リポグラム短編集~『あい』を失った女~

石河 翠

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『水』無月のみなしご

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 君は覚えているだろうか。

 私の瞳の奥には、吸い込まれそうに静かな緑碧りょくへきの世界が広がっているとささやいたことを。銀鱗ぎんりんとともに揺蕩たゆたう、彗星の欠片かけらだって見えるよ。愛していると言う代わりに、そんなことをうそぶいては私の目尻によく口づけを落としてくれた。冗談なんて言わない君のことだから、本当にそう思ってくれていたのかもしれない。

 君は知っていたかい。

 隠し事など簡単に見透かしてしまう君の瞳には、遥か昔に失ったはずの私の故郷がのぞいていたことを。
 どこまでも続く青い空と緑の大地。彼方までそよぐ風。鳥たちの歌声。燦々さんさんと輝く太陽の光。柔らかな恵みの雨。悪夢にうなされそうな夜でも、君の隣ならよく眠れたんだよ。実は、豪快な君に蹴り飛ばされることも良くあったのだけれどね。

 不器用な君はいつでも一生懸命で、どんな時でも真っ直ぐに気持ちを向けてくれた。嘘をつくこともできない素直な君は、何故あの日に限って、ただ静かに笑っていたんだろう。見えない想いは、きっと真珠のように頬を伝っていたはずなのに。

 あんなにも愛してくれた君を、どうして手放してしまったのか。形振なりふり構わず取りすがり、みっともない言い訳でもしていれば、許してくれたかい。君のことを大切に想っていなかったわけではないんだ。ただあの日、少しだけ心が揺らいでしまった。遠い昔、抱きしめることしかできなかったあの日の君が、再び私の前に現れた気がしたから。

 君がいないこの場所は、寂し過ぎて目眩がする。枯れ果て、ひび割れた、息さえできない世界。きらめき揺れる、翡翠ひすいおもてが見えるどころか、延々とただ赤茶けた瓦礫がれきの山が続いてゆく。そう言えばあの日も深紅の炎が踊っていた。これはきっと罰なのだ。災厄しか運ばない獣への。あまりの愚かさに反吐が出る。唇を噛み締めれば、かすかに鉄錆てつさびの味がした。

 いっそこのまま、私も砂になってしまえばいい。さらさらと風に乗っていれば、いつか君の元へ辿り着くだろうか。君に届けたいと紡いだ歌声は、かすれたまま粉々に砕け散る。
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