リポグラム短編集～『あい』を失った女～

『おか』を越えて

　母ははは秩序ちつじょを大切たいせつにするひとだった。規律きりつを乱みだすものは、何なんであれ容赦無ようしゃなく捨すてられた。

　衣服いふく、文房具ぶんぼうぐ、食料品しょくりょうひんに至いたるまで、母ははに許ゆるされなければ、家いえに並ならぶこともない。
　スーパーや新聞屋しんぶんやの粗品そしなは、開あけられることもなく、ごみ袋ぶくろに詰つめられた。

　趣味しゅみの品しなも、しばらくすればまとめて処分しょぶんされる。
　油絵あぶらえも、編物あみものも、選えらびぬいて作つくったビーズ細工ざいくさえ。
　とうとう、友人ゆうじんも自身じしんの両親りょうしんまでみな切きり捨すてた。子こどもであるわたしもまた、母ははの死しまでほぼ疎遠そえんだった。

　唯一ゆいいつそばにいることを許ゆるされた父ちちは、母ははにとってどんな存在そんざいだったのだろう。
　母ははは父ちちさえいればそれで満足まんぞくだと言いってのけた。腹はらを痛いためて産うんだはずの娘むすめには、何なんの興味きょうみもないようだった。

　母ははの死後しご、遺品いひんの整理せいりをした。几帳面きちょうめんな母ははらしく、すべてきちんと整ととのえられている。そこで色褪いろあせた冊子さっしを見みつけた。
　開ひらいてみれば、それは育児日誌いくじにっしだった。ミルクを飲のんだ量りょうと時刻じこく、排泄はいせつの有無うむ。数字すうじのみ並ならぶので、実験じっけんノートのようでもある。

　臍帯さいたいも写真しゃしんもすべて捨すてたのに、どうしてこれだけ残のこしてあるのだろう。なぜと聞きけぬまま、ただ溢あふれそうになる涙なみだをこらえた。
　今いまでもそのノートは、わたしの手元てもとにある。