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結婚前の顔合わせの時点で、エスターはこの結婚が政略であることを明確に国王に説明することにした。万が一にでも、国王を恋い慕っているなどと勘違いされていてはかなわない。彼女は、国を育てるための乳母として雇われているにすぎないのだ。職場に、愛だの恋などという感情を持ち込まれてはたまらなかった。
「君を愛することはない。わたしは、バーバラを愛しているのだ」
「なるほど、承知いたしました。それでは、私どもの関係は白い結婚であることを書面に残しておきましょう」
「白い結婚を盾に、離婚を申し出る気か? だが、王妃の再婚は」
「『国王と死別した場合を除き、認められない』、ですよね。わかっております。私はただ、世継ぎの件で争いたくないのです。私が陛下の子を孕むことがないとわかれば、バーバラさまの御心の安寧にも繋がるでしょう」
「……なるほど」
「どうぞ公務に全力を注ぐためにも、ご理解くださいませ。今後、この件で陛下を煩わせることはないと誓います」
「あいわかった」
「それでは、このまま教会に提出する婚姻書類の作成まで行ってしまいましょう」
他国から花嫁が来るときのように、壮麗な馬車が何台も連なることはなく、大勢の貴族を立会人とするような壮麗な結婚式が開かれることもない。国王との結婚とは思えないほど簡素な手続きで彼女がすべてを片付けるつもりだと知り、若き王は少しばかりたじろぐ。
「結婚式は不要だと。本気なのか?」
「むしろ陛下が、愛することのない私と神の前で偽りの誓いを立てようとお考えであったことに驚きました」
「それは」
「失礼ながら、これ以上さらし者やら笑いものやらになる必要はないかと。ですから、恒例の王都でのお披露目パレードもなしでお願いいたします。これらの行事がない分、いくばくかのお金も節約できるでしょう」
「……君の気遣いには感謝するばかりだ。実はバーバラから、自分たちは結婚式を挙げることができないのにと恨み言を言われていたのだ。少しばかり肩の荷が下りた気がするよ」
「それはようございました」
にこりともしないまま、エスターは頭を下げる。腹芸のできない人間ならば、国王の言葉を鼻で笑ったに違いない。何せさらし者や笑いものになるのは、国王であってエスターではないのだ。そもそもエスターの結婚が貧乏くじを引かされたものであったことは誰もが承知のこと。
だが、彼には自分が周囲からどう思われているかを客観的に見ることができないのだろう。わかっているのならば、王妃を差し置いて平民のバーバラを隣に置くという選択などありえないのだから。せめて数年、待つだけでよかった。それから妾として召し上げたなら、何の問題もなかったのに。白い結婚の継続の結果だろうが、正妃との間に子どもが生まれなければ、バーバラとの関係を公に認めさせることもできたに違いなかった。
それももはや、今さらの話である。エスターは、この男の母ではないのだ。男の尻拭いまでしてやるつもりはさらさらなかった。もちろん夜の世話も。初夜を迎えることのない国王夫婦の寝室は閉じられたままだ。
「わたしがこの部屋を使うことはないが、隣にある君の部屋は整えたほうがよいのではないか」
「陛下、私どもの夫婦関係があくまで建前上のものだということは、国民の誰もが理解しております。一体何を取り繕うというのでしょう。わざわざ部屋を整える意味がございません。いっそ陛下とバーバラさまに使っていただいた方が有意義ではないかとも思いますが、それに関しては慣例上、良い顔をしない者が大勢おりましょう」
「それでは君はどこで寝るのだ?」
「陛下は離宮に滞在されるのでしょう? それならば私は客室で十分です。執務室に寝台を持ち込んでも良いとも思っておりましてよ」
「まったく、君は働き者だな」
「仕事に割く時間は、どれだけ準備しても多すぎるということはありませんから」
国王は執務室にうずたかく積まれた書類を思い出したのか、わずかに顔を歪める。そしてエスターは書類にひとつサインを記すと、あっさり王妃になったのだった。
「君を愛することはない。わたしは、バーバラを愛しているのだ」
「なるほど、承知いたしました。それでは、私どもの関係は白い結婚であることを書面に残しておきましょう」
「白い結婚を盾に、離婚を申し出る気か? だが、王妃の再婚は」
「『国王と死別した場合を除き、認められない』、ですよね。わかっております。私はただ、世継ぎの件で争いたくないのです。私が陛下の子を孕むことがないとわかれば、バーバラさまの御心の安寧にも繋がるでしょう」
「……なるほど」
「どうぞ公務に全力を注ぐためにも、ご理解くださいませ。今後、この件で陛下を煩わせることはないと誓います」
「あいわかった」
「それでは、このまま教会に提出する婚姻書類の作成まで行ってしまいましょう」
他国から花嫁が来るときのように、壮麗な馬車が何台も連なることはなく、大勢の貴族を立会人とするような壮麗な結婚式が開かれることもない。国王との結婚とは思えないほど簡素な手続きで彼女がすべてを片付けるつもりだと知り、若き王は少しばかりたじろぐ。
「結婚式は不要だと。本気なのか?」
「むしろ陛下が、愛することのない私と神の前で偽りの誓いを立てようとお考えであったことに驚きました」
「それは」
「失礼ながら、これ以上さらし者やら笑いものやらになる必要はないかと。ですから、恒例の王都でのお披露目パレードもなしでお願いいたします。これらの行事がない分、いくばくかのお金も節約できるでしょう」
「……君の気遣いには感謝するばかりだ。実はバーバラから、自分たちは結婚式を挙げることができないのにと恨み言を言われていたのだ。少しばかり肩の荷が下りた気がするよ」
「それはようございました」
にこりともしないまま、エスターは頭を下げる。腹芸のできない人間ならば、国王の言葉を鼻で笑ったに違いない。何せさらし者や笑いものになるのは、国王であってエスターではないのだ。そもそもエスターの結婚が貧乏くじを引かされたものであったことは誰もが承知のこと。
だが、彼には自分が周囲からどう思われているかを客観的に見ることができないのだろう。わかっているのならば、王妃を差し置いて平民のバーバラを隣に置くという選択などありえないのだから。せめて数年、待つだけでよかった。それから妾として召し上げたなら、何の問題もなかったのに。白い結婚の継続の結果だろうが、正妃との間に子どもが生まれなければ、バーバラとの関係を公に認めさせることもできたに違いなかった。
それももはや、今さらの話である。エスターは、この男の母ではないのだ。男の尻拭いまでしてやるつもりはさらさらなかった。もちろん夜の世話も。初夜を迎えることのない国王夫婦の寝室は閉じられたままだ。
「わたしがこの部屋を使うことはないが、隣にある君の部屋は整えたほうがよいのではないか」
「陛下、私どもの夫婦関係があくまで建前上のものだということは、国民の誰もが理解しております。一体何を取り繕うというのでしょう。わざわざ部屋を整える意味がございません。いっそ陛下とバーバラさまに使っていただいた方が有意義ではないかとも思いますが、それに関しては慣例上、良い顔をしない者が大勢おりましょう」
「それでは君はどこで寝るのだ?」
「陛下は離宮に滞在されるのでしょう? それならば私は客室で十分です。執務室に寝台を持ち込んでも良いとも思っておりましてよ」
「まったく、君は働き者だな」
「仕事に割く時間は、どれだけ準備しても多すぎるということはありませんから」
国王は執務室にうずたかく積まれた書類を思い出したのか、わずかに顔を歪める。そしてエスターは書類にひとつサインを記すと、あっさり王妃になったのだった。
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