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第二十四話 毒見
しおりを挟む今日は風もなく暖かい。
東の空には、うろこ雲が見える。
海が見渡せる弓場近くのゆるやかな斜面に草笛の音が響く。
三郎が枯れ草の上に寝そべりながら笹の葉を唇に当てていた。
イダテンは腰こそ落としているが寝そべってはいない。
用心のためだ。
だが、いつもは腰に手挟む手斧はミコが刃に触れてケガをしないようにと筒袋の横の物入れに差し込んだ。
三郎が草笛を吹き終わったところで、
「おれは、奉納試合にはでぬぞ」
と、伝えた。
三郎は一瞬、なにを言われたのか分からぬ様子だったが、すぐに目を閉じて、ため息をついた。
「そうか、見られておったか……」
体を起こし、草笛を前方に投げすてた。
「すまぬのう。わしは弁が立たぬで。やつらも決して悪い奴ではないのじゃ」
三郎の話によると、国司の邸を囲む郭には、家族を支える働き手をなくした者たちが多く引き取られているという。
喜八郎らより年長の者は、十年前に宗我部に討たれた武士や郎党たちの子だと。
きれいごとばかりで引き取ったのではないようだ。
この地に地盤を持たない新任国司が、忠実な下部を抱えようと老臣の助言を受け入れたのだ。
引き取られた者たちは自立できるまでは邸の仕事や直轄領で働くことになる。
国司にとっても利益は大きい。直轄領の租税は免除されているという。
「やつらは、お前の力が人並みはずれておるので怖いのだ。人というのは弱いものでの、強いものにあこがれるか、でなければ怖がるかじゃ。わしは……わしは、うらやましいのだ。お前のように強くなりたいのだ」
拳を握りしめ、顔を朱に染めた三郎が挑むように話し始めた。
「一年もの間、たった一人で生きてきたと聞いたが、それはまことか? いまだに信じられぬのだ。どうしたら、そのようなことができるのだ……わしはお前のようになりたいのだ。そのために、おまえのことをもっと知りたいのだ。たとえ、他人から魚の糞のようだとそしられようとも、おまえのそばにいたいのだ……」
三郎の話は終らなかった。
三郎は、勘違いしている。
おれは強くなどない。
鬼の血をひいたゆえ、人より速く走ることができ、人より力があるというだけだ。
たった、一人で生きてきたと言うが、望んでそうしたわけではない。
そうするしかなかったのだ。
なにより、おばばが死んだ時、おれは正直、ほっとしたのだ。
確かに、狩猟や採取の腕があがり、餓死の恐れからは解放されていた。
だが、そのさなか、死にかけたことは幾度もある。
冬山で凍え。崖から落ちて。獣と闘い負傷して。
さらには兼親の郎党どもに襲われて。
自分が死ねば、おばばが餓死する。
だから、死ぬわけにはいかない。
その重圧に押しつぶされそうになりながら生きてきた。
おばばが死んだことで、そのくびきからようやく解放されたのだ。
三郎が、袂から干し柿をふたつ取り出し、イダテンにひとつ差し出してきた。
「うまいぞ」
驚いた。
食い意地のはった三郎がくれただけでも驚きだったが、差し出されたほうが大きかったからだ。
「いらぬ」
「なぜじゃ」
「邸の土手になっていたものであろう」
どこからか枝振りの良い木を移してきたのだろう。
実の大きさも色艶も違う。
「ようわかったのう。おまえの言うとおり土手になった柿じゃ。等分に分ける決まりじゃが、草木の灰を与える当番には余禄もある」
だからと言って受け取るわけにはいかない。
イダテンは、袂から猿梨と犬枇杷の実を一つずつ取り出すと三郎に見せた。
「これがある」
「おお、うまそうじゃのう……で、いくつある?」
袂のふくらみに気がついたようだ。
「四つずつじゃ」
三郎は嬉しげに目じりを下げた。
「ミコと、おかあの分もあるな……ひとつくれ」
犬枇杷だけを渡す。猿梨は、追熟を待った方がうまい。
今回は、毛むくじゃらの腕にひるむことなく受け取った。
皮をむき、落とさぬようにと慎重に口に入れた三郎は、目を細めて満足げに、うむ、とうなった。
よほどうまかったのだろう。皮の裏までなめはじめた。
「うまいのう。どこで採ってきた」
邸の裏山に連なる長者山を指差すと、三郎は面白げに笑った。
「あの山は国司様のものだ」
言われてみれば、どれほど山奥であろうが、だれぞの所領に組み入れられている。
三郎は、にやりと笑ってもう一度、干し柿を差しだした。
「ほれ、遠慮するな。腹の中に入れてしまえば、だれにもわからん」
粉がふいて、いかにも甘そうな干し柿だった。
しばらく見つめ、受け取るとかぶりついた。
――ここにきて初めて毒見もせずに。
*
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