4 / 8
(4)
しおりを挟む
私をひととして扱ったがために、騎士さまは隣国との戦の最前線に送られた。神殿と対立したがゆえの、あからさまな見せしめだった。
「どうか泣かないで。俺は必ず戻ってくる。いつか、君の歌を聴かせておくれ」
ああ、騎士さま。そんなことおっしゃらないでください。
私のせいで騎士さまが大変な目に遭っているというのに、私のためにそこまで力を尽くしてくれていたことが、めまいがするほど嬉しくてたまらない。この方が幸せになれるのなら、今すぐ死んだってかまわないのだと言い切ってしまえるのに。
どうしても離れがたくて、騎士さまの手を離せなかった。最初に出会ったときと同じように困ったような顔をしている騎士さまは、私を突き放さずに受け入れてくれた。もしかしたら、騎士さまも戦場に出るのは恐ろしかったのかもしれない。私のような何のとりえもない女が騎士さまの心を慰めることができたのなら、これ以上ない幸福だ。
初めての口づけは火傷しそうに熱かった。与えられた痛みも快感も声を上げずにはいられなかったはずなのに、それでも私の口からは何ひとつ漏れ出ることはなかった。大神官さま直々に嵌められた首輪は、とんでもなく強固な呪いをかけられていたらしい。
甘い嬌声ひとつ出せない女はたいそう面白みにかけただろうけれど、それでも騎士さまは辺りが白く明るくなるまで、私を乱し続けた。そうして私が意識をなくしている間に、騎士さまは戦場へ旅立ってしまったらしい。目覚めた寝台でひとりきり、声の出せないまま涙を流し続けた。
出した手紙は星の数ほど。けれどいつの間にか返事は途絶えがちになり、やがて完全になくなった。ちょうど同じころ私は、再び神殿の奥に閉じ込められることになった。かつて過ごしたはずの自室は、さらに陰鬱さを増していた。
そして初雪の降った日、あの方が亡くなったという知らせが届いたのだ。敵襲から逃げ遅れた部下を庇ったのだそうだ。最期まであの方らしいと思い、それでもどんなみっともない生き方だったとしても生きていてほしかった。
呆然と座り込む私の前で、大神官さまは楽しそうに騎士さまの死にざまを伝えてきた。ひとの死を喜ぶこんな男が、大神官だなんて神さまは本当にどうかしている。本当に私に災厄の力があるのだとしたら、この男に雷を落としてやるのに。
私が書いた手紙は、そもそも騎士さまに届いていなかった。私を無視する周囲の人々が、私の願いを叶えてくれるはずがなかったのだ。騎士さまがそばにいたからこそ、穏やかに暮らせていただけでそういえば私の暮らしというのはもともとこんなものだった。
時折届いていた騎士さまからの手紙は、人間に託したものではなかったから。魔力を無駄にしてはいけないはずの場所で、転送陣を展開して私に直接届けてくれていたらしい。どうりで、手紙の内容が私の書いた内容とまったくかみ合わないわけだ。戦場まで届くのに時間がかかるからだと思っていた私は、なんて愚かだったのだろう。平和ボケにもほどがある。
間違いであってほしいと思ったし、そう祈り続けたけれど、いくら待ったところで騎士さまは戻ってこない。戦が終わる気配は微塵もない。ゆっくりと私の中で、柔らかな部分が腐り落ちていく。あの方に育てられた人間らしさが。
気が付けば、騎士さまが美しいと褒めてくださった瞳が、髪が、真っ黒に染まっていた。指先まで墨を含ませたような色に変っているのを見て、私は唐突に理解した。その時が来たのだと。
――君を愛している――
「ええ、私も愛しているわ」
幻聴が耳を通り抜けていく。春風によく似た、甘く優しい騎士さまの声。
ひとりぼっちの私は自分自身を両腕で抱きしめる。ひどく寒くて、今にも凍え死んでしまいそうだ。白い息が立ち上った。
さあ、歌を届けましょう。
愚かで哀れなひとの世を終わらせる、滅びの歌を。騎士さまのいない世界に、存在する価値などないのだから。
抑えられない律動が、私の内側から湧き上がる。禍々しい憎しみ、焼けつくような怒り、ひりつくほどの悲しみ。溺れてしまいそうな負の感情が濁流となり、私を呑み込んでいく。
あの方が望み、願ってくれた声で、いびつな旋律を高らかに歌い上げる。遠くから雷鳴と地響きが聞こえた。
「どうか泣かないで。俺は必ず戻ってくる。いつか、君の歌を聴かせておくれ」
ああ、騎士さま。そんなことおっしゃらないでください。
私のせいで騎士さまが大変な目に遭っているというのに、私のためにそこまで力を尽くしてくれていたことが、めまいがするほど嬉しくてたまらない。この方が幸せになれるのなら、今すぐ死んだってかまわないのだと言い切ってしまえるのに。
どうしても離れがたくて、騎士さまの手を離せなかった。最初に出会ったときと同じように困ったような顔をしている騎士さまは、私を突き放さずに受け入れてくれた。もしかしたら、騎士さまも戦場に出るのは恐ろしかったのかもしれない。私のような何のとりえもない女が騎士さまの心を慰めることができたのなら、これ以上ない幸福だ。
初めての口づけは火傷しそうに熱かった。与えられた痛みも快感も声を上げずにはいられなかったはずなのに、それでも私の口からは何ひとつ漏れ出ることはなかった。大神官さま直々に嵌められた首輪は、とんでもなく強固な呪いをかけられていたらしい。
甘い嬌声ひとつ出せない女はたいそう面白みにかけただろうけれど、それでも騎士さまは辺りが白く明るくなるまで、私を乱し続けた。そうして私が意識をなくしている間に、騎士さまは戦場へ旅立ってしまったらしい。目覚めた寝台でひとりきり、声の出せないまま涙を流し続けた。
出した手紙は星の数ほど。けれどいつの間にか返事は途絶えがちになり、やがて完全になくなった。ちょうど同じころ私は、再び神殿の奥に閉じ込められることになった。かつて過ごしたはずの自室は、さらに陰鬱さを増していた。
そして初雪の降った日、あの方が亡くなったという知らせが届いたのだ。敵襲から逃げ遅れた部下を庇ったのだそうだ。最期まであの方らしいと思い、それでもどんなみっともない生き方だったとしても生きていてほしかった。
呆然と座り込む私の前で、大神官さまは楽しそうに騎士さまの死にざまを伝えてきた。ひとの死を喜ぶこんな男が、大神官だなんて神さまは本当にどうかしている。本当に私に災厄の力があるのだとしたら、この男に雷を落としてやるのに。
私が書いた手紙は、そもそも騎士さまに届いていなかった。私を無視する周囲の人々が、私の願いを叶えてくれるはずがなかったのだ。騎士さまがそばにいたからこそ、穏やかに暮らせていただけでそういえば私の暮らしというのはもともとこんなものだった。
時折届いていた騎士さまからの手紙は、人間に託したものではなかったから。魔力を無駄にしてはいけないはずの場所で、転送陣を展開して私に直接届けてくれていたらしい。どうりで、手紙の内容が私の書いた内容とまったくかみ合わないわけだ。戦場まで届くのに時間がかかるからだと思っていた私は、なんて愚かだったのだろう。平和ボケにもほどがある。
間違いであってほしいと思ったし、そう祈り続けたけれど、いくら待ったところで騎士さまは戻ってこない。戦が終わる気配は微塵もない。ゆっくりと私の中で、柔らかな部分が腐り落ちていく。あの方に育てられた人間らしさが。
気が付けば、騎士さまが美しいと褒めてくださった瞳が、髪が、真っ黒に染まっていた。指先まで墨を含ませたような色に変っているのを見て、私は唐突に理解した。その時が来たのだと。
――君を愛している――
「ええ、私も愛しているわ」
幻聴が耳を通り抜けていく。春風によく似た、甘く優しい騎士さまの声。
ひとりぼっちの私は自分自身を両腕で抱きしめる。ひどく寒くて、今にも凍え死んでしまいそうだ。白い息が立ち上った。
さあ、歌を届けましょう。
愚かで哀れなひとの世を終わらせる、滅びの歌を。騎士さまのいない世界に、存在する価値などないのだから。
抑えられない律動が、私の内側から湧き上がる。禍々しい憎しみ、焼けつくような怒り、ひりつくほどの悲しみ。溺れてしまいそうな負の感情が濁流となり、私を呑み込んでいく。
あの方が望み、願ってくれた声で、いびつな旋律を高らかに歌い上げる。遠くから雷鳴と地響きが聞こえた。
276
あなたにおすすめの小説
お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
一年だけの夫婦でも私は幸せでした。
クロユキ
恋愛
騎士のブライドと結婚をしたフローズンは夫がまだ婚約者だった姉を今でも想っている事を知っていた。
フローズンとブライドは政略結婚で結婚式当日にブライドの婚約者だった姉が姿を消してしまった。
フローズンは姉が戻るまでの一年の夫婦の生活が始まった。
更新が不定期です。誤字脱字がありますが宜しくお願いします。
差し出された毒杯
しろねこ。
恋愛
深い森の中。
一人のお姫様が王妃より毒杯を授けられる。
「あなたのその表情が見たかった」
毒を飲んだことにより、少女の顔は苦悶に満ちた表情となる。
王妃は少女の美しさが妬ましかった。
そこで命を落としたとされる少女を助けるは一人の王子。
スラリとした体型の美しい王子、ではなく、体格の良い少し脳筋気味な王子。
お供をするは、吊り目で小柄な見た目も中身も猫のように気まぐれな従者。
か○みよ、○がみ…ではないけれど、毒と美しさに翻弄される女性と立ち向かうお姫様なお話。
ハピエン大好き、自己満、ご都合主義な作者による作品です。
同名キャラで複数の作品を書いています。
立場やシチュエーションがちょっと違ったり、サブキャラがメインとなるストーリーをなどを書いています。
ところどころリンクもしています。
※小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿しています!
あの、初夜の延期はできますか?
木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」
私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。
結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。
けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。
「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」
なぜこの人私に求婚したのだろう。
困惑と悲しみを隠し尋ねる。
婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。
関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。
ボツネタ供養の短編です。
十話程度で終わります。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
本日、私の妹のことが好きな婚約者と結婚いたしました
音芽 心
恋愛
私は今日、幼い頃から大好きだった人と結婚式を挙げる。
____私の妹のことが昔から好きな婚約者と、だ。
だから私は決めている。
この白い結婚を一年で終わらせて、彼を解放してあげることを。
彼の気持ちを直接聞いたことはないけれど……きっとその方が、彼も喜ぶだろうから。
……これは、恋を諦めていた令嬢が、本当の幸せを掴むまでの物語。
私と結婚したいなら、側室を迎えて下さい!
Kouei
恋愛
ルキシロン王国 アルディアス・エルサトーレ・ルキシロン王太子とメリンダ・シュプリーティス公爵令嬢との成婚式まで一か月足らずとなった。
そんな時、メリンダが原因不明の高熱で昏睡状態に陥る。
病状が落ち着き目を覚ましたメリンダは、婚約者であるアルディアスを全身で拒んだ。
そして結婚に関して、ある条件を出した。
『第一に私たちは白い結婚である事、第二に側室を迎える事』
愛し合っていたはずなのに、なぜそんな条件を言い出したのか分からないアルディアスは
ただただ戸惑うばかり。
二人は無事、成婚式を迎える事ができるのだろうか…?
※性描写はありませんが、それを思わせる表現があります。
苦手な方はご注意下さい。
※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる