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1部 1章
寂しさの先に約束と夢
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学舎での学びは、今日もいつもと変わらず正午には終わった。
今日の学びの内容は、料理だった。料理に関する学習は初めてではない。正確な回数は忘れてしまったけれど、何回かやった。包丁などの道具の使い方から、火の起こし方や調節方法など基本中の基本から学んでいって、今日は実際に昼食を作ってみた。
作ったのは、豆と野菜の煮込みという、この町で暮らすものにとっての主食と言っても過言ではない料理。オレも毎日のように食べている。
料理は概ね上手くいった。まあ、人によって皮むきが雑だったり、切り方の大小がバラバラだったりして、口に入れた野菜が酷く固いときもあったけれど……。
みんなでわちゃわちゃしながら作ったからか、とても美味しかった。
「待って、アクセル」
「あ?」
学舎を出たオレとネルは、町の北門のほうへ向かって歩いていた。
もちろん、モエねぇを見送るためだ。
足を止めて、先に立ち止まったネルに顔を向ける。
「なんか、怖くなってきた……」
「……何が」
「モエねぇがいなくなっちゃうってことがっ」
昨日までいた人がいなくなることへの恐怖。
別れを知って、それを感じることは、人として健全な気持ちだろう。
「じゃあなんだよ、見送り行かねぇのか?」
ムスッとした顔で、ネルがそっぽを向く。
「だって……行ったら、本当にいなくなっちゃうんだなって、なるじゃん」
カノジョの言ったことは、わからないようでわかることだった。
でも、だ。
「行かなくたって、モエねぇはいなくなるんだよ」
現実は変わらない。
「わかってるわよ……」
「行かなかったら、そのほうが絶対に後悔するぞ」
「わかってるわよっ! バカっ!」
怒ったネルの目には、涙が浮いていた。
「……泣くの、モエねぇを見送るときにしろよ」
「……今泣いたってそのときも涙出るわよ」
ぐしぐしと乱暴に目を擦りながら、ネルはまた歩き出した。
お腹いっぱいになったせいで眠ってしまったシルキアを背負い直してから踏み出し、カノジョの隣に再び並ぶ。
ぐすぐすと鼻を啜る音を聞いていると、こっちの鼻奥まで熱く湿っぽくなってきた。
※
北門が見えてきた。
そこには、一台の馬車が止まっていて。
その傍に、こちら側を向いて、モエねぇは立っていた。今朝会ったときと同じ青いドレスに、白色のケープを羽織っている。
「シルキア、起きろ」
足を止めると、ネルも立ち止まった。
オレは上半身を強めに揺する。妹にもちゃんと見送りをさせたい。
「ぅん……んむぅ……」
少し覚醒に近付いたようだが、まだ眠っている状態の返事だった。
「起きてっ、ほらっ」
ガクン、と意図して妹の身体を揺さぶってやる。
「んん~、やぁ~、なぁに~」
ここまで言葉が出てくれば、もう八割がた覚醒している。
この状態なら、こっちの言葉もちゃんと頭に届く。
「モエねぇの見送り、しなきゃだろ」
むにゃむにゃ顔だったが、カッと両目が見開かれた。
「モエお姉ちゃん!」
大きな声が出た。
よし、もう起きた。
「下ろすぞ。いいな」
その場にしゃがむと、すぐに背中が軽くなった。
しっかりと歩き出すシルキア。すぐに、オレとネルも歩き出す。シルキアが真ん中になるように並んだ。
「モエお姉ちゃ~ん!」
もう互いに間違いなく認識できるほどの距離になったとき、シルキアが名前を呼びながら駆け出した。
モエねぇが、その場にしゃがんで、両手を広げる。
妹は速度を緩めることなくその豊かな胸に飛び込んだ。
いくら幼い少女とはいえ、あの勢いで抱き付かれたら苦しそうなものだが、モエねぇの顔には微笑みしかない。カノジョはシルキアの背に両手を回し、抱き締める。
オレとネルも追いついた。
モエねぇが立ち上がる。その手は、足に抱きついているシルキアの頭を撫でている。
「アクセルくん、ネルちゃん、来てくれてありがとうございます」
「……モエねぇ、本当に行っちゃうんだね」
ネルの声はもうひどく震えていた。
いや正しくは、もう泣いていた、か。
「はい。国の各地を、可能であれば他国を、見て回ってきます」
ぐすん、とネルが大きく鼻を啜った。
オレの鼻もたちまち水っぽさを増す。視界が歪みだした。
「いつ頃ぉ、帰ってくるのぉ?」
完全に濡れた声で、ネルが尋ねた。
それは、オレも聞こうと思ったけれど、でも意味ないかと考えて聞かなかったことだ。
「それは、わかりません。状況次第、としか」
やっぱり、考えたとおりだった。
モエねぇにだって、わかることではないのだ。
なぜなら、観光目的の旅行というわけではないのだから。
両親にとっては、商売のために。
モエねぇ自身にとっては、後継ぎとしての修行のために。
いろいろなところを巡るのだ。
いつ帰ってくるのか。そんな期限を設けてはいないに決まっていた。
しかし、ネルはしゅんと萎れてしまう。
『いつ』を知ることができれば、待つことができるから。
一日一日を過ごしていれば、『いつ』は確実に近づいてくるから。
でも、本人にだってわからないことならば、こっちは受け入れるしかない。
『いつ』がわからない不安と向き合っていくしかない。
「ネルちゃん、顔を上げて?」
言われては、顔を上げるしかない。
ネルだって、モエねぇを困らせたくはないから。
「これだけは約束します。ワタクシは必ずこの町に戻ってくる、と」
「モエねぇ……」
「ワタクシは、この町が好きです。この町で生きていきたいし、この町を自分の力でより豊かなものにしたい。死ぬときはこの町で、とも決めています」
「……死ぬ、なんて言わないで」
悪い意味というか、悪いこととして、モエねぇは『死』を使ったわけではない。
それくらい、ネルだってわかったはずだ。
でも言って欲しくなかったのは、お別れのときだから。
「ネルちゃん。アクセルくん。いつか、また、この町で会いましょう。そして、みんな、少しでも立派な人になって、この町を盛り上げていきましょう。ね?」
「……うん。オレも頑張るよ」
「……私だって、私だって頑張るから!」
ボロボロと、ネルの両目から涙が溢れる。
モエねぇに近付くと、カノジョは抱き付いた。モエねぇの鎖骨の辺りに顔を埋めてわんわんと泣くネルの華奢な肩が大きく震えている。
ネルの後頭部に優しく片手を添えたモエねぇの目からも、涙が零れた。
オレの頬にも、雫が伝う。格好悪いかなと思ったけれど、どうせ我慢できそうにないしむしろ我慢するほうが格好悪いかと思い、隠さずに泣き声を上げた。
最後に、シルキアも泣き始めた。
泣いて、惜しむ。
それはもう、これ以上ないほど別れに相応しいものだった。
※
モエねぇを乗せた馬車が遠ざかっていく。
やがて――完全にその姿が見えなくなった。
「……行こっか」
ネルが切り出した。
オレは頷き、力が抜けたようにぽけっとしているシルキアの手を引く。
「……どこ、行く?」
「ん? ん~……そうだ、猫さん広場に行こ」
『猫さん広場』とは、オレとネルとモエねぇとシルキアの四人だけで、のんびりと過ごしたいときによく足を運んでいた路地裏の一角だ。そこは、不思議と、人が来ないのである。だからなのか、野良猫の溜まり場にもなっていた。
目指していた路地に着いた。建物と建物の間を進んでいく。
今日も誰もおらず、開けた空間――『猫さん広場』には、七匹の野良猫がいた。
知った猫たちで、向こうもオレたちに慣れたのか、警戒した素振りはない。丸まって日向ぼっこしていたり毛繕いしていたり、にゃーにゃーと会話?していたり。
オレたちは、日の当たる一角に、お尻が汚れるのも気にせず座る。
「――アクセル、将来どうしたいとか、考えてるんだっけ」
三人、何をするでも話すでもなくボーッと空を見上げていた中で。
泣き疲れたのもあっただろうシルキアがオレの膝枕で安らかな寝息を立て始めてから少し経った頃、ネルが口を開いた。
「え? どうって、仕事とか、そういう?」
言いながら、頭の中では、なんでカノジョがこんな話を始めたのか想像できた。
モエねぇが旅立ったからだ。
モエねぇと約束を交わしたからだ。
「うん。アンタ、商人になりたいんでしょ? グレンおじさんみたいな」
「ああ、そうだけど」
「……ってことはさ……アンタも、いつか、一回はこの町……」
「……なんだよ」
「……この町……出て行くわけ?」
「……そこまでは、考えたことねぇよ」
「……どうなのよ。今、考えなさいよ」
「はぁ? そんな、そんなの……わっかんねぇよ」
「ふぅん……」
「……まぁ、すぐは、しないんじゃね? せめて、妹がもうちょい、独り立ちしてからじゃねぇと」
シルキアは好奇心旺盛で、年の割には単独行動ができるほうだと、兄的には思う。
それでも、まだまだ甘えん坊なところもある。
心配すぎて、妹離れは正直できない……というか、したくない。悲しませたくない。
「……じゃあ、シルキアが大きくなったら、アンタも出て行っちゃうんだ」
「いや、だからそれは、わかんねぇって。この町でだって、商人やったことあるわけじゃねぇんだから。そんな先のことなんて、まずはその、ここで商売やってみてからだろ」
ネルは何も返してこなかった。
目が合うとなんか気まずくなりそうで、チラと横目で盗み見る。
カノジョは、立てた両膝に顎を置き、前を見ていた。
真剣な表情だ。
強い眼差しだ。
だから、えっと思った。
そんな顔を、目をしているとは思っていなかったから。
「……ネル。お前は? お前はどうするんだよ」
「私? 私は……」
カノジョは目を閉じた。
そして、三秒ほどして開いた。
なんだろう。
決意、みたいなものを感じた。
「私は、決めた」
「何を?」
「剣士として強くなって、それで……神剣使いになる」
しんけんつかい。
何を言われたのか、わかるまで数秒かかった。
剣士として、という言葉が先になかったら、何それと尋ねていたかもしれない。
でも、剣士という言葉を聞いたあとだから、理解できた。
神剣使い。
「お前、本気か?」
「うん。神剣使いになって、この町を守りたい。自分の手で」
ネルは軽やかな動きで立ち上がると、両手で構えを作った。
両手を振り被り、左足を踏み出しながら、振り下ろす。
姿勢がよくて、動作が洗練されていて、まるで剣を握っているように見えた。
「モエねぇが、んで、アンタが、商人としてこの町を豊かにするなら。私は剣士としてこの町を守る。神剣使いになって、何が来ても、魔族どもが来たって、守ってやるんだ」
グッと握られたカノジョの両手。
本気だ。
本気で目指すつもりなのだ。
「そ、か」
「うん。だから明日から、ううん、今日から鍛錬するわ!」
先送りにしない。
やると決めたら、すぐにでもやる。
やれる努力があるなら早速始める。
目標を叶えるための、基本中の基本。
「頑張れよ。応援する」
振り返ったネルが、ニカッと笑う。
「アクセルも、どうせなら最強の商人、目指しなさいよね!」
最強の、商人?
オレは思わず噴き出した。
「なんだよ、それ。めちゃくちゃ儲ける商人ってことか?」
商人を称える言葉として、『最強』なんてものは聞いたことがない。
「それも、そうっ! でも儲けるだけじゃなくて、じゃなくて~~~」
「じゃなくて、なんだよ」
「え~~~、わっかんない! とにかくっ!」
ビシッと、ネルはオレを右手で指差してきた。
人を指差すななんて無礼だ、とは思わなかった。
嫌な思いどころか、むしろ、胸が熱くなったほど。
激励だと、受け取れたからだ。
「すっっっごい商人になりなさいよ! それこそっ! モエねぇに感激されるような商人に! グレンさんを超えるような商人に!」
モエねぇに感激されるような。
グレンさんを超えるような。
そんな、商人。
オレは笑った。
いいじゃねぇか。
やってやるよ。
そう、心から思えた。
「ああ、絶対になってやる」
途方もない夢だ。
でも、何かを夢見るのなら、遠いほうがいい。
そのほうが、日々の地道な一歩も達成感が大きくて嬉しいものになるだろうから。
今日の学びの内容は、料理だった。料理に関する学習は初めてではない。正確な回数は忘れてしまったけれど、何回かやった。包丁などの道具の使い方から、火の起こし方や調節方法など基本中の基本から学んでいって、今日は実際に昼食を作ってみた。
作ったのは、豆と野菜の煮込みという、この町で暮らすものにとっての主食と言っても過言ではない料理。オレも毎日のように食べている。
料理は概ね上手くいった。まあ、人によって皮むきが雑だったり、切り方の大小がバラバラだったりして、口に入れた野菜が酷く固いときもあったけれど……。
みんなでわちゃわちゃしながら作ったからか、とても美味しかった。
「待って、アクセル」
「あ?」
学舎を出たオレとネルは、町の北門のほうへ向かって歩いていた。
もちろん、モエねぇを見送るためだ。
足を止めて、先に立ち止まったネルに顔を向ける。
「なんか、怖くなってきた……」
「……何が」
「モエねぇがいなくなっちゃうってことがっ」
昨日までいた人がいなくなることへの恐怖。
別れを知って、それを感じることは、人として健全な気持ちだろう。
「じゃあなんだよ、見送り行かねぇのか?」
ムスッとした顔で、ネルがそっぽを向く。
「だって……行ったら、本当にいなくなっちゃうんだなって、なるじゃん」
カノジョの言ったことは、わからないようでわかることだった。
でも、だ。
「行かなくたって、モエねぇはいなくなるんだよ」
現実は変わらない。
「わかってるわよ……」
「行かなかったら、そのほうが絶対に後悔するぞ」
「わかってるわよっ! バカっ!」
怒ったネルの目には、涙が浮いていた。
「……泣くの、モエねぇを見送るときにしろよ」
「……今泣いたってそのときも涙出るわよ」
ぐしぐしと乱暴に目を擦りながら、ネルはまた歩き出した。
お腹いっぱいになったせいで眠ってしまったシルキアを背負い直してから踏み出し、カノジョの隣に再び並ぶ。
ぐすぐすと鼻を啜る音を聞いていると、こっちの鼻奥まで熱く湿っぽくなってきた。
※
北門が見えてきた。
そこには、一台の馬車が止まっていて。
その傍に、こちら側を向いて、モエねぇは立っていた。今朝会ったときと同じ青いドレスに、白色のケープを羽織っている。
「シルキア、起きろ」
足を止めると、ネルも立ち止まった。
オレは上半身を強めに揺する。妹にもちゃんと見送りをさせたい。
「ぅん……んむぅ……」
少し覚醒に近付いたようだが、まだ眠っている状態の返事だった。
「起きてっ、ほらっ」
ガクン、と意図して妹の身体を揺さぶってやる。
「んん~、やぁ~、なぁに~」
ここまで言葉が出てくれば、もう八割がた覚醒している。
この状態なら、こっちの言葉もちゃんと頭に届く。
「モエねぇの見送り、しなきゃだろ」
むにゃむにゃ顔だったが、カッと両目が見開かれた。
「モエお姉ちゃん!」
大きな声が出た。
よし、もう起きた。
「下ろすぞ。いいな」
その場にしゃがむと、すぐに背中が軽くなった。
しっかりと歩き出すシルキア。すぐに、オレとネルも歩き出す。シルキアが真ん中になるように並んだ。
「モエお姉ちゃ~ん!」
もう互いに間違いなく認識できるほどの距離になったとき、シルキアが名前を呼びながら駆け出した。
モエねぇが、その場にしゃがんで、両手を広げる。
妹は速度を緩めることなくその豊かな胸に飛び込んだ。
いくら幼い少女とはいえ、あの勢いで抱き付かれたら苦しそうなものだが、モエねぇの顔には微笑みしかない。カノジョはシルキアの背に両手を回し、抱き締める。
オレとネルも追いついた。
モエねぇが立ち上がる。その手は、足に抱きついているシルキアの頭を撫でている。
「アクセルくん、ネルちゃん、来てくれてありがとうございます」
「……モエねぇ、本当に行っちゃうんだね」
ネルの声はもうひどく震えていた。
いや正しくは、もう泣いていた、か。
「はい。国の各地を、可能であれば他国を、見て回ってきます」
ぐすん、とネルが大きく鼻を啜った。
オレの鼻もたちまち水っぽさを増す。視界が歪みだした。
「いつ頃ぉ、帰ってくるのぉ?」
完全に濡れた声で、ネルが尋ねた。
それは、オレも聞こうと思ったけれど、でも意味ないかと考えて聞かなかったことだ。
「それは、わかりません。状況次第、としか」
やっぱり、考えたとおりだった。
モエねぇにだって、わかることではないのだ。
なぜなら、観光目的の旅行というわけではないのだから。
両親にとっては、商売のために。
モエねぇ自身にとっては、後継ぎとしての修行のために。
いろいろなところを巡るのだ。
いつ帰ってくるのか。そんな期限を設けてはいないに決まっていた。
しかし、ネルはしゅんと萎れてしまう。
『いつ』を知ることができれば、待つことができるから。
一日一日を過ごしていれば、『いつ』は確実に近づいてくるから。
でも、本人にだってわからないことならば、こっちは受け入れるしかない。
『いつ』がわからない不安と向き合っていくしかない。
「ネルちゃん、顔を上げて?」
言われては、顔を上げるしかない。
ネルだって、モエねぇを困らせたくはないから。
「これだけは約束します。ワタクシは必ずこの町に戻ってくる、と」
「モエねぇ……」
「ワタクシは、この町が好きです。この町で生きていきたいし、この町を自分の力でより豊かなものにしたい。死ぬときはこの町で、とも決めています」
「……死ぬ、なんて言わないで」
悪い意味というか、悪いこととして、モエねぇは『死』を使ったわけではない。
それくらい、ネルだってわかったはずだ。
でも言って欲しくなかったのは、お別れのときだから。
「ネルちゃん。アクセルくん。いつか、また、この町で会いましょう。そして、みんな、少しでも立派な人になって、この町を盛り上げていきましょう。ね?」
「……うん。オレも頑張るよ」
「……私だって、私だって頑張るから!」
ボロボロと、ネルの両目から涙が溢れる。
モエねぇに近付くと、カノジョは抱き付いた。モエねぇの鎖骨の辺りに顔を埋めてわんわんと泣くネルの華奢な肩が大きく震えている。
ネルの後頭部に優しく片手を添えたモエねぇの目からも、涙が零れた。
オレの頬にも、雫が伝う。格好悪いかなと思ったけれど、どうせ我慢できそうにないしむしろ我慢するほうが格好悪いかと思い、隠さずに泣き声を上げた。
最後に、シルキアも泣き始めた。
泣いて、惜しむ。
それはもう、これ以上ないほど別れに相応しいものだった。
※
モエねぇを乗せた馬車が遠ざかっていく。
やがて――完全にその姿が見えなくなった。
「……行こっか」
ネルが切り出した。
オレは頷き、力が抜けたようにぽけっとしているシルキアの手を引く。
「……どこ、行く?」
「ん? ん~……そうだ、猫さん広場に行こ」
『猫さん広場』とは、オレとネルとモエねぇとシルキアの四人だけで、のんびりと過ごしたいときによく足を運んでいた路地裏の一角だ。そこは、不思議と、人が来ないのである。だからなのか、野良猫の溜まり場にもなっていた。
目指していた路地に着いた。建物と建物の間を進んでいく。
今日も誰もおらず、開けた空間――『猫さん広場』には、七匹の野良猫がいた。
知った猫たちで、向こうもオレたちに慣れたのか、警戒した素振りはない。丸まって日向ぼっこしていたり毛繕いしていたり、にゃーにゃーと会話?していたり。
オレたちは、日の当たる一角に、お尻が汚れるのも気にせず座る。
「――アクセル、将来どうしたいとか、考えてるんだっけ」
三人、何をするでも話すでもなくボーッと空を見上げていた中で。
泣き疲れたのもあっただろうシルキアがオレの膝枕で安らかな寝息を立て始めてから少し経った頃、ネルが口を開いた。
「え? どうって、仕事とか、そういう?」
言いながら、頭の中では、なんでカノジョがこんな話を始めたのか想像できた。
モエねぇが旅立ったからだ。
モエねぇと約束を交わしたからだ。
「うん。アンタ、商人になりたいんでしょ? グレンおじさんみたいな」
「ああ、そうだけど」
「……ってことはさ……アンタも、いつか、一回はこの町……」
「……なんだよ」
「……この町……出て行くわけ?」
「……そこまでは、考えたことねぇよ」
「……どうなのよ。今、考えなさいよ」
「はぁ? そんな、そんなの……わっかんねぇよ」
「ふぅん……」
「……まぁ、すぐは、しないんじゃね? せめて、妹がもうちょい、独り立ちしてからじゃねぇと」
シルキアは好奇心旺盛で、年の割には単独行動ができるほうだと、兄的には思う。
それでも、まだまだ甘えん坊なところもある。
心配すぎて、妹離れは正直できない……というか、したくない。悲しませたくない。
「……じゃあ、シルキアが大きくなったら、アンタも出て行っちゃうんだ」
「いや、だからそれは、わかんねぇって。この町でだって、商人やったことあるわけじゃねぇんだから。そんな先のことなんて、まずはその、ここで商売やってみてからだろ」
ネルは何も返してこなかった。
目が合うとなんか気まずくなりそうで、チラと横目で盗み見る。
カノジョは、立てた両膝に顎を置き、前を見ていた。
真剣な表情だ。
強い眼差しだ。
だから、えっと思った。
そんな顔を、目をしているとは思っていなかったから。
「……ネル。お前は? お前はどうするんだよ」
「私? 私は……」
カノジョは目を閉じた。
そして、三秒ほどして開いた。
なんだろう。
決意、みたいなものを感じた。
「私は、決めた」
「何を?」
「剣士として強くなって、それで……神剣使いになる」
しんけんつかい。
何を言われたのか、わかるまで数秒かかった。
剣士として、という言葉が先になかったら、何それと尋ねていたかもしれない。
でも、剣士という言葉を聞いたあとだから、理解できた。
神剣使い。
「お前、本気か?」
「うん。神剣使いになって、この町を守りたい。自分の手で」
ネルは軽やかな動きで立ち上がると、両手で構えを作った。
両手を振り被り、左足を踏み出しながら、振り下ろす。
姿勢がよくて、動作が洗練されていて、まるで剣を握っているように見えた。
「モエねぇが、んで、アンタが、商人としてこの町を豊かにするなら。私は剣士としてこの町を守る。神剣使いになって、何が来ても、魔族どもが来たって、守ってやるんだ」
グッと握られたカノジョの両手。
本気だ。
本気で目指すつもりなのだ。
「そ、か」
「うん。だから明日から、ううん、今日から鍛錬するわ!」
先送りにしない。
やると決めたら、すぐにでもやる。
やれる努力があるなら早速始める。
目標を叶えるための、基本中の基本。
「頑張れよ。応援する」
振り返ったネルが、ニカッと笑う。
「アクセルも、どうせなら最強の商人、目指しなさいよね!」
最強の、商人?
オレは思わず噴き出した。
「なんだよ、それ。めちゃくちゃ儲ける商人ってことか?」
商人を称える言葉として、『最強』なんてものは聞いたことがない。
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「じゃなくて、なんだよ」
「え~~~、わっかんない! とにかくっ!」
ビシッと、ネルはオレを右手で指差してきた。
人を指差すななんて無礼だ、とは思わなかった。
嫌な思いどころか、むしろ、胸が熱くなったほど。
激励だと、受け取れたからだ。
「すっっっごい商人になりなさいよ! それこそっ! モエねぇに感激されるような商人に! グレンさんを超えるような商人に!」
モエねぇに感激されるような。
グレンさんを超えるような。
そんな、商人。
オレは笑った。
いいじゃねぇか。
やってやるよ。
そう、心から思えた。
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勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。
ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。
転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。
勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)
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