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20 記憶
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その後、文字どおり腰が抜けてしまった千尋は、甲斐甲斐しく世話を焼く神崎に身を委ねるしかなかった。欲望を吐き出してすっかり大人しくなった下半身を丁寧に拭う神崎の手つきに顔を真っ赤にし、上半身だけ横を向くと神崎に背を向けたままバスタオルで顔を隠す。
「恥ずかしがるちひろも可愛いね」
「……かわいくなんてないよ」
「可愛いよ」
「そんなこと、あるわけない」
「俺には可愛く見えるからいいの」
結局、体全体をボディシートで拭われてしまった。これじゃあシャワーを浴びた意味がない。
(それだけ興奮したってことなんだろうけど……)
部屋着を着せられ、ベッドに寄り掛かるように座っていた千尋はボディシートで体を拭う神崎を眺めた。
(やっぱりスポーツやってたのかな)
部活には入っていないようだが、しっかりした体つきからそう思った。筋肉! という感じはしないものの引き締まった体だと思う。自分の薄っぺらい胸に比べると胸板もしっかりあり、肩幅もそれなりで腰周りもしっかりしているように見える。そうやってゆっくりと視線を下ろながら観察していた千尋は、股間が目に入り慌てて視線を逸らした。
(……あそこの毛も髪と同じ色なんだ)
顔を赤らめていると、すっかり服を着た神崎が「おまたせ」といってぎゅうと抱きしめてきた。
「ちょっと、」
「あれ? もしかしてご機嫌斜め?」
「そうじゃないけど……」
「恥ずかしい?」
「……だって、」
「照れ屋なちひろも可愛い」
「だからかわいくないってば。神崎って、」
目が悪いんじゃない、と続けようとした言葉は「優夜」という声で遮られた。
「え?」
「神崎じゃなくて優夜」
ヘーゼルの瞳が期待したようにじっと見つめてくる。それに根負けした千尋は、おそるおそるといったふうに「ゆうや」とつぶやいた。
「これから神崎って言ったらキス、するからね?」
「え?」
「もちろん学校でもやるよ」
にこりと微笑む神崎……優夜に、千尋は渋々頷いた。
(ますます目立ちそうでほんとは嫌だけど……)
優夜と呼べば、きっといまよりもっと目立つ。ただでさえ注目を浴びているのにこれ以上は困る。そう思いながら、胸の奥では優越感と満足感が混じり合うような気持ちがわき上がった。
(こんな気持ち、駄目なのに)
何度もそう思いながら、隣に座っている神崎とポツポツと話をする。ほとんど相づちばかりの千尋は、話の内容よりも触れ合っている腕の熱にドキドキしっぱなしだった。
名残惜しそうな顔をしながらも優夜は夕方には帰って行った。六日後に会う約束をしたというのに、別れ際も「六日も会えないんだよ」と寂しそうな顔をしていたのが忘れられない。
(でも用事があるなら仕方ないよね)
用事があるのは優夜だ。どうしてもキャンセルできないものらしく最後まで残念がっていた。
しばらくベッドでゴロゴロしていた千尋は、いつもどおり一人で夕飯を食べるとリビングのソファにゴロンと寝転んだ。いつもより体がだるい。もしかして夏バテだろうかと思ったところで「もしかして」と考えた。
(いつもより興奮したし……)
昼間のことが原因かもしれない。そんなことを思っては顔を赤くし、そうしてまた優夜の熱を思い出す。
「ただいま~」
父親の声にハッとした。時計を見ると夜の九時を回ったところだ。
「お帰り……って、大丈夫?」
「はは……もう眠いのかどうかすらわからないよ」
そう言いながら笑う顔は少しやつれているように見えた。
「大丈夫?」
「なんとかね。急な異動だったからまだ慣れないことが多くてなぁ」
父親は先月、突然の異動で隣の編集部に移ることになった。前任者は急な体調不良で会社を辞めてしまったらしく、「引き継ぎもままならないんだ」と苦笑しながらソファに倒れ込むように座る。
「ご飯は?」
「会社で食べたから大丈夫」
「お風呂入る?」
「入りたいけど……ごめん、ちょっと一眠りしてから……」
そのまま電池が切れたように目を瞑ってしまった。
(大丈夫かなぁ)
そばにあったブランケットをかけ、眼鏡を外してやる。目元にはうっすらとながらクマがあった。疲労困憊な様子はくたびれた中年男性のはずなのに、高校生の息子がいるようには見えない若さも垣間見える。
(若いほうだとは思うけど、こんなに無理してばかりだと息子としては心配になるなぁ)
両親は学生結婚だった。千尋が生まれたのは父親が十九歳のときで、卒業するまでは大変だったと思う。
(お母さんの実家がいろいろやってくれたって聞いたけど)
大学の一年先輩だった母親は父親に一目惚れし、それからというもの周囲が止めようとするくらい猛アタックし続けたんだそうだ。そうして押しかけ女房のように父親の元に行き、千尋が宿った。
『大好きよ、康貴さんさん』
母親の声が耳の奥に聞こえる。結婚してもなお父親への愛情と情熱は膨らんでいく一方で、父親のことが大好きでたまらない母親の姿は千尋の中に深く刻まれていた。一秒でも離れたくない、自分だけを見てほしい、そういう執着を帯びていた愛情のようにも見えた。
『愛してるわ、康貴さん』
物心ついたときから聞いてきた母親の声を忘れることはない。毎日のように父親への愛を囁く、それが千尋が知る母親のすべてだった。
『大好きよ、康貴さん。愛してるわ、康貴さん』
少女が恋するような目で父親を見つめていた。その中に絡め取るような眼差しが含まれていたことに気づいたのは大きくなってからだ。
『あなたがいれば、それだけでいいの』
そう言いながら微笑む母親の顔が頭に浮かぶ。その目に映るのは父親だけで、千尋が映ったことは、たぶんない。
(僕は、あんなふうになりたくない)
想いがあふれすぎて、母親のようになってしまわないか怖かった。それでも神崎を、優夜を想う気持ちを止めることはできない。
(僕は、優夜が好きだ)
千尋の口からため息のような吐息が漏れ出た。
「恥ずかしがるちひろも可愛いね」
「……かわいくなんてないよ」
「可愛いよ」
「そんなこと、あるわけない」
「俺には可愛く見えるからいいの」
結局、体全体をボディシートで拭われてしまった。これじゃあシャワーを浴びた意味がない。
(それだけ興奮したってことなんだろうけど……)
部屋着を着せられ、ベッドに寄り掛かるように座っていた千尋はボディシートで体を拭う神崎を眺めた。
(やっぱりスポーツやってたのかな)
部活には入っていないようだが、しっかりした体つきからそう思った。筋肉! という感じはしないものの引き締まった体だと思う。自分の薄っぺらい胸に比べると胸板もしっかりあり、肩幅もそれなりで腰周りもしっかりしているように見える。そうやってゆっくりと視線を下ろながら観察していた千尋は、股間が目に入り慌てて視線を逸らした。
(……あそこの毛も髪と同じ色なんだ)
顔を赤らめていると、すっかり服を着た神崎が「おまたせ」といってぎゅうと抱きしめてきた。
「ちょっと、」
「あれ? もしかしてご機嫌斜め?」
「そうじゃないけど……」
「恥ずかしい?」
「……だって、」
「照れ屋なちひろも可愛い」
「だからかわいくないってば。神崎って、」
目が悪いんじゃない、と続けようとした言葉は「優夜」という声で遮られた。
「え?」
「神崎じゃなくて優夜」
ヘーゼルの瞳が期待したようにじっと見つめてくる。それに根負けした千尋は、おそるおそるといったふうに「ゆうや」とつぶやいた。
「これから神崎って言ったらキス、するからね?」
「え?」
「もちろん学校でもやるよ」
にこりと微笑む神崎……優夜に、千尋は渋々頷いた。
(ますます目立ちそうでほんとは嫌だけど……)
優夜と呼べば、きっといまよりもっと目立つ。ただでさえ注目を浴びているのにこれ以上は困る。そう思いながら、胸の奥では優越感と満足感が混じり合うような気持ちがわき上がった。
(こんな気持ち、駄目なのに)
何度もそう思いながら、隣に座っている神崎とポツポツと話をする。ほとんど相づちばかりの千尋は、話の内容よりも触れ合っている腕の熱にドキドキしっぱなしだった。
名残惜しそうな顔をしながらも優夜は夕方には帰って行った。六日後に会う約束をしたというのに、別れ際も「六日も会えないんだよ」と寂しそうな顔をしていたのが忘れられない。
(でも用事があるなら仕方ないよね)
用事があるのは優夜だ。どうしてもキャンセルできないものらしく最後まで残念がっていた。
しばらくベッドでゴロゴロしていた千尋は、いつもどおり一人で夕飯を食べるとリビングのソファにゴロンと寝転んだ。いつもより体がだるい。もしかして夏バテだろうかと思ったところで「もしかして」と考えた。
(いつもより興奮したし……)
昼間のことが原因かもしれない。そんなことを思っては顔を赤くし、そうしてまた優夜の熱を思い出す。
「ただいま~」
父親の声にハッとした。時計を見ると夜の九時を回ったところだ。
「お帰り……って、大丈夫?」
「はは……もう眠いのかどうかすらわからないよ」
そう言いながら笑う顔は少しやつれているように見えた。
「大丈夫?」
「なんとかね。急な異動だったからまだ慣れないことが多くてなぁ」
父親は先月、突然の異動で隣の編集部に移ることになった。前任者は急な体調不良で会社を辞めてしまったらしく、「引き継ぎもままならないんだ」と苦笑しながらソファに倒れ込むように座る。
「ご飯は?」
「会社で食べたから大丈夫」
「お風呂入る?」
「入りたいけど……ごめん、ちょっと一眠りしてから……」
そのまま電池が切れたように目を瞑ってしまった。
(大丈夫かなぁ)
そばにあったブランケットをかけ、眼鏡を外してやる。目元にはうっすらとながらクマがあった。疲労困憊な様子はくたびれた中年男性のはずなのに、高校生の息子がいるようには見えない若さも垣間見える。
(若いほうだとは思うけど、こんなに無理してばかりだと息子としては心配になるなぁ)
両親は学生結婚だった。千尋が生まれたのは父親が十九歳のときで、卒業するまでは大変だったと思う。
(お母さんの実家がいろいろやってくれたって聞いたけど)
大学の一年先輩だった母親は父親に一目惚れし、それからというもの周囲が止めようとするくらい猛アタックし続けたんだそうだ。そうして押しかけ女房のように父親の元に行き、千尋が宿った。
『大好きよ、康貴さんさん』
母親の声が耳の奥に聞こえる。結婚してもなお父親への愛情と情熱は膨らんでいく一方で、父親のことが大好きでたまらない母親の姿は千尋の中に深く刻まれていた。一秒でも離れたくない、自分だけを見てほしい、そういう執着を帯びていた愛情のようにも見えた。
『愛してるわ、康貴さん』
物心ついたときから聞いてきた母親の声を忘れることはない。毎日のように父親への愛を囁く、それが千尋が知る母親のすべてだった。
『大好きよ、康貴さん。愛してるわ、康貴さん』
少女が恋するような目で父親を見つめていた。その中に絡め取るような眼差しが含まれていたことに気づいたのは大きくなってからだ。
『あなたがいれば、それだけでいいの』
そう言いながら微笑む母親の顔が頭に浮かぶ。その目に映るのは父親だけで、千尋が映ったことは、たぶんない。
(僕は、あんなふうになりたくない)
想いがあふれすぎて、母親のようになってしまわないか怖かった。それでも神崎を、優夜を想う気持ちを止めることはできない。
(僕は、優夜が好きだ)
千尋の口からため息のような吐息が漏れ出た。
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