24 / 61
3.藍のカップを満たすもの
(8)
しおりを挟む
「それにしても、神殿の野草茶をここで飲むことを嫌だとは思わないのか? 神殿は、そなたを偽聖女として追放した大聖女のいるところだろう」
「大聖女さまの悪口は、いくら聖獣さまとて許しませんよ」
「まったく、どうしてそうも盲目的に信頼できるのだ。たかが大聖女ではないか」
白狼は、野草茶の匂いを嗅ぐとあからさまに嫌そうな顔をした。そして自分用に、コーヒーを入れてくれとリリィにせっつく。出されたものは何でも食べられるものの、意外と飲み物や食べ物にこだわりがあるらしいことにリリィは一緒に生活を始めてからすぐに気が付いた。
リリィとてかつては貴族令嬢として生活していた身の上だ。それなりの茶会や夜会に出席したことだってある。そこで出会ったひとたちも、聖獣ほどの知識は持ち得ていなかった。聖獣と共に暮らしていた森の番人の不思議さは、日を追うごとに深まるばかりだ。眠りについている森の番人は一体どんなひとだったのだろう。
「大聖女さまは、私の命の恩人です。そんな方に神殿を追放されたことは、悲しくないと言えば嘘になります。けれどそこを恨むのではなく、あの日差し伸べられた手の温かさを大事にして生きていきたいのです」
領地の騎士たちが倒れ、魔術師だった母も敗れ、治癒の才能を持っていた幼いリリィもまた意識を失いかけた。あの時領地に結界を張り、魔獣を浄化し、人々の傷を癒してくれた恩人がいなければ、今こうやってのんびりとお茶会をすることもできなかったのだ。
あれは本当に美しい光景だった。荒れ果てた大地に光が降り注ぐと、魔獣たちが浄化され、地に緑が満ちる。倒れた人々の傷が塞がり、苦悶の表情は安らいだものへと変わっていった。命を賭して戦った母が、生前の美しい姿のままで見送ることができたことをリリィは心から感謝している。自分が見た母の最後の姿があの無残なもののままだったなら、きっとリリィはこうやって生きていくことはできなかったに違いない。
死んでしまっては意味がないと怒る領民もいないではなかったが、それでもリリィは恩人がどれだけの力を振り絞ってリリィの故郷を守ってくれたのか、それを日々実感している。聖女の末席に名を連ねていたからこそ理解できることもあるのだ。感謝こそすれ、恨めるはずがない。だが、そんなリリィの言葉は白狼にとっては吹けば飛ぶほどに薄っぺらいものに思えたようだ。
「人間の感覚というのはあてにならぬぞ。明るい場所と暗い場所、どちらの場所で見るかというだけで、『青と黒』のドレスと『白と金』のドレスを見間違えることもある。大聖女を恩人と崇めていると、足元をすくわれるぞ」
「白と黒を見間違えるなんて、そんな馬鹿な。それに何より、恩人の顔を見間違えるほど、私はお馬鹿さんではないつもりなのですが」
「だといいがな」
話はそれまでだと言うように白狼は大きなあくびをひとつすると、暖炉のそばで昼寝を始めた。
「あんまり近づきすぎてはいけませんよ。毛皮が焦げてしまいます」
「そなたはわたしを一体何だと思っている」
「暖炉に近づきすぎて、煙が出てしまった聖獣さまです」
「くだらぬ」
暖炉に薪を新しくくべながら、リリィはそっと窓の外をのぞく。さんさんと光が差し込む窓辺の温かさとは裏腹に、知らずの森は今日も白い雪に閉ざされている。
「大聖女さまの悪口は、いくら聖獣さまとて許しませんよ」
「まったく、どうしてそうも盲目的に信頼できるのだ。たかが大聖女ではないか」
白狼は、野草茶の匂いを嗅ぐとあからさまに嫌そうな顔をした。そして自分用に、コーヒーを入れてくれとリリィにせっつく。出されたものは何でも食べられるものの、意外と飲み物や食べ物にこだわりがあるらしいことにリリィは一緒に生活を始めてからすぐに気が付いた。
リリィとてかつては貴族令嬢として生活していた身の上だ。それなりの茶会や夜会に出席したことだってある。そこで出会ったひとたちも、聖獣ほどの知識は持ち得ていなかった。聖獣と共に暮らしていた森の番人の不思議さは、日を追うごとに深まるばかりだ。眠りについている森の番人は一体どんなひとだったのだろう。
「大聖女さまは、私の命の恩人です。そんな方に神殿を追放されたことは、悲しくないと言えば嘘になります。けれどそこを恨むのではなく、あの日差し伸べられた手の温かさを大事にして生きていきたいのです」
領地の騎士たちが倒れ、魔術師だった母も敗れ、治癒の才能を持っていた幼いリリィもまた意識を失いかけた。あの時領地に結界を張り、魔獣を浄化し、人々の傷を癒してくれた恩人がいなければ、今こうやってのんびりとお茶会をすることもできなかったのだ。
あれは本当に美しい光景だった。荒れ果てた大地に光が降り注ぐと、魔獣たちが浄化され、地に緑が満ちる。倒れた人々の傷が塞がり、苦悶の表情は安らいだものへと変わっていった。命を賭して戦った母が、生前の美しい姿のままで見送ることができたことをリリィは心から感謝している。自分が見た母の最後の姿があの無残なもののままだったなら、きっとリリィはこうやって生きていくことはできなかったに違いない。
死んでしまっては意味がないと怒る領民もいないではなかったが、それでもリリィは恩人がどれだけの力を振り絞ってリリィの故郷を守ってくれたのか、それを日々実感している。聖女の末席に名を連ねていたからこそ理解できることもあるのだ。感謝こそすれ、恨めるはずがない。だが、そんなリリィの言葉は白狼にとっては吹けば飛ぶほどに薄っぺらいものに思えたようだ。
「人間の感覚というのはあてにならぬぞ。明るい場所と暗い場所、どちらの場所で見るかというだけで、『青と黒』のドレスと『白と金』のドレスを見間違えることもある。大聖女を恩人と崇めていると、足元をすくわれるぞ」
「白と黒を見間違えるなんて、そんな馬鹿な。それに何より、恩人の顔を見間違えるほど、私はお馬鹿さんではないつもりなのですが」
「だといいがな」
話はそれまでだと言うように白狼は大きなあくびをひとつすると、暖炉のそばで昼寝を始めた。
「あんまり近づきすぎてはいけませんよ。毛皮が焦げてしまいます」
「そなたはわたしを一体何だと思っている」
「暖炉に近づきすぎて、煙が出てしまった聖獣さまです」
「くだらぬ」
暖炉に薪を新しくくべながら、リリィはそっと窓の外をのぞく。さんさんと光が差し込む窓辺の温かさとは裏腹に、知らずの森は今日も白い雪に閉ざされている。
89
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
虐げられた聖女は精霊王国で溺愛される~追放されたら、剣聖と大魔導師がついてきた~
星名柚花
恋愛
聖女となって三年、リーリエは人々のために必死で頑張ってきた。
しかし、力の使い過ぎで《聖紋》を失うなり、用済みとばかりに婚約破棄され、国外追放を言い渡されてしまう。
これで私の人生も終わり…かと思いきや。
「ちょっと待った!!」
剣聖(剣の達人)と大魔導師(魔法の達人)が声を上げた。
え、二人とも国を捨ててついてきてくれるんですか?
国防の要である二人がいなくなったら大変だろうけれど、まあそんなこと追放される身としては知ったことではないわけで。
虐げられた日々はもう終わり!
私は二人と精霊たちとハッピーライフを目指します!
【書籍化決定】愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる