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4 国家存亡の危機

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「ええと……それって、つまり……」
「国家財政の危機、でございます」

 国の財政を統括している財務大臣が、沈痛な面持ちでそう答えた。隣に座っている父上も厳しい表情をしている。

 無事に七日間の芸術祭を終えたアールエッティ王国では、期間中に売れた様々な芸術品の数や金額、買った相手国からの送金などの確認作業でてんやわんやの状態だった。そんななか、書庫にこもっていた僕は父上の執務室に呼び出された。

「もしかして、追加で絵画が売れたとか……?」

 それならうれしいなぁ、なんて考えていた少し前の自分を殴ってやりたい。呼び出された理由は、我が国が過去最大の財政難に陥りそうだという緊急事態によるものだった。

「回避は難しいのか?」
「じつは、本日送金されてくるはずの最大金額を上回る返済が、十日後に控えておりまして……」
「それなら、まず今日届く分で返済をして、残りは待ってもらうしかないだろう?」
「……それが、先方から本日の送金を半月待ってほしいという連絡が来まして……」
「はぁ!? なんだそれは!」

 それでは契約違反じゃないか。というか、本日支払いの分を今日待ってくれと言ってくるなんて、どこの誰だ!

「相手は誰だ? そんなところに我が国の芸術品を売ることはできない」
「それが……」

 財務大臣が広い額の汗を拭いながら、チラチラと父上を見ている。父上のほうは、難しい顔をしながらウンウン唸っているばかりだ。

「財務大臣、どこの誰に売ったんだ?」
「……コントリノール王国の、第二王子殿下でございます」

 あの陽気なキザ野郎か! 僕の脳裏にはニコニコ笑いながらワインを飲んでいる、見た目はいい男だが中身が残念な従兄殿の顔が浮かんでいた。
 コントリノール王国の第二妃は父上の末の妹で、第二王子殿下というのは僕にとって従兄にあたる人物だ。コントリノール王国はそれなりに豊かな国で、過去に何度も叔母上に芸術品を買っていただくことで財政を助けていただいた。
 そういう経緯もあり、従兄殿の申し出を断ることは難しかった。ということは、今日送金されるはずのお金は半月後まで待たなければいけないということになる。

「それでは、十日後の返済はどうなる?」

 僕の問いかけに、財務大臣が拭っていたハンカチで口元を覆った。父上を見ると、ウンウン唸りながら僕の右斜め下を見ている。

(……これは、国家存亡の危機かもしれない)

 そもそも我がアールエッティ王国は、長い間財政難の波に何度も呑み込まれてきた。平たく言えばずっと貧乏だったということだ。そこにひいお祖父さまの大盤振る舞いが重なり、この十年の間に三度、国家破綻の危機に直面している。
 そのたびに粉骨砕身で芸術品を売りさばきながら、平身低頭しまくって借金返済を先延ばししてもらってきた。しかし、四度目となる今回は五体投地したとしても先延ばしは難しいだろう。そうなると、もはや手の打ちようがない。

「……僕の絵画をすべて売り払っても、難しいか?」
「急いですべて売ったといたしましても、買い手は大国しかございません。大国に、すぐさま送金してくれとお願いしましても……」
「……そうだな」

 大国は金持ちだが、そのぶん気持ちにゆとりがあるからか送金が少し遅い。かくかくしかじかで、とお願いしても、「それは貴国の都合でしょう?」と扇子の向こうで笑われるのがオチだ。
 そうなると、僕にできることは何もなかった。僕には絵を描くことしかできないし、その絵を売っても今回は役に立たないということだ。



(どうしたものか……)

 結局、執務室でよい案は出てこなかった。とりあえず一旦昼食にしようと父上が口にしたことでお開きになり、僕はウンウン唸りながら自室へと戻った。

「お兄様、珍妙な顔をしてどうなさったの?」
「珍妙はよけいだ」
「そう言いたくなるくらい、変な顔をしているわ」

 僕の部屋の前にいたのはルーシアだった。手には綺麗な模様が入った書簡箱を持っている。

「どこからかの手紙か?」
「お兄様宛ですって。侍女が執務室に持って行こうとしていたのを、わたしが預かったの」
「どうしてルーシアが預かるんだ?」
「そろそろ昼食でお部屋に戻ってくると思ったからよ。それに、新しい香水の感想が聞きたかったの」

 見れば、書簡箱の上に香水瓶の入った小さな箱もある。最近のルーシアは瓶だけでなく香水の調合にも夢中らしく、こうして僕のところに新作を持ち込んでは感想を求めてきた。

「手紙はありがとう。香水は、落ち着いたらでいいか?」
「落ち着いたらって、何かあったの?」

 僕のあとについて部屋に入ってきたルーシアが、テーブルに書簡箱を置きながら尋ねてきた。

「国家存亡の危機だ」
「なるほど、また返済が滞りそうなのね」
「理解が早いな」
「いつものことだもの」

 十六歳の王女にしては肝が据わっている。僕もこのくらいドンと構えたいところだが、三年前の大騒動を思い出すと胃が痛くなって落ち着いてなどいられなかった。
 三年前、届くはずの売り上げ金が天候悪化で足止めを食らい、二日後に迫った返済に間に合わないかもしれないという事件が起きた。もし返済できなければ、離宮だけでなく王宮まで手放さなければならないかもしれないという最悪の事態だった。
 代金を持った使者は隣町まで来ている。しかし、町から王都へ入る橋が流されて身動きが取れない。そこで当時の役人たちが考えたのが、石橋のモニュメントを本物の橋として使うことだった。
 人が通るために作られたものではなかったため、安全性は保証されていなかった。しかし、そんなことも言ってられない。
 集まった官僚たちはもっとも体が軽い人物を選び、最小限の持ち物を持たせてモニュメントを渡らせた。結局、その役人が往復したあとモニュメントは川底に落ちてしまったが、おかげで返済に間に合い離宮も王宮も手放さずに済んだ。
 石橋のモニュメントには国家予算の五分の一ほどが使われていたと聞いたときには目眩がしたが、あのときは目先の問題を解決することで精一杯だったのだ。

「それで、今回の遅延の原因はなんですの?」
「コントリノール王国の従兄殿が、支払いを半月待ってくれと言ってきた」
「……あの脳天気男なら言いそうなことだわ」

 ルーシアの綺麗に整えられた眉が思い切り寄っている。そういえば、ルーシアは従兄殿のことを毛嫌いしていたなということを思い出した。

「ルーシアは従兄殿が嫌いなのか?」
「鼻が曲がりそうなほど強烈な香水を褒めて、わたしの繊細な香水をけなす男は地獄に落ちればいいのよ」
「……それは、さすがに言いすぎじゃないかな」

 そういえば、ルーシアがデザインした香水瓶が各国で話題になったときも、従兄殿は「こんなおもちゃがねぇ」と言ってルーシアに両方の頬を打たれていたなぁなんてことまで思い出した。
 僕からすれば、あれはルーシアを好きな従兄殿の些細な悪戯のようなものだ。男は好きな女の子をいじめたくなるという、万国共通のアレだ。いい加減、きちんと思いを伝えればいいのにと陽気な従兄殿を思い出すが、思いを告げられたところでルーシアがなびくとは到底思えないのも事実だった。

「……まぁ、従兄殿のことは後で考えるとして……」

 テーブルに置かれた書簡箱を手に取る。繊細な模様は、半世紀ほど前に誕生した有名な柄だ。優美な曲線が多用されているからか、書簡箱というより宝石箱のようにも見える。しかも模様は掘って作っているのではなく、色を重ねて厚みをもたせることで描くという凝りようだ。

「これはまた、随分と手の込んだ書簡箱だな」

 一体どこの国からの手紙だと思いながら箱を開けると、黄金に輝く封蝋が目に入った。中央には王冠が、それをドラゴンが囲むように描かれた模様はビジュオール王国の紋章だ。

「大国ビジュオールが、僕宛に手紙……?」

 ビジュオール王国は、大陸でも一、二と言われる大金持ちの国だ。北西に位置するアールエッティ王国からは少し遠く、東の海岸から南東にかけての広い地域を治めている。当然、そんな大国だから国王はαで、王太子も優秀なαだと聞いていた。
 だからといって、僕の嫁ぎ先になりませんか、なんて手紙は送っていない。交流すらほとんどない大国に手紙を送りつけるほど僕も非常識ではないからだ。

「もしかして、僕に肖像画を頼みたいとかかな」

 そういう話ならあり得る。今回のドタバタさえなければ、いますぐにでも引き受けたい話だが、国家存亡の危機の最中ではしばらく待ってもらわなければいけなくなるだろう。そんなことを考えつつ、封蝋を解いて中身を確認する。

「ええと…………うん……?」
「お兄様、どうなさったの?」
「うーん………うん? ……なんだって?」

 手紙はビジュオール王国の国王陛下からのものだった。書簡箱にはもう一通手紙が入っているから、そちらは父上宛だろう。
 手紙は「突然の無礼を許していただきたい」という挨拶から始まり、「我が国には優秀なαの王太子がいる」という自慢話のような内容が続き、「ランシュ殿下がΩだと聞き及び」という情報通な部分を垣間見せながら、最後は「王太子の妃候補として迎えたい」と結ばれていた。

 僕は、一旦手紙をテーブルに置いて侍女が用意してくれた紅茶をひと口飲んだ。それからもう一度手紙を手にし、最初から読み返す。そうして最後の文面までたどり着いた直後、「なんだってぇ!?」と叫んでしまった。

「ちょっとお兄様、急に叫んだりして、どうなさったの?」
「いや……これ……これ、読んで……」

 差し出した手紙を無言で読んでいたルーシアが、「まさか」と小声で驚愕している。

「最後のほう、僕を王太子の妃候補に迎えたいって、たしかに書いてあるよな……?」
「えぇ、間違いなく」
「それって、Ωの僕の嫁ぎ先に立候補するってことだよな?」
「そういうことですわね」
「ビジュオール王国って、あのビジュオール王国だよな?」
「そのビジュオール王国で間違いないでしょうね」
「そうか……あんな大国が嫁ぎ先に……」

 ハッとした僕は、父上宛の手紙の封蝋を解いて中身を確認した。本来してはいけない行為だが、緊急事態のいま、そんなことは言ってられない。

「きっと書いてあるはずだ……あった。支度金は……こ、これは……!」

 手紙には僕を迎えに来る日程や、妃候補としてビジュオール王宮に滞在するための条件、もし婚姻に至らなかった場合の諸々についても記載されていた。その中には僕への支度金についても、しっかり明記されている。

「……この金額なら、十日後の支払いを待ってもらえる可能性がある」
「お兄様……?」
「前回、いいや、過去三回待ってもらった手間賃も十分に払うことができる。それなら了承してもらえるはずだ」

 支度金は、僕を迎えに来る使者が持参すると書かれていた。こちらから返事が届き次第、使者を送るとも書いてある。ビジュオール王国は少し遠いが、早馬で使者を出せば数日で到着できるだろう。
 支度金を持った使者は、おそらく僕を迎えに来る馬車と共にやって来るはず。早馬よりは時間がかかるが、ビジュオール王国の馬車なら二十日弱で到着できるだろう。ということは、最短でひと月弱後には大金がやって来るということになる。

「十日と少し待ってくれれば倍額払うと頼み込めば、絶対に嫌だとは言わないはずだ……」

 僕の頭の中で計算が終わり、チャリーン! と景気のいい音が鳴り響いた。これなら国家存亡の危機も回避できるし、支度金だけで残りの借金も幾分か返すことができる。

「それに僕が正式な妃になれば、さらに借金が返せるかもしれないということだ」

 それこそ、第一王子でありΩになってしまった僕だけが果たせる役目じゃないだろうか。

「すぐにこれを父上に届けて! あぁ、いい! 僕が直接届けるから、誰か財務大臣を執務室に呼んでくれ!」

 大声で侍女たちに声をかけながら、僕は急ぎ足で父上の執務室へと向かった。
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