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前座にもならない

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 恐らく王族のプライベート区域であろう方向からやって来たのはこの悲喜劇の最後の役者である人物。
 私的には此処で出てきてほしくは無かった相手である人――王妃様が無表情のまま堂々のご登場である。

「<えーこの展開は勘弁してほしかった>」
「<罠じゃなかったのかよ>」

 黒いのの呆然とした、とうよりも侍女への蔑みの感情が伝わってくる。
 けど諫める気は全く起きない処か私も思ったし。
 この侍女本当に有り得ない。
 だって王族からの本当の命で来てたのに殿下に問い詰められて事実をあっさり無かった事にした。
 これで王族付きの侍女とか有り得なさすぎて言葉も出ないんですが。
 王族の名を騙る不届き者の方がまだ賢いと思う。
 
「<って事はコイツが下働きに指示を出した奴って事か>」
「<王妃様が信頼する侍女さん? えぇ。此れで?>」

 あっさりと自分に出された命を翻したりする人が一番信頼されてる侍女?
 王城って今壊滅的な人手不足なんですかね?
 それとも王妃付きって人気無いとか?
 この世界での女性にとっては憧れの的だと思うんですけど?
 
 黒いのと突っ込みの嵐だった私だけど、王妃様が確実に此処を目的に歩いてきている事に慌てて臣下としての礼をとる。
 出来れば膝をつき跪かないといけないかもしれないけど、殿下には会釈しかしてない訳だから先程よりも深く礼をとればまぁいいだろう。
 まさか廊下でも一々跪かないといけないとかそんな事ないと思うし。
 そして侍女さん。
 貴女は自分の直接の主である王妃が居ても頭を下げる様子もない訳ですが、そこらへんどう思ってるんです?
 
 後、頭を下げる直前に見えた王妃様の目が少し気になった。

「(無感動でいて暗い緑の眸。その奥に揺らめく暗い焔)」

 人形と呼ぶには感情が籠り、人と呼ぶには無機質過ぎる眸は出来の良い人形のような雰囲気を醸し出している。
 ヒステリックに叫ぶ様が思い浮かばない。
 むしろ無感動のままに人の命の灯火をかき消す命令を下す様の方があっさりと思い浮かぶ。
 噂のような事を本当にしでかしているのか? と思うのに、絶対にしてはいないだろうとは言い切れない曖昧さ。
 ただただ見極める事の出来ない不気味さが薄気味悪いと感じた。 
 
 王妃様は頭を下げる私も殿下の事も目に入ってはいないようだった。
 というよりも何処か空虚な雰囲気を纏っていて、どうしても私は人形を連想してしまう。
 感情が目に宿ろうとも、心が伽藍洞かのような印象を拭えないのだ。
 誰かに操られているとまで感じない。
 けどどうしても操り糸を自分で持っている人形と言えば良いのか、違和感やぎこちなさを感じてしまう。
 噂ではもっと感情的で神経質だと言われていたから、一種穏やかともとれる姿との差異に戸惑ってしまう。
 これで噂が全て嘘だった、という事なら何の問題も無いけれど、どうやらヒステリックに罵られた実例もあるようだから、それは無い。
 『躁鬱病』か? と思わなくもないけれど、私は病気には詳しくないから判別はつかない。
 鬱状態の時、人はこんなにも無機質で無気力になるんだろうか?

 私からすれば違和感しかない王妃様も侍女にとっては何時もと変わらないのか、侍女は結局一度も礼をとる事無く王妃に駆け寄っていく。
 明らかに色々侍女失格な言動に殿下が小さく舌打ちしたのが聞こえた。
 けどまぁ諫める気もないし、どちらかと言えば私も殿下に同意だ。
 侍女として有り得ない言動が多すぎる。
 これを切欠に排除してはどうですか? と言いたくなるレベルだ。
 そんな私達の呆れにも似た怒りを全く感じていないのか、侍女は王妃様に駆け寄ると閉口一番「殿下が小娘の言に惑わされてしまい足止めをくらいました」と行き成り私を元凶に仕立て上げて殿下を無能扱いした上自分で矛盾した事を言いだした。
 貴女、殿下に対して私に権力を盾に脅されて案内したと言ってませんでしたかね?
 
「<頭軽いな、この女>」
「<振ればカラカラと音が鳴るんじゃない?>」
「<そーかもな。触りたくねーし近づきたくもねーけど>」

 暴言を吐いている自覚はあるけど、仕方ない。
 此処までコロコロ変わる貴族令嬢なんて初めてみたし。
 自己保身しか頭にないのかね?
 王妃様にも恩や信を置いて仕えているのではなく、ただ擦り寄っているだけ、って所か。
 まぁ王妃様にとっても何時でも切り捨てる事の出来る駒でしかないかもしれないけど。
 だとしたらお互い様だからお似合いの主従だと思うんだけどね。

 自分の正当性を只管訴える侍女のループ加減にうんざりしだした頃、王妃がようやく私を認識したかのように視線を此方に寄越してきた。
 色々言いたい事有れど、王妃様に言う訳にもいかず、再び礼をとる。
 
「彼女は貴女を案内出来ていたのかしら?」
「……彼女はこの城に強い思い入れがおありの様です。ワタクシが何時までも城に留まれば要らぬ関心を買うかと思い出口を案内していただこうと思いましたが、城を全て見回り城の良さをつぶさに見せなければいけないと強い想いがおありの様ですわ。命じられた事よりも城の案内の方が大事とは大きな愛情を抱いた侍女をお持ちですのね?」

 直訳「アンタの所の侍女無能過ぎない? 言われた事も出来てないみたいだけど?」です。
 まぁ私は城を辞去したいという間すらもらえなかったんだけどね。
 何の裏も無く嫌味で皮肉です。
 むしろ貴族社会では直接的に乏している、文句を言っているレベルだと思います。
 けど、侍女さんは私に罪を擦り付けた訳だからやり返されても文句は言えないよねぇ?
 驚いた顔の後怒りで真っ赤になってましたけどね。
 自業自得です。
 あの老人レベルの侍女さんは置いといて王妃様ですけど……。

「……そう」

 の一言しか答えなかった。
 むしろ侍女の方が自分の正当性を訴えようと更にうるさくなったぐらいだった。
 王妃様と対面するのはこれで二度目になるんだけど、やっぱり噂とのギャップ、そして眸の奥にある空虚感、そして怒りや恨みの矛先が微妙に「私」からずれている事に違和感を感じてしまう。
 恨み辛みの原因がどれだけ理不尽なモノだろうと王妃様以外の怒りや恨みはすべからず「私」に向かっていた。
 令嬢サマしかり、老人しかり。
 フェルシュルグですら【闇の愛し子】である「私」を憎んでいた。
 そういった相手と対峙してきたからこそ私は王妃様の「私」を見ているようで見ていない眸の意味が良く分からない。
 
 子供らしくない私を疎む訳ではなく、自分を追いやるかもしれない相手を警戒する訳でもなく、ただただ漫然とした空虚感を伴う怒りや恨みを私越しに誰かに向けて発する。
 無機質で色味の無い恨みが素通りする感覚は今まで味わった事も無く、気持ち悪いとしか思えない。
 『前』の時だって『わたし』に対する向けられた恨み辛みは沢山あったけど、そのどれとも一致しない得体のしれない王妃様の視線が不気味で気味が悪い。
 
「(あぁ成程。コレが未知のモノへの恐怖なんだ)」

 今まで『わたし』に対する過剰ともいえる拒絶反応や恐怖に対し私はイマイチ実感がわかず言ってしまえば他人事だった。
 仮令向けられる対象が『わたし』だったとしても特に思う事は無く、自分の性質の何処に恐怖心を抱いているのか探る事も無く流していた。
 けど自分がその「未知」にさらされて初めて他者が感じていたモノを実感として感じたのだ――そう、未知へのモノに抱く恐怖を。

「(とはいえ、あれはやっぱり過剰反応だと思うけど)」

 実際化け物の如く罵られた言葉を思い出して内心眉を顰める。
 未知への恐怖は実感したけれど、『あれほど』の反応はやはり過剰だとしか思えない。
 個人差なのか私がドライ過ぎるだけなのか判別する術はない訳だけど。

 私はようやく実感する事が出来た感情への整理に夢中で王妃様と侍女がどんな会話をして、どのような結果目の前の光景になったのかが分からない。
 と言うか気づいたら目の前で侍女が崩れ落ちて王妃様が無感動に侍女を見下ろしているんですが、一体何事ですか?
 あれ? その人貴女が一番信を寄せる相手では無かったんですか?
 思い切り切り捨てた後、って感じなんですが。

「次は誰に擦り寄るのかしら? 次の方が貴女のごますりに騙されてくれる方だと良いですね」

 おおぅ、実際切り捨てる場面でしたか。
 いや、侍女サン、貴方何被害者面して泣き崩れているんですかね?
 貴女にとって王妃様は擦り寄って利益を得るための寄生先で王妃様にとって貴女は使い勝手の良い駒でしか無かった。
 どうやら貴女にとっては王妃様はその事に気づきもしない愚か者だったと思っていたようだけど、王妃様の方が一枚上手……いえ、冷静であったというだけの話でしかない。
 実際王妃様の権威を自分のモノと勘違いして増長しただけだろうに。
 ……ん? 令嬢サマみたいな話だな、それ。
 王妃様って人をダメにする才能でもあるんだろうか。
 はた迷惑な才能だなぁ。
 
 自分が切り捨てられる事を全く考えていなかった愚かな侍女サンは王妃様に切り捨てられて泣き崩れている。
 あー廊下のど真ん中で何やってるんだか。
 いや、慰めもしない私もどうよ? と言われるかもしれないけど。
 この人庇う理由私には欠片も存在してないし。
 そもそも王族からの通告は絶対でしょうに。
 本当に何が起こっているか分かっているなら泣き崩れて自己憐憫に浸っている暇なんて無い。
 今まで王妃様付きという確固たる地位を築いていた女性が王妃本人から解雇を言い渡された。
 何が起こったのか探る人間は当然出てくるし人の口に戸はたてられない。
 あっと言う間にこの女性の所業は明るみになり今までの横暴な態度も一緒に露見する事だろう。
 誰もが知っているが口にしない状態になる。
 その場合彼女に今後婚姻の申し出や他の職に就く事が出来るのだろうか?
 領地に戻り慎ましやかに生活し噂が飽きられるのを待つか、家に引きこもるか。
 まぁ一度覚えた贅沢や身についた威を借る態度がそう簡単に雪げる事はないだろうけど。
 親の性格によっては修道院行きだって充分にあり得ると思う。
 私と違って「まっとうな貴族」である彼女が質素倹約な生活に耐えられるかどうかは知らないけど。

 現状を把握出来る人ならば、泣き崩れている暇は無いと判断する。
 少なくとも最悪の状況にならないように動き出すか王妃様から撤回か緩和を懇願するか。
 殿下に助けを求めるか。
 何かしらの行動に出ないといけないのだ。
 泣いていても状況は良くならないのだ、彼女の置かれた立場は。

「<なんてーか。自分を憐れむ姿ってのはむなしーモンだな>」
「<私達の誰もが憐れまないから自分で自分を憐れんで慰めているんじゃない?>」
「<けっ>」

 黒いのは心底気に入らないと言った感じで舌打ちしたのが伝わってくる。
 どうやら黒いの感性では彼女の言動は完全アウトらしいです。
 私よりも辛辣ですなぁ。
 他に誰も聞いてないし止める気は更々ないけど……いやまぁ誰かに聞こえていても状況さえ許せば止めないだろうけど。 
 こういう輩は私も鬱陶しいと思うし。
 
 そんな事よりも勝手に笑えもしない劇に巻き込まれた現状をどうにかしたいのですが。
 王妃様への違和感も未知への恐怖心ももうお腹一杯です。
 ただでさえ謁見の間での出来事で色々削られているのに、更に見たくもないモノを見せられて、そろそろ階級とか上を立てるとか体面とか色々何処かに投げ捨てたくなってきてるんですが、ダメですかね、やっぱり?
 
「<もう黒幕とか色々シリアスな考察とかどうでも良いから家に帰りたいです>」
「<いちおー修羅場なんじゃねーの、コレって?>」
「<王妃様付きの侍女が一人辞めようとも私には一切関係無いし。ってかあの対応が普通なら私の事が無くても解雇されてたと思うし? 命があるだけマシなんじゃない?>」
「<……それもそーだな>」

 ほら、黒いのだって否定できないでしょ?
 だからもう観客や第三者まで格下げされたなら潔く家に帰して下さい。
 いい加減緊張続きな状況で疲れたんですが。

 なんて思って注意を逸らしていたのが不味かったらしい。
 いつの間にか侍女は自分を慰めるよりも敵を作り出して八つ当たりする方向に思考がシフトチェンジしていたらしいです。
 しかもその相手は私だ、そうですよ?
 迷惑極まりない話だよねぇ?
 自己憐憫に浸っていた侍女はこうなった元凶を私であると決めて逆恨み、何処に持っていたのか行き成りナイフで私を斬りつけようと切りかかって来た! ――らしいです。
 黒いのの「<瑠璃の!>」という焦った言葉と何かに庇われた、そんな感覚によって戻って来た私が見えたのは、何故か私を庇っている殿下とナイフを持って女性にあるまじき顔をしている侍女さんで。
 思わず「(何事!?)」と心の中で叫んでしまった訳だけど、仕方ないと思う。
 どうやら逆恨み侍女さんが私を刺そうとした所を殿下に庇われた、らしい。
 意識がすこーし迷子になった途端に状況が変わり過ぎじゃないですかね?
 再び当事者に格上げになった私は侍女には迷惑そうな顔を隠さず、殿下には少しばかり困った顔を向けた。

「で、殿下?! ワタクシを庇うなんて。怪我をなさったら一体どうするおつもりなんですか!?」
「それはあの事件の時私が言いたかった事なんだが。……まぁ体が動いてしまったんだ。仕方あるまい」
「そんな弟君のような事をおっしゃらないでください。貴方様はもっと、こう頭で考えて動く方ですよね!?」
「私だって偶には体のままに動く事もあるさ」
「……らしくないと言いたい所ですけれど、其処まで言える程付き合いがある訳では御座いませんでしたね。――殿下、庇って下さって有難うございます」
「礼は言うのだから君もりちぎと言うか……まぁ何事も無くて良かった」

 そんな、第三者から見ると他人行儀なんだか親しいだか分からない会話も目にフィルターが掛かりまくっている侍女にとっては親しげに、しかも私が殿下を誑かしているように見えているらしく、もう顔がよそ様に見せられるような代物じゃなくなっていました。
 此処まで殺意に満ち溢れている人は初めて見たよ。
 フェルシュルグだって此処まで殺意に溢れてなかったし。
 侍女のあさってな殺意は当然殿下にも伝わっているので、私を庇い自分が前に出てしまう。
 あーうん。
 私に守られ姫ポジションは似合わないと思うの。
 そして襲撃事件の時も思ったけど、此処で庇われ姫やっている事は私には出来ないんです。
 とは言え私が前に出る前に侍女の標的が殿下に移ってしまったから前に出損ねたんだけど、ね。

「そこを退きなさい!」
「どけばキースダーリエ嬢を害すると分かっていてどくとでも?」
「そんな小娘に骨抜きにされるとは! それでも王の子か!」
「……貴方方が最も私を王族とみとめていないと言うのに。こんな時だけ王族あつかいするとは。物事は貴方方の都合で動いているわけではありませんが?」

 殿下の声がひっくいです。
 激怒というか、むしろ青い炎です、完全に。
 静かに怒ってます、そしてその方が怖いです。
 まぁそうなるのも分からなくもないと思いますけどね。
 侍女――もう「元」でいいかな?――は完全に殿下を見下してますしね。
 自分の都合で王族扱いしたり格下扱いすれば、そりゃ信用を無くしますし、信頼なんぞ一切しないよね。

「<此処まで自分の都合だけで物言う人初めて見たわぁ>」
「<……そうか?>」
「<え? こんな感じの人会った事あるの?!>」
「<あーまぁな。『前』の時なんだけどな>」
「<うわぁ。お疲れ様>」

 この手のタイプって自分は賢いし世渡り上手だとか思ってそうだよね。
 コレの同類に絡まれたならご愁傷様としか言いようが無いわ。
 ……ん? 今、頭の端に何か掠めた気が。

 気のせいかな?

「<瑠璃の?>」
「<んん? いや何でもないわ。……ってかこの元侍女そろそろどうにかしないと、いい加減五月蠅い>」

 取り敢えず元侍女を撃退する方が先決だよね。
 にしてもこの元侍女さん、完全に【闇の愛し子】と言うか【闇の精霊】に対して悪意がある物言いが酷い。
 創造神の片割れを此処まで悪し様に言うなんて度胸があると言うか馬鹿だというべきか。
 ちっさな集落じゃあるまいし、王都の神殿は創造神である双子神を祀ってるの知らないのかな?
 
「【闇】に加護を受けた程度で殿下の上に立とうなどと恥を知りなさい!」
「【精霊】の加護を受けるだけの器の大きさもお持ちでない方が戯言をほざくのも大概になさって下さいません? 【闇女神】への暴言は耳障りで怖気が走りそうですわ」

 ナイフを構えたまま何やらほざく元侍女を鼻で笑いながら今度は私が殿下の前に出る。
 別に狂信的な精霊信仰者でもないし【愛し子】を選ばれた者、なんて言う選民思考も無いけれど、少なくとも【愛し子】や【恵み子】は膨大な魔力を受けとめるだけのキャパが必要だという事は分かっている。
 まぁ魔力が膨大だからと言って才能に胡坐を欠けば自滅する訳だけど、少なくとも出だしが有利である事は事実である。
 時に嫉妬され時に羨望の的となるのが【愛し子】としての宿命である。
 だからまぁ妬まれるなら聞き流しても良いんだけど、此処まで【闇の精霊】だけをこけ下すのは流石に見過ごせない。
 その思想はこの世界では異端であり危険視されるモノだ。
 私だって信仰を捧げる事が出来るかどうかは分からないけど、少なくとも蔑みこけ下すつもりはない。
 もうちょっと冷静に向き合いたいと思っている。
 だからまぁ元侍女の物言いは不愉快だし耳障りでしかない。

 私は元侍女と対面すると見下す様に笑った。
 この行為が相手を煽るモノである事は重々承知だ。
 けど、元侍女は私を小娘程度にか思ってない。
 そんな相手に見下されれば一層腹が立つでしょう?
 此処で元侍女を無罪放免で放置する気はもはや無い。
 きっちり逃れられない罪を負ってもらう。
 
 けどまぁ、恨まないでくださいな?
 だって貴女の中に少しでも冷静さがあれば全く問題無かったんですからね?

「駒にすらなれなかった小物が喚かないで下さいませ。ワタクシ達は貴女の戯言を聞く程暇では御座いませんの。少しぐらい立場というモノを弁えてはいかが?」

 今まで完全に見下し格下扱いしていた相手からの蔑みは怒りをこれでもかってくらい煽ってくれるでしょう?
 まぁ流石にナイフを振り下ろす程の勇気は無いだろうから、ナイフを捨てて掴みかかってくるぐらいでしょうけど。
 仮令私が煽ったとしても公爵家の令嬢に掴みかかる事は許されない。
 仮令元侍女が聴取時私の非を声高々に主張しても遡り調べれば調べる程自分の言動で首を絞めていく。
 此処に王妃様しかいないなら兎も角殿下もいるのだ。
 完全な私の味方ではなくとも真実を話してくれる程度には私に対しての情を持って下さっている殿下が。
 真実が闇に葬られる事は多分無い。
 それが分かるから私は遠慮しないのだ。

 さぁもっと煽りましょうかね?
 さてもっと煽ってやろうと口を開こうとした時、腕を引っ張られて後ろに一歩下がってしまう。
 後ろに庇った殿下が私の腕を引っ張んだと思うだけど、一体何事?
 首を僅か動かして後ろを見ると殿下が何とも言えない顔で「君はもう少し自分を大切した方がいいよ」と言ってきた。
 
「やりたい事は何となく分かるけど、あそこまでいくと気狂いのたぐいだから何をしでかすか分からない。不用意にあおらない方がいい」
「ですが、ここで完全に叩きのめしておいた方が良いのでは? 居ても害悪にしかならないと思いますわよ?」
「さっきまでの言動でおつりがくるよ」

 そうなんだろうか? と意識が殿下に行ってしまっていたのが悪かったんだと思う。
 元侍女はさっきも私と殿下の会話を曲解、ある意味でド素直に受け取り食って掛かって来た。
 だから今回の私達の会話もまた元侍女にとって突き抜ける原因になったらしい。

「オマエノセイデェェェ!!!!」

 女性にあるまじき声に慌てて振り向くと元侍女がナイフを持ったまま突進してくるのが見えた。
 殺気すら込められた鋭い眼差しに、何より得体のしれない「黒い」何かを纏う姿に私は強い恐怖を覚えた。
 自身に沸き上がった恐怖のまま隠し持っていたナイフを取り出し臨戦態勢に入った私は殺気に当てられるようにナイフを急所に突き刺そうと体が動き出す。
 けど、相手が本来は全く荒事に慣れていないであろう女性であると考えてしまう。――考えてしまった。
 
「(くっ!?)」

 心の奥底から湧き上がる「殺したくない」という感情が声となって脳内に響き渡る。
 それをねじ伏せるよりも元侍女が私と肉薄する方が先だった。
 私は自分にこびり付く『倫理観』に舌打ちするとナイフで軌道を逸らした。
 頬にピリッしたようなひりつくような感覚のような後、熱を感じた。

「(勢いを殺しきれず切れたかな?)」

 何かが頬を伝う感覚もあるし、多分頬にナイフが掠ってしまったらしい。
 私は今度こそ沸き上がるモノをねじ伏せると改めてナイフを構え元侍女に向き直る。

 けど追撃の心配はないようだった。
 元侍女は私の頬を見て恐怖に支配されたのか顔が青ざめて唇が震えている。
 人を直接傷つけた事なんて無いのか簡単に人が傷つく事に今更恐怖を感じた、と言った所なのだろう。
 というよりも完全に青ざめてるしブツブツと「わたしはわるくない」やら「よけないほうがわるい」だの言って更に狂気に飲まれていっている。
 ただ、この期に及んで自己保身の言葉が出てくるとは……。
 私は二歩程離れていた元侍女に素早く接近するとナイフを跳ね飛ばした。
 カンと甲高い金属音と共にナイフが誰もいない壁側に吹き飛んでいく。
 カランという音がしたから多分廊下に落ちたんだろう。
 流石にもう一本持っているとは思えないし、私は一応元侍女に視線を向けながらナイフを再び仕舞う。

 元侍女は相変わらずブツブツと呟いている。
 耳を澄ましても「自分は悪くない」という事と「私が全部悪い」という事しか言わない。
 これが初対面だと言うのに散々な言い分である。
 気狂いの果てに残ったのが自己保身とはねぇ。
 
「<取り巻きがいねーだけマシだな>」
「<え? いや、元侍女だから取り巻きの一員じゃなくて?>」
「<『前』に居た奴は外面が良かったのか取り巻きがいたんだよ。御蔭でくそめんどくせー事になってたんだがな>」
「<へぇ>」

 自己保身が先立つ外面良い取り巻き一杯の女ねぇ。
 現実に居たら絶対に近寄りたくはないタイプだわ。
 
「<まぁ確かに。取り巻きの一人や二人連れてそうなタイプではあるよね、この元侍女>」
「<オーヒの侍女とかぜってぇできねー類いの人間だと思うんだがな>」
「<確かに。私もそう思うわ>」

 誰かの身の回りの世話をするとか絶対出来ない類の人間だと思う。
 よくまぁこの程度の能力でこの性格で王妃様の侍女なんぞになれたよね?
 そしてよく今までボロも出さずにいられたよね。

 気狂いを体現しているような姿で俯き何やらブツブツ言っている元侍女を呆れた目で見ていると再び腕を引かれてたたらを踏んでしまう。
 今更ですけど私、殿下の気配察知しなさすぎじゃないでしょうか?

「キースダーリエ嬢、ケガをしている」
「かすり傷ですわ、殿下」
「だが私はまた君に助けられた」
「この傷はどちらかと言えばワタクシが煽ったせいですから自業自得ですわ。だからそんなに心配なさらないでくださいな」

 事実、狂気状態にまで追い込んだのは私のせいだろう。
 この程度で、と思わなくも無いけど、普通の貴族令嬢はこんなもんなのかもしれない。
 だとしたら精神脆過ぎて迂闊に煽る事も出来ないけど。

 殿下は私の傷が気掛かりなのか自らのハンカチを私の傷に当てようとする。
 ご、ごめんなさい、それは勘弁してください。
 血は取れにくいんですよ!
 取れない血を落さないといけない下働きの人が大変だし、と断っていると「これは返さなくても良い。だから血をぬぐってくれ」と言われて「とんでもない!」と思わず返してしまった。
 けど仕方ないよね。
 普段使いだとしても王族が使ってる物って、それだけで価値が高すぎますから。
 しかもどんな場面だろうと下賜されたように見える形での譲渡は騒動の火種になりかねない。
 謁見の間での騒めきを考えても私が殿下達と近すぎるのは双方、良い事はないだろう。
 お互いに子供だって言うのに、邪推してウルサイのが多すぎるんだよね、貴族って。
 年頃の娘の全員が王子様のお嫁さん、を望んでいるわけじゃないんですよ!
 私は王妃が女性にとって最高位とか価値観には一生慣れそうもない。

「イヤァァァァァ!!?!」

 殿下の申し出を丁重に断り、自分のハンカチで頬を拭おうとした時、後ろから獣じみた絶叫が聞こえてきて、もはや反射のように振り向くと臨戦態勢になる。
 ナイフを取り出さなかったのは殺気が感じられなかった、それだけだった。

 振り向いた先では雄たけびを上げて泣きわめいている元侍女とそんな元侍女を何処までも無感動に見ている王妃様の姿が見えた。
 もはや叫ぶ気力もないのか、絶叫は最初の声だけだったけど、涙を流し頭を掻き毟り声にならない慟哭を上げる元侍女にただならぬ気配だけはひしひしと伝わってくる。
 王妃様がそんな元侍女の事を無機質に無感動に見ている事もその予感を強くさせる要因だ。
 
 もう意味のある言葉を発する事さえ無くなった元侍女から王妃様はすっと視線を外す。
 それは元侍女が路傍の石程度しかないという事を指し示していて、王妃様が元侍女を完全に見限ったという事でもあった。
 廊下に突っ伏し意味のない言葉を上げ涙する元侍女を後目に王妃様が此方に視線を動かす。

 私と、多分殿下を視界に収めた時、王妃様の無感動な眸が激変した。
 無機質で人形のような目が、私達を見て人に戻ったのだ。
 ただそれが怒り憎しみによって、という所がこの茶番はまだまだ終わらないという事を突き付けられた訳だけど。


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