50 / 61
6.黒き魔女の待ちびと
(7)
しおりを挟む
「往生際が悪い子ね」
大聖女が蜘蛛の糸のような小型結界を宙に放り投げ、にんまりと微笑んだ。場所は先ほど盛大に物が倒れる音が聞こえた方向だ。お目当てのものを見つけ出したらしい。猫の子を捕まえるように引っ張り出してきたのは、神殿騎士の格好をした黒髪の美青年。リリィが知らずの森に追放された際に、リリィと聖獣に攻撃を仕掛けてきた男だ。どうやらこの男が、大聖女の言う待ちびとらしい。
「こそこそといろんな場所を引っ掻き回しておいて、わたくしの前には姿を見せないとはいい度胸ではない?」
「それは」
「まさかとは思うけれど、他の女と子どもまで作っておいて、今さらそれを恥じて、わたくしに合わせる顔がないなんて言い出さないわよね?」
その言葉に男は、苦虫を噛みつぶしたような顔で黙り込んだ。どうやら図星だったようだ。それならばそんなことをしなければよかったのではないかと思いかけて、リリィは心の中でそっと首を横に振った。
地方の田舎貴族ですら後継者問題は避けて通れない。国を建国したばかりの国王ともなれば、王の血を引いているかどうかというのは非常に重要視されたはずだ。優秀な人間を養子にとるだけでは争いごとが起きかねない。ひとつにまとまるためには、王の子でなければならないのだということは簡単に想像がついた。そして、その理屈が当時の大聖女もとい黒の魔女にはなんとも不思議なものに感じられたのであろうことも。
「お前は、本当に救いようのない愚か者ね」
「返す言葉もないよ」
「自分の信念があってやったことなのでしょう? 言い訳のひとつくらい、してごらんなさいな」
「わたしが何を思って行動したのかなど、意味のないことだ。過程が評価されるのは子ども時代だけ。大人は自身の行動の結果、それを見た他者がどう判断するかを粛々と受け止めえるより他にないのだよ」
「まったくよく回る生意気な口だこと。わたくしが聞きたいと言ったのなら、つべこべ言わずに話しなさい」
大聖女は鼻に皺を寄せると、そのまま勢いよく騎士の両頬をつねり上げた。頬を打たれるくらいは想像していたのかもしれないが、意外な方向性の反撃だったらしく男は目を白黒とさせている。
「君が不愉快に思うのは当然だ。神にも等しい存在に名前を捧げたにもかかわらず、わたしは血統を繋ぐことを優先したのだから。だが信じてほしい。わたしは君以外の女性に指一本触れてはいない。彼女たちも同意の上での契約だ」
「契約?」
「子どもというものは、閨を共にしなくても作ることができる。あまり褒められたやり方ではないけれどね」
「それは女というものを馬鹿にしているのではなくって? わたくしだけではなく、契約をしたという相手に対しても」
「なぜ君が彼女たちのことを庇う? 彼女たちはこういってはなんだが、君にとって目障りな存在だろう?」
「おかしなことを。お前への不満は、わたくしが一番聞いていたもの」
「わたしへの、不満?」
「いくら政治的に融通を利かせたり、金銭で補償をしていたとしても、自身の身体を産む道具として割り切れる女ばかりではないのよ。あの娘たちの不平不満を聞かされるこちらの身にもなりなさい。まあ人間や社会を理解する上では、興味深いものではあったけれど」
「それでは、わたしのやっていたことは君に筒抜け……」
「むしろ、人間よりも上位の存在に対して隠し事ができると思っているお前の愚かさにめまいがしそうだったわ」
ただでさえ情けない表情をしていた騎士が、へなへなと床に座り込んだ。そのお綺麗な顔ですました表情を作ることさえやめてしまったのは、大聖女の前では虚勢を張る意味がないからかもしれない。あの日であった時よりもずっと人間らしい姿に、リリィは少しばかり驚く。
「では、聞きたいことというのは?」
「なぜ、わたくしと同じ黒目黒髪の女がいないの?」
「君の代わりにしてしまうかもしれない自分が恐ろしかった。男の欲というのは、恐ろしいものなのだよ」
「つまり下半身の問題なのね。それじゃあ最後にもうひとつだけ。なぜ、わたくしに頼まなかったの?」
「は?」
「産んでくれと言われたら、産んだかもしれないわ。まあ、却下したかもしれないけれど」
「頼めば、産んでくれたのか?」
「人間との間に子どもができるのか。この身体は出産できるのか。非常に興味深いわ」
「ああなるほど、そうだな。君はそういうひとだった」
「なんだか失礼な物言いではなくって? わたくし、お前のことは嫌いではないと昔から言っているじゃない。『物語』以外にもそれなりに人間の感情についても学んだつもりなのだけれど?」
はあとわざとらしいため息の後に、大聖女は騎士の前に立った。一瞬だけ男の顔が歪んだが、大聖女のドレスの裾のせいで具体的に何が起きたのか、リリィからは見ることができない。
「それで、わたくしの前に出てこなかった理由はそれだけなの? 勝手にわたくしが怒っているかもしれないと妄想しただけ? 本当にくだらない」
「君が、王家を見限ったから。もうわたしのことは待っていないのかと思ったんだ」
「わたくしが、王家を見限ったですって?」
「神殿を設立したのも、新しい王を立てるためなのだろう? わかっている、結局のところ裏切り者のわたしの血など疎ましいのだ」
「わたくしは、お前が作った国で待っていると言ったのよ。あの王家には、もうお前の血は残っていないではないの。わたくし、赤の他人を守護してやるほどお人好しではなくってよ? その時間があるならば、お前の血を引いた子孫たちの生活を守るために、聖女として王国を守護する方がよほど有意義じゃないの」
どうやら長い歴史の間に、正しい血筋は失われてしまっていたらしい。あっけらかんと、お前のために聖女をして働いていたのだぞと宣言された騎士は、自分が今まで何を見ていたのか理解できないらしく口をはくはくとさせてばかりいる。
「さっきからお前は一体、わたくしのことを何だと思っているの? やはり立場をわきまえさせておいた方が良いのかしら。結婚指輪の代わりに条件を緩めた隷属の首輪でもつけておく? これならわたくしが死ぬまで、わたくしの隣にいることしかできなくなるわよ?」
たぶん初代国王は、どこか壊れている。けれど彼はようやっと許されたような顔をして、ほっとしたように大聖女に抱き着いていた。
大聖女が蜘蛛の糸のような小型結界を宙に放り投げ、にんまりと微笑んだ。場所は先ほど盛大に物が倒れる音が聞こえた方向だ。お目当てのものを見つけ出したらしい。猫の子を捕まえるように引っ張り出してきたのは、神殿騎士の格好をした黒髪の美青年。リリィが知らずの森に追放された際に、リリィと聖獣に攻撃を仕掛けてきた男だ。どうやらこの男が、大聖女の言う待ちびとらしい。
「こそこそといろんな場所を引っ掻き回しておいて、わたくしの前には姿を見せないとはいい度胸ではない?」
「それは」
「まさかとは思うけれど、他の女と子どもまで作っておいて、今さらそれを恥じて、わたくしに合わせる顔がないなんて言い出さないわよね?」
その言葉に男は、苦虫を噛みつぶしたような顔で黙り込んだ。どうやら図星だったようだ。それならばそんなことをしなければよかったのではないかと思いかけて、リリィは心の中でそっと首を横に振った。
地方の田舎貴族ですら後継者問題は避けて通れない。国を建国したばかりの国王ともなれば、王の血を引いているかどうかというのは非常に重要視されたはずだ。優秀な人間を養子にとるだけでは争いごとが起きかねない。ひとつにまとまるためには、王の子でなければならないのだということは簡単に想像がついた。そして、その理屈が当時の大聖女もとい黒の魔女にはなんとも不思議なものに感じられたのであろうことも。
「お前は、本当に救いようのない愚か者ね」
「返す言葉もないよ」
「自分の信念があってやったことなのでしょう? 言い訳のひとつくらい、してごらんなさいな」
「わたしが何を思って行動したのかなど、意味のないことだ。過程が評価されるのは子ども時代だけ。大人は自身の行動の結果、それを見た他者がどう判断するかを粛々と受け止めえるより他にないのだよ」
「まったくよく回る生意気な口だこと。わたくしが聞きたいと言ったのなら、つべこべ言わずに話しなさい」
大聖女は鼻に皺を寄せると、そのまま勢いよく騎士の両頬をつねり上げた。頬を打たれるくらいは想像していたのかもしれないが、意外な方向性の反撃だったらしく男は目を白黒とさせている。
「君が不愉快に思うのは当然だ。神にも等しい存在に名前を捧げたにもかかわらず、わたしは血統を繋ぐことを優先したのだから。だが信じてほしい。わたしは君以外の女性に指一本触れてはいない。彼女たちも同意の上での契約だ」
「契約?」
「子どもというものは、閨を共にしなくても作ることができる。あまり褒められたやり方ではないけれどね」
「それは女というものを馬鹿にしているのではなくって? わたくしだけではなく、契約をしたという相手に対しても」
「なぜ君が彼女たちのことを庇う? 彼女たちはこういってはなんだが、君にとって目障りな存在だろう?」
「おかしなことを。お前への不満は、わたくしが一番聞いていたもの」
「わたしへの、不満?」
「いくら政治的に融通を利かせたり、金銭で補償をしていたとしても、自身の身体を産む道具として割り切れる女ばかりではないのよ。あの娘たちの不平不満を聞かされるこちらの身にもなりなさい。まあ人間や社会を理解する上では、興味深いものではあったけれど」
「それでは、わたしのやっていたことは君に筒抜け……」
「むしろ、人間よりも上位の存在に対して隠し事ができると思っているお前の愚かさにめまいがしそうだったわ」
ただでさえ情けない表情をしていた騎士が、へなへなと床に座り込んだ。そのお綺麗な顔ですました表情を作ることさえやめてしまったのは、大聖女の前では虚勢を張る意味がないからかもしれない。あの日であった時よりもずっと人間らしい姿に、リリィは少しばかり驚く。
「では、聞きたいことというのは?」
「なぜ、わたくしと同じ黒目黒髪の女がいないの?」
「君の代わりにしてしまうかもしれない自分が恐ろしかった。男の欲というのは、恐ろしいものなのだよ」
「つまり下半身の問題なのね。それじゃあ最後にもうひとつだけ。なぜ、わたくしに頼まなかったの?」
「は?」
「産んでくれと言われたら、産んだかもしれないわ。まあ、却下したかもしれないけれど」
「頼めば、産んでくれたのか?」
「人間との間に子どもができるのか。この身体は出産できるのか。非常に興味深いわ」
「ああなるほど、そうだな。君はそういうひとだった」
「なんだか失礼な物言いではなくって? わたくし、お前のことは嫌いではないと昔から言っているじゃない。『物語』以外にもそれなりに人間の感情についても学んだつもりなのだけれど?」
はあとわざとらしいため息の後に、大聖女は騎士の前に立った。一瞬だけ男の顔が歪んだが、大聖女のドレスの裾のせいで具体的に何が起きたのか、リリィからは見ることができない。
「それで、わたくしの前に出てこなかった理由はそれだけなの? 勝手にわたくしが怒っているかもしれないと妄想しただけ? 本当にくだらない」
「君が、王家を見限ったから。もうわたしのことは待っていないのかと思ったんだ」
「わたくしが、王家を見限ったですって?」
「神殿を設立したのも、新しい王を立てるためなのだろう? わかっている、結局のところ裏切り者のわたしの血など疎ましいのだ」
「わたくしは、お前が作った国で待っていると言ったのよ。あの王家には、もうお前の血は残っていないではないの。わたくし、赤の他人を守護してやるほどお人好しではなくってよ? その時間があるならば、お前の血を引いた子孫たちの生活を守るために、聖女として王国を守護する方がよほど有意義じゃないの」
どうやら長い歴史の間に、正しい血筋は失われてしまっていたらしい。あっけらかんと、お前のために聖女をして働いていたのだぞと宣言された騎士は、自分が今まで何を見ていたのか理解できないらしく口をはくはくとさせてばかりいる。
「さっきからお前は一体、わたくしのことを何だと思っているの? やはり立場をわきまえさせておいた方が良いのかしら。結婚指輪の代わりに条件を緩めた隷属の首輪でもつけておく? これならわたくしが死ぬまで、わたくしの隣にいることしかできなくなるわよ?」
たぶん初代国王は、どこか壊れている。けれど彼はようやっと許されたような顔をして、ほっとしたように大聖女に抱き着いていた。
64
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
死に戻りの元王妃なので婚約破棄して穏やかな生活を――って、なぜか帝国の第二王子に求愛されています!?
神崎 ルナ
恋愛
アレクシアはこの一国の王妃である。だが伴侶であるはずの王には執務を全て押し付けられ、王妃としてのパーティ参加もほとんど側妃のオリビアに任されていた。
(私って一体何なの)
朝から食事を摂っていないアレクシアが厨房へ向かおうとした昼下がり、その日の内に起きた革命に巻き込まれ、『王政を傾けた怠け者の王妃』として処刑されてしまう。
そして――
「ここにいたのか」
目の前には記憶より若い伴侶の姿。
(……もしかして巻き戻った?)
今度こそ間違えません!! 私は王妃にはなりませんからっ!!
だが二度目の生では不可思議なことばかりが起きる。
学生時代に戻ったが、そこにはまだ会うはずのないオリビアが生徒として在籍していた。
そして居るはずのない人物がもう一人。
……帝国の第二王子殿下?
彼とは外交で数回顔を会わせたくらいなのになぜか親し気に話しかけて来る。
一体何が起こっているの!?
妹に婚約者を奪われた上に断罪されていたのですが、それが公爵様からの溺愛と逆転劇の始まりでした
水上
恋愛
濡れ衣を着せられ婚約破棄を宣言された裁縫好きの地味令嬢ソフィア。
絶望する彼女を救ったのは、偏屈で有名な公爵のアレックスだった。
「君の嘘は、安物のレースのように穴だらけだね」
彼は圧倒的な知識と論理で、ソフィアを陥れた悪役たちの嘘を次々と暴いていく。
これが、彼からの溺愛と逆転劇の始まりだった……。
貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた
運命の秘薬 〜100年の時を超えて〜 [完]
風龍佳乃
恋愛
シャルパド王国に育った
アリーリアはこの国の皇太子である
エドアルドとの結婚式を終えたが
自分を蔑ろにした
エドアルドを許す事が出来ず
自ら命をたってしまったのだった
アリーリアの魂は彷徨い続けながら
100年後に蘇ったのだが…
再び出会ってしまったエドアルドの
生まれ変わり
彼も又、前世の記憶を持っていた。
アリーリアはエドアルドから離れようと
するが運命は2人を離さなかったのだ
戸惑いながら生きるアリーリアは
生まれ変わった理由を知り驚いた
そして今の自分を受け入れて
幸せを見つけたのだった。
※ は前世の出来事(回想)です
旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう
おてんば松尾
恋愛
王命により政略結婚したアイリス。
本来ならば皆に祝福され幸せの絶頂を味わっているはずなのにそうはならなかった。
初夜の場で夫の公爵であるスノウに「今日は疲れただろう。もう少し互いの事を知って、納得した上で夫婦として閨を共にするべきだ」と言われ寝室に一人残されてしまった。
翌日から夫は仕事で屋敷には帰ってこなくなり使用人たちには冷たく扱われてしまうアイリス……
(※この物語はフィクションです。実在の人物や事件とは関係ありません。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる