ちはやぶる

八神真哉

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第三十八話  間諜

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配下の者が、次々と侍所に駆け込んで来る。
誰もが、いらだちを隠しきれず怒りに満ちた表情を浮かべていた。
当たって欲しくなかった憶測が現実のものとなりつつある。

この二、三日、主人からこまごまとした用を山ほど言いつけられ走り回っていた。
いらぬ詮索はするなということだ。
それを諾々と受け入れてきたおのれのふがいなさに腹が立つ。

今日の朝早くにようやく、国親が開墾を考えているという地に足を運ぶことができた。
検討に値するような場所ではない。
明らかに呼び出すための口実だ。

よほど機嫌が悪かったのだろう。
供も話しかけてこなくなった。
帰る足で主人と宗我部兄弟が紅葉をめでているはずの薬王寺に向かった。

門の手前で足が止まった。
主人の機嫌を取るための宴が行われているだろう。
ならば無粋である。

なにより証ひとつないのだ。何を言っても信用はされまい。
いかに国親と言えど、呼び出したその場所で事は起こすまい。

やるとしても帰りだろう。
腕の立つ者を五人ほど付けている。
もっとつけたかったが、主人が許さなかった。

迎えにもう十人ばかりよこせばよいだろうと踵を返した。
無断で、邸を出たことを朝廷に訴えるための奸計であれば、すでに手遅れだ。

わが身かわいさもあったかもしれぬ。
だが、絶対にことが起こるとは限らない。

ここで主人の怒りを買えば、三郎や兄、信継の子の将来も閉ざされよう。
領地を持たぬ、わが一族の再興は叶うまい。
――情けないことにそう思った。

そして、帰ってきたらこの始末だ。
「馬が一頭消えております」
顔色を変えた厩番の報告を遮るように信綱が駆け込んできた。

内密の話があるとその目が告げていた。
外に出ると声を潜め、
「吉次の姿が見えませぬ。しかも、火桶の中にこのような物が……やつは文字など読めぬはずですが」
と、焼け残った小さな紙切れを差し出した。

明らかに文の一部である。
毒にかかわっていたのは吉次と見て間違いあるまい。

主人が宴に招かれた日に、唐猫が毒殺されたのが偶然であるはずがない。
体調がすぐれず参加しなかったものの、宴には姫も招待されていたのだ。

すっ、と頭から血の気が引いた。
そして、おのれの頭の血の巡りの悪さに怒りがこみ上げてきた。

荘園を、わが主人に献上して何になろう。
わしが国親であれば、左大臣に献上する。
いや、とうに献上していよう。

郎党たちが、
「領地も荘園も増えたというのに、われらの実入りが増えぬ」
と、愚痴をこぼしている、との報告が上がっていたではないか。

郎党たちには、その収穫が税として都に送られたのか、左大臣のもとに送られたのか区別などできない。
やつは、左大臣に名簿を出したのだ。家人となったのだ。
世に並ぶもののない権勢を誇る左大臣の家人となれば、ろくな調べも行われまい。

武力を行使するつもりなのだ。
わが主人、阿岐権守の命を奪ったうえで、野盗、山賊の類にやられたとでも届ければよい。

主人が死ねば、姫の入内の話は立ち消えるだろう。
左大臣は、あわてることなく自分の娘を入内させればよい。

「おのれ……国親!」
怒りに震えた。

事情を知らぬ信綱の方が冷静だった。
「善友を呼んでまいりましょうか?」
信綱も文字が読めない。

とは言え、見せる相手は吟味しなければならない。
間諜が吉次一人とは限らないからだ。
握りつぶされたのではたまらない。
国親の謀略と断定できる内容が記されていることを期待しながら、端布に挟んで懐に仕舞い込む。

「信綱、おまえは郎党を率い、急ぎ薬王寺に向かえ。ほかの者にも後を追わせる。門が閉じておれば叩き壊してでも乗り込み、無事、阿岐権守様を連れ帰るのだ。一切の責めはわしが負う。躊躇するでないぞ。よいな?」

信綱が、腹を決めたように、
「承知!」
と、答え、侍所にいた者を従え、厩へと急ぐ。

万一に備え、姫を逃がす算段もしておかなければならない。
声を張り上げた。
「惟規、わしは東対に移る。イダテンを呼べ! 門前におるはずじゃ」

     *
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