継母になった嫌われ令嬢です。お飾りの妻のはずが溺愛だなんて、どういうことですか?

石河 翠

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第一章

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 離れの中は、意外にも手入れが行き届いていた。どうやら侯爵家では使用していない部屋であろうとも、それなりに掃除は行うものらしい。ひとが住まない家はすぐに傷むことを家令は知っているらしい。アンナの目の前に立つジムという家令は、侯爵の信頼厚い人物のようだ。

「奥さま。侍女についてですが……」
「侍女は結構です。おそらくだけれど、離れに来ることを嫌がっている子ばかりでしょう? 変に侯爵さまへの忠誠心が高い子に来られて、家探しをされるのも迷惑です。探られたところで痛いところなどないけれど、不愉快であることは理解してもらえますかしら?」
「当然でございます。お恥ずかしいことで申し訳ございません」

 アンナの物言いに、ジムは少しだけ驚いたような表情をしたあと、さっと穏やかな笑顔に戻った。お飾りの妻であることを宣言されたアンナが、使用人に媚を売らなかったことが意外だったのかもしれない。

 見下された人間は、とことん酷い目に遭うことをアンナは知っている。父親や継母、異母妹と同じように、新しくできた夫にも無理に逆らう必要はない。だからといって、自分よりも身分の低い嫁ぎ先の使用人にまでなめられていたら、命などいくつあっても足りないではないか。アンナは不遜だと侯爵に叱られる可能性と天秤をかけつつ、やはり釘を刺しておくことは必要だろうと宣言することにした。

「そこは否定しないのですね。まあ、否定されても困るのですが。食事も自分で作りますから、わざわざ用意する必要はありません。砂糖、塩、香辛料、卵、肉、野菜等、一連の食料品は数日に一度で良いから、あなたの立ち合いの元で食糧庫に運んでください。荷物を渡した、いや受け取っていないという水掛け論は時間の無駄でしょう?」
「承知いたしました。目録等を作り、わたくしが管理することにいたしましょう」
「水は離れの近くにある井戸を利用するから。さすがに、水源が繋がっている可能性がある井戸に、毒を投げ込まれることはないでしょうしね。周囲にも影響が出るから、変なことはしないように一応注意喚起をしておいてくださいね」

 アンナは小さく肩をすくめて見せた。侯爵家の家令ジムは、かなり人当たりの良い老人だった。あからさまにアンナへの敵意を剥き出しにしていたウォルトよりも、ずいぶんと穏やかな反応だ。侯爵の信頼する家令ということであれば、アンナを陥れようと画策してもおかしくないようなものなのだが。腹の探り合いをすることも面倒で、直球を投げてみた。

「いいのですか? 私が話している内容は、侯爵さまを敬っているようには聞こえない発言ばかりですけれど?」
「構いません。むしろ婚約期間もなく、結婚式も開かず、初対面の奥さまに失礼千万なことを申し上げましたのは旦那さまの方ですから」

 いかにも紳士といった風体の家令から、実に嘆かわしいといった雰囲気が出ていることにアンナは少しだけ笑ってしまった。なるほど、この屋敷も敵ばかりというわけではないらしい。ついでとばかりに、アンナは言葉を続けた。わざわざ、敵ではないことをアピールしてくる家令が何の見返りも求めない味方というわけでもないだろう。ひとは、損得勘定なしには動かない生き物だ。それならば、この老人は、自分に一体何を求めているのだろうか。

「……油断させたところで、私からは何の情報もとれませんよ。あら嫌だ、旦那さまが私を疑う気持ちがちょっとわかってしまいましたね」
「このジム、なんらやましいことなどございません。ただひとつ、奥さまにお願いしたいことがございまして」
「私にできることでしょうか?」
「奥さまにしかお願いできないことでございます。こちらの離れには、ときどき小さな客人が入り込むことがございます。彼らの存在をどうぞ目こぼししてやっていただきたいのです」

 言いにくそうに「彼ら」と複数形で表現されて、アンナは考え込んだ。可愛らしい小動物が迷い込んでいる、疲れた使用人たちが昼寝にやってくるくらいなら問題はない。ただ、逢引きの場所に設定されているということであれば、いささか気まずいものがある。そもそも他人がいたした後のベッドやソファーでくつろぐ気にはなれないのだが……。

「えええと、昼日中からしっぽりお楽しみというのは避けてもらえるかしら? 使用人の喘ぎ声を一日中聞かされるのはちょっと……」
「そういういかがわしい客人ではございません! むしろそのような使い方をする使用人がございましたら、即わたくしをお呼びくださいませ。骨の髄までわからせてご覧に入れましょう」
「あら、そうなの。そこまで協力してくださるなら、いっそ小さなお客さまについてもっと教えてほしいところなのですけれど」
「奥さま、世の中にはあいまいなままにしておかなければならないことがたくさんございます」

 この世の中は本音と建前でできている。ここまで貴族的ではなく、ざっくばらんに腹を割って話してくれる人物が言葉を濁す相手。先ほど、決してかかわるなと侯爵から釘をさされたことを思い出し、アンナは小さくうなずいた。

「なるほど。あなたにも事情があるということがよく理解できました。その条件、受け入れましょう」
「ありがとうございます。ではおしゃべりはこのくらいにいたしまして。ひとまずの物資を運ばせていただきます」
「あらまあ、結構な量ですこと。私ったら、もしかしてこれから一か月くらいひとりで籠城することになるのかしら?」
「家族で暮らすならば、この程度で1週間分程度の食糧でございますよ」
「育ち盛りならば、確かにそれなりの量が必要なのでしょうね」

 今ここで具体的な客人の正体を想像したところでせんなきことだ。アンナは意識を切り替えるように、そっと頭を振った。
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