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1巻
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しおりを挟む序章
夢を見ていた。
私が過去に渡り歩いた、異世界の夢だ。
一つ目の世界では、深い森の中に小さな泉が見える。
木々は朝露に光り、鳥たちのさえずりが聞こえた。
二つ目の世界では、荒野に並ぶ風車の姿が見える。
風車の軋む音は、赤子の子守唄のようだ。
三つ目の世界では、城下町の賑わいが見える。
お触れの声とともに、角笛の音が響き渡った。
四つ目の世界では、雪の国の景色が見える。
白い雪山に、堅牢な城がそびえ立っていた。
懐かしいそれらが、絵本のページを捲るように次々と入れ替わる。そして、どこからか聞こえる声が私に問う。
『香織の世界はどんなところ?』
私が生まれ育った国は、日本。
黒い瞳に黒い髪の人々が住む、文明の進んだ小さな島国。
そして、生まれて二十年くらい、ずっと勉強するところ。
そう答えると、異世界のみんなは驚きの表情を浮かべる。
『火に薪をくべることさえできなかったのに? 水も汲めなかったのに? じゃあ、どんなことを勉強するの? それを学んでどうするの?』
それを説明するのは難しいよ。私もほとんどわかってないもの。
『カオリはずっと勉強しているのに?』
気がつけば、絵本のページがひとりでに進む。
馬上から見た異国の町並み。剣と爆弾。大学受験会場のリノリウムの冷たい床。
いつしか、夢は何冊もの絵本をバラバラにして、無理矢理繋げたようなものへと変わる。
『ねえカオリ。カオリはここで何になりたいの?』
たくさんの壊れた絵本が無邪気に問う。
そんなのわからない。それより誰か教えてよ。
私の未来は、一体『どこ』にあるの――?
第一章
『次の角を、右です。――目的地周辺です。お疲れさまでした』
握りしめていた手の中から、軽快な声がする。
自他ともに認める方向音痴の私にとって、スマホのナビは大航海時代の羅針盤。目を落とせばディスプレイに、目的地である大学のキャンパスが赤く示されている。
けど、この世紀の大発明には大きな欠点があると、私は声を大にして訴えたい。
「で……、大講堂ってどこだろ」
私が行きたいのはあくまでも『目的地』であって、けしてその『周辺』ではないのだ。
今は四月初旬。これから通うことになる大学の正門から、そっと中を覗き込む。すると、青々とした銀杏並木の下に、サークル勧誘の列ができているのが目に入った。
(うわわー……。これ、駄目なやつだ)
バーゲン会場かと思うほど人が入り乱れ、先が見えない。正門前で呆然としている私の横を、他の新入生たちが足取りも軽やかに通りすぎていく。
(ここからが一番重要なのに、どうしてスマホのナビは最後の最後で私を見放すのかなぁ?)
目的地の大講堂も見えないし、構内案内図を見つける自信もない。
「敷地内をぐるっと回ってみる……とか?」
うろついていれば、そのうち大講堂は見つかる気がする。けれど、待ち合わせの十二時までにはたどり着けないだろう。そう途方に暮れていると、今度はメッセージアプリの音が鳴った。
『カオリ、大講堂の場所わかってるー? また迷子なんでしょ』
『オリエンテーションは終わっちゃったけど、カオリのプリントももらっといたよ』
『銀杏並木の先。一番大きな建物!』
同級生からのグループメッセージだ。
(ええと、待って待って! 一番大きな建物って言われても、どれかわかんないよ?)
混乱する私を見ていたかのように、今度は大講堂らしき建物の前に並ぶ三人の男女の自撮り写真が送られてくる。
『ほら、ここだよ~』
私はそのメッセージにも、大講堂の外観にも目もくれず、その三人の顔をじっと見る。
(すごい……懐かしい)
「……ええっと、長身の男の子が草食系のアツシで、その横の大人っぽい子がクミ。そしてこれを送ってきたのが一番右のミホ。みんな同じ高校出身で、比較的仲がいい」
私にとっては彼らに会うのが『数年ぶり』でも、向こうにとっては卒業式以来、数週間ぶりだ。だから、挨拶は「久しぶりー。春休みどうしてた?」で問題ないはず。
確認するように呟いてから、「よし!」と気合を入れて、私は雑踏に足を踏み入れた。
私、田中香織はどこにでもいそうな、取り立てて特徴のない十八歳の大学生だ。
肩までのボブヘアーは気に入っているけど、そこから覗く顎のラインはふっくらと丸くて童顔だし、平均身長に届かない小柄な体形も、大きな眼鏡をかけている姿も、大人っぽさからはほど遠い。
人と違うことといったらその幼めの外見と極度の方向音痴くらいだけれど、それを含めたって普通の人間だと思う。
ただ、本当は不思議な肩書を一つだけ持っていて――
私、田中香織は過去一年間で、四つの異世界渡りをした『ベテラン異世界トリッパー』なのである。
「大学構内で迷子になれるって、ほんとカオリの才能だよな」
結局、級友たちに迎えに来てもらって、なんとか合流した。
アツシに渡された分厚い茶封筒を覗き込むと、履修登録や健康診断のお知らせの紙の束が入っている。
(こ、こんなに、綺麗な紙がたくさんあるなんて!)
やっぱりこっちの世界は贅沢だ。
どこの世界でも紙は貴重品だったのに、ここだと同じサイズ、同じ厚さ、色ムラのない滑らかな紙が、当たり前のように使われている。ほんと日本ってすごい。
高度な技術より、こんな些細な日用品に技術力や文明の違いを感じてしまうのは、安価で安定した工業製品こそが、国力を象徴しているからだ。
「カオリ? おーい、カオちゃーん」
紙を出したり引っ込めたり、スリスリと撫で回したりしていた私を、三人が唖然としながら覗き込んでいる。より正しく言うなら、ちょっと引かれている。
「大丈夫? 最近ちょっとおかしいよ? なんかあった?」
私のおでこに手を当てて、クミが熱を測る仕草をする。
「もしかして入学式出なかったの、第一志望の大学に落ちて、本当はここに来たくなかったから――とか?」
(ううっ。いけない、いけない。なんとかフォローしないと!)
そう思って慌てて両手を身体の前で振る。
「し、心配かけてごめんね。まだ一人暮らしに慣れてなくて遅刻しちゃっただけ。慣れたら、なんとかなるよ!」
そして、引っ越したばかりのアパートから大学まで盛大に迷った話を披露する。
その話を聞いて、三人はケタケタと朗らかに笑った。
「だからお前、乗り換えには気をつけろって言ったろ」
「きっと電車の色だけ見て飛び乗ったんでしょ」
「そうなの! なんでわかったの!?」
そう言われて、深く頷く。
蟻の群れのような通勤ラッシュは、異世界生活ではありえない。久々のことなので身体がまだ慣れていないのだ。
「相変わらずねぇ。でも元気ならよかった。この青い紙が年間行事予定表よ。履修登録まではまだ日にちがあるから、一緒にゆっくり決めよ」
ありがとうと言って笑うと、少し幼さの残る級友たちが屈託のない笑顔を返してくれる。
「カオリは美味しい食べ物を見つけるのがうまいし、近くのお店めぐりもしようよ」
「学食のメニュー制覇が先だろ? 俺と勝負な。今度は負けねえ」
「もう、本当に二人とも大食らいなんだから!」
「一緒に大学生活楽しもうね!」
そう言う級友たちに、なんとも言えない気持ちを押し隠して笑う。
(大丈夫。きっとなんとかなるよ……)
そう思いながら、胸に抱いた茶封筒をぎゅっと握りしめた。
一人暮らしのキッチンで、ガスコンロのつまみをバチンとひねって火をつける。綺麗なドーム形のヤカンに蛇口から水を入れ、青い炎が躍るコンロに置く。――それだけでお湯が沸く不思議。
井戸から水を汲む必要も、火打ち石も必要ない。簡単、安全だなんて。
「本当~に、すごいよねぇ」
白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が三種の神器と言われた時代があったらしいけど、ガスコンロもそこに入れていいと思う。
「これを考えた人、天才だわ」
うんうんと頷きながら、百均で買った緑茶のティバッグをマグカップに入れ、お湯を注ぐ。あっという間に温かい飲み物の完成だ。
あらかじめ作っておいた梅干しおにぎりと鮭おにぎり、淹れたばかりの緑茶、ついでにポテトチップスとチョコレートを掴んで、居間に続く扉を足で開ける。
引っ越し用の段ボールだらけの部屋を横切り、ちゃぶ台にそれらを広げれば――夢のお一人さまパーティの始まりだ。
「引っ越し完了と新生活スタート、そして四度目の地球帰還おめでとう!」
緑茶のマグカップを掲げて、乾杯の仕草をする。
日本帰国ではなく、地球帰還。
友達の前で言ったら、頭がおかしくなったと思われるかもしれないけど、言葉のままなんだから仕方ない。
早速お祝いをしようとおにぎりを頬張ると、海苔の豊かな香りと、ふっくらとしたご飯の甘みが口に広がった。そこに梅干しの酸味がきいていて、くううっと唸る。
「おにぎり、おいしっ!」
一度食べ出したら夢中になってしまって、あっという間にお皿は空になる。
そうして最後に緑茶をすすると、心の底からほっと息が出て、肩の力を抜くことができた。
「……帰ってきたんだなぁ」
昔話でも童話でも、お話には必ず『きっかけ』がある。
お地蔵さまに笠をあげたり、いじめられた亀や怪我した鶴を助けたり。でも私の異世界トリップは、本当に突然だった。
一回目は、高校三年生のある日。塾に行こうとして家を出たら、森の奥深くにいた。
二回目は、パジャマ姿で実家のソファにいたとき。気がつけば風車の回る世界だった。
三回目は、第一志望の大学入試の前日。コンビニの店内でふと振り返ったら海辺の城下町にいた。
いつだって何の前触れもなくトリップするし、何の前触れもなく戻ってくる。向こうの世界で何年過ごしても、戻ってくるのはトリップしたその瞬間だ。
ちなみに三回目の世界からは数年経って戻れたけど、翌日受けた大学入試の結果はもちろん不合格だった。
そして、直近の四回目は大学入学式当日。入学式用のスーツ姿のまま、横殴りの吹雪に襲われた。
(なんで、私はこんなに異世界に飛ばされるんだろう)
そう考えてみても、心当たりは何もない。帰ってくるのも唐突で、条件みたいなものは不明だ。適当に異世界サバイバルをしていると、日本に戻っている。そんな感じだ。
だからこうして、いつも同じ悩みにたどり着く。
『異世界トリップなんて勘違いで、ただの長い夢じゃないの?』
そう思う一方で、夢じゃないと思う根拠も多々ある。
何年もその場で生活するような夢なんて聞いたことがないし、普通の夢は起きたら忘れていくのに、異世界で生活した記憶は色褪せることなく鮮やかなまま。むしろ高校時代の記憶が、まるで十年以上前のことのように、遠い思い出の隅へと押しやられている。
「きっと梅雨とか夏休みくらいには、また異世界に飛んじゃうんだろうなー……」
我ながら言っててへこむ。
地球時間で三ヶ月に一度、いきなり巻き込まれる異世界サバイバル。受験勉強もぼろぼろだったけど、こうなると大学の単位だって危ない気がする。そして、何より人間関係も……
「次にまた数年間、異世界で生活したら、私どうなっちゃうんだろ」
地球の生活――とりわけ自分のことをよく知っている人との生活に戻れる自信が、あんまりないなあ。今でさえすでに不審に思われてるのに。
「彷徨える乙女は辛いわ」
厨二病っぽい独り言を呟きつつ、溜息をついた。そのまま今度はポテトチップスとチョコレートの袋を開ける。
ほかほかご飯のおにぎりも懐かしかったけど、この二つもずっと食べたかったものだ。
(疲れたときや落ち込んだときは、美味しいもの!)
拝むように手をパンッと合わせてから、久しぶりのポテトチップスに手を伸ばす。すると、その指先にぞわっとする感覚が走った。
「えっ……うそっ……!」
指先に薄くて青いベールがかかる。嫌ってほど体感した、異世界へ行くときの感覚だ。
(ちょっと待って。待ってよぉぉ!)
「だってまだ帰ってきたばかりだよっ!? ポテチもチョコも食べてない。お煎餅も羊羹もカップラーメンだって楽しみにしてたし、今夜はおそうめんの予定だったのに!」
必死で訴えるけど、視界がぐんぐん歪んで狭くなる。
「まだ全然食べてないのにー!!」
絶叫は口元までせり上がった青いベールに吸い取られる。そうして私の意識はとぷんと沈んだ。
ざわざわと人の話し声がする。
「どうだ……?」
「……大丈夫……そうです。――生きております!」
聞いたことのない言語のはずなのに、意味が理解できる。
まだ半分眠っているような状態で、それでも周囲に大勢の人がいること、音の反響からここがホールみたいな空間だとわかった。
(やだなぁ……。また異世界来ちゃったんだ)
予想はしていたけど、五度目の異世界トリップに衝撃とも諦めともつかない感情が胸を占める。
(まだあんまり食べてなかったのに……)
そう思った私を馬鹿にする人がいたら、突然誘拐されて何年も秘境を旅してみればいいんだ。
戻れたときに、どれだけ故郷の食事がありがたいか。そして涙が出るか――
不意打ちのように起こった異世界トリップと、食べられなかった食事へのショックが、私の心の中で渦巻く。
起きる気にもなれず目を瞑ったままぼんやりしていると、今度は先ほどよりもはっきりと、人の声が聞こえた。
「秘術が成功したということは、これが『龍神の娘』なのか……?」
「しかし、首筋が出ているのは、男の証だ。ならば、残念ながら秘術は失敗のようです」
「いや、体形から考えると、一応娘では?」
「だが、まるで奴婢みたいですな。服装もみすぼらしい」
(……うわぁ~。なんだか今まででも一、二を争う最悪なスタートっぽいですよ?)
得体が知れない者への警戒の声と、こちらを貶すような発言に、ますますやさぐれた気持ちになる。
でもふと、今までと色んな意味で違う状況だと気がついて、一気に意識が浮上した。
(待て待て。ちょっと待って。今『秘術』って言ったよね?)
ということは、今回はこの人たちに『喚ばれてきた』ってことだ。それはこれまでとは大きく異なる意味を持つ。
今までは、気がついたら知らない世界に一人立っていた。けれど、今回は作為的に喚ばれたんだと、大きな衝撃が走る。
色々聞きたい気持ちをぐっと抑えて、意識が戻っていないフリを続ける。とにかく、集められるだけ情報を集めよう。私だって伊達に異世界経験が長いわけではないのだと、自慢にもならない自慢を胸に、耳をそばだてる。
「いえ、秘術は成功しました。この少女を、『龍神の娘』とみなすのが妥当かと」
「お待ちください! 『龍神の娘』といえば『その美声は世界を揺るがし、微笑む姿は夢のごとし。艶やかな舞姿には水龍も目を細める』と謳われた美姫ではないですか! それが! この! 端女のような娘だとおっしゃるのか!」
(はいぃ? なんですか、それ)
こちらこそクレームを入れたい気分だ。人違いだから今すぐ帰してほしい。
(でも……ってことは、無用の人間だとわかれば、秘術で帰してもらえる可能性は高いよね)
今までは帰る方法なんてわからなかったけど、今回は違うみたいだ。
恨みの気持ちは期待へと転じ、なんだかわくわくしてくる。
私だって頭の固そうな人たちに付き合っていたくない。ここはお互いの平和のために、すぐさま帰してもらおう。感じの悪い発言の数々に不安しか感じなかったけど、すぐに帰してもらえるなら、この世界の評価を改めてもいい。いやぁ、ここはいい世界だ。
浮かれてニンマリと笑う。
(帰って最初に食べるおそうめんの付け合わせは、定番の茄子と豚バラがいいかな。サクッとした鶏天も捨てがたいし、ゴマダレこってり系もいい感じ。蓮根とさつまいもの甘辛炒めも美味しいんだよねぇ)
帰郷パーティのメニューを幸せな気持ちで考えていると、ふいに優しそうな声が降ってきた。
「全部口に出てますよ? お嬢さん」
「……っ、ぐう」
「寝たフリ、うまくないですね」
「ぐ、ぐう……」
(しまったあぁぁ! 喜びのあまり声に出ていたみたい!)
だらだらと冷や汗が流れるけど、もう遅い。気がつけば周囲のざわめきは静まり、ひっそりと様子を窺っている気配がする。
胸中で焦っていると、先ほどの優しそうな声とは違う、嘲りを隠さない美声が響いた。
「そこの狸寝入り。いい加減起きなさい。狸なのはアンタの顔だけで充分よ」
「なっ、ちょ……っ、狸顔って、言い過ぎじゃない!?」
童顔丸顔コンプレックスを指摘され、思わずガバリと起き上がる。
(どうせ寝たフリがバレてるなら、勝手に喚ばれた文句の一つでも言わないと!)
そう思って顔を上げた次の瞬間、眼の前の景色に息が止まった。
「わぁ……」
(すごい……。綺麗――……)
薄暗い鍾乳洞の奥に、一条の光を受けた滝が流れている。
白く流れる水流と、きらりきらりと輝く水しぶき。その姿は、まるで黒い岩肌を力強く駆け上がる一匹の白い龍だ。美しく、神々しく、そして少し怖い。
多分これは、太陽光が入るほんの一時だけの奇跡の光景だ。本来なら暗闇であろう洞窟の一角が、何ものにも代えがたい名画に変わる――そんな幻想的な瞬間。
その美しさに目を奪われていると、感動を台無しにするかのように、溜息まじりの声が響いた。
「ああもう。狸顔が間抜け面をしていると、ますます馬鹿に見えるわね。救いようがないわ」
(もうっ。さっきから一体何なのよ! 人の感動タイムを邪魔しないでよね!)
そう思いつつ、雄大な景色から目を離す。
大きな篝火がいくつも焚かれた鍾乳洞の中。その明かりを頼りに見回すと、顔が映るほど磨き上げられた八畳ほどの広さの黒檀の祭壇に、奇妙な魔法陣が螺鈿細工で描かれているのが見えた。私が倒れているのはその中心だ。
祭壇の周囲には、遠巻きながらも熱心に、こちらを凝視している大勢の人々がいる。
(うわぁ……、初めて見る雰囲気だ)
神官風の裾の長い服を着た人とか、着物をアレンジしたような――早い話が大昔の中国に出てきそうな風体の人が、こちらを見つめていた。
そして、滝の反対側の鍾乳洞の一角に、ガッシリとした檜の舞台と、その上に華やかに飾られた台座があることに気がついた。
「あの、誰ですか……?」
先ほどの声の持ち主は多分ここだ。
立派な台座は黒漆で、四方には飾り屋根までの支柱が伸び、繻子の帳が床まで長く垂れ下がっている。正面だけは巻き上げられているから、煌びやかな衣装を着た人物が、中の長椅子でくつろいでいることはわかった。
(身分の高い――女性……?)
優雅にひらめくのは、白い指先と大きな扇。きらりきらりと光る銀糸は、腰まで伸びる美しい髪だ。紗の御簾が顔の半ばまで下りていて表情はわからないけれど、珊瑚色に塗られた唇が魅惑的に艶めいていた。
(年の頃は二十代。少なくとも成人済みの貴婦人みたい)
ただ座っているだけでこれだけの威圧感を漂わせるなんてすごい。この人物は確実に人を動かすことに長けた人間だ。そして目元が隠れていても類まれなる美貌の持ち主であるとわかる。
(でもだからといって、人を狸呼ばわりしていいわけないじゃない?)
ひとしきり推測してから、すう、と息を吸う。
「なんで喚ばれたのかはわかりませんが、綺麗な女性ならそこにいらっしゃるみたいですし、『龍神の娘』とやらはその人ってことで、私は帰らせてもらいたいんですが」
『綺麗な女性』の部分で御帳台を指し、にっこり笑いながらこちらの要求を述べる。すると見守っていた周りの人々が騒ぎ出した。
「なっ、なんと殷煌様に無礼な!」
「貴様! 大陸に名高い印東国、その皇帝陛下の御前であるぞ!」
え? 皇帝陛下? もしかして――君主サマ御本人!?
いきなり降って湧いた天上人に、驚いてまじまじと台座を見上げる。
御帳台は華やかに飾られているとはいえ、あくまでも品位は失わない。素直にセンスがよくて素敵だと思うけど、鍾乳洞の中に能舞台がしつらえてあるような唐突さは否めなかった。だが、これが玉座だというのなら、納得だ。
「女王陛下なんですか? それは大変失礼をいたしました」
さすがに指差しは失礼だったと、居住まいを直して丁寧にお詫びをした。なのに、今度は明らかに空気が凍ったのがわかった。
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