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(18)三川内焼き-3
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ちょっと、部長! 時間、めちゃくちゃギリギリじゃないですか。それならそうと言っておいてくださいよ。遅れたらどうするんですか。と言いたい気持ちもないではなかったが、実際に急かされていたら、焦ってケーキを崩したり、お届けものの器を落として粉々にしているような気がする。私はそういう類の人間だ。
そっとお客さまの後ろを通り、同僚に戻りを告げると慌てて給湯室に駆け込んだ。お客さまと部長の談笑する声が聞こえてくる。とりあえず、おふたりをお待たせするようなことにならなくてよかった。早速だけれど飲みものを用意してお出しすることにしよう。
「部長はマイカップを持って応接室に行ってるから。お客さまの分だけ用意してくれたらいいよ」
「わかりました」
「よろしくね」
シースケーキには紅茶もコーヒーもよく合う。なんだったら、日本茶と一緒にいただいても美味しい。だからお飲み物は基本的にお客さまの好みに合わせることになるのだけれど、給湯室は既にコーヒーの良い香りでいっぱいだった。
どうやら来客の予定を聞いた同僚がコーヒーメーカーを起動させておいてくれたらしい。お客さまの好みまで把握しているのだから、付き合いの長いお取引先なのだろう。
同僚にお礼を言いつつ、用意を進める。コーヒーが出来上がっているのなら、あとはケーキと一緒に運ぶだけ。けれどいざ食器棚を開いたものの、しっくりくるお皿がない。
普段なら貝合せの代わりに使えそうなほど数があるお茶菓子用のお皿が、棚から一斉に消えている。お皿たちの一斉家出、あるいは神隠し。仕方なく私は、エコバッグの中に入れていた例のお届けものを取り出し改めて眺めてみることにした。
白地に青い文様は確かに美しい。が、勝手に使ってよいものか。この辺りの機微が私にはまだよく理解できていない。このやきものが本来の届け先のお相手にしか使われたくない場合、何が起きるのかさっぱり予想できないからだ。
「万が一、お届け先を間違えていた場合、今日会社に来ているお客さまを呪ったりしないでくださいよ。約束できるなら、今からケーキとコーヒーを運ぶのに使ってあげます。いいですね?」
もちろん返事はない。それでも言わないよりはましなはずだ、たぶん。大体、時と場合を考えないあやかしは、どういうわけかタイミングだけはばっちり合わせてくる。お届けものはお洒落な小皿とコーヒーカップ。偶然大事なお客さんがあり、お出しするべきケーキまで用意されている。それなのに会社の食器棚からは、ケーキをのせるのにちょうどいい皿がたまたま全部消えてしまっている。
となれば、この小皿とカップを使うべきなのだろう。あやかしうんぬんの前に私物でお客さまをもてなす行為が会社的にOKとは思えないけれど、そういう雰囲気なのだから仕方がない。流れに身を任せることに決めた。お願いだから、クビになりませんように。
念のためさっと洗ってキッチンペーパーで水気をふき取り、皿にケーキをのせる。シースケーキは、自分の居場所はまさにこの皿ですよと言わんばかりのおすまし顔だ。コーヒーも、当然のような顔をしてカップの中で揺れている。笑ってしまうくらいしっくりきた。
とても美しいやきものだけれど、年季が入った雰囲気があるからもしかして以前にもこんな風にシースケーキをのせられていたのかもしれない。どうぞ、これで正解でありますように。
「失礼します」
「きつかったやろ?(疲れただろう?)」
「いえいえ、ちょうど近くにいましたから」
「シースケーキばこうてきたけん、たべんね。おいは、あまかとばたべたら先生にがられるけん、くわれん(シースケーキを買ってきたので、どうぞ食べてね。僕は甘いものを食べると、先生に叱られるから食べられないんだ)」
「あら、大変。それなのにわざわざ買いにいってもらったなんて申し訳ないわ。でもせっかくだから、遠慮なくいただくわね」
ドキドキしながら応接室に運び、お客さまの前に並べる。どうやら部長は、お医者さんに甘いものの飲食を禁止されていたらしい。おかしいなあ。ひとつ多めに買おうと思ったあの予感、外れちゃったのかな。もしかしたらうっかり皿にのせる途中で落下させる可能性があるのかもしれない。この後配膳するときには十分注意しよう。
女性は穏やかに微笑みながらケーキを食べようとし、目の前に置かれているコーヒーカップとお皿を見て目を丸くした。小さく手が震えていて、フォークを取り落とす。女性に似つかわしくない仕草に私だけでなく、部長も驚いていた。きゃらきゃらと、あの唐子たちが笑う声がしたような気する。
「まあ、まあ……」
「どげんしたとね?(どうしたの?)」
確かにこのお届けものはこの女性へのものだろうとは思っていたけれど、彼女は静かにほろほろと涙を流し始めた。
そっとお客さまの後ろを通り、同僚に戻りを告げると慌てて給湯室に駆け込んだ。お客さまと部長の談笑する声が聞こえてくる。とりあえず、おふたりをお待たせするようなことにならなくてよかった。早速だけれど飲みものを用意してお出しすることにしよう。
「部長はマイカップを持って応接室に行ってるから。お客さまの分だけ用意してくれたらいいよ」
「わかりました」
「よろしくね」
シースケーキには紅茶もコーヒーもよく合う。なんだったら、日本茶と一緒にいただいても美味しい。だからお飲み物は基本的にお客さまの好みに合わせることになるのだけれど、給湯室は既にコーヒーの良い香りでいっぱいだった。
どうやら来客の予定を聞いた同僚がコーヒーメーカーを起動させておいてくれたらしい。お客さまの好みまで把握しているのだから、付き合いの長いお取引先なのだろう。
同僚にお礼を言いつつ、用意を進める。コーヒーが出来上がっているのなら、あとはケーキと一緒に運ぶだけ。けれどいざ食器棚を開いたものの、しっくりくるお皿がない。
普段なら貝合せの代わりに使えそうなほど数があるお茶菓子用のお皿が、棚から一斉に消えている。お皿たちの一斉家出、あるいは神隠し。仕方なく私は、エコバッグの中に入れていた例のお届けものを取り出し改めて眺めてみることにした。
白地に青い文様は確かに美しい。が、勝手に使ってよいものか。この辺りの機微が私にはまだよく理解できていない。このやきものが本来の届け先のお相手にしか使われたくない場合、何が起きるのかさっぱり予想できないからだ。
「万が一、お届け先を間違えていた場合、今日会社に来ているお客さまを呪ったりしないでくださいよ。約束できるなら、今からケーキとコーヒーを運ぶのに使ってあげます。いいですね?」
もちろん返事はない。それでも言わないよりはましなはずだ、たぶん。大体、時と場合を考えないあやかしは、どういうわけかタイミングだけはばっちり合わせてくる。お届けものはお洒落な小皿とコーヒーカップ。偶然大事なお客さんがあり、お出しするべきケーキまで用意されている。それなのに会社の食器棚からは、ケーキをのせるのにちょうどいい皿がたまたま全部消えてしまっている。
となれば、この小皿とカップを使うべきなのだろう。あやかしうんぬんの前に私物でお客さまをもてなす行為が会社的にOKとは思えないけれど、そういう雰囲気なのだから仕方がない。流れに身を任せることに決めた。お願いだから、クビになりませんように。
念のためさっと洗ってキッチンペーパーで水気をふき取り、皿にケーキをのせる。シースケーキは、自分の居場所はまさにこの皿ですよと言わんばかりのおすまし顔だ。コーヒーも、当然のような顔をしてカップの中で揺れている。笑ってしまうくらいしっくりきた。
とても美しいやきものだけれど、年季が入った雰囲気があるからもしかして以前にもこんな風にシースケーキをのせられていたのかもしれない。どうぞ、これで正解でありますように。
「失礼します」
「きつかったやろ?(疲れただろう?)」
「いえいえ、ちょうど近くにいましたから」
「シースケーキばこうてきたけん、たべんね。おいは、あまかとばたべたら先生にがられるけん、くわれん(シースケーキを買ってきたので、どうぞ食べてね。僕は甘いものを食べると、先生に叱られるから食べられないんだ)」
「あら、大変。それなのにわざわざ買いにいってもらったなんて申し訳ないわ。でもせっかくだから、遠慮なくいただくわね」
ドキドキしながら応接室に運び、お客さまの前に並べる。どうやら部長は、お医者さんに甘いものの飲食を禁止されていたらしい。おかしいなあ。ひとつ多めに買おうと思ったあの予感、外れちゃったのかな。もしかしたらうっかり皿にのせる途中で落下させる可能性があるのかもしれない。この後配膳するときには十分注意しよう。
女性は穏やかに微笑みながらケーキを食べようとし、目の前に置かれているコーヒーカップとお皿を見て目を丸くした。小さく手が震えていて、フォークを取り落とす。女性に似つかわしくない仕草に私だけでなく、部長も驚いていた。きゃらきゃらと、あの唐子たちが笑う声がしたような気する。
「まあ、まあ……」
「どげんしたとね?(どうしたの?)」
確かにこのお届けものはこの女性へのものだろうとは思っていたけれど、彼女は静かにほろほろと涙を流し始めた。
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