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(15)べっ甲−9

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「ところで今日はどちらまで?」
「ええと、この間ちゃんとしたちゃんぽんを食べた記憶がないって話していたじゃないですか。そうしたら、ちゃんぽんのことが頭から離れなくなっちゃってですね。せっかくお休みなので、食べに行こうと思ったんです」

 そこで、ぱっとお兄さんの瞳が輝いた。自分のプレゼンが成功したことがよほど嬉しいらしい。わかる、自分のお勧めを誰かに伝えて相手がそれを受け入れてくれるとめちゃくちゃ嬉しいよね。特に食べ物系のお勧めに成功するのは、結構癖になる。

 まあ、長崎の食べ物は関東のひとには甘すぎるものが多過ぎるみたいなので、プレゼンにも注意が必要なんだけれど。私はかつて長崎名物桃かすてらを同僚に配り、全員が無言になってしまった事件を忘れてはいない。濃い目のお茶と一緒に少しずつ食べる縁起物だったんだけれどな……。桃かすてら、可愛いのに。

「そうなんですね! 僕も一緒に食べに行きたかったです。仕事じゃなければご一緒したのに」
「あははは、そうですね! じゃあ、もし今度休日お暇なときにちょうど会えたらぜひ! ではお仕事、頑張ってください!」

 だから、イケメンの社交辞令は辛いんだってば。いつかうっかり期待してしまいそうで、慌てて手を振る。まあ、お兄さんのことだ。仕事がない日はきっと全部予定が入っていることだろう。例えば、彼女とか、彼女とか、彼女とか。なぜだろうか、社交辞令としてご飯に誘われたことが急に腹が立ってきた。駄目だな、やっぱり空腹は良くない。自分の機嫌も取れなくなってしまったら人間おしまいだ。さあ、ごはん、ごはんっと。

 ひとり足早に中華街に向かう。思案橋から中華街までは路面電車を使えば3駅で5分程度。けれど歩いても10分ちょっとで到着するため、長崎人なら基本的に徒歩となる。電車を待つ時間を考えれば、歩いた方が早い。

 長崎ちゃんぽんの名店として名高いのは四海楼だけれど、あそこはグラバー園の辺りまで行かなくてはならない上に、かなりの行列を待たなければいけない。お兄さんに勧められたのは中華街にある老舗だ。有名店がいくつか連なっているので、混み具合を見て移動できるのも都合がいい。

 丸山公園から再び福砂屋本店の前まで戻り、見返り柳でおなじみの柳小路通りではなく、その手前の船大工町商店街をだらだらと歩く。ちなみにお酒が好きな方なら、この近辺の町中華にも長崎ちゃんぽんの美味しい店はいくつかあるそうなので、ぜひチャレンジしてもらいたい。夜しかやっていないお店が結構あるのが辛いところではあるが。酔っぱらったあとに、あの坂道と階段を歩く気力は私にはない。家の前の道まで、タクシーが入ればなあ。

 梅香崎神社の一の鳥居の前を通り抜けてさらに道なりに進み、福建通りに曲がればもうそこは中華街だ。お兄さんから教えてもらったお店もいわゆる人気店だが、お昼のピーク時を過ぎていたせいか、列に並ぶことなく入店することができた。混雑している時間帯だと、ひとりでテーブルを使うのは気を使うのでそういう意味でもありがたい。

 メニューはざっと目を通すけれど、注文は最初から決まっている。基本の長崎ちゃんぽん一択だ。ちゃんぽんは店ごとに種類がいくつもあるけれど、私はシンプルなものが一番美味しいと思う。具材は、豚肉に紅白かまぼこ、キャベツにネギ、もやし、それからアサリ。冬場は牡蠣がのるのが本場ものとも言うらしいけれど、正直アサリの方が食べやすいので年中アサリであってほしい。

 目の前に誰もいないので、あつあつのちゃんぽんをはふはふ言いながら食べ進める。
 麺を食べようにも、上に載っている具材が多くてなかなか麺に辿りつかないくらいだ。子どもの頃は、この野菜が邪魔で仕方がなかったのだけれど、今はこのスープがしみた野菜こそが美味しいと思う。年をとるということは、こういうことか。

 鶏ガラと豚骨がベースのスープが、冬の寒さで冷え切った身体を温めてくれる。がっつりとわかりやすい味も美味しいけれど、このお店はとても上品でチェーン店とも町中華とも違う味わいに驚いた。こればっかりは、ちゃんとしたお店で食べるようにお勧めしてくれたお兄さんに感謝すべきだろう。

『美味しそうに食べますね。紹介できて本当によかったです。また一緒に美味しいものを食べに行きましょうね』
『……ははっ。どうも』

 どうしてだか、不意にお兄さんに微笑まれる幻影が見えた。幻聴まで聞こえているのだから救いがない。いくら結婚を焦っているからって、こんなことあるか?

 大体、考えてもみてほしい。目の前にあんなイケメンがいたら、ちゃんぽんなんて落ち着いて食べていられない。恥ずかしくて麺をすすることすらできなくなる。そして、ちまちまとちゃんぽんを食べたあげく、食べた気がしなくて後日ひとりでリベンジに来る羽目になるのだ。男慣れしていなさすぎる自分の思考回路と行動が簡単に予測できて辛い。

 幻の中のお兄さんは、制服ではなくおしゃれな私服姿。プライベートなんて見たこともないくせに、妄想力が豊かな自分に頭が痛くなった。

「疲れてるのかな。ご飯食べたら、家に帰って今夜は早く寝よう」

 その時の私はわかっていなかったのだ。まさか、自分が本当にお兄さんとデートすることになるだなんて。
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