戦利品のオメガ

朏猫(ミカヅキネコ)

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 シャオティエンがアルスーンの屋敷に迎えられて一月ひとつきと少しが経った。相変わらず伴侶らしい関係を築けないまま今日も夜を迎える。

「シャオティエン殿下、そろそろ休みましょうか」

 もはや恒例となりつつある言葉をかけ就寝を促した。いつもなら返事も頷くこともなく左端に横になるところが、シャオティエンはベッドに腰掛けたままだ。

「殿下?」

 もう一度声をかける。すると、黒髪をさらりと揺らしながら小振りな頭がゆっくりと上を向いた。
 アルスーンは初めて間近でシャオティエンの顔を見た。黒い前髪は眉を少し隠すくらいに切り揃えられ、両側の髪の一部は顎を隠す長さに整えられている。彼の国に住んでいたという侍女をそばに置いたから、彼女が彼の国の髪型に整えているのだろう。着ている夜着もこの国では珍しい前部分を重ね合わせるようなものだ。

「なぜ、わたしに触れないのですか?」

 シャオティエンがそう口にした。決して大きくないが涼やかでよく通る声だ。

「殿下は望んでおられないでしょう」
「Ωの感情など、αにとっては詮無きこと」

 アルスーンはなるほどと思った。王はシャオティエンの気持ちなどお構いなしに手折ったのだろう。王族として生まれ高貴なるΩとして育ったシャオティエンにとっては屈辱だったに違いない。

「俺は一介の将軍でしかありません。殿下が望まれぬことをするつもりはありません」

 生真面目に答える様子に黒眼がわずかに細くなる。

「一介の将軍などと謙遜を。この国では王よりも人心を集めていると聞いています」
「さて、いずれの噂でしょうか」
「我が国でも、この国に連れて来られてからも耳にしました。賞賛する声は王へのものをも上回るとか」

 アルスーンはわずかに警戒心を抱いた。たしかに軍人たちや民たちの間で慕われている自覚はある。下級貴族からの立身出世は民からすれば夢のような物語で、軍人たちにとっても希望に見えるからだろう。
 しかし、滅んだ国の王子がそのことを口にする理由はない。「おまえもαなら抱きたいのではないか」と言えば済む話だ。本当に行為を望んでいるなら挑発なり媚びるなりすればいいだけで、触れたら触れたで「おまえもどうせ王と同じだろう」と侮蔑することもできる。

(それなのに、なぜ人心などと口にする)

 囚われの亡国王子が気にすることではない。帰る国があるなら反乱を画策する一端とも考えられるが、すでに祖国は滅んでいる。アルスーンは玉座から遠い下級貴族出身の一将軍というだけで、誑かしたところで意味はない。

(憎いこの国をどうにかしたいのであれば、王を誑かせばよかったはず)

 しかし王はシャオティエンを手放した。しかもアルスーンを嘲笑うための道具とし、大勢の前で子を孕むことができないΩだと蔑んだ。この一年で二人の間に深い溝ができた証明でもある。

「あなたはわたしの運命です。あの日そう感じ、この一月ひとつきで確信しました」
「運命……?」

 シャオティエンの言葉に内心首を傾げた。おそらくαやΩの関係性のことだろうが、そういった言葉は耳にしたことがない。アルスーンはシャオティエンが何を言いたいのかわからず、美しい顔をじっと見返した。

「間違いなく運命のαです。あの穢らわしい男に身を委ねるのは反吐が出そうでしたが、耐え抜いてよかった。あなたと再会したことで、間もなくわたしは発情を迎えるでしょう。そのとき、あなたもわたしが運命だとわかるはずです」

 そう告げたシャオティエンは、いつもと同じように左端に横になった。アルスーンに背を向け、そのうち呼吸が寝息に変わる。
 一方、アルスーンは告げられた内容を反芻していた。「運命」という言葉は知らないが「発情」はよく知っている。発情したΩはとくに淫らになり、α以外にも見境なく劣情を向けてしまう。そのせいか、古くは多くのΩが軽蔑され虐待されていたとも言われていた。

(運命とは一体……?)

 考えたところで知らないものはわからない。アルスーンは小さくため息をつき、いつもどおりベッドの右側に横たわり目を閉じた。
 それから三日の間、シャオティエンに変わったところはなかった。侍女にもよく様子を見るように伝えたが、報告に問題がありそうな内容はない。
 仕事の傍ら、アルスーンは気になっていた「運命」という言葉を調べることにした。国一番の蔵書を誇る王宮の書庫にも赴いたが彼の国の本はあまりなく、αやΩについて書かれているものは見つからなかった。
 そうして五日目、侍女からシャオティエンの食欲がなくなってきたとの報告が上がってきた。少し熱っぽいようだからΩの発情ではないかという内容だった。

(どうしたものかな)

 アルスーンはシャオティエンと発情をともにするつもりはない。伴侶になったが相手は元王子だ。将軍とはいえ元はただの没落貴族、そんな自分が肌を合わせるのはふさわしくない。

(申し訳ないが、張り型で我慢してもらおう)

 そう考え、発情の兆候が見え始めた翌日には数種類の張り型を用意した。それを持って寝室へと向かう。

(寝室も別にしなくてはいけないか)

 いま使っている寝室はシャオティエンに譲り、今夜から自分は客室を使うことにしよう。張り型を渡し、念のため様子を見てから客室へ行くかと考えながらドアを開いた。

「これは……」

 思わず声が出た。出さずにはいられないほどの濃密な香りが鼻を突き抜ける。すぐにΩの香りだとわかったが、こんなに濃く甘い香りは嗅いだことがない。アルスーンは眉を寄せ香りに耐えながらベッドに近づいた。
 ベッドの上には、あまりに美しいΩが横たわっていた。白い夜着の裾は乱れ、右の太ももが顕わになっている。黒く長い髪は大きく広がり、濡れた瞳は覚束ない様子で天井を見ていた。

「殿下、」

 これほどみだりがましいΩは初めてだった。アルスーンもαの将軍、これまで何人かのΩとベッドをともにしたことがある。発情した貴族令嬢のΩに望まれ相手をしたこともあった。
 だが、目の前のΩはそれらの誰とも違っていた。あまりに美しく、それでいて抗えないほど淫靡な気配を纏っている。これまで相当に訓練しΩの発情に流されることがなくなったアルスーンも、さすがに眉を寄せ耐えるように奥歯を噛み締めた。

「やっと、わたしのαが来た」

 赤い唇でそう囁かれた瞬間、アルスーンの右手はシャオティエンへと伸びていた。
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