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花のように6
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華と客らしく一晩を過ごした後、ディニはしばらく華街にやって来なかった。そのことにクリュスは内心ホッとしていた。
(若気の至り、ひとときの気の迷い、そういったことは若いうちはよくあることです)
それなら自分自身も客とのひとときの寝物語だったと思えばいい。華を引退するまでの心穏やかな時間に再び戻るだけだ。そう考えながら一週間が過ぎたときだった。
再びディニに指名されたと聞いてクリュスの鼓動が跳ねた。客に指名されただけなのに、やけに気持ちが騒がしくなる。それは明らかに華としてよくない感覚で、思わず「どうして」とつぶやいてしまった。
それでもクリュスに客を断ることはできない。再び行為を求められるだろうかと思いながら慣れ親しんだ支度を進めていく。その最中も気持ちは落ち着かず、腹の奥がやけに熱っぽく感じられた。
そうして日が沈みかけた頃、綺麗な色をした小瓶を手にディニが現れた。
「これ、やる」
そう言いながらずいっと小瓶を差し出す。
「わたしにですか?」
「スキアさんに、クリュスはハーブティーが好きだって聞いたから」
見れば瓶の中身は茶葉だった。葉の隙間に干した果実や花びらのようなものが見える。
「ありがとうございます。果実や花の混じったハーブティーはわたしの好物なのです」
「そっか」
ホッとしたような顔に、ディニが緊張していたことに初めて気がついた。客の様子に気づけないほど自分も緊張していたのかと内心戸惑う。
「よかった」
「ディニ様?」
「いや、誰かに贈り物をするって初めてだったから、気に入らなかったらどうしようって思ってたんだ。おかげで昨日はあんまり眠れなかった」
照れくさそうに頬を染める表情にクリュスの胸が甘く痺れた。初めて行為に及んだ一週間前、ディニは若いながら雄の色気を漂わせていた。しかし目の前のディニは以前と同じように初心な雰囲気を漂わせている。
(こういう様子はディニ様らしいとは思うけれど……)
なぜか少しだけ物足りない。そう感じてしまったことに驚き、すぐさまその思いに蓋をした。そうしなければ何かよくない気持ちに気づきそうな予感がしたからだ。その日ディニは、果実水を飲んで語らうだけで夜更け過ぎに帰って行った。
それからというもの、ディニは一日おきにやって来るようになった。しかし行為を求めることはしない。毎回ハーブディーや焼き菓子を持参し、それをお茶請けにただ話をするだけで帰って行く。
(わたしが願っていた日常ではあるけれど)
やはり何かが物足りない。残り少ない華としては最高の状況のはずなのに、少しずつモヤモヤとしたものが心に降り積もっていく。
そんな関係がひと月以上経った頃、突然ディニがとんでもないことを口にした。
「あなたを番にしたい」
クリュスは大いに驚いた。たとえ睦言の場面でも客が華に「番にしたい」と言うことはまずない。華折りを申し込むときでさえ番という言葉を出さないのが華街での慣わしだった。
それなのにディニは真っ直ぐな瞳でクリュスを見ながら「番にしたい」と口にした。あまりに熱心な眼差しに、クリュスのほうが視線を逸らしたくらいだ。そんなクリュスの肩を掴んだディニは「俺の番はあなたしかいない」と真剣な顔で話を続けた。
「……本気でおっしゃっているのですか?」
「もちろん」
「ここは華街ですよ?」
「わかってる」
「わたしは華です。その華を番にしたいなんて、口にすべきことではありません」
諭すようにそう告げると、途端にディニの眉がギュッと寄った。その表情から「スキアにも諭されたのでしょうね」と想像する。
華街で働く者の多くは、長年避妊薬を飲み続けるからか子ができにくい体になっていることが多い。それでも構わないと華折りされるのがほとんどだが、番として身請けされることはまずなかった。後々子ができないことで華折りされた元華が苦しまないようにという主人たちの気遣いでもあった。
とくに狼族は子を成すことへの思いが強い。最初から子が成せないかもしれない華を番に選ぶことはあり得ない話だった。
「華が番に向いていないということはディニ様もご存知のはずです。それにディニ様は名家の狼族、いずれは花嫁を迎えられるのですよ?」
「そんなの……俺の花嫁はあなたしかいない」
「それはできません。華が番に、花嫁になることは決してありません。それにわたしは三十を前にした身です。適齢期もとうに過ぎ、華として長く働きすぎました。子を成すことはできな……」
「そんなの関係ない!」
ディニの大声にクリュスの体がビクッと震えた。狼族の威圧に兎族の本能が恐怖を感じ、垂れ耳の毛がぶわっと逆立つ。柔らかな衣装の下ではやや小振りな尻尾がフルフルと震えていた。
「……あ、ごめん。これは威嚇とかじゃなくて……」
「わかっています。大丈夫ですから」
わかっていても、兎族の本能からは逃れられない。恐怖でかすかに震える両手を握り締めたクリュスは、ディニの視界から隠すように両手を肩掛けの端で覆った。
(まさか、番にしたいと考えていたなんて……)
だから行為を求めないのに通い続けていたのかと納得した。
このひと月余りの間、ディニはスキアに華折りの話をしていたのだろう。別に交渉中に行為に及んではいけないという決まり事はないが、ディニはそれがけじめだと考えていたに違いない。
(若く真っ直ぐなディニ様……だからこそ、わたしのような者に番の夢を見てはいけない)
クリュスは小さく深呼吸をし、キュッと唇を引き締めながらディニを見た。
「わたしは華街の華でありアフィーテです。そもそもアフィーテは花嫁にはなれません」
凜としたクリュスの姿は、まさに玲瓏の華と呼ばれるにふさわしい雰囲気だった。美しく真っ直ぐに視線を向ける姿に一瞬たじろいだものの、すぐさまディニもオレンジ色の瞳で強くクリュスを見つめ返す。
「アフィーテなんて関係ない」
宣言するようにそう告げたディニは、大股で近づくとクリュスの手を引き華奢な体をぎゅうっと抱きしめた。まるで思いの丈を伝えるのだと言わんばかりの腕の強さにクリュスの胸がざわつき始める。
(駄目です。ディニ様は名家の狼族なのだから、余計なことを思っては駄目)
呪文のようにそう自分に言い聞かせた。それなのに胸の奥にはチリチリと焦がれるような想いが顔を覗かせようとしている。
(駄目だとわかっているのに……それなのにわたしは……)
あふれ出しそうな感情に眉が切なく寄る。ディニのためにこの手を振り払わなくてはいけないとわかっているのに、それができない。抱きしめる腕の熱に縋りたくて、それでも受け入れることができない両手は逞しい背中を抱き返すことができずにいた。
(……そうか、わたしはディニ様のことを……)
このときクリュスは初めて恋をしていることに気がついた。いや、最初から好意を抱いていたのだろう。それが肌を重ねたことで強い想いに変わったのだ。
クリュスは悩んだ。華として客の手を突っぱねることはできないが、理由をつけて断ることはできる。館の主人であるスキアに頼み、ひとまず今夜は帰ってもらえばいい。それなのに拒絶する言葉が出て来ず、ただ人形のように抱きしめられるだけだった。
そんなクリュスを気に留めることもなく、ディニは細い体を抱き上げた。その力強さにクリュスの顔がわずかに歪む。水色の瞳は少し滲み、金色にも見える淡い茶毛の垂れ耳がふるっと震えた。
「俺はあなたがほしいんだ」
強く熱い告白に体がカッと熱くなった。発情しない体のはずなのに、ディニに触れている肌が段々と熱くなり体の芯まで寝つっぽくなっていく。クリュスはただされるがままベッドに運ばれ、ディニの若く情熱的な想いを受け止めることしかできなかった。
(若気の至り、ひとときの気の迷い、そういったことは若いうちはよくあることです)
それなら自分自身も客とのひとときの寝物語だったと思えばいい。華を引退するまでの心穏やかな時間に再び戻るだけだ。そう考えながら一週間が過ぎたときだった。
再びディニに指名されたと聞いてクリュスの鼓動が跳ねた。客に指名されただけなのに、やけに気持ちが騒がしくなる。それは明らかに華としてよくない感覚で、思わず「どうして」とつぶやいてしまった。
それでもクリュスに客を断ることはできない。再び行為を求められるだろうかと思いながら慣れ親しんだ支度を進めていく。その最中も気持ちは落ち着かず、腹の奥がやけに熱っぽく感じられた。
そうして日が沈みかけた頃、綺麗な色をした小瓶を手にディニが現れた。
「これ、やる」
そう言いながらずいっと小瓶を差し出す。
「わたしにですか?」
「スキアさんに、クリュスはハーブティーが好きだって聞いたから」
見れば瓶の中身は茶葉だった。葉の隙間に干した果実や花びらのようなものが見える。
「ありがとうございます。果実や花の混じったハーブティーはわたしの好物なのです」
「そっか」
ホッとしたような顔に、ディニが緊張していたことに初めて気がついた。客の様子に気づけないほど自分も緊張していたのかと内心戸惑う。
「よかった」
「ディニ様?」
「いや、誰かに贈り物をするって初めてだったから、気に入らなかったらどうしようって思ってたんだ。おかげで昨日はあんまり眠れなかった」
照れくさそうに頬を染める表情にクリュスの胸が甘く痺れた。初めて行為に及んだ一週間前、ディニは若いながら雄の色気を漂わせていた。しかし目の前のディニは以前と同じように初心な雰囲気を漂わせている。
(こういう様子はディニ様らしいとは思うけれど……)
なぜか少しだけ物足りない。そう感じてしまったことに驚き、すぐさまその思いに蓋をした。そうしなければ何かよくない気持ちに気づきそうな予感がしたからだ。その日ディニは、果実水を飲んで語らうだけで夜更け過ぎに帰って行った。
それからというもの、ディニは一日おきにやって来るようになった。しかし行為を求めることはしない。毎回ハーブディーや焼き菓子を持参し、それをお茶請けにただ話をするだけで帰って行く。
(わたしが願っていた日常ではあるけれど)
やはり何かが物足りない。残り少ない華としては最高の状況のはずなのに、少しずつモヤモヤとしたものが心に降り積もっていく。
そんな関係がひと月以上経った頃、突然ディニがとんでもないことを口にした。
「あなたを番にしたい」
クリュスは大いに驚いた。たとえ睦言の場面でも客が華に「番にしたい」と言うことはまずない。華折りを申し込むときでさえ番という言葉を出さないのが華街での慣わしだった。
それなのにディニは真っ直ぐな瞳でクリュスを見ながら「番にしたい」と口にした。あまりに熱心な眼差しに、クリュスのほうが視線を逸らしたくらいだ。そんなクリュスの肩を掴んだディニは「俺の番はあなたしかいない」と真剣な顔で話を続けた。
「……本気でおっしゃっているのですか?」
「もちろん」
「ここは華街ですよ?」
「わかってる」
「わたしは華です。その華を番にしたいなんて、口にすべきことではありません」
諭すようにそう告げると、途端にディニの眉がギュッと寄った。その表情から「スキアにも諭されたのでしょうね」と想像する。
華街で働く者の多くは、長年避妊薬を飲み続けるからか子ができにくい体になっていることが多い。それでも構わないと華折りされるのがほとんどだが、番として身請けされることはまずなかった。後々子ができないことで華折りされた元華が苦しまないようにという主人たちの気遣いでもあった。
とくに狼族は子を成すことへの思いが強い。最初から子が成せないかもしれない華を番に選ぶことはあり得ない話だった。
「華が番に向いていないということはディニ様もご存知のはずです。それにディニ様は名家の狼族、いずれは花嫁を迎えられるのですよ?」
「そんなの……俺の花嫁はあなたしかいない」
「それはできません。華が番に、花嫁になることは決してありません。それにわたしは三十を前にした身です。適齢期もとうに過ぎ、華として長く働きすぎました。子を成すことはできな……」
「そんなの関係ない!」
ディニの大声にクリュスの体がビクッと震えた。狼族の威圧に兎族の本能が恐怖を感じ、垂れ耳の毛がぶわっと逆立つ。柔らかな衣装の下ではやや小振りな尻尾がフルフルと震えていた。
「……あ、ごめん。これは威嚇とかじゃなくて……」
「わかっています。大丈夫ですから」
わかっていても、兎族の本能からは逃れられない。恐怖でかすかに震える両手を握り締めたクリュスは、ディニの視界から隠すように両手を肩掛けの端で覆った。
(まさか、番にしたいと考えていたなんて……)
だから行為を求めないのに通い続けていたのかと納得した。
このひと月余りの間、ディニはスキアに華折りの話をしていたのだろう。別に交渉中に行為に及んではいけないという決まり事はないが、ディニはそれがけじめだと考えていたに違いない。
(若く真っ直ぐなディニ様……だからこそ、わたしのような者に番の夢を見てはいけない)
クリュスは小さく深呼吸をし、キュッと唇を引き締めながらディニを見た。
「わたしは華街の華でありアフィーテです。そもそもアフィーテは花嫁にはなれません」
凜としたクリュスの姿は、まさに玲瓏の華と呼ばれるにふさわしい雰囲気だった。美しく真っ直ぐに視線を向ける姿に一瞬たじろいだものの、すぐさまディニもオレンジ色の瞳で強くクリュスを見つめ返す。
「アフィーテなんて関係ない」
宣言するようにそう告げたディニは、大股で近づくとクリュスの手を引き華奢な体をぎゅうっと抱きしめた。まるで思いの丈を伝えるのだと言わんばかりの腕の強さにクリュスの胸がざわつき始める。
(駄目です。ディニ様は名家の狼族なのだから、余計なことを思っては駄目)
呪文のようにそう自分に言い聞かせた。それなのに胸の奥にはチリチリと焦がれるような想いが顔を覗かせようとしている。
(駄目だとわかっているのに……それなのにわたしは……)
あふれ出しそうな感情に眉が切なく寄る。ディニのためにこの手を振り払わなくてはいけないとわかっているのに、それができない。抱きしめる腕の熱に縋りたくて、それでも受け入れることができない両手は逞しい背中を抱き返すことができずにいた。
(……そうか、わたしはディニ様のことを……)
このときクリュスは初めて恋をしていることに気がついた。いや、最初から好意を抱いていたのだろう。それが肌を重ねたことで強い想いに変わったのだ。
クリュスは悩んだ。華として客の手を突っぱねることはできないが、理由をつけて断ることはできる。館の主人であるスキアに頼み、ひとまず今夜は帰ってもらえばいい。それなのに拒絶する言葉が出て来ず、ただ人形のように抱きしめられるだけだった。
そんなクリュスを気に留めることもなく、ディニは細い体を抱き上げた。その力強さにクリュスの顔がわずかに歪む。水色の瞳は少し滲み、金色にも見える淡い茶毛の垂れ耳がふるっと震えた。
「俺はあなたがほしいんだ」
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