王の愛は血より濃し 吸血鬼のしもべ第2部

時生

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第一章 暁を之(ゆ)く少年

第五話 愛憎、暴露(2)

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 地下に続く階段を一段ずつ下りる。

 灯りは小さく、ようやく足の甲が見えるだけだ。小さな足音が反響し、暗闇の底から戻ってくる。追いかけてくる沓音くつおとを聞いた気がして朱昂しゅこうは振り返った。

 頭の高さに掲げた炎が油を舐める音を聞きながら、紅い目を細める。何の影もないことにほっとして、顔を正面に戻すと同時に足を下ろした瞬間、左足のかかとが階段を踏みそこねた。

 左足を投げ出したまま、後ろにのけぞった体勢を元に戻そうとしたのがまずかった。
 頭が足よりも前に出てしまったのである。わずかな浮遊感の後、肩に衝撃が走った。続いて腰、膝、頭。

 小さな体のあちこちを階段の角にぶつけながら朱昂は転がり落ちていく。頭の中心が恐怖でキリキリと痛み出した頃、落下は止まった。

 ――ゲホッ

 シンと全てが静まりかえった暗闇の中で、衣擦れの音が起こった。小さく咳きこむ音が続く。

 起き上がった朱昂は痛む右肩を押さえる。ひびの入った骨を、奇跡の血液が修復する音が聞こえてきそうだ。

 やがて痛みもひいて、朱昂は肩を回した。先ほどまで息をするのも辛かった痛みが嘘のようだ。

 階段から落ちている最中に、手にしていた灯り皿はどこかにいってしまった。朱昂は冷たくざらついた床に手のひらをついて、暗闇に目を凝らす。

 幸い、壁には窓がついていた。大人でも届かぬほどの高さに、横へと細長く伸びた窓が三つ並んでいる。青白い光に照らされたそこは、地下室にしては巨大だった。

 まさか屋敷の地下にこれほどの空間があることを知らなかった朱昂は、呆然と辺りを見回す。ようやく慣れてきた目が壁際に机を発見し、ゆっくりとそちらに近寄った。

 横に長い机の上には、大きな書物が開いたまま置かれていた。その周辺に紙が高く積まれている。

 何かの図面だろうか。そう思いながら、紙の間に灯り皿を発見し、帯に挟んでいた火打ち石を叩いた。小さく火花を散らせて皿の上の灯心に炎が点る。

 室内におびただしく並ぶ装置。朱昂は、暗闇の中でもその存在、そのおぞましさを十分に察知していた。

 震える手で灯り皿を持った朱昂は固く瞳を閉じてから、深く息を吸い込んだ。階段を下り始めた時から鼻腔を満たす血の匂いに、朱昂の嗅覚はすっかり失われていた。しかし、なおも濃い空気が流れ込む。

 べたりと鼻の裏側に血を塗られたかのような感覚。父はあれでも体を清めてから自分の前に現れていたのだと知る。

 やがて朱昂は目を開き、壁に手をつきながら四方に等間隔に取り付けられた燭台に火を入れ始めた。壁の燭台はやや高く、一々かかとを上げながら火を点していく。

 足下に気をつけながら二十も火をつけただろうか。朱昂は段々と全貌を露わにする室内に、震えるつま先を見ながら手元の皿の火を吹き消した。再び深い息をし、覚悟を決めて顔を上げた。

「……」

 予想していた吐き気は不思議と訪れなかった。代わりにぐらりと膝が揺れ、壁に背を預ける。少年は、そのままずるずると床に座りこんだ。

 目の前に整然と並ぶのは、木製の寝台だった。寝台といっても、朱昂が知っているものよりもずっと簡素なものだ。

 人一人寝そべられるだけの大きさの板に四本の足がついているだけのもの。それが見るだけでも三十近くはある。全てに血が染みこみ、中には人の形に血が染みているものまであった。

 高い天井からは鎖が何本も吊されている。鎖の合間に黒い糸のようなものが絡んでいるが、それが何であるか、朱昂は深く考えぬように視線を足下に移した。

 カチカチと奥歯がうるさく鳴っている。

 無理に深い呼吸を繰り返しながら、朱昂は再び目を上げた。朱昂と、寝台の列を挟んで向こう側に鎮座する長細い銀色の机。その上には硝子製の管や、月光を弾く鉄色の器の数々がある。

 汚らしい寝台に反して、そこだけは異様なほど清潔だった。父が、己と愛息のための毒を作る場所。机の足下には、朱昂が持ち込んだ灯り皿が砕け、わずかに床を汚していた。

 父の所業を知るために、朱昂は一度も開けなかった扉を開いたのだ。

 いつもいつも、人間が自ら吐いた血に溺れながら発する絶叫に聞こえぬふりをしていた自分。自らの足下で起きている「実験」を、ようやく見ようと決意した。

 それが、自分と父を完全に分かつだろうと承知した上で。

「……何ということを」

 朱昂は床に尻をつけたままぐったりと目を閉じた。

 真血を憎み、血を汚れとすら思っている父に育てられた朱昂であったが、そこは吸血鬼、血に対する信仰は幼いながらに芽生えていた。

 血は糧なり。

 命を育み、永らえさせる紅き水を必要以上に搾り取り、ここまで貶めるとは。

 生きるための水を、毒に変え続けてきた。数多の人間を屠り、その血液を自分すら殺せぬ無駄な毒に変えてきたのだ。

 父の狂気を目の当たりにして、さしもの朱昂の精神も折れかけていた。
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