燕ヶ原レジデンス205号室

風見雛菊

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父の代わりの僕3

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 あーさんは間抜けな顔をして僕を見る。

「僕はね。あーさん。あーさんが大好きなんだよ。養育者としてのあーさんも、人間としてのあーさんも。僕は……あーさんを愛しているんだ」

 本当の意味でね、とか細い声で付け足す。あーさんは僕の目を見てハッとした表情を見せていた。
 僕の目にはごまかせないくらいの熱が滲み出ていたのだろう。

「顰に倣うような真似するな」

 あーさんは露骨に顔を歪める。僕のことを叱っているはずなのに、溺れているみたいに見えた。

 でも、馬鹿な真似をしているのはどっちだと思っているの?

「僕が何も考えないで、こういうこと言ったと思ってるの? 僕があーさんのこと、慕っているのは保護者への敬意なんかじゃないよ。百パーセントの恋情だよ。ほうら、あーさんが思った通りになった」

 あーさんは目を見開く。いい大人のはずなのに、子供みたいに純粋な瞳の色。大人だけど、大人になりきれないところが垣間見えるところ。
 少し押せば、こちら側の感性にすぐ戻ってきてしまうところ。
 ああ、僕はこの人のこういうところが好きだ。

「代わりにして。あーさん。父さんがやってたこと、それ以上のこと、僕はぜぇ~んぶやってあげる」

 床に崩れこむあーさんと視線を合わせるように僕はしゃがみ、あーさんの顔の輪郭を確かめるようになぞる。

「はっ……何言って!」
「何言ってるか? そんなの僕が一番わかんないよ。だけどさあ……あーさん」

 ねえ、あーさん。僕を利用してよ。僕は喜んで受け入れるから。
 あーさんの耳元で僕は囁く。
 ぎゅっと抱きしめたあーさんは、ガクガクと震えていた。

 湿度が高い、吐息が漏れるあーさんの口元から漏れ出る。

 震えている。

 精神的に苦しくなった人間が見せる影は、咽せる様な色香を放つ。

 僕はそれに誘われるがまま、あーさんを抱きしめ、そしてキスをした。

「何やってるんだ! やめろって言ってるだろ!」

 驚いたあーさんは僕の腕をがっしりと掴む。でも、あーさんの腕は、精神的にぐらついているせいか、どこか力なくて、筋力に自信がない僕にも振りほどけてしまった。

「ねえ、本当にやめてほしいって思ってる?」

 息を呑む音が聞こえた。
 僕はあーさんの目を真っ直ぐに射抜くように見る。

「本当はこの顔で、してほしいことがたくさんあるんでしょ?」

 もう僕たちは後には引けない。
 保護者と子供には決して戻れないんだ。

 キスはどんどん、深くなる。

 あたためられた息が、頬を掠める。二人とも溺れてるみたいだった。お互いの存在を確かめるように、舌を絡めあう。次第に、気持ちよさそうによがりだすあーさんは艶かしくて、僕はそれを夢中になって味わった。

 どれくらい時間が経ったのだろう。十分くらいな気もするし、二時間以上経っている気もした。

 その時間感覚の歪みの中で、僕たちはずっとお互いの存在を確かめ合うみたいにキスをしていた。

 そのうちあーさんは最後は精魂尽き果てたみたいに、ぐったりと床に倒れ込んでしまった。冷たさを感じている様に頬をぺったりと床につけ、体を上下に揺らし荒い息を整えている。

 僕はまだ、全然疲れていなかった。どうやら、僕の心臓はこのくらいの緊張感にだったら耐えられるらしい。
 気持ちがいい。もっとしたい。もっと。先が知りたい。あーさんを可愛がりたい。

「あーさん、寝ないで。続きをしようよ」

 耳元で囁くと、あーさんの瞼がゆっくりと開いた。
 あーさんは僕の顔を気怠げな薄目で見た瞬間、催眠からとけた様な、キョトンとした表情を見せた。

「え……」

 固まる。石膏の様にあーさんは固まる。

 僕は余裕のある顔で固まるあーさんを見守っていたけれど、あーさんは後ろめたさ全開っていう顔だった。玉のような汗を額に浮かべ、信じられないといった具合にあぐあぐと口を開閉した。

「わああああああああああ!」

 大の大人が、お化けに出会した様な声をあげていた。そのまま、あーさんはピューッと部屋に逃げ帰ってしまった。

「ちっ。逃げられたか……」

 僕の呟きが、さっきまで熱い吐息で満たされていたリビングで寂しげに響く。
 その日、あーさんは夕ご飯の時間になっても部屋から出てくることはなかった。

 それ以来僕たちの空気はちょっとだけ、ギクシャクしたままだ。
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