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霞んでいく記憶

霞んでいく記憶・・・その14

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何か、思い当たる事があるのか?
それとも、何か思い出したのか?
ほんの少し外の景色を眺めていたマスターが視線を戻すと、
テーブルの上のコーヒーを、一口飲みながら言葉を続けた。

「夏樹様は、何か、変わった事をおっしゃっていませんでしたか?」

「変わった事・・・ですか」

「変わった事といいますか、何か、今の雪子様を思い出させるような感じの」

マスターの言葉に裕子は少し考えてみる。

「そういえば、変わった事というか、ちょっと気になったというか。どうして、雪子が?と、思ったのは覚えていますけど、先ほどお話しました冴ちゃんという子なのですが、夏樹さんが、冴ちゃんは自分にとって天使なのかもしれないと、それから、雪子にとっても冴ちゃんはきっと天使なのかもしれないと言っていたのですが。その後に、きっと雪子も迷ってるはずよ!って、いつものように女言葉で」

「雪子様が迷ってるとおっしゃったんですね?」

「はい。その時は、どうして雪子が迷ってるのかな?と、チラッと思ったんです。それに、まだ夏樹さんに会いに来ていない雪子が、いったい何に迷ってるんだろう・・・?とも」

マスターは、コーヒーカップをテーブルの上に戻すと軽く目を閉じて次の言葉を探している。

それは、普通に見れば、ちょっと目を閉じて考え事をしているような仕草なのだが、
夏樹と会って、見失いかけていた雪子の姿に触れた今の裕子には、そうは見えなかった。

マスターが言葉を探している、そして、話す言葉を選んでいる。それは、なぜ?
雪子の身を案じる裕子には、マスターが目を開くまでの数秒がとても長く感じられた。

「雪子様が選んだ対価の罪の深さを、夏樹様は、感じ取っているのかもしれません」

「対価の罪の深さ・・・ですか?」

「はい。対価の罪とは、何かを得るために何かを失う、もしくは、何かを得るために何かを差し出すという意味なのですが」

「それは、雪子が、何かを得るために何かを差し出そうとしているという事なのでしょうか?」

「はい、対価の罪は、以前にもお話しましたが、得るものと差し出すものが同等に釣り合わなければなりません、いわゆる命の天秤です」

「命の天秤・・・?」

「はい。人の命とは、誰もが同じ重さを持っております」

「それで命の天秤、でも、中にはそうでない人もいると思うのですが?」

「無慈悲に人の命を奪った人や、騙したり、利用したりする事に罪の意識がない人などの事でしょうか?」

「よく、ニュースとかでそういうのを見ると、そんな風に思ってしまう事があります」

「それは命の重さではなく、生きる価値の重さだと私は思います」

「あっ、なるほど・・・生まれたばかりの赤ちゃんに悪人はいないんですよね」

「はい。私も、そう思います。それと、裕子様は、雪子様が姿を消してから夏樹様に会いに行くまでの時間が長すぎるのでは?と」

「ええ、そうなんです。夏樹さんは、霞んでいく記憶を繋ぎ直していると言っていたのですが」

「他にも何かあるのでは?そう思ったのですね」

「私の直感といえばそれだけなのですが。でも、夏樹さんを知っているだけに、何か隠しているというか、言えない何かがあるんじゃないだろうか?そんな風にも思えてしまうんです」

「夏樹様が、その何かを言わなかったのは、そこに愛奈様がいたから?とは、思えませんか?」

「愛奈ちゃんが・・・?」

「夏樹様は、言葉巧みに組み立てながら、お話をしていたようですが、それは、愛奈様を気遣いながらというより、愛奈様にそれを悟られないようにとも受け取れる言葉の使い方のように思われます」

「愛奈ちゃんに悟られないように・・・」

「それでいながら、さりげなく、愛奈様の心の中を言い当ててしまう。いえ、この場合は、わざと言い当てているといった方が正解かもしれません」

「それは、いったい、どういう事なのでしょうか?」

「確かに、以前に裕子様が言われていたように、夏樹様は大変な才をお持ちの方なのかもしれません。ですから、夏樹様が事業に失敗したというのも納得します」

「あの・・・・それは、いったい」

「才があり過ぎるのだと思われます。そのために、人の心の中が分かり過ぎてしまうのかもしれません」

「でも、人の心の中が分かるのなら、商売も成功するのではないんですか?」

「それは、それを利用した場合に限ると思われます。裕子様から見て夏樹様はどちらだと思われますか?」

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