愛して欲しいと言えたなら

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あなたの声が好き

あなたの声が好き・・・その13

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夏樹は残り少なくなった煙草を灰皿で消しながら話を続けた。

「京子の精神が歪み始めたのは最近なの・・・」

「最近・・・?」

「そう・・・。それまでは正常だったはずよ!」

「それじゃ、どうして最近になって?だって、夏樹さんと離婚したのって・・・」

「もう10年になるのかしらね?」

「ですよね?それが、どうして今頃になって・・・?」

「消えていく残像・・・。人はね、その人の人生にとって影響が大きければ大きい程に、その人の影を追い続けてしまうの。今の京子がそう・・・」

「それって、夏樹さんですよね?」

「きっとね。ってか、そうじゃなかったら逆にあたしが悩むわよ?」

「ふふっ・・・確かに・・・ですね」

カウンターの方でクマのぬいぐるみと絵本を読んでいる冴子へ、「そろそろ、いつもアニメの時間よ」と、声をかけながら、「冴ちゃんの好きなお菓子が戸棚に入ってるわよ」と、続けて優しく声をかける夏樹に、嬉しそうに笑みを浮かべて戸棚の方へ歩いていく冴子。

「離婚をした頃の京子はね、自己保身と同情を求めていたの。この時の京子は正常そのもの。だから、あれほど素早くあたしを悪者に仕立て上げる事が出来たのよ」

「ええ・・・私も夏樹さんに聞かされた時は、本当、驚きました」

「そして、あたしの悪口を言う度に、次第にその悪口に尾ひれや背びれが付き始めて次第に原型を留めなくなっていっていまうの。すると今度は周りの人たちの顔色をうかがうようになっていったの」

「周りの人の・・・ですか?」

「そうよ。きっと、京子も感じたんでしょうね。周りの人たちが少しずつ自分と距離を置くようになっていくのを。それでも、悪口が止まらない日々が続いていく。そこには色んな人たちの顔が浮かんでは消えて、消えてはまた浮かんでの繰り返し」

「でも、どうして京子は悪口が言うのをやめなかったんですか?」

「前にも言ったように、やめたくてもやめられなかったの。悪口を言うのをやめれば孤独になってしまうから。それにね、京子が良い人になったとしても、何も得るものがないの」

「でも、悪口を言うよりは・・・」

「ふふっ、そんなの京子が一番分かってるじゃないかしら?」

「ですよね・・・?」

「それでも、やめられなかったの、京子には。あの子には、もう、それしか残っていなかったから」

「やっぱり、正直言って、今でも、どうして?って思ってしまいます」

「でもね、次第にそれだけでは収まらなくなっていくの。京子の親や兄弟に親戚、そして知り合いや友人に子供たち。ところが、いったい誰にどんな悪口を言ったのかが次第に分からなくなってしまうから収集がつかなくなっていってしまったの」

「まあ・・・確かに・・・」

「感情の歪みってね、すぐには襲って来ないの。その人その人によって襲ってくる時期って違うんだけどね」

「感情の歪みが襲ってくる時期?」

「たとへばね、自分にとって大切な人が亡くなったとするでしょ?そうするとね、その大切な人の死を受け入れる事が出来ないでいる間はまだ大丈夫なの。でもね、問題はその大切な人の死を受けれた時なの」

「受け入れた時・・・?」

「その時なの、感情の歪みが襲ってくるのは・・・そして、その感情の歪みが精神の歪みへと姿を変え始めると怖いのよ」

「それって、もしかして、大切な人が亡くなった後に、すぐにその人の後を追ってっていう・・・?」

「それも、精神の歪みのひとつね。衝動的感情が理性を越えてしまうような感じかしら?」

「衝動的感情・・・ですか?」

「だから、大切な人が亡くなってすぐに襲ってくるの。それとは別に受け入れる事がなかなか出来ない人の場合は、何年も、中には何十年も経ってから、やっと受け入れる事が出来る人もいるの。でもね、大抵の人は自分の死の直前に初めて大切な人の死を受け入れる事が出来るものなのよ」

「そんなに時間がかかるものなのですか?」

「こんな言葉とかって聞いたことがない?これで、やっとあの人のところへ行ける?って」

「あっ・・・はい、確かによく聞きます」

「一種の自己防衛なのかもしれないわね。受け入れない代わりに、その大切な人と一緒に生きているように感じてしまうのって。だから、死の直前に受け入れるのよ」

「それじゃ、何年とか何十年も経ってから受け入れるっていうのは?」

「それが一番危ないの・・・。今の、京子のようにね」

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