその目でにらみつけられ、肝が冷えた。
あわてて掴まれた手を引きはがそうとするが、鬼の子の力は凄まじかった。
肘に乗せた尻ごと片手で持ち上げられ、なすすべもなく、後頭部から床に叩きつけられ、部屋の隅まで転がった。
髪は乱れ、烏帽子も脱げ落ちた。
痛みに顔をゆがませ、烏帽子を手に鬼の子の様子をうかがった。
ゆっくりと体を起こしてきたが襲ってくる様子はない。
手首には掴まれた跡が、くっきりとついていた。
戸口に目をやるが、騒ぎを聞いて駆けつけてきた者はいない。
このあたりが引き際かと、おなごの腰にしがみついて、おびえている女童に声をかけた。
「ちゃんと、食わして貰っているようじゃな」
考えを見透かしたように、眉をひそめたおなごが声をかけてきた。
「咎人になりたくないなら、手の中にある物を置いていきなさい」
「化け物が持っていてもしょうがねえだろ」
「酒や双六に溺れて今のようなことを続けていると、そのうち死罪となりますよ。長生きしたければ悪所に通うのをやめなさい」
おなごは、顔色を変えるでもなく近くにあった包丁を手にとった。
意外に肝のすわったおなごと、立ちあがろうとする鬼の子の気配に舌打ちし、花緑青の勾玉を床に叩きつけて立ちあがる。
「おまえより長生きするさ。何なら賭けてもいいぜ」
痛む手首を左手で擦りながらも、女童の手を引いて避けるおなごへの捨て台詞は忘れなかった。
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