婚約者から悪役令嬢と呼ばれた公爵令嬢は、初恋相手を手に入れるために完璧な淑女を目指した。

石河 翠

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「アンジェラ、その席はお前に相応しくない。僕に愛されている彼女こそが、そこに座るべきなのだ。わかったなら、さっさと移動しろ」

 王太子の突然の暴言に、辺りはしんと静まり返った。王家の庭で催されたお茶会。本日の主催者は王太子だったはずだ。

 けれど本人は当日まで何の準備も行わず、客人の選定から招待状の作成、茶葉や菓子の指定、席順などに至るまで、すべては婚約者であるアンジェラが担っていた。当日になっても姿の見えない王太子に代わり、アンジェラがその場を取り仕切っていることは誰もがわかっている。そんな彼女を邪魔と切り捨てる王太子に非難の目が集中しているにもかかわらず、王太子の傍らの女は甲高い声で高笑いをした。

「婚約者に見向きもされないなんて、可哀想だわあ。愛らしすぎるあたしのせいよね、本当にごめんなさい」
「お前に彼女ほどの可愛らしさがないのが悪いのだ。なんだその目は。文句があるのなら、婚約解消でもするか? 僕は構わないぞ?」
「……さようでございますか。それでは、ちょうどようございました。婚約解消でお願いいたします。新しい婚約相手は、殿下のお隣にいらっしゃるご令嬢で問題ありませんか?」

 アンジェラの言葉に、王太子が動きを止めた。言われている意味がわからないというように大きく目を見開いている。

「僕との婚約を解消するだと? 貴様、本気か?」
「まあ、なぜでしょう。先ほど『文句があるのなら、婚約解消でもするか?』とおっしゃったのは殿下の方ではありませんか?」

 こてんと小首を傾げて、不思議そうにアンジェラは問いかける。ねえ、皆さまもお聞きになったでしょう?と辺りを見回せば、周囲の客人たちも小さくうなずき合っていた。頬に手をあてて、アンジェラはしばらく困り顔で微笑んでみせる。次第にアンジェラを援護するかのように、周囲のあちらこちらから囁き声が漏れ始めた。

「そもそも『お前を愛することはない』とおっしゃっていたことは、大変有名ですもの」
「あらわたくしは、『中継ぎの婚約者』と吐き捨てていらっしゃるのをお見掛けしましたけれど」
「ああ、真の婚約者である『運命の聖女』が見つかるまでの繋ぎだそうだな。身分を超えて誰とでも親しくなれる聖女だと聞いたが、身分知らずの性女もとい淫乱の間違いではないのか?」
「その上、王太子の代わりに公務で国中を駆け回る王国の天使に、『悪役令嬢』などと不名誉なあだ名をつけるなんて理解しがたい。殿下がよく隣の女性と演劇の鑑賞に励んでおられることは存じ上げておりますが、演劇にのめり込むあまり現実との境目があいまいになっておられるのでは?」
「うるさい、黙れ!」

 周囲に自分の味方はいないらしいと悟った王太子が、焦りの色をにじませて大声をあげた。無理矢理であろうが、自分の要求を通すことができればうやむやにできると思ったらしい。王族であり、ようやっと生まれた跡取りとして国王夫婦から甘やかされてきた王太子にとっては、それはごくごく当たり前の感覚だったのだ。

「状況が変わった。お前との婚約は解消しない。お前は側妃となり、僕たちを陰から支えるがいい。喜べ、愛する男の役に立てるのだ。嬉しいだろう?」
「まあ、何をおっしゃっているのか意味がわかりませんわ。婚約の解消がお嫌なのでしたら、殿下有責での婚約破棄で構わないと陛下にお約束いただいておりますの。殿下さえよろしければ、私はそちらでも構いませんわ。ただ双方納得の上の婚約解消ではなく、殿下有責の婚約破棄ということになれば、慰謝料の支払いが必要になってきますけれど、それは大丈夫なのかしら」
「何? だから、僕は婚約は続行すると」
「殿下、やはり体調が悪いのではございませんか。お話を理解していただけないのは、もしやお熱が高すぎるのではないかと……。どうぞこの場は引き受けますので、ゆっくりとお部屋で休んでくださいませ。大丈夫です。国王陛下がそのうちに説明に来てくださることでしょう」

 アンジェラは、今日一番の笑顔で王太子と傍らの女性に退席を促した。耳を澄まさねば聞こえなかったはずの周囲のざわめきは、今でははっきりと王太子を嘲笑している。

「陛下が決断されたというのに従わないつもりか?」
「悪いのは体調ではなく頭でしょうに」
「熱が出ているとすれば、恋の病か。治療の見込みなしということでは、流行り病よりも厄介かもしれんな」

 王太子は赤くした顔をどす黒くした後、足音高くこの場から離れていく。そんな王太子の後姿をちらりとも見ずに、アンジェラは涼しい顔のまま砂糖の入っていない紅茶を満足そうに口にした。それはまさしく、憧れの理想の淑女そのものの姿だった。
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