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16 小さな危機

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 喫茶店を出ると、スティアニーがもう一カ所行きたい場所があると口にした。ジルネフィが同行を申し出たものの「一人で行きたいんです」と申し訳なさそうな顔をする。

(一人で行動したいなんて初めて言われたな)

 少し考えたものの駄目だというほどの理由はない。たとえどこにいたとしてもジルネフィにはスティアニーの状況が手に取るようにわかる。だから「いいよ、行っておいで」と了承した。

(そもそも、この辺りでスティに危害を加えるものはいないだろうし)

 この辺り一帯は古くから精霊たちが多く棲む場所だった。そんな場所で精霊王の一人に愛されているスティアニーに害を及ぼす存在はいない。それよりも危険なのは人間のほうだが、ジルネフィの目をかいくぐって何かできる人間はまずいなかった。

(それにしても、どこに何をしに行くんだか)

 そういえばと、ジルネフィは十日ほど前の出来事を思い出した。
 ジルネフィの家には烏に似た鳥たちがよくやって来る。いまは庭先で虫や木の実を食べるだけだが、以前は人間の魔術師とのやり取りに伝書用として使っていた鳥たちだ。
 そんな鳥たちといつの間に仲良くなったのか、スティアニーが鳥に何やら話しかけていたのを作業部屋から目にした。鳥の足にこぶし大ほどの箱がつけられていたということは、届け物を頼んだのだろう。

(さて、何を注文したのかな)

 帰ってきた鳥の足に箱はなかった。そうやって鳥を介してやり取りができる人間はそう多くない。スティアニーに人間の魔術師との接点はないから、おそらく職人に何かしらの道具を注文したのだろう。そしてそういう方法で注文を受けられるのは、魔法使いや魔女の伝承が残るこの辺りの古い店くらいだ。

(いつの間にか、そんなことまでできるようになっていたなんてね)

 それだけスティアニーも成長したということだ。弟子の成長を喜ぶとともに、まさに花開かんとしている蕾を手にする悦びに魔力がじわりと膨れ上がる。

(あぁ、そのときが待ち遠しくてたまらない)

 魔力をなだめながら賑やかな通りを進んでいく。そのまま角を曲がり川沿いの遊歩道に出ようとしたところで、ジルネフィの足がぴたりと止まった。
 空を見上げたサファイヤの瞳が一瞬だけ虹色に光った。くるりと色を変える瞳は空よりもっと遠い何かを見つめている。そうして一度閉じた瞼を開けると、プレイオブカラーの瞳は再び濃いサファイヤ色に変わっていた。

「やっぱり人間のほうが危ないな。さて、可愛いスティが困り果てる前に向かえに行くとしようか」

 そうつぶやいたジルネフィは、スティアニーが向かった古い街並みに続く小径へと足を向けた。

 その頃スティアニーは、ちょうど用事を済ませて職人街にある店を出たところだった。

(思っていたよりもずっと素敵な感じになってた)

 受け取ったものに満足しながら、百年以上前から続くという石畳を歩く。職人街の細い道から表通りに出ると一気に観光客らしき人間の数が増えた。ようやく人間に慣れてきたものの、人混みが得意でないスティアニーは急いで師と合流しようと歩みを速める。

「……っ」

 不意に現れた人影に道を塞がれ驚いた。脇を通り抜けようとしたものの、別の人影に邪魔をされ足が止まる。気がつけば数人に取り囲まれた状態で、そのまま人気のない奥まった道の突き当たりに連れ込まれてしまった。

(このあたりの人だろうか)

 目の前にいるのは色素の濃い髪と瞳をした男たちだった。旅行者のような大きな荷物は持っておらず、旅を楽しんでいる様子もない。体つきはやや大きめで、見た目はスティアニーより少し年上といった雰囲気だ。

「店に入る後ろ姿でピンときたんだ」
「すげぇ美人だな」
「だろ? 俺くらいになると背中だけでわかるんだよ」
「なぁに言ってやがんだ」

 男たちが卑猥な笑い声を上げる。スティアニーは眉をひそめながらも「どうしよう」と考えた。
 師からは「人間の世界では揉め事を起こさないように」と言われている。弟子として師の言葉を無視するわけにはいかない。何とかしなければと思ったところで一人の男に腕を掴まれた。

「離してください」
「あれぇ? もしかしてこいつ男か?」
「マジか~。いや、こんだけ美人なら男でもいいか」
「むしろ男のほうが楽しめるんじゃねぇか?」
「そうかもなぁ。滅多に見ない美人だし、さっさとヤっちまおうぜ」
「おいおい、せっかくだから俺たちのねぐらにご招待といこうじゃないか。どうせ一周したくらいじゃ終わんねぇだろうし」
「だな。それじゃあ一緒に行こうぜ」
「それは遠慮させてもらうよ」

 男たちの下卑た声に別の声が重なる。その艶やかな声が聞こえた途端にスティアニーの表情がパァッと明るくなった。

「お師さま」

 取り囲む男たちの後ろに立っていたのはジルネフィだった。振り返った男たちが一斉に口を開いたものの、そのまま声を出すことなく微動だにしなくなる。

「退いてくれるかな」

 そう言うと塞いでいた男たちが道を開けるように体を退けた。難なくスティアニーに近づいたジルネフィは、腕を掴んでいる男の耳に口を寄せ「勝手に触れてもらっては困るよ」と囁く。肩を不自然なほど振るわせた男は慌てたように手を離し、足をもつれさせながら数歩後ずさった。

「まったく、人間は触れてもよい存在か判断する能力すら手放してしまったようだね。自分がどの程度の存在かもわからず、欲望と本能を自らの手で統べる手段すら持ち合わせていない。これでは魔獣以下と言われても仕方がないな」

 男たちを一瞥したジルネフィは、少し身を屈めてスティアニーの瞳を覗き込んだ。そうして優しい声で話しかける。

「人間の世界で揉め事を起こしてはいけないと教えたけれど、されっぱなしというのはどうだろうね」
「……ごめんなさい」

 視線を落とす弟子に大きな手で頭をポンと撫でる。

「こういうときどうしたらいいのかも教えることにしよう。今回はわたしの言いつけをちゃんと守ったんだ、咎めたりはしないよ」
「はい」

 ホッとしたようなスティアニーの返事に、ジルネフィが美しい微笑みを浮かべた。そうして「用事が済んだのなら帰ろうか」と腰を抱き寄せる。それだけで目元を染める弟子の初心な反応に満足しながら、ぐるりと男たちを見回した。

「さて、わたしの可愛い弟子は返してもらうよ。おまえたちに何か罰を与えるつもりはないから、おとなしく家に帰るといい」

 男たちはひと言も言葉を発することなく踵を返した。不気味なほど静かに、それどころか足音や呼吸の音すらさせずに袋小路を出て行く。ただ淡々と歩く男たちの顔は死人のように真っ白で、虚ろな眼差しをした姿はまるで動く死体のようだった。

「お師さま」

 男たちが去った後、スティアニーが伺うように視線を上げた。

「迷惑をかけてごめんなさい」
「迷惑をかけたのはあの人間たちのほうだよ」
「……あの、どうしてあの人たちは僕に声をかけてきたんでしょうか」

 スティアニーの問いかけに、ジルネフィは一瞬目を丸くした。それから苦笑にも似た笑みを浮かべる。

「そうか、こういう経験は初めてか」
「お師さま?」

 スティアニーは男たちが何の目的で取り囲んだのかわかっていないのだろう。連れて行かれた先でどんな目に遭うのかも想像できないに違いない。

(境界の地では身の危険を感じることがないから、それも仕方がないか)

 しかし、今後のことを考えれば何が危険か知っておく必要がある。そうしなければ魔術師として独り立ちさせるのも危なくてできなくなりそうだ。

(せっかく魔術師になりたいと言ってくれたのだから、全面的に応援してあげるつもりではいるけど)

 三日前、スティアニーが初めて「魔術師になりたいです」と口にした。もちろんジルネフィは賛成したが、そうなると心配なことが出てくる。
 スティアニーからは人間の世界に戻りたいとは聞いていない。ということは、ジルネフィの元で魔術師になるということだ。そうなると客はもっぱら魔族になる。ジルネフィがそばにいるときは安全だとしても、一人になった途端に狙われるかもしれない。
 人間である以上、皮膚や髪の毛、内蔵、それに美しい菫色の瞳は格好の標的になるだろう。ジルネフィが育てたということで体の具合を確かめようとする輩もいないとは限らない。

(もちろんそんなことにならないように万全は期すけれど)

 しかし、まずは本人に危機意識を持ってもらわなくてはいけない。

「スティ。今夜から新しいことを教えることにしようか。スティも成人して魔術師になるなら、自分の身を守れるようにしておいたほうがいいからね」
「身を守る……?」
「そう、こんなふうに……」

 そう言いながら顎に指をかけ、上向きにしたところで口づけを落とす。

「唇を奪われそうになったときの対処法や、それ以上のことをされそうになったときの回避方法を身につける必要がある」
「あの、」
「大丈夫。ちゃんと身をもって教えてあげるからね」

 微笑むジルネフィに、スティアニーは顔を真っ赤にしながらも小さく頷いた。
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