4 / 91
第四話 三白眼の男
しおりを挟む
何もせずとも、じっとりとした汗がにじみだしてくる。
明かりとりの窓ひとつない岩で囲まれたこの部屋が、血と汗と腐臭に満ちていたからだ。
目の前には、筋肉質で長い髪をもった六尺はゆうに超えるであろう男が、うつ伏せに倒れている。
光がほとんど入らないため、何もかもが黒く見える。血の色さえもだ。
男は、二本の太い丸太を組み合わせた拘束具で首と左右の手を固定されていた。
樫の木と鉄の輪で作った極めて丈夫なものだ。
体には、あらゆる拷問を受けた痕が刻まれていた。
棒で殴られたあとはもちろん、鋸で挽いた痕さえある。火傷の痕に加え、指の爪も剥がれている。
さらに、あちこちに蠅がたかっていた。腐りはじめた肉に卵を産みつけているのだ。
もうじき蛆がわくだろう。
「頑固なやつよ。あばら家で臥せっている妻や義母が哀れと思わぬか」
その野太い声はよく響いた。
「早う白状すれば楽になれるものを。往生際の悪いやつじゃ」
そう言いながらも、声は喜びにあふれていた。
それでこそいたぶりがいがあるとでも言うように。
「おなごとて火つけや流言ぐらいはできよう」
別の声が聞こえた。
「おお、ならば同罪じゃ。引っ立てて罪に問わねばならん」
その言葉に、倒れた男は、目やにで塞がれていた瞼をあげる。
しかし、その目は白くにごっていた。
もはや、その瞳には何も映ってはいないだろう。
「犯した罪を認めよ。認めればおなごどもの罪は問うまい……さすれば、おまえの子も生きていけよう」
*
天井の梁や垂木が見える。
この家は良人のシバが見よう見真似で作ったものだ。
素人離れした出来のこれらの細工をいつまで見ることができるだろうか。
日に日に力が奪われていく。意識を保てる時も少なくなっていく。
横で眠っているわが子を抱くことはおろか、乳をやることもできなくなっていた。
良人はいつになったら帰ってくるのだろうか。
*
――雨の音が耳朶に響く。ああ、これは夢なのだ。
実際に見たはずも覚えているはずもない両親の姿が黒い影となって、ときおりこうして現れる。
幾度見たことだろう。
奇妙なことに、いつ見ても寸分たがわぬ夢だ。
おばばに聞いたこと、人からあびせられた言葉からつくりだしたのだろう。
続いて、男にのしかかられる夢を見た。
男はいらだっていた。
歳は三十前後か。
顔立ちは整っているが目に品がない。俗にいう三白眼だ。
*
鬼の子は板の間の一番奥に寝かされていた。
板の間の冷えが伝わらぬよう筵を幾重にも重ね、体には衣が二重掛けられている。
その額には汗が浮かんでいたが、これは熱のためだろう。
腕を横に動かし、肘のあたりに尻を乗せ、親指と人差し指の間に自分の指をこじ入れ、力を振り絞った。
花緑青色の勾玉が姿を見せた。
汗だくになった手で、むしりとった。
「へっ、やっぱり持っていやがった。これが龍神から貰ったと言う勾玉だな。目利きのできないおれでも、これが……」
と、口にして目をむいた。
空いていない指の間から、緋色の光が漏れている。近づいてみると勾玉に見えた。
しかも透きとおっている。
「おおっ、ほかにも持っておったか。しかし、このような色の物は見たことも聞いたことも……」
「なにをしているのです!」
突然、背後から声をかけられ、ぎょっとして振り向いた。
入り口の土間に三十半ばのおなごが立っていた。
口うるさく虫のすかないおなごだ。
かたわらには、これもよく知る幼い女童の姿があった。
適当に言い抜けようとしたが言葉を発することはできなかった。
何者かに手首を掴まれたからだ。
鬼の子が目を覚ましていた。
獣のようなその目でにらみつけられ、肝が冷えた。
あわてて掴まれた手を引きはがそうとするが、鬼の子の力は凄まじかった。
肘に乗せた尻ごと片手で持ち上げられ、なすすべもなく、後頭部から床に叩きつけられ、部屋の隅まで転がった。
髪は乱れ、烏帽子も脱げ落ちた。
痛みに顔をゆがませ、烏帽子を手に鬼の子の様子をうかがった。
ゆっくりと体を起こしてきたが襲ってくる様子はない。
手首には掴まれた跡が、くっきりとついていた。
戸口に目をやるが、騒ぎを聞いて駆けつけてきた者はいない。
このあたりが引き際かと、おなごの腰にしがみついて、おびえている女童に声をかけた。
「ちゃんと、食わして貰っているようじゃな」
考えを見透かしたように、眉をひそめたおなごが声をかけてきた。
「咎人になりたくないなら、手の中にある物を置いていきなさい」
「化け物が持っていてもしょうがねえだろ」
「酒や双六に溺れて今のようなことを続けていると、そのうち死罪となりますよ。長生きしたければ悪所に通うのをやめなさい」
おなごは、顔色を変えるでもなく近くにあった包丁を手にとった。
意外に肝のすわったおなごと、立ちあがろうとする鬼の子の気配に舌打ちし、花緑青の勾玉を床に叩きつけて立ちあがる。
「おまえより長生きするさ。何なら賭けてもいいぜ」
痛む手首を左手で擦りながらも、女童の手を引いて避けるおなごへの捨て台詞は忘れなかった。
横をすり抜け、土間に唾を吐く。
「まあ、死んじまったやつから銭は取れないが」
*
明かりとりの窓ひとつない岩で囲まれたこの部屋が、血と汗と腐臭に満ちていたからだ。
目の前には、筋肉質で長い髪をもった六尺はゆうに超えるであろう男が、うつ伏せに倒れている。
光がほとんど入らないため、何もかもが黒く見える。血の色さえもだ。
男は、二本の太い丸太を組み合わせた拘束具で首と左右の手を固定されていた。
樫の木と鉄の輪で作った極めて丈夫なものだ。
体には、あらゆる拷問を受けた痕が刻まれていた。
棒で殴られたあとはもちろん、鋸で挽いた痕さえある。火傷の痕に加え、指の爪も剥がれている。
さらに、あちこちに蠅がたかっていた。腐りはじめた肉に卵を産みつけているのだ。
もうじき蛆がわくだろう。
「頑固なやつよ。あばら家で臥せっている妻や義母が哀れと思わぬか」
その野太い声はよく響いた。
「早う白状すれば楽になれるものを。往生際の悪いやつじゃ」
そう言いながらも、声は喜びにあふれていた。
それでこそいたぶりがいがあるとでも言うように。
「おなごとて火つけや流言ぐらいはできよう」
別の声が聞こえた。
「おお、ならば同罪じゃ。引っ立てて罪に問わねばならん」
その言葉に、倒れた男は、目やにで塞がれていた瞼をあげる。
しかし、その目は白くにごっていた。
もはや、その瞳には何も映ってはいないだろう。
「犯した罪を認めよ。認めればおなごどもの罪は問うまい……さすれば、おまえの子も生きていけよう」
*
天井の梁や垂木が見える。
この家は良人のシバが見よう見真似で作ったものだ。
素人離れした出来のこれらの細工をいつまで見ることができるだろうか。
日に日に力が奪われていく。意識を保てる時も少なくなっていく。
横で眠っているわが子を抱くことはおろか、乳をやることもできなくなっていた。
良人はいつになったら帰ってくるのだろうか。
*
――雨の音が耳朶に響く。ああ、これは夢なのだ。
実際に見たはずも覚えているはずもない両親の姿が黒い影となって、ときおりこうして現れる。
幾度見たことだろう。
奇妙なことに、いつ見ても寸分たがわぬ夢だ。
おばばに聞いたこと、人からあびせられた言葉からつくりだしたのだろう。
続いて、男にのしかかられる夢を見た。
男はいらだっていた。
歳は三十前後か。
顔立ちは整っているが目に品がない。俗にいう三白眼だ。
*
鬼の子は板の間の一番奥に寝かされていた。
板の間の冷えが伝わらぬよう筵を幾重にも重ね、体には衣が二重掛けられている。
その額には汗が浮かんでいたが、これは熱のためだろう。
腕を横に動かし、肘のあたりに尻を乗せ、親指と人差し指の間に自分の指をこじ入れ、力を振り絞った。
花緑青色の勾玉が姿を見せた。
汗だくになった手で、むしりとった。
「へっ、やっぱり持っていやがった。これが龍神から貰ったと言う勾玉だな。目利きのできないおれでも、これが……」
と、口にして目をむいた。
空いていない指の間から、緋色の光が漏れている。近づいてみると勾玉に見えた。
しかも透きとおっている。
「おおっ、ほかにも持っておったか。しかし、このような色の物は見たことも聞いたことも……」
「なにをしているのです!」
突然、背後から声をかけられ、ぎょっとして振り向いた。
入り口の土間に三十半ばのおなごが立っていた。
口うるさく虫のすかないおなごだ。
かたわらには、これもよく知る幼い女童の姿があった。
適当に言い抜けようとしたが言葉を発することはできなかった。
何者かに手首を掴まれたからだ。
鬼の子が目を覚ましていた。
獣のようなその目でにらみつけられ、肝が冷えた。
あわてて掴まれた手を引きはがそうとするが、鬼の子の力は凄まじかった。
肘に乗せた尻ごと片手で持ち上げられ、なすすべもなく、後頭部から床に叩きつけられ、部屋の隅まで転がった。
髪は乱れ、烏帽子も脱げ落ちた。
痛みに顔をゆがませ、烏帽子を手に鬼の子の様子をうかがった。
ゆっくりと体を起こしてきたが襲ってくる様子はない。
手首には掴まれた跡が、くっきりとついていた。
戸口に目をやるが、騒ぎを聞いて駆けつけてきた者はいない。
このあたりが引き際かと、おなごの腰にしがみついて、おびえている女童に声をかけた。
「ちゃんと、食わして貰っているようじゃな」
考えを見透かしたように、眉をひそめたおなごが声をかけてきた。
「咎人になりたくないなら、手の中にある物を置いていきなさい」
「化け物が持っていてもしょうがねえだろ」
「酒や双六に溺れて今のようなことを続けていると、そのうち死罪となりますよ。長生きしたければ悪所に通うのをやめなさい」
おなごは、顔色を変えるでもなく近くにあった包丁を手にとった。
意外に肝のすわったおなごと、立ちあがろうとする鬼の子の気配に舌打ちし、花緑青の勾玉を床に叩きつけて立ちあがる。
「おまえより長生きするさ。何なら賭けてもいいぜ」
痛む手首を左手で擦りながらも、女童の手を引いて避けるおなごへの捨て台詞は忘れなかった。
横をすり抜け、土間に唾を吐く。
「まあ、死んじまったやつから銭は取れないが」
*
4
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
あさきゆめみし
八神真哉
歴史・時代
山賊に襲われた、わけありの美貌の姫君。
それを助ける正体不明の若き男。
その法力に敵う者なしと謳われる、鬼の法師、酒呑童子。
三者が交わるとき、封印された過去と十種神宝が蘇る。
毎週金曜日更新
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる