垂れ耳兎スピンオフ

朏猫(ミカヅキネコ)

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花のように10

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「クリュス!」

 クリュスの言葉に驚いたのはディニだった。すぐさま肩を掴み「何を言い出すんだ!」と声を荒げる。

「俺の番は、花嫁はあなただけだ!」
「それは華街かがいで見た夢なのです。一歩外に出れば夢は消えます。わたしはそれでかまわないと思ってついてきました」
「嫌だ! 俺の花嫁はクリュスしかいない! クリュス以外の花嫁なんて必要ない!」
「ですが、わたしはアフィーテです」
「アフィーテなんて関係ないだろ! 俺はあなたがいいんだ! アフィーテだとか華だとか関係なく、あなただから花嫁にしたいと思ったんだ!」
「いけません。それにわたしは適齢期をとうに過ぎています。そもそも番になったとしてもディニ様の子を生むことはできないでしょう。アフィーテは子を孕むことができない劣勢種です。名家のあなたが、わたしのような者を花嫁にしてはいけない。わたしはただそばにいられればいいと、そう思っています。それ以上のことは何も望んでいません」

 クリュスの言葉にディニが口を閉じた。ギリッと奥歯を噛み締めながらも言い返せる言葉が見つからないのか、オレンジ色の目で射貫くようにクリュスを見つめる。

(お願いだから、それ以上は何も言わないで)

 強い眼差しに心が震えた。それでもディニの願いを叶えることはできない。それではディニの未来が悪い方向へと転がってしまう。
 一度瞼を閉じたクリュスは、意を決したように目を開き凜とした眼差しでディニを見た。

「わたしは花嫁になることを望んではいません。ただしばらく番としてそばにいられればよいのです。その間に花嫁を迎える手助けもしましょう。花嫁にはあたなにふさわしい兎族を迎えてください」

 静かな声が部屋に広がる。ディニの視線がますます鋭くなるなか、キュマが「なるほど」と口を開いた。

「ディニは見た目だけでなく、中身に夢中になったというわけか」

 穏やかな声にクリュスがそっと視線を向ける。そこには声色同様に穏やかな表情でこちらを見るキュマがいた。

「ものをはっきりと口にする兎族は案外珍しい。自ら花嫁を辞退する兎族もほとんどいない。大抵は花嫁になりたがり、そのためなら何でもする兎族のほうが多いからね。頑なに拒むのはきみがアフィーテだからだろうけれど、それでもはっきりと意見できるのは素晴らしいことだ」

 まるで褒めているような言葉にクリュスは戸惑った。何か答えたほうがいいのかもしれないが、何と答えてよいのか思いつかない。

「わたしはね、きみを花嫁にと望むディニを応援することにしたよ」
「そ、んなこと……」

 思わず漏れた言葉にキュマがにこりと微笑んだ。

「それにきみはディニのことをよく考えてくれている。自分よりもディニの立場や未来を優先しようとしてくれた。つまり、それだけディニのことを大切に思っているということだ」
「それは……」
「ディニは若い。それゆえにきみほど思慮深く考えることは難しいだろう。それでもずっと考え、そうして導き出した答えがこれなのだよ」

 キュマの言葉にクリュスはハッとした。ディニの未来ばかりを考えるあまり、ディニの思いを踏みにじっていることに気がつく。

「心から思い合える存在に出会えるというのは奇跡のようなものだ。かく言うわたしも、最近そのことを実感しているところでね。そうそう、子のことは気にしなくていいよ」
「え……?」
「新しく迎えた花嫁に子ができたんだ。だからディニが後継ぎになるという話はなくなった。弟には子がたくさんいるから、孫が一人二人減ったところで文句を言ったりはしないだろう」

 驚くクリュスに「俺も驚いたけど本当だ」とディニがつけ加える。

「伯父貴に子ができたってことで、俺はもう後継ぎじゃない。だから何も気にしないで俺の花嫁になればいい。それなのに親父のやつ、いくら言っても俺の話なんて聞こうとしないんだ。きっと勝手に決めたことに腹を立てているんだろうけどさ。そのせいで半月もクリュスに会いに行けなかったなんて最悪だ」
「……でも、」
「あーっ、もう! クリュスは何も気にするな! あなたは俺だけ見てればいいんだ! 親父が何言っても絶対に幸せにするから!」
「ははは。まだまだ子どもだと思っていたのに、我が甥っ子もすっかり雄らしくなったな」
「伯父貴! 俺だって言うときは言うんだって何度も言ってるだろ!」
「あぁ、わかったわかった。あまり大きな声を出さないでくれ。隣の部屋にいるルヴィニとお腹の子が驚いてしまうだろう?」
「……っ。とにかく、俺はクリュス以外を番に、花嫁にする気はまったくない。親父が認めてくれるまで、言ったとおりここで暮らすから」

 そう宣言したディニがクリュスの肩をグッと抱き寄せた。その様子にキュマが「いい目つきになったな」と微笑みを浮かべる。

「というわけでクリュス、しばらくここで暮らすことになるんだけど、その……俺の花嫁としてそばにいてほしい。嫌か?」

 キュマ相手に強気で宣言していた表情から一転、ディニが心配そうな顔でクリュスを見つめた。それでもオレンジ色の目の奥はギラギラと光り、絶対に逃がさないと言わんばかりの気配を漂わせている。

(わたしはこんなにも強く想われていた)

 番にしたいという言葉には並々ならぬ覚悟が籠もっていたのだ。それなのに自分は若気の至りだと思い込もうとした。それがディニのためだと思っていた。

(そうじゃなかった)

 ここでクリュスが断ってもディニは諦めないだろう。ますます強硬な手段を選ぶかもしれない。若いということはそういうこともである。
 だからこそ惹かれたのかもしれないと思った。すべてを諦めてきた自分をこんなにも求めてくれることに惹かれ、そんな人だからそばにいたいと思った。そういう居場所をずっと求めてきた。

(スキア、あなたの言うとおりです)

 ただの居場所でいいのなら華街かがいで満足できたはず。それなのにずっと満たされないものを感じていた。大輪になったときも、大勢の客に指名されていたときも満たされることはなかった。

(……わたしはディニ様のそばにいたい)

 でも、ただそばにいたいと思うだけでは足りない。ディニが向けてくれる想いと同じだけの強さでディニを想いたかった。いや、とっくに同じだけの熱は持っている。それに気づくのが怖くて自分自身をも誤魔化していただけだ。
 クリュスは大輪になったときのことを思い出した。あのときも震えるような覚悟をしなくてはいけなかったが、今回はそれとは違う悦びに似た気持ちも感じている。

「ディニ様、正直わたしにはこれが正しいのかわかりません。でも……わたしもあなたのそばにいたい。どんな立場でもいいからそばにいたいと思っています。もう、この気持ちを誤魔化したりはしません」
「クリュス……!」

 大きく温かい腕にしっかりと抱きしめられた。その熱にホッとし、この腕を失いたくないと実感した。そんな思いを込めながらそっと背中に手を回す。

「そばにいてもいいですか?」
「当然だろ。これからずっと、クリュスは俺の隣にいるんだ」

 ディニの言葉に、背中に回した手に自然と力が籠もった。
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