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15 人間の世界
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ジルネフィは時々人間の世界へ赴くことがある。
以前は魔術師の仕事としてが多かったが、そのぶん面倒ごともいろいろ起きた。「あいつは魔女に違いない」と言いがかりをつけられたのも一度や二度じゃない。
(魔族の男そのものだと言うのに、人間の魔女と間違われるなんてね)
魔女は母親のほうだ。そう思いながら人間の世界と関わっていたものの、段々と人間相手の仕事をすることもなくなった。その後は暇潰しに覗き見るばかりで、興味深い道具を見つけたときだけ北欧や東欧、それに東の大陸に赴いたりしていた。
そんなジルネフィが再び足繁く人間の世界に通い始めたのはスティアニーを拾ってからだった。スティアニーに与える本や食材を手に入れるためだが、今度はお茶だの食事だのに誘うしつこい声にうんざりさせられた。
(そう思っていたのに、スティと一緒だというだけで楽しくなるから不思議だ)
最初にスティアニーと一緒に人間の世界に来たのは、彼が十歳の誕生日を迎えた日だった。その後も二度、一緒に人間の世界に来ている。そして今日が二年ぶり四度目の訪問だ。
訪れたのは魔法使いや魔女の話が多く残る街で、ジルネフィもこれまで何度か来たことがある。その中でも古めかしい通りにある老舗の喫茶店に来たのだが、この店を選んだのはスティアニーだった。
(こうしたおねだりは初めてだな)
久しぶりに人間の世界に赴くジルネフィに「一緒に行きたい」と言い出したのはスティアニーだった。以前は誘うまで行きたがらなかったのにと思っていると、どうしても訪れたい場所があるのだと言う。そのうち一カ所がこの喫茶店で、滅多に自分の欲を言わない弟子の頼みにジルネフィはすぐに快諾した。
(それにしても、こんな場所でさえ勤勉な子だな)
真剣な顔でテーブルを見つめる弟子に笑みがこぼれる。どうやら皿に載っているスコーンが店を訪れたかった目的らしい。そんな真面目な弟子を見ながら一口飲んだ紅茶は、ジルネフィも「なるほど」と納得する香りと味わいだった。
ティーカップをテーブルに戻すと、スティアニーがクリームをたっぷりつけたスコーンを頬張るところだった。それから、まるで難しい魔術を学ぶときのような表情で咀嚼し始める。味わうことに夢中なのか、口の端についたクリームに気づいていない。
「スティ、ついているよ」
「……っ」
クリームを指で拭い、いつものようにそれを舌で舐め取った。途端にスティアニーの顔が真っ赤に変わる。
「お師さま、こういうところではそういうこと、しないでください」
これまでそんなことを言われたことがなかったジルネフィは「どうして?」と首を傾げた。すると広い店内のあちこちからため息のような声が聞こえてくる。どうしたのだろうかと店内を見回せば、目が合った人間たちがたちまち俯いたり視線を逸らしたりした。
「何だか変だね」
「……お師さまのせいですよ」
「わたしのせい?」
意味がわからずパチパチと瞬きすると、またどこかからため息のような声が聞こえてくる。
「お師さまは、その、綺麗だからとても目立つんです」
「綺麗?」
言われて自分の服を見た。「特別そう言われるような格好はしていないはずだけど」と淡いクリーム色のニットを指先で撫でる。下は少し濃いめの茶色のズボンで、長い銀髪も目立たないようにと魔力で茶色に変えた。もちろん、もっとも目立つプレイオブカラーの瞳も濃いサファイヤ色に変えている。
「この姿なら目立たないと思ったんだけどな」
「服装のことじゃありません。お師さま自身が綺麗だから、店に入ってからずっと見られているんです。だからさっきみたいなことをすると、その、余計に目立つんです」
スティアニーの言葉がジルネフィにはいまいち理解できなかった。人間が思う美醜がわからないからで、それ以前に人間自体に興味も関心も持っていないため理解しようという気すらない。
(そもそも美しいというのならスティのほうがよほど美しいだろうに)
今日も長いストロベリーブロンドをうなじのところで一つに結んでいるが、白い首筋と生え際には何とも言えない色香が感じられる。目立たないようにと菫色の瞳を空色に変えはしたものの、あの瞳こそ美しいのにと残念でならなかった。
(あの瞳を畏れ忌み嫌うなんて、やっぱり人間はよくわからないな)
それに服装という意味でもスティアニーのほうが美しく、真っ白なシャツに黒のズボンというのはストロベリーブロンドや白い肌によく似合っている。普段の魔術師の弟子らしい格好よりも、こういう人間らしい服装が似合うのはやはりスティアニーが人間だからだろうか。
「それに、道を歩いているときもいろんな人に見られていました」
自分の考えに耽っていたジルネフィは、珍しく不満を口にした弟子に「おや?」と思った。
「そうかな」
「子どももお年寄りも女の人も……それに、男の人だって」
「それは気がつかなかった」
ジルネフィの言葉にスティアニーの眉がさらに寄った。よく見れば顔には不快そうな色が滲み、周囲をチラチラと見ながら口を真一文字に結んでいる。
(これまで怖がることはあっても、こんな態度を見せることはなかったのに)
一度目に来たときはひどく怯えた様子だった。同じ人間であるはずの存在が怖いのか、ジルネフィの手を必死に掴んでいたのを覚えている。
ところがいまのスティアニーは明らかに不快そうな表情をしていた。それが何に対してかわからないまま、ジルネフィが「次に来るときは、もっと目立たない服を選ぶようにするよ」と言うと、途端に眉間にギュッと皺が寄る。
「服じゃありません」
「うん?」
「お師さまはすごく綺麗だから……いるだけで目立つから、みんなが見るんです」
眉を寄せながら「誰にも見られたくないのに」と続いた言葉に、ジルネフィはパチパチと目を瞬かせた。俯き加減になったスティアニーを見つめ、それからゆっくりと口元を綻ばせる。
(これはまた、随分と嫉妬深くなったものだ)
美しく微笑む顔に店内が再びざわつき始めた。しかしスティアニーしか見ていないジルネフィの耳に雑音でしかない人間の言葉は入らない。
大勢の中で過ごすことのないスティアニーが周囲に対して嫉妬することはまずない。先日の弟に対する嫉妬もあのときだけだった。ところが今回は大勢の人間に囲まれていることで、周囲から向けられる視線に不快さを感じたのだろう。
強すぎる嫉妬心は毒だが、こうした心の揺れ動きは悪くない。その気持ちが甘い毒へと繋がることをジルネフィはよく知っていた。
「何も心配することはないよ。わたしは可愛いスティしか見ていないからね」
ジルネフィの言葉に、スティアニーの顔はますます真っ赤になった。
以前は魔術師の仕事としてが多かったが、そのぶん面倒ごともいろいろ起きた。「あいつは魔女に違いない」と言いがかりをつけられたのも一度や二度じゃない。
(魔族の男そのものだと言うのに、人間の魔女と間違われるなんてね)
魔女は母親のほうだ。そう思いながら人間の世界と関わっていたものの、段々と人間相手の仕事をすることもなくなった。その後は暇潰しに覗き見るばかりで、興味深い道具を見つけたときだけ北欧や東欧、それに東の大陸に赴いたりしていた。
そんなジルネフィが再び足繁く人間の世界に通い始めたのはスティアニーを拾ってからだった。スティアニーに与える本や食材を手に入れるためだが、今度はお茶だの食事だのに誘うしつこい声にうんざりさせられた。
(そう思っていたのに、スティと一緒だというだけで楽しくなるから不思議だ)
最初にスティアニーと一緒に人間の世界に来たのは、彼が十歳の誕生日を迎えた日だった。その後も二度、一緒に人間の世界に来ている。そして今日が二年ぶり四度目の訪問だ。
訪れたのは魔法使いや魔女の話が多く残る街で、ジルネフィもこれまで何度か来たことがある。その中でも古めかしい通りにある老舗の喫茶店に来たのだが、この店を選んだのはスティアニーだった。
(こうしたおねだりは初めてだな)
久しぶりに人間の世界に赴くジルネフィに「一緒に行きたい」と言い出したのはスティアニーだった。以前は誘うまで行きたがらなかったのにと思っていると、どうしても訪れたい場所があるのだと言う。そのうち一カ所がこの喫茶店で、滅多に自分の欲を言わない弟子の頼みにジルネフィはすぐに快諾した。
(それにしても、こんな場所でさえ勤勉な子だな)
真剣な顔でテーブルを見つめる弟子に笑みがこぼれる。どうやら皿に載っているスコーンが店を訪れたかった目的らしい。そんな真面目な弟子を見ながら一口飲んだ紅茶は、ジルネフィも「なるほど」と納得する香りと味わいだった。
ティーカップをテーブルに戻すと、スティアニーがクリームをたっぷりつけたスコーンを頬張るところだった。それから、まるで難しい魔術を学ぶときのような表情で咀嚼し始める。味わうことに夢中なのか、口の端についたクリームに気づいていない。
「スティ、ついているよ」
「……っ」
クリームを指で拭い、いつものようにそれを舌で舐め取った。途端にスティアニーの顔が真っ赤に変わる。
「お師さま、こういうところではそういうこと、しないでください」
これまでそんなことを言われたことがなかったジルネフィは「どうして?」と首を傾げた。すると広い店内のあちこちからため息のような声が聞こえてくる。どうしたのだろうかと店内を見回せば、目が合った人間たちがたちまち俯いたり視線を逸らしたりした。
「何だか変だね」
「……お師さまのせいですよ」
「わたしのせい?」
意味がわからずパチパチと瞬きすると、またどこかからため息のような声が聞こえてくる。
「お師さまは、その、綺麗だからとても目立つんです」
「綺麗?」
言われて自分の服を見た。「特別そう言われるような格好はしていないはずだけど」と淡いクリーム色のニットを指先で撫でる。下は少し濃いめの茶色のズボンで、長い銀髪も目立たないようにと魔力で茶色に変えた。もちろん、もっとも目立つプレイオブカラーの瞳も濃いサファイヤ色に変えている。
「この姿なら目立たないと思ったんだけどな」
「服装のことじゃありません。お師さま自身が綺麗だから、店に入ってからずっと見られているんです。だからさっきみたいなことをすると、その、余計に目立つんです」
スティアニーの言葉がジルネフィにはいまいち理解できなかった。人間が思う美醜がわからないからで、それ以前に人間自体に興味も関心も持っていないため理解しようという気すらない。
(そもそも美しいというのならスティのほうがよほど美しいだろうに)
今日も長いストロベリーブロンドをうなじのところで一つに結んでいるが、白い首筋と生え際には何とも言えない色香が感じられる。目立たないようにと菫色の瞳を空色に変えはしたものの、あの瞳こそ美しいのにと残念でならなかった。
(あの瞳を畏れ忌み嫌うなんて、やっぱり人間はよくわからないな)
それに服装という意味でもスティアニーのほうが美しく、真っ白なシャツに黒のズボンというのはストロベリーブロンドや白い肌によく似合っている。普段の魔術師の弟子らしい格好よりも、こういう人間らしい服装が似合うのはやはりスティアニーが人間だからだろうか。
「それに、道を歩いているときもいろんな人に見られていました」
自分の考えに耽っていたジルネフィは、珍しく不満を口にした弟子に「おや?」と思った。
「そうかな」
「子どももお年寄りも女の人も……それに、男の人だって」
「それは気がつかなかった」
ジルネフィの言葉にスティアニーの眉がさらに寄った。よく見れば顔には不快そうな色が滲み、周囲をチラチラと見ながら口を真一文字に結んでいる。
(これまで怖がることはあっても、こんな態度を見せることはなかったのに)
一度目に来たときはひどく怯えた様子だった。同じ人間であるはずの存在が怖いのか、ジルネフィの手を必死に掴んでいたのを覚えている。
ところがいまのスティアニーは明らかに不快そうな表情をしていた。それが何に対してかわからないまま、ジルネフィが「次に来るときは、もっと目立たない服を選ぶようにするよ」と言うと、途端に眉間にギュッと皺が寄る。
「服じゃありません」
「うん?」
「お師さまはすごく綺麗だから……いるだけで目立つから、みんなが見るんです」
眉を寄せながら「誰にも見られたくないのに」と続いた言葉に、ジルネフィはパチパチと目を瞬かせた。俯き加減になったスティアニーを見つめ、それからゆっくりと口元を綻ばせる。
(これはまた、随分と嫉妬深くなったものだ)
美しく微笑む顔に店内が再びざわつき始めた。しかしスティアニーしか見ていないジルネフィの耳に雑音でしかない人間の言葉は入らない。
大勢の中で過ごすことのないスティアニーが周囲に対して嫉妬することはまずない。先日の弟に対する嫉妬もあのときだけだった。ところが今回は大勢の人間に囲まれていることで、周囲から向けられる視線に不快さを感じたのだろう。
強すぎる嫉妬心は毒だが、こうした心の揺れ動きは悪くない。その気持ちが甘い毒へと繋がることをジルネフィはよく知っていた。
「何も心配することはないよ。わたしは可愛いスティしか見ていないからね」
ジルネフィの言葉に、スティアニーの顔はますます真っ赤になった。
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