好きになること

朏猫(ミカヅキネコ)

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11 急接近

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 見習い恋人宣言をした神崎は、翌日からますます千尋にべったりになった。そのことに一番に驚いたのは千尋だが、クラスメイトも困惑したような顔をしている。それでも不満そうな視線を千尋に向けないのは「ちひろと俺、じつは親友なんだよね」と神崎が口にしたからに違いない。

(あんな言葉、みんな信じてるのかな)

 たぶん大半は信じていない。もし本当に親友だったら二年になった段階で、いいや一年のときからもっと仲がいい姿を見せたはずだ。わかっていて誰も千尋に文句を言わないのは、文句を言ったと神崎に知られれば嫌われると考えているからだろう。そんなことで神崎に嫌われたくはない。嫌われるくらいなら秋山千尋は神崎の親友だと扱ったほうがいい。そう判断したに違いない。

(神崎の人気って、やっぱりすごいね)

 そんな人に一目惚れしてしまった。それどころか少しずつ気持ちが傾いているのを感じている。慎司と話したときより、きっともう少し「好き」が強くなっている。

(僕は、たぶん神崎が好きなんだ……でも、やっぱり駄目だ)

 相変わらず千尋の中では「好き」と「好きになったら駄目だ」の言葉がリピートしていた。そんな千尋の隣で神崎が「はぁ」とため息をついている。

「どうして原田も一緒なんだろう」

 昼休みになるたびにこの言葉を聞くのも恒例になりつつあった。

「逆だろ。途中参加は神崎のほうだ」
「それはいままでの話だよね」
「いま現在もだろ」

 黙々と弁当を食べる慎司を、ヘーゼルの瞳が睨みつけるようにじっと見ている。それを千尋はピーナツバターを挟んだパンを囓りながら静かに見守っていた。
 以前は校舎裏を転々としながら昼食を食べていた。ところが本格的な夏を迎え、先にギブアップしたのは千尋のほうだった。このままじゃ食欲が落ちる一方だと心配した慎司が提案したのは第二音楽室で、冷房が入っているから快適に過ごすことができる。なにより教室とは違いクラスメイトたちにジロジロ見られることもない。そこにいつの間にか神崎が加わるようになった。

「ちひろと二人きりでお昼を過ごしたいのになぁ」

 そんなことを言う神崎を見ながら、千尋は「毎日どうやってみんなを巻いてるんだろう」と疑問に思っていた。神崎は学校一の有名人だ。昼休みになればあちこちからお誘いの言葉を投げかけられる。以前は休み時間でさえ教室で神崎を見かけることのほうが少なかった。
 それなのに、いまは毎日こうして第二音楽室に来ている。「二人きりになれるチャンスだと思ってたのに」となおも口にする神崎に、慎司が「神崎ってそんなキャラだったか?」と問いかけた。

「俺は昔から欲望に忠実だよ」
「ふぅん」

 尋ねておきながら答えに興味がないのか、慎司がポイと唐揚げを口に放り込む。それを見る神崎は微笑んだままだ。

「千尋が嫌がってんじゃないならいいけど」
「原田って、まるでちひろの保護者みたいだよね」
「保育園のときから面倒みてるからな」
「それで弁当のおかずまでお裾分けしてるってこと? 親鳥みたいに」
「成長期の高校生がパンだけなんて味気ないだろ」
「保護者っていうより母親みたいだ」

 その言葉にギクッと肩を揺らしたのは千尋のほうだった。それを横目でちろっと見た慎司は何も言うことなく、真っ赤なミニトマトを食べている。

「千尋が嫌がってないなら何も言うことはねぇよ」

 ブロッコリーを箸で摘み上げながら慎司が再びそう口にした。

「嫌がるわけないだろ」
「自信たっぷりだな」
「俺たち両思いだからね」

 ブロッコリーを口に入れながら「そうなのか?」というように慎司が千尋を見た。それに千尋が答えられるはずもなく、視線を逸らしながらパンをモグモグと食べ続ける。

「原田がいなくても俺がちひろを守るよ」

 神崎の言葉に慎司が顔を上げた。何かを言おうとしたものの一度口を閉じ、それから「泣かせるなよ」とだけ口にした。そのまま空になった弁当箱を片付け始めるのを、紙パックのコーヒーを飲みながら神崎が静かに見ている。

「じゃ、授業遅れんなよ」
「え? もう戻るの?」
「ちょっと野暮用」

 立ち上がった慎司に、千尋は思わず縋るような眼差しを向けた。できれば神崎と二人きりになりたくない。でも、本人を前にそんなことは言えない。慎司はというと千尋の気持ちに気づいているのか、「がんばれ」というような目で千尋を見ている。

「また後でな」

 そう言った慎司だが、ドアを開けたところでくるりと振り返った。

「神崎、セクハラするなよ」

 慎司の言葉に神崎の口がゆっくりと弧を描く。それに少し睨むような、それでいて呆れたような表情を浮かべた慎司は今度こそ教室を出て行った。

「やだな、そんなことするわけないのに」

「ねぇ」と同意を求めるように見られても千尋には肯定も否定もできない。視線を躱すようにペットボトルを取ろうとしたが、「それとも期待してる?」とその手を握られてドクンと心臓が跳ねた。

「期待って、なんのこと?」
「原田いわく、セクハラ」
「そんなの、期待するわけない」
「俺は期待してるけど」
「え?」

 握った右手を神崎がゆっくりと持ち上げた。無意識にそれを目で追っていた千尋は、自分の手に神崎の綺麗な顔が近づくのがわかって目を見開いた。

「か、神崎!」

 慌てて手を引こうとした。ところが思ったよりしっかり掴まれていて取り戻せない。そんな自分の手の甲に神崎がキスをした。まるで映画のワンシーンのような状況に、千尋は耳まで真っ赤にした。

「これだけで真っ赤になるなんて、ちひろは可愛いね」
「か、かわいいって、なに言ってんだよ」

 唇が手に触れるか触れないかの距離で話すからか、肌に吐息が当たるたびに体がカッと熱くなる。

「何って、言葉のままだよ」

 そう言った神崎が、今度はちゅっと音を立てるように手の甲にキスをした。そのまま撫でるように唇を動かし、指先でまたちゅっと音を立てる。

「ちひろは可愛いよ。このくらいで真っ赤になるのも可愛いし、パンを囓ってるのだって可愛い。ピアノを弾いてる姿も可愛いよね」

 アレグロだった鼓動が一気にプレストまで上がる。あまりの鼓動の速さに息が苦しくなってきた。

「あとは……そうだな。眼鏡のちひろも可愛いけど、素顔のちひろも可愛い」

 プレストだった鼓動が、一気にグラーベに変わる。

「……そんなこと、ないから」

 答える千尋の声は力なく、重苦しい響きが混じっていた。

「可愛くなんて、ないよ」

 俯きながら千尋が静かに否定した。それをじっと見つめるヘーゼルの瞳は穏やかながらも探るような気配を漂わせていた。
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