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第二十五話 武門の子
しおりを挟むたしかにうまい。
イダテンの事情など知るよしもない三郎は、満足げに笑って自分の干し柿にかぶりついた。
その笑顔を見て、うまさが増したように感じた。
「のう、イダテン。お前は元服したら何になりたいのじゃ」
三郎は、唇を尖らせ柿の種を飛ばし、ふたたび寝転んで腕を枕に空を見つめた。
先日も元服したら、となにやらつぶやいていた。
武士は十五歳前後で元服することが多いと言う。
最近は早くなる傾向にあるとも言っていた。
むろん、鬼にはそのようなものはないが、説明してもはじまらぬだろう。
「考えたこともない」
「そうか……わしはのう、出世したいのじゃ。今は収まっておるが……なに、領地をめぐっての揉め事は、頻繁に起こっておるでな。まずは力のありそうな領主につかえ、手柄を立てることじゃ……わしは毎朝、八幡大菩薩を祀ってある神宮寺に向かって手を合わせておる」
「戦に出て、お前が死んだら、母者の面倒はだれが見るのじゃ」
イダテンの問いを予想していなかったわけではあるまい。
それでも三郎は目を泳がせ、眼下の長屋に目をやった。
「……おかあも武士の家に生まれ、嫁いできた身じゃ。覚悟はできておろう」
そういいながらも、寂しげに笑った。
「武士も楽ではないがのう」
三郎は身の上を語りだした。
「父は討ち死にし、すぐ上の兄者は病で死んだ。一番上の兄者は家を出た。向洋の親族から、子のない商人が跡取りを欲しがっている。三郎を養子に出したらどうか、と声がかかったこともある。兄者のいた三年ほど前のことだ。領地を失ったとはいえ、わが鷲尾家は武門の家柄じゃ。いかに相手が分限者とはいえ、そのようなまねができようか……もっとも、いまさら頭を下げたところで、わしは算術どころか文字も満足に書けぬが」
確かに、習い事をしている様子はない。
暮らしに余裕がある武士の子は七歳頃から十三歳頃まで寺に預けられて漢字、和歌などを学ぶのだという。
「兄者は備後の安那実秀様のもとで働くことになっておったが、そこへ向かう途中で行方をくらませた。以来、生死も分からぬままじゃ。ならば、わしが、おかあや先祖の期待に応えねばなるまい。武士としての腕を磨くが出世の糸口よ」
生き方は、それぞれだ。ましてや相手は人である。
にもかかわらず言葉が口をついて出た。
「算術や文字の読み書きは、習っておいた方がよかろう」
おばばは、毛皮の相場も算術もわからず騙された。
叶わぬ望みだが、美しい建築物を建てるには算術も必要に違いない。
書物をあたるなら読み書きも必要だろう。その思いが口に出た。
「そうじゃな、証文も読めぬから騙される。算術もできねば騙されよう。おまえが言うなら間違いあるまい……面倒そうじゃが、やってみるかのう」
三郎は、意外なほどあっさりと受け入れた。
そして、あぐらをかいたイダテンの足の上に頭をおいて、すやすやと眠るミコに目をやった。
ミコの髪の毛はつむじの上で括られている。
イダテンの真似をしているのだ。
イダテンが、この髪型にしているのには訳がある。
髪の毛を括った布の下に鬼の力を封じる呪符を挟み込んだのだ。
まとわりついてくるミコに、うっかりケガをさせてしまわぬようにと。
この呪符を見つけた時は困惑した。
母は、なぜこのようなものを残したのかと。
それでも形見として持ち歩いていた。
留守の間に家を荒らされたことがあるからだ。
母は、このような時が訪れると予想したのだろうか。
とはいえ、このままでは、ミコも三郎と同じ目に合うだろう。
自分がここにいることで、三郎たちに迷惑がかかる。
「出世すれば、ミコを嫁にやる時も立派な衣装と嫁入り道具を持たせることができよう……ミコは、わしの本当の妹ではないのじゃ。おかあの妹の子での。ミコのおかあは、一年ほど前に、はやり病で死んだ……おとうは、ろくでなしでな」
それで引き取ったのか。
そのろくでなしが誰であるかも見当がついた。
三郎の父が十年前に死んだことは老臣から聞いていたが、新たな連れ合いとの間の子だろうと思っていた。
三郎がこうしていられるのも春までだという。
今でも水汲みや畑仕事を手伝っているが、貧しい者は幼いうちから大人にまじって働かなければならない。
ここで目覚めた日の水汲みを思い出した。
三郎やそれより幼い童には、さぞかし辛かろうと。
水から少し離れた所に支点を置き水を汲み上げる、跳ね釣瓶という造作物であれば作ってやることはできる。
だが、桶をおろすときに力がいる。
童には使いこなせまい。
――そこまで考えて三郎のかたわらに転がっている独楽が目に入った。
ミコが教えろと言うので持ってきたのだ。
結局、ミコには、回すことができなかったが。
じっと見つめるイダテンの様子が気になるのだろう、三郎が声をかけてきた。
「どうした?」
「細工をしても良いか?」
急かすように問いかけた。
閃いたのだ。うまくいきそうな予感がする。
三郎は、いつもと様子の違うイダテンに戸惑いながらも、これか、と独楽を差し出した。
「かまわんぞ。これは、おまえにやったものじゃ」
矢を入れた筒袋の横にある物入れから小さなノミを取り出した。
研ぎはしっかりとかけられている。
「何でも入っておるな」
という、三郎の言葉を聞きながら、眠っているミコの頭に手を回した。
身内のおばばを別にすれば人と触れ合うことなど一度もなかった。
ましてや抱き上げることがあろうとは想像すらできなかった。
そっと横の草地に降ろして取り掛かった。
「なんじゃ、これは? なにかの見立か?」
出来上がったものを見て、三郎が我慢できずに聞いてきた。
「丸太と軸になる丈夫な木は手に入るか? できれば樫がよい。丸太は切れ端でかまわぬ」
三郎は目を輝かせた。
「これの大きなものを作るのじゃな。どれぐらいの大きさじゃ」
一尺は欲しいと、両手で大きさを示す。
三郎は、
「わかった。道具も借りてきてやる」
と、口にして走り出したが、すぐに戻ってきた。
何かと思えば、真剣な眼差しで、
「今度は、わしにも手伝わせるのじゃぞ。よいな」
と、念押しした。
イダテンがうなずくと、満面の笑みを浮かべて、
「わしに任せろ」
と、飛び出していった。
すやすやと眠るミコを残して。
ミコの顔にかかるほつれ毛を直し、自分の首に巻いていた麻布を広げて胸元に掛けてやる。
今日は暖かいが、今年の冬は寒いという。
*
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