美しき神官は戦神の宝珠となる

朏猫(ミカヅキネコ)

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27 再会1

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「イシュー!」

 部屋に入るなり抱きつかれて驚いた。踏ん張ろうとしたものの勢いに負けて大きくよろけてしまう。それでも尻餅をつかずに済んだのは背中を将軍の手が支えてくれたからだ。

「エメウス兄上、どうか落ち着いてください」
「あぁ、まだ兄上と呼んでくれるんだね!」

 肩を掴んでいた手が再び背中に回った。少し息苦しいが、久しぶりの再会にその苦しささえ嬉しくなる。

(最後に会ったのは王宮を出る直前だから、二十年前か)

 あのときは自分が小さかったためこうして抱き合うことはできなかった。王妃や異母兄の手前声をかけることもできず、それでも本当は寂しいのだと言いたくて必死に見上げていたのを思い出す。

(兄上はあの頃とまったく変わっていない)

 将軍もだが、エメウスも三十八歳には見えなかった。これもあちこち旅をしていたからだろうか。

「わたしのほうこそ兄上がどうされているのか心配していたのですよ」
「ははは、わたしは大丈夫だよ。これでもかくまってくれる友人はそれなりにいるんだ」
「それを聞いて安堵しました。ですが、メレキアは……」

 それ以上言葉が続かず視線を床に落とす。

「わかっている。とにかく座ろうか」
「はい」

 促された先にあったのは豪華なソファだった。ディエイガー将軍の屋敷では見かけない貴族の持ち物らしい装飾に、ここがアトレテスの王城なのだと今さらながら思う。
 今朝、急きょ王城に同行するように告げられたときは何事かと驚いた。礼拝堂での誓いの日は間もなくで、もしやそれを聞いて快く思わない貴族たちに取り消しを求められたのかと眉をひそめた。ところが将軍が口にしたのはアトレテスの王城でエメウスが待っているということで、さらに驚きながら慌てて支度を整えた。

「元気そうで本当によかった。イシューがアトレテスの捕虜になったと聞いたときはどれほど心配したことか」
「捕虜の身ではありますが、グレモンティ将軍によくしてもらっているおかげで不自由なく過ごせています」
「そうかそうか」

 大きく頷くエメウスを安心させたくて微笑みかけたものの、すぐに眉尻が下がる。

「祖国のことを思えば、わたしだけ平穏に過ごしているのは心苦しいのですが」
「気にする必要はないよ。民たちは不当な扱いを受けていないし神殿も破壊されたりしていない。ま、陛下や王太子に近かった神官たちは捕らえられたようだけどね」

 自分の神官任命を執り行った王妃の兄を思い出した。神官たちの中でもとくに王太子に近かった彼は間違いなく捕らえられたことだろう。ほかにも王太子派と呼ばれていた神官たちの顔が浮かび、「そうですか」とつぶやく声が小さくなる。

「イシューが気に病むことはない。これまできみは神殿のため、メレキアのために尽くしてきた。いや、尽くすように強要されてきた。敗戦国となった祖国が蹂躙されずに済んでいるのはきみのおかげだ」
「そんなことはありません。それにわたしは、」
「いいや、イシューのおかげなのだよ。そもそも神殿のやり方は強引すぎる。五歳の子どもを神殿に閉じ込め女神の愛し子だと言い聞かせ、神殿が指し示すとおりに生きよというのは強要以外のなにものでもない」
「ですが、わたしはこうして黒髪を持っています」
「だとしてもイシューの意志を無視するのは女神の教えに反する。女神は自ら望んで仕えるものを求めている。高位神官がそれを知らないわけがないだろう」

 憤慨するようにエメウスが眉間に皺を寄せた。

「そんな状況でもイシューは民のために尽くしてきた。だからね、これからは自分のことを大事にすべきだとわたしは思うのだよ。もちろん神官の務めを果たしたいとイシューが思うならそうすればいい。女神は自らを求めるものに微笑んでくださる。自分らしく生きようとする者にお怒りになるほど女神は狭量ではいらっしゃらない」
「ですが、わたしには戦争を止められなかった責任があります」
「それは違う」

 ぴしゃりと否定されて驚いた。記憶の中のエメウスはいつも温和な口調で、今のように強い声色は初めて耳にした。

「たとえイシューが女神の化身だったとしても止めることはできなかった。今回のことは起こるべくして起きたことだ。そうなるだろうことがわかっていてわたしは国を出た。イシューに神罰が下るというなら、わたしにこそとっくに下っているだろうね」
「兄上……」

 表立って異母兄から何かされたことのなかったエメウスだが、本当に何もなかったのかはわからない。自分と親しくなった子どもたち全員にひどい仕打ちをしていた異母兄がエメウスにだけ何もしなかったとは思えなかった。

(それにエメウス兄上は第三位の王位継承権を持っていた)

 第二位の自分が神殿に入ればエメウスが第二位になる。それを異母兄と王妃が受け入れたとは考えにくい。何事かが起きると察知したからこそエメウスは王位継承権を返上して国を出たのではないだろうか。そう決断するまでどれほどの葛藤があったか、どれだけ悩んだのか今なら痛いくらいわかる。

「ところでイシュー、ちょっと尋ねたいことがあるんだが」
「なんでしょうか」

 にこりと微笑んだこげ茶色の目が次の瞬間ギッと鋭くなった。その視線が傍らに立つ将軍に向けられる。

「イシューと将軍が伴侶になったという話は本当かな」

 尋ねる声も低い。どうしたのだろうと不安になるが、将軍は気にならないのか「はい」といつもどおりの様子で答えた。

「それは公爵夫人という立場上でのものかい?」
「解釈はいかようにも」

 エメウスが声にならない呻き声を上げた。何かに耐えるように右手でグッと額を押さえている。

「あの、兄上……?」

 右手をどけたエメウスの表情はやけに険しい。

「イシュー、きみはこの話を受け入れたんだね?」
「はい」
「この男に脅されたのではないだろうね?」

 まさかの言葉にギョッとした。

「そんなことはされていません」
「本当に?」
「はい。それにこの話はわたしも望んで受け入れたことです。その、わたしのほうが将軍に想いを寄せていたといいますか……」

 答えながら段々と居たたまれなくなってきた。これまで自分の心の内を誰かに話したことはほとんどなく、ましてや色恋の話題など初めてだからか気恥ずかしくて仕方がない。顔どころか耳まで熱くなるのがわかり、赤くなっているであろう顔を隠したくて少しだけ俯いた。

「はあぁぁぁぁぁぁ」

 なぜかエメウスが大きなため息をついた。視線を向けるとがっくりと項垂れている。しばらくそうしていたかと思えば勢いよく頭を上げ、「わかった、わかった!」と投げやりな声を出した。

「部屋に入ってきたときから無理やりじゃないことはわかっていた。それでも確認しておきたかったんだ」

 そう言ってから再び大きなため息をつく。

「いやはや、それにしてもまさかあのとき話していた相手と伴侶になるとはなぁ」
「あのとき……?」
「覚えていないかい? 親善でやって来たアトレテス一行が陛下に謁見した翌日、目をキラキラさせながら憧れの人ができたと教えてくれただろう? 一行で一番大きな体をしていた武人のことを珍しくはしゃいで話していたじゃないか」
「そう、でしたか?」

 はしゃいでいたという言葉にまた顔が熱くなった。当時のことはあまり覚えていないが、将軍を見てから二、三日は興奮しっぱなしだった気がする。

「武人になりたいのだと言い出したときは驚いたよ。その後の様子を伝え聞く限り本気のようだし、どれだけ驚き心配したことか。大方、一行にいたこの男を見て武人になりたいと思ったのだろう?」
「……身の程知らずだとわかってはいましたが……」

 神殿に入ってからも隠れて訓練所に通っていたが、鍛錬を重ねれば重ねるほどディエイガー将軍のようにはなれないと痛感させられた。それでも諦め切れず、心に刻んだ憧れの人の姿を思い浮かべながら剣を持ち続けた。

(……ん? 今、その後の様子を伝え聞く限り、と言ったか?)

 どういうことだろうか。訓練所に潜り込むようになったのはすでにエメウスが国を出た後で、自分が武人を目指して鍛錬していたことは知らないはずだ。引っかかるものを感じて尋ねようとしたが、それより先にエメウスが「ああぁぁぁ!」と声を上げた。

「イシュー、なんて色気をかもし出しているんだ! こんな巨漢のことを考えるだけでそんな表情を浮かべるなんて……!」
「あ、兄上?」
「イシューがこんなにも変わるとは……! しかもこんな男の手で!」

 大仰な声や仕草はまるで舞台に立つ役者のようだ。「兄上、落ち着いてください」と声をかけるが、すぐさま「落ち着いてなどいられるものか!」と返されてしまう。

「こんないかつい男に大事な大事なイシューが嫁ぐんだぞ? そりゃあきみは小さい頃からすこぶる美人だったから、もしかしたら奥方をもらうより婿をもらうのかもしれないと密かに思ってはいた。だからといって、よりによってこんな魔獣のような男を婿にしなくても……」

 今度は目元を押さえながら泣くような仕草を見せる。あまりの様子に言葉をかけることもできない。

(エメウス兄上はこんな人だっただろうか)

 少なくとも王宮でこんな姿を見たことはなかった。それともあの頃は自分を不安にさせないために無理をしていたのだろうか。

(子どもながらにエメウス兄上こそ王太子にふさわしいといつも思っていた)

 だが、目の前のエメウスはそんなふうには見えない。戸惑いながら傍らに立つ将軍を見た。いつもと変わらないように見えるが、ほんの少し眉が寄ってるように見えなくもない。エメウスの言葉を不快に思ったのだろうか。それなら後で謝らなくてはと思いながらエメウスに視線を戻した。

「エメウス兄上、わたしのことはどうかそのくらいで」
「いやいや、わたしはイシューにとって兄も同然。となれば伴侶となる将軍にはひと言二言、いいやもっと言っておきたいことがある」
「兄上、」

 手を退けると、今度はフンと鼻息も荒く将軍を見る。エメウスの気持ちは嬉しいが、だからといって将軍にこれ以上あれこれ文句を言われるのは困る。これ以上何か口にすれば将軍も気分を害するに違いない。そのせいでエメウスの立場が危うくなるのはもっと困る。
 どうすればいいのかと将軍を見上げた。すると「大丈夫ですよ」というようにはしばみ色の目がわずかに細くなる。それだけでホットし、同時に胸の奥が甘く切なくなった。

「あぁ、イシューがそんな顔をする日が来るとはな」
「兄上?」
「それだけきみは将軍を想っているということか」

 エメウスの表情は穏やかでこげ茶色の目も落ち着いている。

「わかっている。イシューはずっとグレモンティ将軍のことが好きだったのだろう? だから神官になっても剣を手放さなかった。剣を持っていれば将軍と繋がっていられるような気がしたからじゃないのかい?」
「そう……ですね。そうかもしれません」
「それに今のほうが神殿にいたときより格段に美しい。なにより満ち足りた表情をしている。その様子を見ればどれほど将軍に大事にされているかわかるよ。同じくらいイシューが将軍を大切に思っていることもね」

 話を聞きながら目元が熱くなった。エメウスの言葉は嬉しいが、将軍への気持ちが筒抜けなのかと思うと気恥ずかしくなる。

「相手が魔獣のような大男というのは気にくわないが、あのままメレキアの神殿にいるよりも安心できるのは間違いないだろうしね」
「それはどういう……?」
「神官たちの中にはイシューをどう利用するか企んでいた者たちがいたのだよ。それを察知したのか、陛下も動き出した。アレクィードはそのことに気づいて早くイシューを排除したかったのだろう。この戦争は陛下と王太子、それに一部の神官たちの思惑で始まったものだ。彼らが罰を受けるのは当然だ」

 戦争の理由は不作による食糧難のためだと誰もが口にした。神殿でもそう話す者ばかりだった。だが、裏にはもっと複雑なことが絡んでいたということだ。

(わたしが口を挟んでも戦争を止めることはできなかったということか)

「あぁ」と声が漏れた。それぞれの思惑があったとしても、自分の存在が少なからず影響を与えていたことは間違いない。少なくとも王太子を戦争に駆り立てたのは自分という存在があったからだ。
 俯くと視界の端に黒髪が映った。将軍が褒めてくれたおかげで誇らしく思えるようになっていたが、今はできれば見たくなかった。

「ところで将軍、イシューにはどこまで説明してあるんだろうか」
「この場でご説明をと考えておりました」
「なるほど」

 二人の会話に顔を上げた。今のはどういう意味だろうか。将軍を見るが表情が読めない。それならとエメウスを見ても同じように何もわからなかった。

(まさかメレキアで何か起きたのでは……)

 冷たいものが背筋を流れ落ちるような気がした。
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