美しき神官は戦神の宝珠となる

朏猫(ミカヅキネコ)

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番外編 殿下の嫉妬2

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「兄上、もしや何か、」
「まぁ聞きなさい。たしかにメレキアにいたときより安心ではあるが、将軍を頼るだけではいけないと思っていてね。自分の手で自らを守りきれるようになってほしいと思っている」
「兄上」
「昔は武人になることを止めたくせにと思うかい?」
「いえ……」
「そりゃあ今でも思うことはいろいろある。だが、剣の腕を磨くのが最良ではないかと思ったのもたしかだ。それにイシュー自身も将軍に守られているだけじゃ満足できないんじゃないかい?」

 こげ茶色の目が優しくなった。昔よく見た表情に懐かしさを感じるとともに、兄とも父とも思うような感情がわき上がってくる。

(今も昔もエメウス兄上はどれだけわたしを思ってくれているのだろう)

 メレキアはこれから大きく変わる。良くも悪くも内外から注目され、その視線は自分にも向けられるだろう。そのことで何かが起きるのではと心配しているに違いない。
 キュッと唇を引き締めた。膝に置いた手に少しばかり力が入る。自分はもう心配されるだけの人間ではいられない。いや、いたくないと思った。

「剣の腕は、いえ、武人としてもまだ将軍の足元にも及びません。ですが、いつか将軍と並び立てるような武人になりたいと思っています。そのための努力も惜しまないつもりです」
「なんとも頼もしい言葉だ。イシューが武人になりたいと言い出したときは頭を抱えたものだけれど、今となってはそれでよかったのだと心から思っているよ。これも女神のお導きかもしれない。ということでグレモンティ将軍、いろいろまとめてイシューのこと、よろしく頼むよ」
「どうぞお任せを」
「もう一つ、ついでだからこれも言っておこう。将軍、ベッドの中ではくれぐれも手加減するように」
「あ、兄上!」

 真面目な話をしていたかと思えば、突然とんでもないことを言い始めてギョッとした。

「だってそうだろう? いくら武人のように鍛えているとはいえイシューと将軍ではこんなにも体格が違う。それなのにベッドでも全力で挑まれてはイシューが壊れかねない」
「あ~、それは俺も以前注意したところです。ディオは体に見合った精力の持ち主ですからね」
「やはりか」
「一晩で二回、いや三回でも落ち着くかどうか」
「それではイシューが壊れてしまう……!」
「将軍の精が尽きる前に殿下が倒れてしまう可能性は否定できません」
「二人とも、いい加減にしてください……!」

 二人してなんという話をしているのだろうか。慌てて止めに入るが聞き入れるつもりがないようで、「しかも毎日やっても枯れない男です」とエルドが言うと「ああぁぁ!」とエメウスが悲鳴のような声を上げた。

「とまぁ、とんでもない男ですけど、ベッドの中では意外と紳士だと思いますよ?」
「どういうことだい?」
「こう見えてディオはそのあたりは意外と練達ですし、ベッドでイシェイド殿下が困ることはないでしょう」
「おっと、それはそれは」

 にやけるエメウスに思わず頭を抱えてしまった。社交の場ではこうした下世話な話題で盛り上がることがあると聞いたことはあるが、まさかこんなところでと目の前がクラクラする。

「ディオもいい年ですからね。許嫁こそいませんでしたが、国一番の武人となれば熟女から声をかけられることも多いんです」
「なるほど、うら若き乙女たちは怖がっても百戦錬磨のご婦人方にはたまらない、というわけか」
「そういうことです」

 どうやって止めようかと考えていたが、今の会話で思考がぴたりと止まった。

(百戦錬磨のご婦人方……?)

 それはつまり、そうした女性たちと懇ろの関係になっていたということだろうか。そのおかげで練達と呼ぶほどの状態になったのだとしたら……ベッドでのことを思い返した。「もしやああしたことも……」と思った途端に体の奥から何かがぶわっと膨れ上がる。

(将軍も三十八とよい年だ。武人としての魅力だけでなく男としても十分すぎるほど魅力的だと思う。そんな将軍が誰からも声をかけられないはずがないじゃないか)

 わかっている。わかってはいるが、どうしてもモヤモヤとしたものがわき上がった。自分の知らない将軍を誰かが知っているのかと思うと、なんともいえない複雑な気持ちになる。

「おやおや、まさかイシューがそんな顔をするとは驚いた」

 笑いを含んでいるようなエメウスの声に顔を上げた。

「呆れたわけでもからかったわけでもないから、そう睨まないでくれ。イシューが心の底から将軍を想っているのだとわかって嬉しだけなんだ」
「……そんなふうに見えますか?」
「もちろん。そもそも心から慕っていなければそうやって嫉妬したりはしないだろう?」
「……それは……」
「昔からイシューは自分の欲を後回しにするような子どもだった。アレクィードや王妃の手前、そうせざるを得なかったのもわかっている。だが、神殿に入ってからもそうした様子は変わらなかったと聞いている。そのことに嘆いていた者たちもいたのだよ。もっと自分の気持ちを大事にしてほしいってね。ほら、乳母や乳母の子どもたちのことは覚えているかい?」
「ぼんやりとですが……」

 乳母は三歳になるまで世話を焼いてくれた女性で、たしか年の近い子たちがいた。

「彼女たちは王宮を離れてからもイシューのことをずっと心配してくれていてね。だからといって手を差し伸べることはできないのだと嘆いていたんだ」

 エメウスの言葉に「わかっています」と返した。もしそんなことをすれば王太子が何かしていたことだろう。

「あの頃に比べれば今のイシューは随分と自分に素直になった。そのことも嬉しいけれど、素直になれる相手がイシューにできて本当によかったと心から思っているんだよ」

 将軍をちらりと見た。表情はいつもと変わらないが、はしばみ色の目が少しだけ笑っているように見える。

「イシューの幸せそうな顔を見ることができて本当によかった。これでメレキアのことに集中できそうだ」

 微笑みながらエメウスが立ち上がった。見送ろうとドアまでついていく。

「しばしのお別れだ。くどいようだけれど、くれぐれも身辺気をつけるようにね」
「エメウス兄上こそ、どうか気をつけてください。兄上は長く国外にいました。王太子派だけでなく、そのことを快く思わない者たちもいるはずです。それにマルガレート様のこともあります」

 エメウスの亡父は短期間とはいえメレキア国王の座にあった。二十年前なら異母兄よりエメウスのほうが王にふさわしいと思う者が大勢いただろう。だが、時間が経ちすぎた。国を出ていたエメウスを快く思わない者たちもいるはずだ。伴侶がアトレテス王の姪だということで風当たりも強くなるだろう。

「大丈夫だよ。王宮に入ってもアトレテスの武人たちが近衛兵としてついてくれる。彼らはグレモンティ将軍が厳選した武人たちだ。それにマギーもいるからね。彼女より強い武人はそうそういないだろう」
「マルガレート様にも十分お気をつけてとお伝えください」
「ありがとう。ところでイシュー、次にマルガレートに会うときは“マギー”と呼んでくれるかな。そうでなければマギーが悲しむ」
「そうでした」

 苦笑するとエメウスがにこりと微笑んだ。「では、戴冠式で会おう」と言って部屋を出て行く。護衛のためにエルドも後に続いた。何も心配することはないのだとわかっていても、つい閉まったドアをじっと見つめてしまう。

「どうぞご安心を。陛下の身辺はアトレテスでも屈指の武人たちがお守りしますので」
「ありがとうございます。メレキアの王宮兵よりアトレテスの武人のほうが安心できるというのは情けない限りですが……」
「戴冠式を経て、エメウス陛下が国王として本格的に動き始めれば状況も変わるでしょう。エメウス陛下は難しい道になると覚悟を決めていらっしゃる。そのお姿を目にすれば多くの者たちが陛下に付き従うはずです」
「そうであってほしいと願っています」

 どうかこれ以上悲惨なことが起きませんように……心の中で女神にそう祈った。

「ところで殿下」
「はい」

 声をかけられ隣を見上げるが、なぜか戸惑うような表情を浮かべるばかりで何も言おうとしない。いったいどうしたのだろうか。

「将軍?」
「先ほどの話ですが……」

 先ほどという言葉と将軍の気まずそうな表情から、エルドの「熟女」と「練達」という言葉が蘇った。途端に苦い気持ちまで蘇る。

「どうか先ほどの話はお忘れください」
「なぜそんなことを?」
「殿下がお怒りかと思いまして」
「別に怒ってなどいません」

 怒っているわけではない。ただ、どうにも胸の奥がモヤモヤして仕方がないだけだ。ちろっと視線を向けると将軍が眉尻を下げた。

「殿下を不快にさせているとわかっても過去を変えることはできません。わたしの我が儘ではありますが、どうかお忘れください」

 これほどの困り顔をした将軍を見るのは初めてだ。そんな顔を自分がさせているのかと思うと妙にくすぐったい気持ちになる。

(それだけ想われているのだと自惚れてもよいのだろうか)

 頬が緩むのをなんとか抑えつつ、将軍と向き合うように立ってから手を伸ばした。両手で包み込むように頬に触れ、「では、お願いがあります」と囁くように言葉を続ける。

「綺麗さっぱり忘れてしまうくらい、わたしを抱きしめてください」

 睦言のように囁きながら左頬の傷痕に指を這わせた。多くの者はこの傷を見ると驚き、見慣れてからも怯えるのだと将軍が話していた。だが、こうした傷も武人としての勲章だと思えば愛おしくて仕方がない。

(頬の傷だけじゃない。体中にあるどの傷痕も愛おしい)

 長く戦場に立っているからか、将軍の体には大小様々な傷が残っている。目を覆いたくなるような傷はないが、あまりの多さに女性なら驚いて目を伏せるだろう。
 だが、自分には傷痕すべてが愛おしく思えて仕方がなかった。今では傷痕に指を這わせることもあれば口づけることもある。

「喜んで」

 将軍の手が背中に回った。逞しい腕に抱かれることに、これほど安堵感を覚えることになるとは一年前は想像すらしなかった。

(この腕を、将軍を失いたくない)

 エメウスの言葉が蘇る。

(守られているだけで満足できるはずがない。わたしは将軍と対等でありたい。守られるだけでなく、わたしも将軍を守りたい)

 大きな背中に両手を回し、グッと力を込めて抱き返した。いつかこの背中を任されるような存在になりたい。もう何度も思っているが、その思いは日々強くなるばかりだ。

「本日はエメウス陛下との面会しか予定が入っていませんが、この後どうされますか?」
「できれば手合わせを」

 そう答えると将軍が喉を鳴らすように笑った。「そうおっしゃると思いました」と答えながら両腕を解く。

「では、中庭に」
「はい」

 差し出された将軍の手に右手を載せた。まるで姫君にするような行為だが、将軍にそうした思いはない。以前それとなく尋ねたときに「そういえば」と初めて気がついたような顔をしていた。

(わたしに触れたいと無意識に思っている表れなのかもしれない)

 そう考えると、ただ手を取るだけの仕草だというのに愛おしさに胸が切なくなった。こんなにも想える相手がいるのはなんと幸せなことだろう。あふれる気持ちを噛み締めながら、愛しい人と剣を交えるために中庭へと向かった。
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