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イマドキの人魚姫~念願の薬を手に入れた人魚(♂)、王子様に遭遇する
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「おばば! 今日こそ足が生える薬くれよ!」
「何言ってんだい、この子は」
「いいじゃん、いっぱいあるんだからさ!」
「そういう問題じゃないよ」
おばばの返事はいつもこうだ。
「おばばのケチ!」
そういう問題じゃないって言ってるだろ。そもそも薬を飲んだら足が手に入る代わりに……」
「あー、そういうのはいいから。“声が出なくなる”なんて、イマドキの子どもだって信じてないからな?」
「まったく、口ばっかり達者になりおって」
おばばが「はぁぁ」と大きなため息をついた。そんなわざとらしいことをしても無駄だ。これまで何度頼み込んでも「駄目だ」の一点張りだったけど、俺もついに十九歳になった。人魚で十九歳と言えば大人の仲間入りで、年齢を理由に薬を渡せないなんて言うことはできない。
「まったく、十年前からおまえさんは足のことばかりだね」
「そりゃそうだよ。だって俺、陸に行くのが夢なんだからさ。何年もかけて行きたい場所をチェックしてきたし、食べたいものとか見たいものとかも決めてある。いまの俺に足りないのは足だけだ!」
じつは陸の観光ついでに“夏の恋”っていうのもしてみたいと考えていた。せっかくなら陸の旅で初めてを全部経験したい。ちょうど夏直前に誕生日を迎えた俺は、そんな壮大な夢を叶えるべく絶対に陸に行くんだと決めていた。「早く薬、くれよ」と急かすようにおばばにグイグイ迫る。
「やれやれ。陸の本なんかに感化されおって」
「いいじゃん。それに陸の本、めちゃくちゃおもしろいんだって」
十年前、岩場の影でどこからか飛んできたらしい陸の本を見つけたのが憧れを抱く始まりになった。本には“今年の夏、押さえておきたいプチリゾート!”だとか“この夏オススメ! 見た目も味も最高のランチ&ディナー”だとか、めちゃくちゃ楽しそうなことが書いてあった。見たことがない世界に、俺はすぐに夢中になった。
俺は毎日のように陸の本を見た。最初に見つけた本の中身はいまでも全部覚えている。そのくらい写真に映っているものすべてがキラキラして見えた。写真に写っている場所に行ってみたい。海の中とはまったく違う光のパレードっていうものも見てみたい。なによりたくさん紹介されていた美味しそうな食べ物に何度も涎が出そうになった。
俺はすぐに陸に行きたいと思った。それなのに「子どものくせに贅沢な」と言っておばばは薬をくれなかった。
(そりゃあ子どもは陸に行ったら駄目って決まり、知ってるけどさ)
だから十年待った。その間に陸の本もさらにたくさん読んだ。いま一番気になっているのは“夏の恋は蕩けるように熱く”という言葉だ。
(陸じゃあそんなすごい恋ができるのか)
海で蕩けるような恋なんて聞いたことがない。熱いのは海面あたりだけで、それでも蕩けたりはしないからだ。どんな感じなのか想像しただけでワクワクした。
(そんな夢みたいな世界にようやく行けるんだ)
今日こそ絶対に薬をもらうぞと意気込んでここまで来た。家を出るとき二番目の兄貴に「気をつけろよ~」と言われたけれど、陸で何を気をつければいいかもちゃんとわかっている。「おばば、早く」と急かすと、「しょうのないやつだ」とようやく重い腰を上げてくれた。真っ黒なヒレをヒラヒラ動かしながら棚のずっと上のほうに泳いでいく。
「ほら、これが薬だ」
下りてきたおばばが、そう言って小さな瓶を差し出した。濃紺色の小瓶に「よっしゃ!」と言いながら手を伸ばしたところで、「わかっているな?」と最後まで口うるさいことを言う。
「わかってるって。一日一回は海の水に浸からないと駄目なんだろ? 大丈夫、忘れたりしないから」
「絶対に忘れるんじゃないよ。そうしないと陸で呼吸ができなくなる。海で生きる我ら人魚は本来陸では長時間呼吸ができない。足が生えている間は一日程度なら海から完全に離れても大丈夫だが、それも一日だけだ。長時間陸にいたいなら一日一回、海の水に浸からなければ呼吸困難で死んでしまう。いいかい、絶対に忘れるんじゃないよ」
「わかってるってば」
そう言っておばばの手から奪うように小瓶を掴んだ。そのまま陸に近い岩場まで泳いで行き、陸から見えない岩の窪みから布きれを引っ張り出す。
(服の代わりにと思って置いといた布だけど、取りあえずこれでいいよな)
人魚は服を着ない。でも陸のやつらは服を着る。足が生えたら服を着ないと駄目なことはわかっていたけど、人が着ているようなものを手に入れることはできなかった。そんなわけで取りあえずの布きれだ。
(ま、なんとかなるだろ)
陸で何か手に入れるには金がいる。だから陸でも売れそうな珊瑚や真珠を持って来た。まずはそれを売って金を手に入れ、それで服を買おう。お楽しみはそれからだ。
朝焼けがキラキラ反射する海から両手を出し、岩に手をついたところでヒレをばしゃんと動かして岩に飛び乗った。「生まれ変わりの朝だ」なんてちょっと恥ずかしいことを思いながら、布きれを傍らに瓶の中身を一気にあおる。
(椰子のジュースっぽい味だなぁ。んー……なんかヒレがジンジンしてきた)
むず痒いようなくすぐったいような変な感じがする。腰の辺りから広がり始めた奇妙な感覚がどんどん下りていき、ヒレの先がビリビリ痺れたようにブルッと震えた。思わずヒレを岩に擦りつけようとしてうまく動かないことに気がついた。変だなと思って視線を落とすと見慣れた青いヒレがない。代わりに二本の足が生えていた。
「おぉ、足だ」
思わず口に出してしまった。
(足が生えるときは激痛だなんて聞いてたけど、やっぱり嘘だったんだな)
小さい頃、足が生える薬を飲むと激痛に襲われると教えられた。そのとき一緒に聞かされるのが「足と引き替えに声が出なくなる」という定番の内容だ。
でも、実際はそんなことはない。あれは子どもが薬を飲まないようにするためのおとぎ話だ。ずっと昔はそうだったのかもしれないけれど、いろんなことが進歩したいまは薬も改善されてよくなっている。いま飲んだ薬だって苦くなかったし痛みもなかった。
(ま、そういう薬じゃないと大人だって陸に行くのに毎回大変だろうし)
大人になった人魚は足が生える薬を飲んで陸に上がる。そうして仕事やら何やらをやって陸のものを持って帰ってきた。そうでもしないともはや人魚も海の中だけでは生活できないということだ。一番上の兄貴もそうやって何回も陸に行っているし、そのたびに陸の本を買ってきてくれた。ついでに結婚相手まで持って帰ってきたのだからすごい。
(ほんと、いい時代になったよなぁ)
じいさんやばあさんの時代は陸で働くなんておとぎ話だったと聞いている。ところがいまじゃ陸に別荘を持つ人魚もいるくらいだ。商売を成功させて人を雇っている人魚だっている。全部、改良された薬のおかげだ。
「この時代に生まれてほんとよかった」なんて思いながら足を動かしてみた。ちょっと変な感じはするけど問題なく動く。五本の指もしっかり動くし、なんなら浮かんでいる海草を掴むこともできた。
(おぉ、海って案外冷たいんだな)
ヒレだったときには感じなかった不思議な冷たさに笑いそうになった。岩に足の裏をくっつけるとゴツゴツしていてびっくりする。
(へぇ、足ってこんなふうなんだ)
岩に足の裏を何度か擦りつけて感覚を確かめる。足で歩くのは初めてだけど、これならなんとかなりそうだ。力を入れて岩を踏みつけると足が生えたんだという実感がわいて興奮してきた。
(よし、まずはこの辺りを見て回るか)
岩場を足の裏で押すように立ち上がった。一瞬よろけたものの問題なく立ち上がることができた。初めてなのにこんなに動かせるのも薬が改良されたおかげに違いない。背伸びしながら「おぉ、よく見える」とキョロキョロ見渡していると、少し離れた砂浜に人がいるのが見えた。
(なんであんなところで寝てるんだ?)
たまに砂浜や岩場でうたた寝する人魚はいるけど、人もそういうことをするんだろうか。興味がわいた俺は寝転んでいる人を見に行くことにした。
ヒレと違って足で泳ぐのは少し大変だった。スピードも出ないし、なにより海の中で息ができないのが面倒くさい。海の水がやけにしょっぱく感じて眉間に皺が寄る。それでもなんとか砂浜までたどり着き、生まれて初めて砂浜に立った。
(おぉ)
足に当たる砂の感触がおもしろい。ちょっとくすぐったいからか太ももとへそのあたりがゾワゾワする。そんな初めての感触を楽しみながら寝転がっている人のそばに立った。
(へぇ、陸にも金髪っているんだな)
陸を挟んだ反対側の海には金髪の人魚がたくさんいるけど俺の周りにはほとんどいない。青っぽい自分の髪と違う髪の色が珍しくて、もっと近くで見たくなった。
(おー……なるほど、こうやってしゃがむのか)
やっぱりヒレとは感覚が違うなぁと思いながら砂浜にしゃがみ込む。なんとなく足の爪を指先で撫でながら金髪を観察した。
(こういうキラキラしたウミウシならいるな)
でも、海の中じゃここまでキラキラした金色を見ることはない。これが反射だとか光の吸収だとかの違いってことなんだろうか。「陸っておもしろいなぁ」と思いながら、足を触っていた指で金髪に触れてみた。「おぉ、すべすべじゃん」とあちこち撫でていると「お姫様?」という声が聞こえてきて手を止める。
「お、目ぇ覚めたんだ」
顔を見たら目が開いていた。しかも目は空みたいな青色だ。
(俺と反対の色ってことか)
俺は髪が青っぽくて目が太陽の色に近い。俺とは反対の色がおもしろくて、寝転がっている人の顔を覗き込む。
「やっぱりお姫様だ」
「うん?」
お姫様ってのは何のことだろう。首を傾げていると金色の目がふわっと笑った。
「それにしては声が男っぽく聞こえるのはどうしてだろう」
「だって俺、男だし」
笑っていた目がびっくりしたように大きくなった。俺の顔をじっと見て、それから視線がどんどん下りていく。最後にしゃがみ込んでいる足の間を見て「男だ」とつぶやいた。
「でも、その青い髪と黄金の目は物語のお姫様そのものだ」
「物語?」
「我が国に伝わる人魚姫の伝説だよ。昔、僕のご先祖様が海で溺れたときに人魚のお姫様に助けてもらったんだ。そのお姫様は青い髪に黄金の目をしていたと書き残されている。僕は小さい頃からその話が大好きで、青い髪に黄金の目をした人魚のお姫様に会いたくて仕方がなかったんだ」
青い目がうっとりと微笑んだ。「人魚のお姫様ねぇ」と思いながら、さっきから気になっていたことを尋ねることにした。
「あのさ、あんたなんで砂浜で寝転がってんの?」
「あー……ちょっと溺れかけて」
「溺れる?」
もしかして陸だと砂浜で溺れることがあるんだろうか。
「今日こそは人魚のお姫様を探すぞと思って、日の出前にこっそり城を抜け出して来たんだ。気合いを入れて海に入ったのはいいんだけど、よく考えたら僕、泳げなかったんだよね」
「はぁ?」
「泳げないのをすっかり忘れて海に入ったら溺れかけて、気がついたらこの砂浜にいたんだ」
「……あんたさ、うっかり者だって言われたことないか?」
「そんなことはないけど、人魚のことになると我を忘れることはあるかな。それより、きみもうっかり者じゃない?」
「俺が?」
「いくら海だからって、全裸ってのはどうかと思うよ?」
「あぁ、これはさっき足が生えたばっかだからだよ。布きれ巻いときゃいいかって思ってたんだけど……あれ? 布きれどこいった?」
岩のほうを見ると置いていたはずの布きれがない。もしかして波に持っていかれたんだろうか。「早く探さないと」と立ち上がろうとしたら、寝転がっている男に手首を掴まれて尻もちをついてしまった。振り返ると男が目をまん丸にしながら上半身を起こしてこちらを見ている。
「おい、何すんだよ」
「ねぇ、いま足が生えたって言った?」
「言ったけど」
「……本当に足が生えたの?」
「おう。やっとおばばが薬くれたおかげでな。なぁ、すごいだろ? これ俺の足なんだぜ?」
そういって生えたばかりの素足をずいっと男の目の前に伸ばした。「いい形してるだろ?」と自慢すると、男が食い入るように足を見つめる。
「足が生えたってことは、元々は足がなかったってことだよね?」
「そうだよ。青いヒレも自慢だったけど、この足も結構いいと思うんだよな。とくにほら、このあたり……ええと膝っていうんだっけ。ここの出っ張りから下に向かってキュッと締まってるだろ? ヒレのときも先端に向かってキュッとくびれてんのが自慢だったんだ。やっぱヒレがかっこいいと足もかっこよくなるんだな」
「青いヒレって……」
手首を掴む男の力が強くなった。「痛ぇよ」と言っても聞こえないのか、ますます力が強くなる。
「だから痛ぇって」
「まさか……もしかしてきみ、人魚だったってこと……?」
つぶやくような声に「だったっていうか、いまも人魚だけど」と言い返した。足が生えて人っぽく見えているかもしれないけど俺は人魚だ。それに足がほしかっただけで人と間違われるのは気に入らない。
「陸に行きたくて足が生える薬を飲んだだけだ。用事が済んだら海に帰るし」
手首を掴んでいる力がさらに強くなった。あまりの強さに「痛いから離せって」と睨むが、青い目は相変わらず俺の足を食い入るように見ている。
「その用事って、どんなこと?」
今度は俺の顔をじっと見てきた。ギラギラした視線に若干引きながら「そりゃあ、いろいろあるけど……」と言いながら考えていたことを思い浮かべる。
「何カ所か行きたいところがあるから、まずそこに行こうと思ってる。あと食べたい物もあるし、それに本も買いたい。ここ二年くらい陸の本を見てないから、たぶん最新スポットも変わってるだろうからな。それを見てから行けるところは全部行こうと思ってる」
「なるほど、観光と食事か」
男は俺の返事を聞くと、今度はウンウン唸り始めた。それなのに相変わらず手首は掴んだままで離してくれそうにない。仕方がないから考え込む男を観察することにした。
(髪と目の色はキラキラしてて綺麗だけど変なやつだな)
その証拠に、さっきから「男だけど人魚だし」だとか「この際性別は気にしなくていいか」だとか、よくわからないことをブツブツつぶやいている。
「見た目は完全にドストライクだ。股間のものを見ても不快には思わない。むしろ……うん、いける」
そうつぶやいた男が俺をじっと見た。
「それ、僕が叶えてあげるよ」
「は?」
「きみが行きたいところすべて連れて行ってあげる。食べたい物も全部用意してあげる。それに僕はきみが知らない食べ物も知ってるから、そういうのも全部用意してあげられる」
「知らない食べ物?」
身を乗り出すように聞き返す。
「そう。たとえば暑いこの時期なら虹色のかき氷なんてどうかな。冷凍レモンのはちみつソーダ割りもおいしいし、旨辛ソースのガーリックシュリンプも最高だよ。パパイヤやマンゴーに彩られたヨーグルトパンケーキは今年一番の流行りだって、この辺りでは有名なんだ。もちろんそうしたものも用意できる」
頭の中に虹がかかるかき氷が浮かんだ。本で生ソースのかき氷っていうのは見たけど虹色は見たことがない。冷凍レモンっていうのも気になるし、ガーリックシュリンプは何を隠そう俺の好物だ。パンケーキは食べたい物の一つで、それらが全部食べられるなんて最高じゃないか。
(陸の男には気をつけろって兄貴たちは言ってたけど……)
チラッと男を見る。年寄りたちが「陸の男はろくでもない」と口を酸っぱくして言っていたことを思い出した。
百年くらい前、とある人魚が陸の男に騙されて泣かされたことがあったそうだ。男はとんでもない金持ちの跡取りだとかで、大きな船で旅をしている最中だったそうだ。その途中で海に投げ出され人魚に助けられた。そのとき一目惚れしたとかで結婚を申し込んだらしいが、陸に戻ったあと陸の女に心変わりしたらしく人魚が泣いて戻って来た。
そのことを知った人魚たちは怒りまくった。仕返しに人魚総出で男の船を滅茶苦茶にしてやったという話は、いまも年寄りたちの間で武勇伝として語り継がれている。
(その後は人魚のほうが悪い陸の男を泣かせてるって話だけどな)
三番目の兄貴はもう五人の悪い男を泣かせたと自慢していた。ちなみに一番目の兄貴は十三人泣かせたあとで陸の男と結婚した。陸の女に奪われないようにと連れ帰り、いまも海の中の家で結婚相手と新婚みたいに暮らしている。
(兄貴の伴侶はいいやつだし、陸の男にもいろいろいるってことか)
目の前の男をじっと見る。悪いことを考えているようには見えない。とりあえず気になっていた金髪に付いている貝殻やゴミ、それに顔にぺたりと付いていた海藻を取ってやった。
(……へぇ、綺麗な顔してるな)
陸の本には“国宝級イケメン”なんて言葉でいろんな男たちが紹介されていたが、それで見た誰よりも目の前の男のほうがかっこいい。
(こういう奴となら“夏の恋”ってのも楽しそうだな)
観光や食べ物と同じくらい“夏の恋”もやりたかったことの一つだ。だからといって相手が誰でもいいわけじゃない。どうせならイケメン相手のほうがいい。兄貴たちからは「おまえの美形好きは身を滅ぼすぞ」なんて言われてきたけれど、せっかく一緒にいるならイケメンのほうが楽しいに決まっている。
(それに泳げないのに海に入るくらいの間抜けだしな)
うん、この男ならきっと大丈夫だ。それに俺の夢を叶えてくれるっていうなら話に乗らない手はない。不慣れな陸で右往左往するよりも確実にいろんなものが手に入るほうがいい。
「本当に叶えてくれるんだろうな?」
「もちろん。必要なものがあればほかになんでも用意するよ」
「それじゃあ、この海の水を用意してほしい」
「海の水?」
「できれば全身浸かりたいから、浴槽とかいうやついっぱいの量で。あ、水は毎日交換してくれよな」
「なんだ、そんなことか。それなら問題なく用意できる。必要なら遠出のときも用意しよう」
それはありがたい。それなら海から離れたところでも心置きなくいろんなところを見て回ることができる。今回は無理だと思っていた半島の先にある“恋人岬”という場所にも行けるなとワクワクしてきた。
「僕の部屋に来てくれるなら毎日新鮮な海の水を用意しよう。食事も食べたい物を用意する。ホテルを探す手間どころかホテル代も必要ない。もちろん滞在中の飲食代や移動費その他すべて僕が払うよ」
最後のひと言が決め手になった。
(いいやつ見つけた)
持って来た珊瑚や真珠も無限にあるわけじゃない。陸ではやたらと金がかかるって話だけど、それを全部払ってくれるなら濡れ手で粟状態だ。
「本当に叶えてくれるんだな?」
「約束する。だから僕と一緒に来てほしい」
にこりと笑う顔は間違いなくイケメンだ。
「それに部屋に連れて行きさえすれば僕のものにできる」
何かつぶやいた言葉は聞き取れず、「何か言ったか?」と聞き返したが「朝食にはパンケーキがいいかなと考えただけだよ」と笑っている。
「そうだ、海が見える部屋を用意しよう。それなら寂しくないよね」
「へぇ、オーシャンビューとかいうやつだな」
はっきりいえば海は見飽きている。でも陸から見る眺めってやつには興味があった。
(よし、決めた)
とりあえずやりたいことが全部終わるまでつき合ってもらうことにしよう。男は人魚に会いたかったみたいだし、俺は陸で思う存分楽しみたい。こういうのを利害関係の一致というに違いない。四番目の兄貴がよく口にする言葉を思い出した。
(ま、もし面倒なことになったら船に乗せればいいし)
そうして兄貴たちを呼べばいい。いまでは大きな船であちこちの海を渡っている人も、人魚相手に海の上で勝つことはできない。どんなに大きく最先端の船でも海は人魚の縄張りで、海は必ず人魚の味方をする。
俺はニコニコ笑っている金髪男の申し出を受け、城ってところに行くことにした。
「何言ってんだい、この子は」
「いいじゃん、いっぱいあるんだからさ!」
「そういう問題じゃないよ」
おばばの返事はいつもこうだ。
「おばばのケチ!」
そういう問題じゃないって言ってるだろ。そもそも薬を飲んだら足が手に入る代わりに……」
「あー、そういうのはいいから。“声が出なくなる”なんて、イマドキの子どもだって信じてないからな?」
「まったく、口ばっかり達者になりおって」
おばばが「はぁぁ」と大きなため息をついた。そんなわざとらしいことをしても無駄だ。これまで何度頼み込んでも「駄目だ」の一点張りだったけど、俺もついに十九歳になった。人魚で十九歳と言えば大人の仲間入りで、年齢を理由に薬を渡せないなんて言うことはできない。
「まったく、十年前からおまえさんは足のことばかりだね」
「そりゃそうだよ。だって俺、陸に行くのが夢なんだからさ。何年もかけて行きたい場所をチェックしてきたし、食べたいものとか見たいものとかも決めてある。いまの俺に足りないのは足だけだ!」
じつは陸の観光ついでに“夏の恋”っていうのもしてみたいと考えていた。せっかくなら陸の旅で初めてを全部経験したい。ちょうど夏直前に誕生日を迎えた俺は、そんな壮大な夢を叶えるべく絶対に陸に行くんだと決めていた。「早く薬、くれよ」と急かすようにおばばにグイグイ迫る。
「やれやれ。陸の本なんかに感化されおって」
「いいじゃん。それに陸の本、めちゃくちゃおもしろいんだって」
十年前、岩場の影でどこからか飛んできたらしい陸の本を見つけたのが憧れを抱く始まりになった。本には“今年の夏、押さえておきたいプチリゾート!”だとか“この夏オススメ! 見た目も味も最高のランチ&ディナー”だとか、めちゃくちゃ楽しそうなことが書いてあった。見たことがない世界に、俺はすぐに夢中になった。
俺は毎日のように陸の本を見た。最初に見つけた本の中身はいまでも全部覚えている。そのくらい写真に映っているものすべてがキラキラして見えた。写真に写っている場所に行ってみたい。海の中とはまったく違う光のパレードっていうものも見てみたい。なによりたくさん紹介されていた美味しそうな食べ物に何度も涎が出そうになった。
俺はすぐに陸に行きたいと思った。それなのに「子どものくせに贅沢な」と言っておばばは薬をくれなかった。
(そりゃあ子どもは陸に行ったら駄目って決まり、知ってるけどさ)
だから十年待った。その間に陸の本もさらにたくさん読んだ。いま一番気になっているのは“夏の恋は蕩けるように熱く”という言葉だ。
(陸じゃあそんなすごい恋ができるのか)
海で蕩けるような恋なんて聞いたことがない。熱いのは海面あたりだけで、それでも蕩けたりはしないからだ。どんな感じなのか想像しただけでワクワクした。
(そんな夢みたいな世界にようやく行けるんだ)
今日こそ絶対に薬をもらうぞと意気込んでここまで来た。家を出るとき二番目の兄貴に「気をつけろよ~」と言われたけれど、陸で何を気をつければいいかもちゃんとわかっている。「おばば、早く」と急かすと、「しょうのないやつだ」とようやく重い腰を上げてくれた。真っ黒なヒレをヒラヒラ動かしながら棚のずっと上のほうに泳いでいく。
「ほら、これが薬だ」
下りてきたおばばが、そう言って小さな瓶を差し出した。濃紺色の小瓶に「よっしゃ!」と言いながら手を伸ばしたところで、「わかっているな?」と最後まで口うるさいことを言う。
「わかってるって。一日一回は海の水に浸からないと駄目なんだろ? 大丈夫、忘れたりしないから」
「絶対に忘れるんじゃないよ。そうしないと陸で呼吸ができなくなる。海で生きる我ら人魚は本来陸では長時間呼吸ができない。足が生えている間は一日程度なら海から完全に離れても大丈夫だが、それも一日だけだ。長時間陸にいたいなら一日一回、海の水に浸からなければ呼吸困難で死んでしまう。いいかい、絶対に忘れるんじゃないよ」
「わかってるってば」
そう言っておばばの手から奪うように小瓶を掴んだ。そのまま陸に近い岩場まで泳いで行き、陸から見えない岩の窪みから布きれを引っ張り出す。
(服の代わりにと思って置いといた布だけど、取りあえずこれでいいよな)
人魚は服を着ない。でも陸のやつらは服を着る。足が生えたら服を着ないと駄目なことはわかっていたけど、人が着ているようなものを手に入れることはできなかった。そんなわけで取りあえずの布きれだ。
(ま、なんとかなるだろ)
陸で何か手に入れるには金がいる。だから陸でも売れそうな珊瑚や真珠を持って来た。まずはそれを売って金を手に入れ、それで服を買おう。お楽しみはそれからだ。
朝焼けがキラキラ反射する海から両手を出し、岩に手をついたところでヒレをばしゃんと動かして岩に飛び乗った。「生まれ変わりの朝だ」なんてちょっと恥ずかしいことを思いながら、布きれを傍らに瓶の中身を一気にあおる。
(椰子のジュースっぽい味だなぁ。んー……なんかヒレがジンジンしてきた)
むず痒いようなくすぐったいような変な感じがする。腰の辺りから広がり始めた奇妙な感覚がどんどん下りていき、ヒレの先がビリビリ痺れたようにブルッと震えた。思わずヒレを岩に擦りつけようとしてうまく動かないことに気がついた。変だなと思って視線を落とすと見慣れた青いヒレがない。代わりに二本の足が生えていた。
「おぉ、足だ」
思わず口に出してしまった。
(足が生えるときは激痛だなんて聞いてたけど、やっぱり嘘だったんだな)
小さい頃、足が生える薬を飲むと激痛に襲われると教えられた。そのとき一緒に聞かされるのが「足と引き替えに声が出なくなる」という定番の内容だ。
でも、実際はそんなことはない。あれは子どもが薬を飲まないようにするためのおとぎ話だ。ずっと昔はそうだったのかもしれないけれど、いろんなことが進歩したいまは薬も改善されてよくなっている。いま飲んだ薬だって苦くなかったし痛みもなかった。
(ま、そういう薬じゃないと大人だって陸に行くのに毎回大変だろうし)
大人になった人魚は足が生える薬を飲んで陸に上がる。そうして仕事やら何やらをやって陸のものを持って帰ってきた。そうでもしないともはや人魚も海の中だけでは生活できないということだ。一番上の兄貴もそうやって何回も陸に行っているし、そのたびに陸の本を買ってきてくれた。ついでに結婚相手まで持って帰ってきたのだからすごい。
(ほんと、いい時代になったよなぁ)
じいさんやばあさんの時代は陸で働くなんておとぎ話だったと聞いている。ところがいまじゃ陸に別荘を持つ人魚もいるくらいだ。商売を成功させて人を雇っている人魚だっている。全部、改良された薬のおかげだ。
「この時代に生まれてほんとよかった」なんて思いながら足を動かしてみた。ちょっと変な感じはするけど問題なく動く。五本の指もしっかり動くし、なんなら浮かんでいる海草を掴むこともできた。
(おぉ、海って案外冷たいんだな)
ヒレだったときには感じなかった不思議な冷たさに笑いそうになった。岩に足の裏をくっつけるとゴツゴツしていてびっくりする。
(へぇ、足ってこんなふうなんだ)
岩に足の裏を何度か擦りつけて感覚を確かめる。足で歩くのは初めてだけど、これならなんとかなりそうだ。力を入れて岩を踏みつけると足が生えたんだという実感がわいて興奮してきた。
(よし、まずはこの辺りを見て回るか)
岩場を足の裏で押すように立ち上がった。一瞬よろけたものの問題なく立ち上がることができた。初めてなのにこんなに動かせるのも薬が改良されたおかげに違いない。背伸びしながら「おぉ、よく見える」とキョロキョロ見渡していると、少し離れた砂浜に人がいるのが見えた。
(なんであんなところで寝てるんだ?)
たまに砂浜や岩場でうたた寝する人魚はいるけど、人もそういうことをするんだろうか。興味がわいた俺は寝転んでいる人を見に行くことにした。
ヒレと違って足で泳ぐのは少し大変だった。スピードも出ないし、なにより海の中で息ができないのが面倒くさい。海の水がやけにしょっぱく感じて眉間に皺が寄る。それでもなんとか砂浜までたどり着き、生まれて初めて砂浜に立った。
(おぉ)
足に当たる砂の感触がおもしろい。ちょっとくすぐったいからか太ももとへそのあたりがゾワゾワする。そんな初めての感触を楽しみながら寝転がっている人のそばに立った。
(へぇ、陸にも金髪っているんだな)
陸を挟んだ反対側の海には金髪の人魚がたくさんいるけど俺の周りにはほとんどいない。青っぽい自分の髪と違う髪の色が珍しくて、もっと近くで見たくなった。
(おー……なるほど、こうやってしゃがむのか)
やっぱりヒレとは感覚が違うなぁと思いながら砂浜にしゃがみ込む。なんとなく足の爪を指先で撫でながら金髪を観察した。
(こういうキラキラしたウミウシならいるな)
でも、海の中じゃここまでキラキラした金色を見ることはない。これが反射だとか光の吸収だとかの違いってことなんだろうか。「陸っておもしろいなぁ」と思いながら、足を触っていた指で金髪に触れてみた。「おぉ、すべすべじゃん」とあちこち撫でていると「お姫様?」という声が聞こえてきて手を止める。
「お、目ぇ覚めたんだ」
顔を見たら目が開いていた。しかも目は空みたいな青色だ。
(俺と反対の色ってことか)
俺は髪が青っぽくて目が太陽の色に近い。俺とは反対の色がおもしろくて、寝転がっている人の顔を覗き込む。
「やっぱりお姫様だ」
「うん?」
お姫様ってのは何のことだろう。首を傾げていると金色の目がふわっと笑った。
「それにしては声が男っぽく聞こえるのはどうしてだろう」
「だって俺、男だし」
笑っていた目がびっくりしたように大きくなった。俺の顔をじっと見て、それから視線がどんどん下りていく。最後にしゃがみ込んでいる足の間を見て「男だ」とつぶやいた。
「でも、その青い髪と黄金の目は物語のお姫様そのものだ」
「物語?」
「我が国に伝わる人魚姫の伝説だよ。昔、僕のご先祖様が海で溺れたときに人魚のお姫様に助けてもらったんだ。そのお姫様は青い髪に黄金の目をしていたと書き残されている。僕は小さい頃からその話が大好きで、青い髪に黄金の目をした人魚のお姫様に会いたくて仕方がなかったんだ」
青い目がうっとりと微笑んだ。「人魚のお姫様ねぇ」と思いながら、さっきから気になっていたことを尋ねることにした。
「あのさ、あんたなんで砂浜で寝転がってんの?」
「あー……ちょっと溺れかけて」
「溺れる?」
もしかして陸だと砂浜で溺れることがあるんだろうか。
「今日こそは人魚のお姫様を探すぞと思って、日の出前にこっそり城を抜け出して来たんだ。気合いを入れて海に入ったのはいいんだけど、よく考えたら僕、泳げなかったんだよね」
「はぁ?」
「泳げないのをすっかり忘れて海に入ったら溺れかけて、気がついたらこの砂浜にいたんだ」
「……あんたさ、うっかり者だって言われたことないか?」
「そんなことはないけど、人魚のことになると我を忘れることはあるかな。それより、きみもうっかり者じゃない?」
「俺が?」
「いくら海だからって、全裸ってのはどうかと思うよ?」
「あぁ、これはさっき足が生えたばっかだからだよ。布きれ巻いときゃいいかって思ってたんだけど……あれ? 布きれどこいった?」
岩のほうを見ると置いていたはずの布きれがない。もしかして波に持っていかれたんだろうか。「早く探さないと」と立ち上がろうとしたら、寝転がっている男に手首を掴まれて尻もちをついてしまった。振り返ると男が目をまん丸にしながら上半身を起こしてこちらを見ている。
「おい、何すんだよ」
「ねぇ、いま足が生えたって言った?」
「言ったけど」
「……本当に足が生えたの?」
「おう。やっとおばばが薬くれたおかげでな。なぁ、すごいだろ? これ俺の足なんだぜ?」
そういって生えたばかりの素足をずいっと男の目の前に伸ばした。「いい形してるだろ?」と自慢すると、男が食い入るように足を見つめる。
「足が生えたってことは、元々は足がなかったってことだよね?」
「そうだよ。青いヒレも自慢だったけど、この足も結構いいと思うんだよな。とくにほら、このあたり……ええと膝っていうんだっけ。ここの出っ張りから下に向かってキュッと締まってるだろ? ヒレのときも先端に向かってキュッとくびれてんのが自慢だったんだ。やっぱヒレがかっこいいと足もかっこよくなるんだな」
「青いヒレって……」
手首を掴む男の力が強くなった。「痛ぇよ」と言っても聞こえないのか、ますます力が強くなる。
「だから痛ぇって」
「まさか……もしかしてきみ、人魚だったってこと……?」
つぶやくような声に「だったっていうか、いまも人魚だけど」と言い返した。足が生えて人っぽく見えているかもしれないけど俺は人魚だ。それに足がほしかっただけで人と間違われるのは気に入らない。
「陸に行きたくて足が生える薬を飲んだだけだ。用事が済んだら海に帰るし」
手首を掴んでいる力がさらに強くなった。あまりの強さに「痛いから離せって」と睨むが、青い目は相変わらず俺の足を食い入るように見ている。
「その用事って、どんなこと?」
今度は俺の顔をじっと見てきた。ギラギラした視線に若干引きながら「そりゃあ、いろいろあるけど……」と言いながら考えていたことを思い浮かべる。
「何カ所か行きたいところがあるから、まずそこに行こうと思ってる。あと食べたい物もあるし、それに本も買いたい。ここ二年くらい陸の本を見てないから、たぶん最新スポットも変わってるだろうからな。それを見てから行けるところは全部行こうと思ってる」
「なるほど、観光と食事か」
男は俺の返事を聞くと、今度はウンウン唸り始めた。それなのに相変わらず手首は掴んだままで離してくれそうにない。仕方がないから考え込む男を観察することにした。
(髪と目の色はキラキラしてて綺麗だけど変なやつだな)
その証拠に、さっきから「男だけど人魚だし」だとか「この際性別は気にしなくていいか」だとか、よくわからないことをブツブツつぶやいている。
「見た目は完全にドストライクだ。股間のものを見ても不快には思わない。むしろ……うん、いける」
そうつぶやいた男が俺をじっと見た。
「それ、僕が叶えてあげるよ」
「は?」
「きみが行きたいところすべて連れて行ってあげる。食べたい物も全部用意してあげる。それに僕はきみが知らない食べ物も知ってるから、そういうのも全部用意してあげられる」
「知らない食べ物?」
身を乗り出すように聞き返す。
「そう。たとえば暑いこの時期なら虹色のかき氷なんてどうかな。冷凍レモンのはちみつソーダ割りもおいしいし、旨辛ソースのガーリックシュリンプも最高だよ。パパイヤやマンゴーに彩られたヨーグルトパンケーキは今年一番の流行りだって、この辺りでは有名なんだ。もちろんそうしたものも用意できる」
頭の中に虹がかかるかき氷が浮かんだ。本で生ソースのかき氷っていうのは見たけど虹色は見たことがない。冷凍レモンっていうのも気になるし、ガーリックシュリンプは何を隠そう俺の好物だ。パンケーキは食べたい物の一つで、それらが全部食べられるなんて最高じゃないか。
(陸の男には気をつけろって兄貴たちは言ってたけど……)
チラッと男を見る。年寄りたちが「陸の男はろくでもない」と口を酸っぱくして言っていたことを思い出した。
百年くらい前、とある人魚が陸の男に騙されて泣かされたことがあったそうだ。男はとんでもない金持ちの跡取りだとかで、大きな船で旅をしている最中だったそうだ。その途中で海に投げ出され人魚に助けられた。そのとき一目惚れしたとかで結婚を申し込んだらしいが、陸に戻ったあと陸の女に心変わりしたらしく人魚が泣いて戻って来た。
そのことを知った人魚たちは怒りまくった。仕返しに人魚総出で男の船を滅茶苦茶にしてやったという話は、いまも年寄りたちの間で武勇伝として語り継がれている。
(その後は人魚のほうが悪い陸の男を泣かせてるって話だけどな)
三番目の兄貴はもう五人の悪い男を泣かせたと自慢していた。ちなみに一番目の兄貴は十三人泣かせたあとで陸の男と結婚した。陸の女に奪われないようにと連れ帰り、いまも海の中の家で結婚相手と新婚みたいに暮らしている。
(兄貴の伴侶はいいやつだし、陸の男にもいろいろいるってことか)
目の前の男をじっと見る。悪いことを考えているようには見えない。とりあえず気になっていた金髪に付いている貝殻やゴミ、それに顔にぺたりと付いていた海藻を取ってやった。
(……へぇ、綺麗な顔してるな)
陸の本には“国宝級イケメン”なんて言葉でいろんな男たちが紹介されていたが、それで見た誰よりも目の前の男のほうがかっこいい。
(こういう奴となら“夏の恋”ってのも楽しそうだな)
観光や食べ物と同じくらい“夏の恋”もやりたかったことの一つだ。だからといって相手が誰でもいいわけじゃない。どうせならイケメン相手のほうがいい。兄貴たちからは「おまえの美形好きは身を滅ぼすぞ」なんて言われてきたけれど、せっかく一緒にいるならイケメンのほうが楽しいに決まっている。
(それに泳げないのに海に入るくらいの間抜けだしな)
うん、この男ならきっと大丈夫だ。それに俺の夢を叶えてくれるっていうなら話に乗らない手はない。不慣れな陸で右往左往するよりも確実にいろんなものが手に入るほうがいい。
「本当に叶えてくれるんだろうな?」
「もちろん。必要なものがあればほかになんでも用意するよ」
「それじゃあ、この海の水を用意してほしい」
「海の水?」
「できれば全身浸かりたいから、浴槽とかいうやついっぱいの量で。あ、水は毎日交換してくれよな」
「なんだ、そんなことか。それなら問題なく用意できる。必要なら遠出のときも用意しよう」
それはありがたい。それなら海から離れたところでも心置きなくいろんなところを見て回ることができる。今回は無理だと思っていた半島の先にある“恋人岬”という場所にも行けるなとワクワクしてきた。
「僕の部屋に来てくれるなら毎日新鮮な海の水を用意しよう。食事も食べたい物を用意する。ホテルを探す手間どころかホテル代も必要ない。もちろん滞在中の飲食代や移動費その他すべて僕が払うよ」
最後のひと言が決め手になった。
(いいやつ見つけた)
持って来た珊瑚や真珠も無限にあるわけじゃない。陸ではやたらと金がかかるって話だけど、それを全部払ってくれるなら濡れ手で粟状態だ。
「本当に叶えてくれるんだな?」
「約束する。だから僕と一緒に来てほしい」
にこりと笑う顔は間違いなくイケメンだ。
「それに部屋に連れて行きさえすれば僕のものにできる」
何かつぶやいた言葉は聞き取れず、「何か言ったか?」と聞き返したが「朝食にはパンケーキがいいかなと考えただけだよ」と笑っている。
「そうだ、海が見える部屋を用意しよう。それなら寂しくないよね」
「へぇ、オーシャンビューとかいうやつだな」
はっきりいえば海は見飽きている。でも陸から見る眺めってやつには興味があった。
(よし、決めた)
とりあえずやりたいことが全部終わるまでつき合ってもらうことにしよう。男は人魚に会いたかったみたいだし、俺は陸で思う存分楽しみたい。こういうのを利害関係の一致というに違いない。四番目の兄貴がよく口にする言葉を思い出した。
(ま、もし面倒なことになったら船に乗せればいいし)
そうして兄貴たちを呼べばいい。いまでは大きな船であちこちの海を渡っている人も、人魚相手に海の上で勝つことはできない。どんなに大きく最先端の船でも海は人魚の縄張りで、海は必ず人魚の味方をする。
俺はニコニコ笑っている金髪男の申し出を受け、城ってところに行くことにした。
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