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第二十三話 孤立
しおりを挟む三郎の家に戻ると、戸口前の地面に落書きがあった。
額の両端から角を生やした鬼の絵だった。
人の腕らしきものをかじり、口からその血があふれ出ている。
なかなか達者な絵だった。
三郎が目にすれば騒ぎを起こすだろう。
沓でこするようにして消した。
囲炉裏に火をおこし、水を入れた鍋をかける。
先日、山に入り採ってきた根茎をきざみ、常備している乾燥させた芍薬の根も加えて煮詰める。
*
しばらくすると三郎が薪を背負って帰ってきた。
「なんじゃ、この匂いは?」
ヨシがいないのをよいことに背負子を放り投げ、足も洗わず上がってくる。
竹を削った箸で鍋をかきまぜながら、
「薬湯じゃ」
と、答えると、怪訝な顔をした。
「薬湯? おかあの湿布薬は効かぬか?」
「頭痛に効く薬湯じゃ」
「何でも知っておるのう、おまえは」
感心されるようなことではない。
「おばばが頭痛持ちだった」
なるほど、といいながら、三郎は近くにあった杓子で薬湯を椀に移し、鼻を近づけ顔をゆがめた。
そして鍋のそばの乾燥した根茎を見つけると、にやりと笑った。
「ほう、これか?」
母が書きとめ綴ったという冊子に図入りで薬草や薬効が記してあった。
それを元にいろいろと試してみた。
すぐに薪を背負ったヨシが、ミコの手を引いて帰ってきた。
顔色が優れぬヨシの様子を見て、三郎が、ほれ、と椀を渡す。
「イダテンが頭痛に効く薬湯とやらを作ったぞ」
「まあ、イダテンが?」
ヨシは、眼を閉じて匂いを嗅ぐと、
「効きそうなこと」
と、ためらいもなく、ぐいと飲みほした。
イダテンは唖然とした。
困惑したといったほうが近いかもしれない。
ヨシが、こうも簡単に口にするとは思わなかったのだ。
自分が先に飲んで見せるつもりだった。
横に置いた根茎も、この薬湯が毒ではないと、わからせるために残していたのだ。
そこまでしても、口にしないのではないかと考えていた。
怪しげな、鬼の子が作ったものだ。それが人というものだろう。
ヨシは、にっこりと微笑んで続けた。
「作り方は秘伝ですか?」
意外なことを聞かれ、いや、とイダテンは首を振った。
その答えにあわてたように三郎がすり寄ってきて袖を掴んだ。
「まてまて、イダテン。もしも、この薬湯で、おかあの頑固な頭痛が治るなら、これで一儲けできようぞ。ここはひとつ、秘伝ということに……」
「三郎!」
頭痛で苦しんでいるとは思えないヨシの声が家中に響き渡った。
*
隈笹の生い茂る獣道から抜け出て、竹の束を肩に、暖かい木漏れ日の降り注ぐ斜面を下る。
径に出ると、言い争う声が聞こえてきた。
十間ほど先、三叉路の道祖神の前に、その主たちの姿があった。
「理屈は良い」
頭ひとつ抜け出している童が答えた。
三郎が言っていた力自慢の喜八郎だろう。
その隣の三郎より小柄な童が、足が速いという九郎か。
「おまえのためを思うて言うておるのじゃ。このままというなら、袂を分かつことになろう」
三郎が反論する。
「相手が何者であろうとも、その力量を認め、受け入れる度量も必要ではないか。武門に生まれたのであればなおさらじゃ。」
「人であれば、つき合いもできよう。やつは鬼の子じゃ。あの暗い目を見ればわかろう。なにをしでかすかわからぬぞ」
「イダテンがなにをしたというのだ。人に害をなしたことは一度もないではないか。むしろ、腕も立てば知恵もある。つきおうて見ればすぐにわかろう」
喜八郎と九郎は目くばせをして答えた。
「どうしても、おまえが、鬼の子と組むというなら、われらとの縁もこれまでじゃ」
「奉納祭の競弓の仲間は、ほかを当たるが良い」
そう言い捨てて山道を下って行った。
三郎は二人を追うでもなく、その場に立ちつくしている。
イダテンの足元を影が横切った。
見上げると、日に日に高くなる空を、飛天が翼を広げ、ゆっくりと帆翔していた。
*
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