2 / 61
1.雪深き知らずの森
(2)
しおりを挟む
リリィは、歴史だけは長い田舎伯爵家の一人娘である。残念なことによくある話だが、リリィの母が亡くなると、彼女の父は外で囲っていた愛人と異母妹を屋敷に招き入れた。下町育ちの平民母娘。それでもリリィは、彼らを受け入れた。残念ながら差し出した手は、継母によって振り払われたのだけれど。
リリィのことを毛嫌いする継母とは対照的に、異母妹は非常によくリリィに懐いていた。「姉さま」と舌ったらずに呼びかけ、どこへ行くにもちょこちょこと後をついてくる。生まれて初めて見た生き物を親だと勘違いした小鳥のように、異母妹はリリィを慕っていた。懐いてくれれば、情だって湧くというもの。もともと一人っ子で寂しい思いをしていたリリィもまた、新しくできた妹を心から可愛がっていた。事情を知らぬひとが見たならば、ふたりは実の姉妹にしか見えなかったことだろう。
その関係がおかしくなったのはいつ頃か。リリィに婚約者ができる頃には、もうすっかり異母妹はリリィのことを下に見るようになっていた。ことあるごとに、「ほしい」「ずるい」と繰り返す。リリィがたしなめようものなら、「不貞の子だと意地悪をされている」と泣いて周囲に訴えていたものだ。
冗談ではない。大切なもの、お気に入りのものは、金額の大小にかかわらず、すべて異母妹のものになった。人形、ドレス、宝飾品。リリィの婚約者まで異母妹が「欲しい」と言い始めた時には、予想通り過ぎて密かに笑ってしまったくらいだ。歴史はあるが金のない伯爵家と、金はあるが歴史のない成金男爵。政治的な意味でちょうどつり合いのとれた婚約だった。
そして確かに婚約者は、異母妹好みの美しい男だった。ただ非常に優柔不断で、押しに弱いところがある。だからこそ、唯々諾々と異母妹に流されてしまったのかもしれない。どうせ自分ではなく、異母妹と婚約・結婚することになるのだろうとわかっていたから仲良くなり過ぎないように距離を取っていたし、最初から覚悟はできていたけれど、それでも傷つかないわけではないのだ。
そのような中でリリィが幼い頃から大切にしていた腕輪が取り上げられなかったのは、僥倖だった。もちろん、異母妹がその腕輪を善意で見逃してやったというわけではない。何せ亡き母の形見だろうが、問答無用で取り上げるような人間なのだ。実のところただ単にリリィが成長してしまっているせいで、腕輪を外すことができなかっただけなのである。
ちなみに基本的に何でも欲しがる異母妹だが、本心からリリィの物が欲しいのかというとどうもそうではないらしい。何はともあれ、リリィから取り上げるという行為こそが重要のようだ。だからこそ、腕輪の場合は負け惜しみめいた嫌味を言われるだけで済んでいた。
『まあ、そんなもの欲しくありませんわ。ガラス玉にも劣るくすんだ宝石、さすがお姉さまが昔から大切にしていらっしゃるだけありますね。しょうもない代物を一生外すことができないだなんて、お姉さまったら本当にお可哀そう』
異母妹が本気で欲しがっていたなら、実の父親によってリリィは手首を切り落とされていたかもしれない。異母妹を溺愛している父親なら罪に問われることでも簡単にやりかねないことをよく理解していたリリィは、腕輪に嵌められた宝石の素朴さにこっそり感謝を捧げたほどだった。
こんな場所にいては、命がいくらあっても足りない。結局この一件の後すぐに、リリィは神殿入りすることを決めた。王国の神殿は心の拠り所であると同時に、病や怪我に苦しむひとにとって最後の砦である。万年人手不足の神殿では、神官や聖女を志す者には広く門戸を開いていた。
もちろん聖女は尊敬されるが、裕福な暮らしができるわけではない。貴族社会から切り離されているため、質素倹約につとめ、人々のために奉仕する日々となる。戦場に立つこともないとは言えない。それは蝶よ花よと育てられてきた貴族の子女にしてみれば、とんでもない苦行に見えるらしい。
それでも神殿に行けば、自身の能力を活かして、自分なりに生きていくことができる。何より神殿には、リリィの憧れである大聖女がいた。通常ならばお目にかかることもできない大聖女にも、聖女見習いになれば仕事上そばに行くことも可能になる。リリィは最良の選択だと信じて、神殿の扉をくぐったのだった。
リリィのことを毛嫌いする継母とは対照的に、異母妹は非常によくリリィに懐いていた。「姉さま」と舌ったらずに呼びかけ、どこへ行くにもちょこちょこと後をついてくる。生まれて初めて見た生き物を親だと勘違いした小鳥のように、異母妹はリリィを慕っていた。懐いてくれれば、情だって湧くというもの。もともと一人っ子で寂しい思いをしていたリリィもまた、新しくできた妹を心から可愛がっていた。事情を知らぬひとが見たならば、ふたりは実の姉妹にしか見えなかったことだろう。
その関係がおかしくなったのはいつ頃か。リリィに婚約者ができる頃には、もうすっかり異母妹はリリィのことを下に見るようになっていた。ことあるごとに、「ほしい」「ずるい」と繰り返す。リリィがたしなめようものなら、「不貞の子だと意地悪をされている」と泣いて周囲に訴えていたものだ。
冗談ではない。大切なもの、お気に入りのものは、金額の大小にかかわらず、すべて異母妹のものになった。人形、ドレス、宝飾品。リリィの婚約者まで異母妹が「欲しい」と言い始めた時には、予想通り過ぎて密かに笑ってしまったくらいだ。歴史はあるが金のない伯爵家と、金はあるが歴史のない成金男爵。政治的な意味でちょうどつり合いのとれた婚約だった。
そして確かに婚約者は、異母妹好みの美しい男だった。ただ非常に優柔不断で、押しに弱いところがある。だからこそ、唯々諾々と異母妹に流されてしまったのかもしれない。どうせ自分ではなく、異母妹と婚約・結婚することになるのだろうとわかっていたから仲良くなり過ぎないように距離を取っていたし、最初から覚悟はできていたけれど、それでも傷つかないわけではないのだ。
そのような中でリリィが幼い頃から大切にしていた腕輪が取り上げられなかったのは、僥倖だった。もちろん、異母妹がその腕輪を善意で見逃してやったというわけではない。何せ亡き母の形見だろうが、問答無用で取り上げるような人間なのだ。実のところただ単にリリィが成長してしまっているせいで、腕輪を外すことができなかっただけなのである。
ちなみに基本的に何でも欲しがる異母妹だが、本心からリリィの物が欲しいのかというとどうもそうではないらしい。何はともあれ、リリィから取り上げるという行為こそが重要のようだ。だからこそ、腕輪の場合は負け惜しみめいた嫌味を言われるだけで済んでいた。
『まあ、そんなもの欲しくありませんわ。ガラス玉にも劣るくすんだ宝石、さすがお姉さまが昔から大切にしていらっしゃるだけありますね。しょうもない代物を一生外すことができないだなんて、お姉さまったら本当にお可哀そう』
異母妹が本気で欲しがっていたなら、実の父親によってリリィは手首を切り落とされていたかもしれない。異母妹を溺愛している父親なら罪に問われることでも簡単にやりかねないことをよく理解していたリリィは、腕輪に嵌められた宝石の素朴さにこっそり感謝を捧げたほどだった。
こんな場所にいては、命がいくらあっても足りない。結局この一件の後すぐに、リリィは神殿入りすることを決めた。王国の神殿は心の拠り所であると同時に、病や怪我に苦しむひとにとって最後の砦である。万年人手不足の神殿では、神官や聖女を志す者には広く門戸を開いていた。
もちろん聖女は尊敬されるが、裕福な暮らしができるわけではない。貴族社会から切り離されているため、質素倹約につとめ、人々のために奉仕する日々となる。戦場に立つこともないとは言えない。それは蝶よ花よと育てられてきた貴族の子女にしてみれば、とんでもない苦行に見えるらしい。
それでも神殿に行けば、自身の能力を活かして、自分なりに生きていくことができる。何より神殿には、リリィの憧れである大聖女がいた。通常ならばお目にかかることもできない大聖女にも、聖女見習いになれば仕事上そばに行くことも可能になる。リリィは最良の選択だと信じて、神殿の扉をくぐったのだった。
101
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
虐げられた聖女は精霊王国で溺愛される~追放されたら、剣聖と大魔導師がついてきた~
星名柚花
恋愛
聖女となって三年、リーリエは人々のために必死で頑張ってきた。
しかし、力の使い過ぎで《聖紋》を失うなり、用済みとばかりに婚約破棄され、国外追放を言い渡されてしまう。
これで私の人生も終わり…かと思いきや。
「ちょっと待った!!」
剣聖(剣の達人)と大魔導師(魔法の達人)が声を上げた。
え、二人とも国を捨ててついてきてくれるんですか?
国防の要である二人がいなくなったら大変だろうけれど、まあそんなこと追放される身としては知ったことではないわけで。
虐げられた日々はもう終わり!
私は二人と精霊たちとハッピーライフを目指します!
【書籍化決定】愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる