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本編
529 勝手に勘違いしただけで、俺は悪くない
鏡に向かってお前は誰だと言い続けると、その内自分が誰か分からなくなってくる。
それを俗にゲシュタルト崩壊と呼ぶ。
この状況はまさにそれに近いとも言える状況だった。
「私は誰だ! 教えろ! 私は誰だ!」
ソファの上に立ち上がって叫ぶアイシャ。
「誰だ私は! 貴様は誰だ! いったい何者なんだ!」
調度品として置かれているぬいぐるみに尋ねるアイシャ。
「はあ……どうしたもんかね、これ……」
部屋から出て、ドアの鉄柵越しに見ながら、俺は大きなため息をついていた。
隣に立つウィンストもやれやれとしながら言う。
「一時的な物だから、時が経つのを待つしかないだろうな」
「マジか……」
魔法スキルに長けたウィンストが言うには、言葉に寄る一種の意識障害らしい。
レベル差、そしてステータスのINTの差によって、起こりうるものなんだと。
「強く言い聞かせるだけで、そういう感じになるんだったら迂闊に喋れねえ……」
「いやトウジ、普通ならばこうはならないぞ」
この女のINT値が、かなり低くないと起こりえないとのことだった。
さらに、強い意志を込めて言わなければ基本的には作用しない。
普段のトーンで話しても、何の危険もないそうだ。
そう言えば、この女はキングスの一人を素手で倒した手合い。
大方、ステータスの大半がVITとかSTR系の偏っているのだろう。
「宗教的な組織がよく使う手段でもある。ここまで短時間ではないがな」
カルト組織は、神の声として言葉による精神的洗脳を施すこともある。
毎日毎日、同じことを繰り返し行い、その上で徐々に染め上げるのだ。
「なるほど」
俺のINTの7倍くらいあるイグニールだったら……。
一瞬で宗教を開けるな……。
何とも、恐ろしい事実を知ってしまったぞ……。
「私は誰だ! 誰だ私は! 貴様は誰だ! 誰だ貴様は!」
ガンガンガンとドアを叩いて暴れるアイシャ。
「とりあえずほっといて他のことをやるか……」
再び話が通じるようになれば、何らかの情報を聴き出せるかもしれない。
とにかく今は他各国の密偵から話を聞いて連絡役として解放。
さらにC.Bファクトリー研究者の籠絡や、デプリの暗殺者の件もある。
「バカに構ってる時間はないんだ」
「バカだと!? 私はバカだというのか!? バカって言った奴がバカなんだぞ!!」
「うっせー……」
呟きにいちいち反応するなよな。
「私は私が誰だかわからないが、誰かの命によりここに来ている! 早く解放しろ!」
「誰の命令でここに来たんだよ。言ってみろよ、話はそれからだ」
「……おかしい、命令したのが誰だったかがわからない……誰なんだ?」
首をひねりながらアイシャは言った。
「……まさか、命令した奴はお前か? だったら不当な拘束じゃないか! 解放!!」
「いや知らんがな──ん?」
あれ、こいつ。
誰が誰だか認識できないが故に、命令した奴が俺だと誤認している?
なんだか悪どい考えを思いついてしまったぞ。
「あ、そうだった、ごめんごめん、確かに命令してたわ、すぐ解放するよ」
「お、おいトウジ」
「盟主よ、キングスを単騎で倒せる手合いだぞ」
意見をころっと変えて、ドアの鍵を解錠する俺を見てウィンストとロイ様が慌てる。
「いや、ちょっと試して見たいことがあるから」
それだけ言ってドアの中へを入ると、アイシャはドアの側から部屋の隅に身を寄せた。
「な、何だいきなり! 卑しい男め! 何が目的で部屋に入って来た! 嬲るつもりか!」
「んなことしないよ。可哀想に、敵に洗脳されちゃってたんだな……」
「え……? 洗脳……?」
「ああ、ここに拘束したのは、お前が洗脳されて敵対してきたから止む無くなんだよ……」
「え? そうなのか? だったら貴様は誰なんだ? 私は誰なんだ?」
なんだかいけそうな気がする。
「お前の名前はアイシャ、俺のもとで秘密裏に密偵を頼んでいた部下の一人だよ」
「私はアイシャ……密偵を頼まれていた部下の一人……確かに記憶とあっている」
アイシャは言う。
「確かに、私は誰かに命令を受け、このどこぞもわからんところに一人でいた」
「うん、ようやく思い出して来たか。よかったよかった」
イグニールのような微笑みを向けると、アイシャもやや気を許したように変わった。
「そうか、お前が私の主人だったか……不安で不安で仕方なかったぞ……」
「不安にさせてすまなかった。とりあえず掴んだ情報を話すことはできるか?」
「待ってほしい、少し頭の中を整理する」
書面にすると足がつくから、いつも頭に入れていた、とアイシャは語る。
最初はバカかと思ったが、なんだかんだ密偵としては優秀な部類っぽい。
「む、私は男を調べるように、女に言われていた。なんか違うぞ?」
「それはすり替えられたお前の記憶で、本当は俺に女を調べるように言われていた」
「そ、そうか!」
とりあえず、アイシャを密偵としてギリスに送った奴は女確定。
そこで一つ矛盾が出てくる。
グレイトなんちゃらの報復で俺のことを調べていた奴はエルカリノ。
そいつはまごうことなき、男の大海賊。
また一つ、違う陣営からの密偵だと言うことを表していた。
「今までどこで何をやっていたかはわかるか? 思い出せるか?」
「えっと……場所はわからんが、大海賊である女の部下だった……」
大海賊の女、ねえ……。
「む!? 私はその女の部下で、お前の部下じゃないぞ!!」
「あ、それ二重密偵だよアイシャ」
「え? 二重密偵?」
「うん、俺がその女のもとに、お前を密偵として送り込んでたんだ。マジで」
「そ、そうか! そうなのか! よかった!」
「ちなみにアイシャ、その女が誰かまでは、さすがに思い出せないか?」
「ま、待ってほしい! 思い出す! 今思い出すから待って!」
「オッケー」
「えっと……女に男を監視しろと言われていて……あ、でもそれはお前にその女を監視しろと言われて……でも二重密偵がアレで……あ、あれ……? ん?」
思い出そうとしては、しきりに首を捻るアイシャだった。
うーん。
記憶の中の矛盾がとんでもないこといなっているな。
人物名が誰かわかればいいんだけど。
俺の誰々口撃によって穴が空いている状態。
そろそろ潮時かもしれない。
「わかったもういいよ、思い出したらまた教えてほしい」
「う、うん……」
「でもこれだけは留意しといて? 君はアイシャ、俺はトウジ。はい、続けて」
「私はアイシャ、お前はトウジ」
「オッケー、俺はボス、君は部下」
「トウジ……様はボス、私は部下」
「うん、そうそう。その女に洗脳されて認識阻害を受けていたんだ」
「う、うむ……」
「でもこれからは安心してほしい。君はもう帰って来て、俺が治してやるから」
「ト、トウジ様……!」
ほのかに顔を赤くして熱のこもった視線を向けるアイシャ。
よし、これで認識障害が時間経過とともに戻っても、こいつはまだ混乱する。
その時までに、信頼を勝ち取り、名前を直接聞き出すことにしようか。
念のために、並行して大海賊の女とやらについても調べておくつもりである。
大のつく海賊ならば、なんとなく異名のようなものを轟いているかもしれない。
その辺の情報ならば、裏社会の連中を一網打尽にしたから聴き出せるはずだ。
「とりあえずアイシャは、洗脳が治るまでここで待機してくれ。ほしいものがあったら持っていくから」
「はい!」
「じゃ、行くぞウィンスト、ロイ様」
それだけ言って、特別収容所の一室を後にする。
後ろから「食べ物が欲しいです! お腹ペコペコです!」と声がするので後でポチの料理を持って行こうか。
「……お、恐ろしいなトウジ……よくもまあ、あれだけ口が回るもんだ……」
「盟主よ、普段からカルマだ因果応報だの言ってる癖に、よくやるな……」
「いやいや、勝手に勘違いしてるだけだってば」
それに、これは完結型の因果応報である。
俺に報いが来るのではなく、向こうに報いが来た形だ。
ここでえんがちょ。
因果は断ち切った、というかうやむやにしたのだから……大丈夫なはず!
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