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第十二話 この世に並ぶ者なし
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「じい!」
制止する姫の声が聞こえた。
だが、姫が止めなくても忠信は太刀を抜かなかっただろう。
イダテンの目を見たからだ。
これほど暗い目をした小童を見たことがない。
生に執着しなくなった者の目だ。
不憫なことだ。わずか十歳にしてこの世に絶望している。
あれはまだ、忠信が御衣尾にある六地蔵に供え物をしていた二年ほど前のことだ。
兼親の郎党と思われる男が崖から落ちて命を落とした。
忠信が追い込んだのだ。その男が直前にイダテンに矢を射かけていたからだ。
あの時、イダテンはいともたやすくよけた。
ところが、こたび、こやつはあっさりと倒されていた。
しかも、姫の牛車の前で、だ。
衣が濡れ、熱を出していたのは確かだったが、イダテンを痛めつけていた男達のことを調べさせた。
武辺者と言われる忠信とて、それぐらいの頭は回る。
兼親たちとつながっていたことが分かった。
イダテンを潜り込ませるための策ではないかと疑った。
イダテンが自分の意志で姫や主人の命を奪いに来るとは思わなかったが、やつらにありもせぬことを吹き込まれている可能性もある。
そう考えたからだ。
だが、いらぬ心配だったようだ。
少なくとも人の命を奪おうとする者の目ではない。
忠信は柄から手を離したが、梅ノ井の興奮はおさまらなかった。
「なっ、なんという無礼なもの言い! 忠信殿、このような者を許しておいて良いのですか?」
「梅ノ井殿」
忠信は、梅ノ井のかん高い声にうんざりしながらも感情を押し隠した。
もともと世の習いにうるさい、このおなごとは性が合わぬのだ。
「梅ノ井殿の言われるように、恩人である姫様にとる態度ではない――わしとてそう思いますぞ。とはいえ、梅ノ井殿も知ってのとおり、イダテンは、その力、この世に並ぶものなしと言われたシバの子じゃ。イダテンが怒りに任せ暴れ始めたら、止められるものはおるまい……さて、その責は誰がとるのかのう」
先ほどまで赤かった梅ノ井の顔が見る間に蒼くなった。
「で、ですから、わたしは、姫君を鬼の子に会わせるべきではないと申し上げたのです。責というのであれば……」
「確かに責は、この忠信にありましょう――ならば、ここは、わしに任せてもらえぬか」
「ですが……」
それでも納得できぬ様子の梅ノ井に姫が、声をかける。
「梅ノ井の気持ちは嬉しく思いますが、ここは、じいに任せましょう。なにやら大事な話もあるようですし」
今度は――じい、だ。
やはり、おなごは歳や見かけで判断すべきではない。
姫は、ため息をつく忠信に、
「そうですね?」
と、たたみかけるように念を押した。
誰をも、とろかせる笑顔をそえて。
*
朱塗りの反橋が架かる山水を模した庭園に目をやった。
何とも贅沢なことだ。
野に出ればすむものを、ここまで手をかけるとは。
女房たちが姿を消すと、姫が待ちかねていたようにイダテンに話しかけてきた。
「お母様は、もちろんですが、媼――おばば様も、さぞかし美しい方なのでしょう?」
なにを言っているかわからなかった。
ものごころがついたときから、おばばは、おばばだ。
日に焼け、しわだらけで、腰は曲がり、指も節くれ立って曲がっていた。
怪訝な表情のイダテンに姫が楽しげにつけくわえた。
「その昔、おばば様にあこがれた殿方が大勢いらしたとか。じいなど、まるで想い人のことのように語るのですよ」
「――いや、姫様にせがまれて、思い出話をしたまで……ここで、そのような話は」
「告げ口などしませんよ」
老臣のあわてぶりを面白がるように姫は忠信の妻と思われる名を出した。
言われてはじめて、おばばが齢、五十にも届いていなかったはずだと気がついた。
目の前の老臣より遥かに年老いて見えた。
苦労がそのような姿にしたのだろうか。
*
制止する姫の声が聞こえた。
だが、姫が止めなくても忠信は太刀を抜かなかっただろう。
イダテンの目を見たからだ。
これほど暗い目をした小童を見たことがない。
生に執着しなくなった者の目だ。
不憫なことだ。わずか十歳にしてこの世に絶望している。
あれはまだ、忠信が御衣尾にある六地蔵に供え物をしていた二年ほど前のことだ。
兼親の郎党と思われる男が崖から落ちて命を落とした。
忠信が追い込んだのだ。その男が直前にイダテンに矢を射かけていたからだ。
あの時、イダテンはいともたやすくよけた。
ところが、こたび、こやつはあっさりと倒されていた。
しかも、姫の牛車の前で、だ。
衣が濡れ、熱を出していたのは確かだったが、イダテンを痛めつけていた男達のことを調べさせた。
武辺者と言われる忠信とて、それぐらいの頭は回る。
兼親たちとつながっていたことが分かった。
イダテンを潜り込ませるための策ではないかと疑った。
イダテンが自分の意志で姫や主人の命を奪いに来るとは思わなかったが、やつらにありもせぬことを吹き込まれている可能性もある。
そう考えたからだ。
だが、いらぬ心配だったようだ。
少なくとも人の命を奪おうとする者の目ではない。
忠信は柄から手を離したが、梅ノ井の興奮はおさまらなかった。
「なっ、なんという無礼なもの言い! 忠信殿、このような者を許しておいて良いのですか?」
「梅ノ井殿」
忠信は、梅ノ井のかん高い声にうんざりしながらも感情を押し隠した。
もともと世の習いにうるさい、このおなごとは性が合わぬのだ。
「梅ノ井殿の言われるように、恩人である姫様にとる態度ではない――わしとてそう思いますぞ。とはいえ、梅ノ井殿も知ってのとおり、イダテンは、その力、この世に並ぶものなしと言われたシバの子じゃ。イダテンが怒りに任せ暴れ始めたら、止められるものはおるまい……さて、その責は誰がとるのかのう」
先ほどまで赤かった梅ノ井の顔が見る間に蒼くなった。
「で、ですから、わたしは、姫君を鬼の子に会わせるべきではないと申し上げたのです。責というのであれば……」
「確かに責は、この忠信にありましょう――ならば、ここは、わしに任せてもらえぬか」
「ですが……」
それでも納得できぬ様子の梅ノ井に姫が、声をかける。
「梅ノ井の気持ちは嬉しく思いますが、ここは、じいに任せましょう。なにやら大事な話もあるようですし」
今度は――じい、だ。
やはり、おなごは歳や見かけで判断すべきではない。
姫は、ため息をつく忠信に、
「そうですね?」
と、たたみかけるように念を押した。
誰をも、とろかせる笑顔をそえて。
*
朱塗りの反橋が架かる山水を模した庭園に目をやった。
何とも贅沢なことだ。
野に出ればすむものを、ここまで手をかけるとは。
女房たちが姿を消すと、姫が待ちかねていたようにイダテンに話しかけてきた。
「お母様は、もちろんですが、媼――おばば様も、さぞかし美しい方なのでしょう?」
なにを言っているかわからなかった。
ものごころがついたときから、おばばは、おばばだ。
日に焼け、しわだらけで、腰は曲がり、指も節くれ立って曲がっていた。
怪訝な表情のイダテンに姫が楽しげにつけくわえた。
「その昔、おばば様にあこがれた殿方が大勢いらしたとか。じいなど、まるで想い人のことのように語るのですよ」
「――いや、姫様にせがまれて、思い出話をしたまで……ここで、そのような話は」
「告げ口などしませんよ」
老臣のあわてぶりを面白がるように姫は忠信の妻と思われる名を出した。
言われてはじめて、おばばが齢、五十にも届いていなかったはずだと気がついた。
目の前の老臣より遥かに年老いて見えた。
苦労がそのような姿にしたのだろうか。
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