16 / 29
(15)べっ甲−9
しおりを挟む
「ところで今日はどちらまで?」
「ええと、この間ちゃんとしたちゃんぽんを食べた記憶がないって話していたじゃないですか。そうしたら、ちゃんぽんのことが頭から離れなくなっちゃってですね。せっかくお休みなので、食べに行こうと思ったんです」
そこで、ぱっとお兄さんの瞳が輝いた。自分のプレゼンが成功したことがよほど嬉しいらしい。わかる、自分のお勧めを誰かに伝えて相手がそれを受け入れてくれるとめちゃくちゃ嬉しいよね。特に食べ物系のお勧めに成功するのは、結構癖になる。
まあ、長崎の食べ物は関東のひとには甘すぎるものが多過ぎるみたいなので、プレゼンにも注意が必要なんだけれど。私はかつて長崎名物桃かすてらを同僚に配り、全員が無言になってしまった事件を忘れてはいない。濃い目のお茶と一緒に少しずつ食べる縁起物だったんだけれどな……。桃かすてら、可愛いのに。
「そうなんですね! 僕も一緒に食べに行きたかったです。仕事じゃなければご一緒したのに」
「あははは、そうですね! じゃあ、もし今度休日お暇なときにちょうど会えたらぜひ! ではお仕事、頑張ってください!」
だから、イケメンの社交辞令は辛いんだってば。いつかうっかり期待してしまいそうで、慌てて手を振る。まあ、お兄さんのことだ。仕事がない日はきっと全部予定が入っていることだろう。例えば、彼女とか、彼女とか、彼女とか。なぜだろうか、社交辞令としてご飯に誘われたことが急に腹が立ってきた。駄目だな、やっぱり空腹は良くない。自分の機嫌も取れなくなってしまったら人間おしまいだ。さあ、ごはん、ごはんっと。
ひとり足早に中華街に向かう。思案橋から中華街までは路面電車を使えば3駅で5分程度。けれど歩いても10分ちょっとで到着するため、長崎人なら基本的に徒歩となる。電車を待つ時間を考えれば、歩いた方が早い。
長崎ちゃんぽんの名店として名高いのは四海楼だけれど、あそこはグラバー園の辺りまで行かなくてはならない上に、かなりの行列を待たなければいけない。お兄さんに勧められたのは中華街にある老舗だ。有名店がいくつか連なっているので、混み具合を見て移動できるのも都合がいい。
丸山公園から再び福砂屋本店の前まで戻り、見返り柳でおなじみの柳小路通りではなく、その手前の船大工町商店街をだらだらと歩く。ちなみにお酒が好きな方なら、この近辺の町中華にも長崎ちゃんぽんの美味しい店はいくつかあるそうなので、ぜひチャレンジしてもらいたい。夜しかやっていないお店が結構あるのが辛いところではあるが。酔っぱらったあとに、あの坂道と階段を歩く気力は私にはない。家の前の道まで、タクシーが入ればなあ。
梅香崎神社の一の鳥居の前を通り抜けてさらに道なりに進み、福建通りに曲がればもうそこは中華街だ。お兄さんから教えてもらったお店もいわゆる人気店だが、お昼のピーク時を過ぎていたせいか、列に並ぶことなく入店することができた。混雑している時間帯だと、ひとりでテーブルを使うのは気を使うのでそういう意味でもありがたい。
メニューはざっと目を通すけれど、注文は最初から決まっている。基本の長崎ちゃんぽん一択だ。ちゃんぽんは店ごとに種類がいくつもあるけれど、私はシンプルなものが一番美味しいと思う。具材は、豚肉に紅白かまぼこ、キャベツにネギ、もやし、それからアサリ。冬場は牡蠣がのるのが本場ものとも言うらしいけれど、正直アサリの方が食べやすいので年中アサリであってほしい。
目の前に誰もいないので、あつあつのちゃんぽんをはふはふ言いながら食べ進める。
麺を食べようにも、上に載っている具材が多くてなかなか麺に辿りつかないくらいだ。子どもの頃は、この野菜が邪魔で仕方がなかったのだけれど、今はこのスープがしみた野菜こそが美味しいと思う。年をとるということは、こういうことか。
鶏ガラと豚骨がベースのスープが、冬の寒さで冷え切った身体を温めてくれる。がっつりとわかりやすい味も美味しいけれど、このお店はとても上品でチェーン店とも町中華とも違う味わいに驚いた。こればっかりは、ちゃんとしたお店で食べるようにお勧めしてくれたお兄さんに感謝すべきだろう。
『美味しそうに食べますね。紹介できて本当によかったです。また一緒に美味しいものを食べに行きましょうね』
『……ははっ。どうも』
どうしてだか、不意にお兄さんに微笑まれる幻影が見えた。幻聴まで聞こえているのだから救いがない。いくら結婚を焦っているからって、こんなことあるか?
大体、考えてもみてほしい。目の前にあんなイケメンがいたら、ちゃんぽんなんて落ち着いて食べていられない。恥ずかしくて麺をすすることすらできなくなる。そして、ちまちまとちゃんぽんを食べたあげく、食べた気がしなくて後日ひとりでリベンジに来る羽目になるのだ。男慣れしていなさすぎる自分の思考回路と行動が簡単に予測できて辛い。
幻の中のお兄さんは、制服ではなくおしゃれな私服姿。プライベートなんて見たこともないくせに、妄想力が豊かな自分に頭が痛くなった。
「疲れてるのかな。ご飯食べたら、家に帰って今夜は早く寝よう」
その時の私はわかっていなかったのだ。まさか、自分が本当にお兄さんとデートすることになるだなんて。
「ええと、この間ちゃんとしたちゃんぽんを食べた記憶がないって話していたじゃないですか。そうしたら、ちゃんぽんのことが頭から離れなくなっちゃってですね。せっかくお休みなので、食べに行こうと思ったんです」
そこで、ぱっとお兄さんの瞳が輝いた。自分のプレゼンが成功したことがよほど嬉しいらしい。わかる、自分のお勧めを誰かに伝えて相手がそれを受け入れてくれるとめちゃくちゃ嬉しいよね。特に食べ物系のお勧めに成功するのは、結構癖になる。
まあ、長崎の食べ物は関東のひとには甘すぎるものが多過ぎるみたいなので、プレゼンにも注意が必要なんだけれど。私はかつて長崎名物桃かすてらを同僚に配り、全員が無言になってしまった事件を忘れてはいない。濃い目のお茶と一緒に少しずつ食べる縁起物だったんだけれどな……。桃かすてら、可愛いのに。
「そうなんですね! 僕も一緒に食べに行きたかったです。仕事じゃなければご一緒したのに」
「あははは、そうですね! じゃあ、もし今度休日お暇なときにちょうど会えたらぜひ! ではお仕事、頑張ってください!」
だから、イケメンの社交辞令は辛いんだってば。いつかうっかり期待してしまいそうで、慌てて手を振る。まあ、お兄さんのことだ。仕事がない日はきっと全部予定が入っていることだろう。例えば、彼女とか、彼女とか、彼女とか。なぜだろうか、社交辞令としてご飯に誘われたことが急に腹が立ってきた。駄目だな、やっぱり空腹は良くない。自分の機嫌も取れなくなってしまったら人間おしまいだ。さあ、ごはん、ごはんっと。
ひとり足早に中華街に向かう。思案橋から中華街までは路面電車を使えば3駅で5分程度。けれど歩いても10分ちょっとで到着するため、長崎人なら基本的に徒歩となる。電車を待つ時間を考えれば、歩いた方が早い。
長崎ちゃんぽんの名店として名高いのは四海楼だけれど、あそこはグラバー園の辺りまで行かなくてはならない上に、かなりの行列を待たなければいけない。お兄さんに勧められたのは中華街にある老舗だ。有名店がいくつか連なっているので、混み具合を見て移動できるのも都合がいい。
丸山公園から再び福砂屋本店の前まで戻り、見返り柳でおなじみの柳小路通りではなく、その手前の船大工町商店街をだらだらと歩く。ちなみにお酒が好きな方なら、この近辺の町中華にも長崎ちゃんぽんの美味しい店はいくつかあるそうなので、ぜひチャレンジしてもらいたい。夜しかやっていないお店が結構あるのが辛いところではあるが。酔っぱらったあとに、あの坂道と階段を歩く気力は私にはない。家の前の道まで、タクシーが入ればなあ。
梅香崎神社の一の鳥居の前を通り抜けてさらに道なりに進み、福建通りに曲がればもうそこは中華街だ。お兄さんから教えてもらったお店もいわゆる人気店だが、お昼のピーク時を過ぎていたせいか、列に並ぶことなく入店することができた。混雑している時間帯だと、ひとりでテーブルを使うのは気を使うのでそういう意味でもありがたい。
メニューはざっと目を通すけれど、注文は最初から決まっている。基本の長崎ちゃんぽん一択だ。ちゃんぽんは店ごとに種類がいくつもあるけれど、私はシンプルなものが一番美味しいと思う。具材は、豚肉に紅白かまぼこ、キャベツにネギ、もやし、それからアサリ。冬場は牡蠣がのるのが本場ものとも言うらしいけれど、正直アサリの方が食べやすいので年中アサリであってほしい。
目の前に誰もいないので、あつあつのちゃんぽんをはふはふ言いながら食べ進める。
麺を食べようにも、上に載っている具材が多くてなかなか麺に辿りつかないくらいだ。子どもの頃は、この野菜が邪魔で仕方がなかったのだけれど、今はこのスープがしみた野菜こそが美味しいと思う。年をとるということは、こういうことか。
鶏ガラと豚骨がベースのスープが、冬の寒さで冷え切った身体を温めてくれる。がっつりとわかりやすい味も美味しいけれど、このお店はとても上品でチェーン店とも町中華とも違う味わいに驚いた。こればっかりは、ちゃんとしたお店で食べるようにお勧めしてくれたお兄さんに感謝すべきだろう。
『美味しそうに食べますね。紹介できて本当によかったです。また一緒に美味しいものを食べに行きましょうね』
『……ははっ。どうも』
どうしてだか、不意にお兄さんに微笑まれる幻影が見えた。幻聴まで聞こえているのだから救いがない。いくら結婚を焦っているからって、こんなことあるか?
大体、考えてもみてほしい。目の前にあんなイケメンがいたら、ちゃんぽんなんて落ち着いて食べていられない。恥ずかしくて麺をすすることすらできなくなる。そして、ちまちまとちゃんぽんを食べたあげく、食べた気がしなくて後日ひとりでリベンジに来る羽目になるのだ。男慣れしていなさすぎる自分の思考回路と行動が簡単に予測できて辛い。
幻の中のお兄さんは、制服ではなくおしゃれな私服姿。プライベートなんて見たこともないくせに、妄想力が豊かな自分に頭が痛くなった。
「疲れてるのかな。ご飯食べたら、家に帰って今夜は早く寝よう」
その時の私はわかっていなかったのだ。まさか、自分が本当にお兄さんとデートすることになるだなんて。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。
亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。
しかし皆は知らないのだ
ティファが、ロードサファルの王女だとは。
そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
斉藤めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
公爵家の家政を10年回した私が出ていったら、3ヶ月で領地が破綻しました
歩人
ファンタジー
エレナは公爵家に嫁いで10年、夫は愛人に入れ込み、義母には「家政婦代わり」と
罵られた。だが領地の財務も、商会との交渉も、使用人の管理も、全部エレナが
やっていた。ある日、義母から「あなたの代わりなんていくらでもいる」と言われ、
エレナは静かに離縁届を出した。「では、代わりの方にお任せください」
辺境の町で小さな商会を開いたエレナ。10年間の実務経験は伊達ではなかった。
商会はたちまち繁盛する。一方、エレナがいなくなった公爵家は3ヶ月で経営破綻。
元夫が「戻ってこい」と泣きつくが——
「お断りです。あと、10年分の未払い給金を請求いたしますね」
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる