愛するひとの幸せのためなら、涙を隠して身を引いてみせる。それが女というものでございます。殿下、後生ですから私のことを忘れないでくださいませ。

石河 翠

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 この学園には春の風物詩というものがある。卒業パーティーで行われる婚約破棄だ。

「そもそもなんで卒業パーティーで婚約破棄をしなくちゃならないんだ。毎回最終的に断罪返しをされて、元の婚約者と結婚するのに。様式美か?」
「それはもう、七不思議というか歴代王族のやらかしとしか言いようがないんじゃないの?」
「そもそも婚約というのは政治的な結びつきによるもの。片方が一方的な婚約破棄を宣言したところで、言い分が丸ごと通るはずがない。君はおかしいと思わないのか」
「思ってるわよ。バカの一つ覚えみたいに毎回同じことの繰り返し」
「兄は婚約破棄しなかったし、僕は王子にも関わらず婚約者がいない。一応王族も考えてはいるんだ」
「進歩したじゃない」

 私が笑い飛ばすと、彼は突然真剣な顔になった。これは茶化してはいけないわね。空気を読み、口をつぐむ。

「その上、婚約破棄の顛末がこれほど曖昧なんて」
「歴代の国王陛下が、それぞれ箝口令を敷いているのでは? 自分の息子のやらかしは、自分自身の黒歴史を思い出すことにもなるのでしょうし」
「だが、一般的に噂というものは止められない。現にこの学園に在籍している生徒はみんな知っているじゃないか。それにも関わらず、学園の外でこの話題を聞くことは一切ないんだ。忖度なんて話じゃない。婚約破棄という事実が、最初からなかったとでもいうかのようだ」

 そう、みんないつか忘れてしまう。どれだけ衝撃的な演出をしたところで同じこと。だからこそ、こんな風に疑問を持ってくれるジョシュアのことが愛しくてたまらない。思わず口角が上がってしまう。

 ジョシュアはどこから取り出したのか、テーブルの上に書類の束を載せ始めた。あっという間にテーブルが埋め尽くされる。

「これは?」
「校内に保管されていた学生名簿だ」
「重要書類ではないの?」
「僕が持ち出せる場所にあるんだ。見られて困るような書類ではないはずだよ」
「ものは言い様ね」

 万が一この件が公になった時には、「生徒に持ち出されて困るような場所に重要書類を保管しておくほうが悪い」とうやむやにするつもりなのだろう。さすがは王族。考え方と行動力が悪どい。

「付箋を貼った部分を見てほしい」
「何かしら」
「数十年分の書類だが、保管状態は極めていい。定期的に虫干しなどもされているんだろう。けれど数枚だけ、信じられないものがあるんだ」

 彼が数枚の書類を抜き取ってくる。

「数枚だけ、まるで虫食いのように文字が消えてしまっている。名前すら読み取れない。僕はそれらの書類に書かれている人物たちこそ、婚約破棄に関わった女生徒だと……そんな、嘘だろ……」
「どうしたの?」
「復元されている……。今朝までは、まったく読めない状態だったのに……」
「よかったじゃない。これで、あなたの疑問が解決するかもしれないわよ」
「こんな魔法みたいなことありえない!」

 うろたえるジョシュアから書類を受け取った。消えかけていたとは思えない、黒々とつやめく文字をなぞってみる。

 大切な友人たちの記録。よかった、これでもうしばらくは一緒に過ごせるのね。私は改めてジョシュアにお礼を告げる。

「あなたのおかげよ。あなたが七不思議を調べてくれたから、息を吹き返したの。アガサ、オードリー、バーバラにカミラ。みんな喜んでいるわ」
「何を言って……」
「神さまは信仰されないと存在が消えてしまう。そんなことを聞いたことはないかしら」

 問いかければ、彼は居心地悪そうに答えてくれる。

「……王宮でいつも言われている。特に父と母からは、教会の重要性を繰り返し教えられてきた。確かに教会の教えは、人々の心の支えになるだろう。だが、聖女や魔王といった夢物語を信じることになんの意味が」
「いるのよ、魔王が」
「は?」
「だからね、この学園は魔王を封じた場所の真上に建っているのよ。この建物は魔術の学び舎であり、強い結界であり、魔王を封じるために必要な贄――聖女――を捧げるための場所なのよ」
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