愛して欲しいと言えたなら

zonbitan

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声が聞こえない

声が聞こえない・・・その1

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暑い日差しの中で、今年の残暑はどうしようか?
などと、夏が、あと1か月もすれが考えはじめる、まだ、梅雨明け前の6月の終わり。
いくら夏が、自分はまだまだとは思っていても、8月に入ると、もうすぐにお盆がやってくる。

梅雨から初夏からへと移り変わろうとしている、梅雨の合間の晴れた景色を眺めながら、
裕子は、走る車の後部座席で、雪子との待ち合わせ場所である、いつもの温泉旅館へと向かっていた。

裕子は、雪子とは毎年の恒例である年に2回の温泉旅行なのだが、というより、
温泉に宿泊して半年分のストレスを発散すると言った方がしっくりくるかもしれない。
なにせ、年に2回の温泉宿泊は、いつも、決まって同じ温泉なのだから。
何かの違いがあるとすれは、日帰りお喋り会が喫茶店で、宿泊お喋り会が温泉という感じだろうか。

とはいえ、今回の夏の温泉宿泊は、いつもと、少し違っていた。
いや、突き詰めて言えば、去年の秋の温泉宿泊から、何かが少しずつ変わり始めていたのかもしれない。

裕子のメールの相手が、昔の恋人である夏樹だと知った時には、まだ、何も変わり始めてはいなかったはず。
ただ単に、メールの相手が女性だと思っていたらオカマだった・・・もとい、昔の恋人だった。

その昔の恋人がオカマ(夏樹本人は否定しているが)に、広い意味で女性になっていたくらいで、
そこは驚きこそすれ、そこで止まっているだけの、ただの昔の思い出の相手とメル友になった。
ただ、それだけの出来事だったはず・・・。そのメールの相手を雪子に教えるまでは・・・。

でも、今年の夏の温泉宿泊は、タイミング的に良かったわね。
今回の温泉宿泊は、雪子が、お父さんのお見舞いに行った後だし、
愛奈ちゃんと話をしたのも1週間前だったから、いいタイミングだわ。
でも、まさか、愛奈ちゃんが雪子を疑っていたなんてね、正直、ちょっと驚いたけど。

もっと驚いたのは、雪子の事を疑い始めたのが中学1年の頃だったって言うんだから。
それでも、さすがに雪子の娘って言った方がいいのかしら?
その事を誰にも言わないで、今まで、ずっと、心の中に留めていたなんて。
そういうところって、何となく、雪子に似てるのかもしれないわ。

私なんて、全然気がつなかったけど・・・。
雪子が結婚してからも、毎週のように二人で会って色んな会話をしてたっていうのに。
それに、年に2回の温泉宿泊だって、雪子とは、毎年、欠かさなかったっていうのに。

でも、愛奈ちゃんが疑い始めるきっかけになったのが、クマのぬいぐるみって言うんだから、
何とも、まあ。お粗末っていうのか面白いっていうのか、ふふっ、そんなところって雪子らしいわね。

「でも、どうして、クマのぬいぐるみが、疑う、きっかけになったの?」

「やっぱり、お母さんに好きな人がいるんですね?」

「いる・・・じゃなくて、いた、の方よ」

「いた・・・?過去形・・・ですか?」

「そりゃそうよ。雪子にしても、私にしても、今の旦那が、初めて好きになった相手なわけがないでしょ?」

「裕子さんは、旦那さんを好きになって結婚したんですか?」

「あら?変な事を訊くのね?」

「あっ・・・すみません」

「ふふっ・・・いいわよ。別に、謝らなくても・・・」

「あっ・・・はい・・・」

「それに、愛奈ちゃんの言葉も、まんざら、間違っていないかもしれないしね」

「えっ・・・?」

「愛奈ちゃんも、そのうち歳を取れば分かってくると思うけど。好きになるという事と、結婚するという事は違うのよ」

「違う・・・のですか?」

「そうよ。お互いの事が本当に好きで一緒になれる人たちって、けっこう少ないと思うわよ」

「はあ・・・」

「そこには、そろそろ誰かと結婚しなきゃみたいな、妥協や、あきらめ、とかがあるもんなのよ」

「妥協とあきらめ・・・?でも、あきらめは、ちょっと違いますよね?」

「そうね。妥協はどこか、まあ、この人でもいっか?みたいな、世間の流れ的なものがあるんだろうけど」

「それじゃ、あきらめというのは?」

「自分は、好きな人とは、どんなに望んでも一緒にはなれない。まあ、一種の絶望感に似てるのかもしれないわね」

「裕子さんは、どっちだったんですか?」

「あら?きつい事を訊くのね?」

「あっ・・・すみません」

「ふふっ、いいわよ、謝らなくても。愛奈ちゃんは、どっちだと思うの?」

「私ですか?妥協の方・・・ですか?」

「う~ん・・・。あきらめの方って、言って欲しかったんだけどな~」

「え===っ?・・・あきらめの方だったんですか?」

「ううん・・・。私の場合は、きっと、妥協・・・」

そこまで言うと、裕子は、少し苦い笑みを浮かべると、、
遠い記憶を思い出すように閉じた視線に、いつかのセピアを重ね合わせながら

「・・・だった・・・のかもしれない」・・・と、少し遅れて言葉を続けた。
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