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17 贈り物

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 境界の地に夏がやって来た。それでも人間の世界に比べれば格段に涼しく、ジルネフィは薄手ながら長袖のローブを羽織っている。

(いよいよだ)

 三日後、スティアニーの成人の儀式を行う。この日、新米魔術師としても歩み始める弟子のためにジルネフィは贈り物を用意していた。
 一つは魔術師の証となる銀の指輪で、スティアニーの瞳と同じ色のアメジストをあしらっている。もちろんただの宝石ではなく、ジルネフィが手ずから調整した魔力を含む特別なものだ。二つ目にジルネフィと色違いの魔術師専用のローブを作った。「これを着たスティはどれだけ愛らしいだろう」と想像するだけで頬が緩む。
 ほかにも魔術師が好む首飾りや魔獣の毛で編んだ空色の髪紐、それに魔術師が使う基本的な道具を揃えた。ほとんどはジルネフィが長年愛用してきたもので、愛弟子に贈るにしては細かく数が多い。
 ふと、人間の世界で聞いた「花嫁の父」という言葉を思い出した。人間は嫁入りする子に様々な道具を持たせるらしく、まさにいまジルネフィがしているようなことをするのだという。

(いや、スティの嫁ぎ先はわたしになるのだから花嫁の父というのはおかしいか)

 道具を見るプレイオブカラーの瞳がクルクルと色を変える。口元には笑みが浮かび、道具を撫でる指先も心なしか弾んでいた。
 成人の儀式の日、スティアニーは魔術師になるのと同時にジルネフィの花嫁になる。これはスティアニー本人が望んだことだ。

(それにしても、まさかスティのほうから婚姻の話をするとは思わなかったな)

 元々はジルネフィのほうから話す予定だった。まずは成人の儀式の説明をし、それから魔術師として今後どうするかの話をする。そうして最後に婚姻の話をするつもりだった。

(これからも一緒にいるためには婚姻が一番だと、丁寧に説明するつもりだったんだけど)

 そうやって腕の中に囲うつもりだった。ところがあれこれ説明する前にスティアニーが口を開いた。

「お師さま、僕のお願いを聞いてもらえますか?」

 やや緊張したような表情が気になりながらも「何でも言ってごらん」と促した。こうしたお願い事もほとんどしない弟子に「珍しいな」と視線を向けていると、段々と目元が赤くなっていく。

「スティ?」
「僕、お師さまと……ジルさまと結婚したいです」
「結婚?」
「あの、人間はずっとそばにいたい人と結婚するんです。昨日、帰り道で見かけたのがそれなんですけど」

 言われて、ジルネフィは「あぁ、あれか」と花が舞っていた光景を思い出した。
 帰り道でたまたま古い教会の前を通った。そのとき結婚式なるものをしていたのを見かけたのだ。

「スティはああいうことがしたい?」
「え!? あ、そうじゃなくて、儀式はしなくていいんです。ただ、人間みたいに結婚したいというか……あの、魔族には結婚というのはないんですか?」
「魔族にもあるよ。儀式を行うかは種族によって違うけど、婚姻を結ぶ魔族は多い。中には魔獣と婚姻する魔族もいるくらいだ」
「魔獣と……」

 途端にスティアニーの体がブルッと震えた。それに笑みを浮かべつつ菫色の瞳を覗き込む。すると、スティアニーがいつになく真剣な表情をした。

「ジルさま、僕と結婚してください」

 難しい調合に挑むかのような顔に微笑ましく思いながら、ジルネフィは「喜んで」と答えた。

(あとは夜のことだけど……まぁ、そこはわたしが手ほどきするのだから問題ないかな)

 そんなことを思い出していると玄関のほうから扉が開く音が聞こえた。作業部屋から出てみれば、手にバスケットを持ったスティアニーが柔らかな外行きの靴を脱いでいるところだった。

「おかえり」
「ただいま帰りました」

 元気のいい返事に微笑みながら「お茶にしようか」とバスケットを受け取る。「はい」とこれまた元気に返事をした弟子がキッチンに向かうのを見送ってから、プレイオブカラーの瞳をバスケットに向けた。

(さて、何が入っているのやら)

 バスケットからはほのかに精霊の魔力を感じる。にやりと笑う精霊王の顔を思い出しながら先に居間に行くと、すぐに茶器やお茶菓子を載せたトレーを持つスティアニーが現れた。

「メルディアナは元気だった?」
「はい、とてもお元気そうでしたよ」

 昼過ぎに家を出たスティアニーが向かったのは精霊の庭だった。精霊王からの「祝いの品を渡したい」という言葉を風精霊が伝えてきたのは昨日の夕方で、そのとき「保護者は来なくてよい」というひと言が添えられていたため一人で行かせることになった。
 添えられていた言葉から「ろくでもないものじゃないだろうな」とジルネフィは思っていた。スティアニーに害が及ぶものを渡したりはしないだろうが、夜の営みに関する何かしらを渡そうとした可能性はある。

(真っさらなスティにすべてを手ほどきするのはわたしだというのに)

 やや不快に思いながらも表情には出さずスティアニーに話しかける。

「メルディアナからの祝いの品は何だった?」
「ええと、華茶とか蜜茶とかいただきました。それから……この小瓶もいただきました」

 そう言ってバスケットから取り出したのは、澄んだ美しいコバルトブルーの小瓶だった。瓶が揺れると銀色の小さな粒が現れ、まるで小さな花火のようにパチパチと弾けて光る。そうして細かくなった銀の粒は少しずつ瓶底に積もり、まるで青い海に降り注ぐ銀月の光のような様子を見せた。

「お師さまの髪のように美しいですね」

 スティアニーが「ほぅ」とため息をつく。

「これは精霊の涙というものだ」

 精霊が涙をこぼすことはほとんどない。精霊に実体がないからだが、稀に魔力がにじみ出ることがある。瓶に詰められているのは花精霊の庭に棲む精霊たちから集めたものだろう。

「持つ者に愛と幸運をもたらすと言われている、とても縁起のよいものだよ」

「大事にしなさい」と言うと、スティアニーが嬉しそうに「はい」と頷いた。それから「ほかにもいろいろいただきました」とバスケットの中身をテーブルに並べ始める。それを見ていたジルネフィの眉が少しずつ寄っていく。

「お師さま?」
「あぁ、うん」

 どうしてそんな表情をするのかスティアニーは気になって仕方がないのだろう。チラチラと師の顔を見ながら七つの瓶を並べた。

(なるほど、そうきたか)

 瓶の中身は魔族の嗜好品でもあるハーブティーの茶葉だ。ただし半分は催淫効果が高い茶葉で、残り半分も人間であるスティアニーが口にすれば体を火照らせることだろう。

「もしかして、よくないものですか?」

 不安そうな弟子に「大丈夫だよ」と返事をする。毒ではないという意味では大丈夫だが、夜の営みという点ではどうだろうか。

(メルディアナからの祝いの品だから、こういうこともありそうだとは思っていたけれど)

 ため息をつきながらも、内心「これを飲んだスティはどうなるんだろうか」と考えた。これまで催淫薬といったものに興味がなかったため使ったことはないが、相手がスティアニーだと思うと興味が湧いてくる。

(……なるほど、父上もこんな気持ちなのか)

 魔族の王ですらそうなのだから、自分がそう思ってもおかしくはない。ジルネフィは「少し先のお楽しみかな」と思いながら瓶の中身を眺めた。
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