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第一章 暁を之(ゆ)く少年
第一話 賢明なる王子(2)
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朱昂が門を出て、緑の獣道を進む。
彼の肌は透きとおって白い。
生まれてから七十年近く、日の届かぬ室内で育てられたためだ。たまには若君にも日の光をと、珍しく父に願った母の言葉で外に出られるようになったが、しかし、門の中だけだった。
ぐるりと巡る漆喰の塀の向こうを、朱昂は知らぬままに育ってきた。
それが解禁されたのはほんの数年前だ。
その時のことを思い出して、朱昂は口の端を持ち上げる。
――あれは愉快だった。
ある時、真血の主は若君付の侍従に泣きつかれて、昼日中に自室を飛び出した。若君が錯乱したと言うのだ。焦って息子のもとに向かった父が見たのは、己の白い手に刃物を突き刺し続ける少年だった。
朱昂は真血を身に宿す。幼体であるが故に牙を持たず、真血の「主」として操ることはできないが、真血は主命を聞かずとも朱昂の体だけは護った。故に、傷口は驚異的な速さで治癒する。
治癒しては刺し、類まれなる霊薬を床にこぼす。
刺す。治る。刺す。治る。刺す。――治る。
その間、朱昂の桃色の唇がひそひそと動き続けた。
「外に出せ。外に出せ。外に出せ」
まるで子どもの声ではなかった。
悲鳴をあげた父は息子の手から小刀を奪い、床に叩きつけた。
銀の小刀は父の皮膚をも傷つけ、親子の真血が床で混じりあう。
「お外に出たいです、父上様……」
脅迫劇の終幕は、震える子猫のような声だった。
父の舌が息子の肌を伝う血液を舐め取る。愛児をぎゅっと抱きしめて大きく嘆息すると、父は部屋を出て行った。
『結界からは出ないように』と告げられたのは次の日の朝食のこと。
勝者の笑みを隠して頭を下げる朱昂の耳に、不本意な条件が届いた。
――日の入りの前後半刻だけ外出を許そう。良いな朱昂。
念押しの「朱昂」には王の放つ覇気があり、常にそうしていればもっと敬愛してやるのにと、朱昂は心の中で舌を出した。
フン、フン。
でたらめな鼻歌を歌いながら朱昂は獣道を進む。途中で枯れた枝を拾って、下草を叩きながらふらふらと視線をさまよわせる。
「あ。鹿だ」
少し離れた木の間に、鹿がいた。ぴょんぴょんと跳ねる小鹿の横に、母鹿がいる。首を巡らして子を見ては、草を食んでいる。
朱昂はガサガサと下草を薙いでいた枝の動きを止めた。
子を見る母が、朱昂に気づいた。
しばらく見つめ合った後、母鹿がゆっくりと歩きはじめる。小鹿は折れそうな細い脚をせっせと動かして母を追った。
大きな目をした生母の面影が脳裏に走り、朱昂は首を横に振ってそれを打ち消した。
枝を捨てる。派手な音がした。辺りには、朱昂の他には何ものも、小鳥一羽見当たらなかった。
彼の肌は透きとおって白い。
生まれてから七十年近く、日の届かぬ室内で育てられたためだ。たまには若君にも日の光をと、珍しく父に願った母の言葉で外に出られるようになったが、しかし、門の中だけだった。
ぐるりと巡る漆喰の塀の向こうを、朱昂は知らぬままに育ってきた。
それが解禁されたのはほんの数年前だ。
その時のことを思い出して、朱昂は口の端を持ち上げる。
――あれは愉快だった。
ある時、真血の主は若君付の侍従に泣きつかれて、昼日中に自室を飛び出した。若君が錯乱したと言うのだ。焦って息子のもとに向かった父が見たのは、己の白い手に刃物を突き刺し続ける少年だった。
朱昂は真血を身に宿す。幼体であるが故に牙を持たず、真血の「主」として操ることはできないが、真血は主命を聞かずとも朱昂の体だけは護った。故に、傷口は驚異的な速さで治癒する。
治癒しては刺し、類まれなる霊薬を床にこぼす。
刺す。治る。刺す。治る。刺す。――治る。
その間、朱昂の桃色の唇がひそひそと動き続けた。
「外に出せ。外に出せ。外に出せ」
まるで子どもの声ではなかった。
悲鳴をあげた父は息子の手から小刀を奪い、床に叩きつけた。
銀の小刀は父の皮膚をも傷つけ、親子の真血が床で混じりあう。
「お外に出たいです、父上様……」
脅迫劇の終幕は、震える子猫のような声だった。
父の舌が息子の肌を伝う血液を舐め取る。愛児をぎゅっと抱きしめて大きく嘆息すると、父は部屋を出て行った。
『結界からは出ないように』と告げられたのは次の日の朝食のこと。
勝者の笑みを隠して頭を下げる朱昂の耳に、不本意な条件が届いた。
――日の入りの前後半刻だけ外出を許そう。良いな朱昂。
念押しの「朱昂」には王の放つ覇気があり、常にそうしていればもっと敬愛してやるのにと、朱昂は心の中で舌を出した。
フン、フン。
でたらめな鼻歌を歌いながら朱昂は獣道を進む。途中で枯れた枝を拾って、下草を叩きながらふらふらと視線をさまよわせる。
「あ。鹿だ」
少し離れた木の間に、鹿がいた。ぴょんぴょんと跳ねる小鹿の横に、母鹿がいる。首を巡らして子を見ては、草を食んでいる。
朱昂はガサガサと下草を薙いでいた枝の動きを止めた。
子を見る母が、朱昂に気づいた。
しばらく見つめ合った後、母鹿がゆっくりと歩きはじめる。小鹿は折れそうな細い脚をせっせと動かして母を追った。
大きな目をした生母の面影が脳裏に走り、朱昂は首を横に振ってそれを打ち消した。
枝を捨てる。派手な音がした。辺りには、朱昂の他には何ものも、小鳥一羽見当たらなかった。
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