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第二章 月ニ鳴ク獣
第四十七話 真血の秘術(2)
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室内は、斜陽のために赤紫の薄布がかかったようであった。
朱昂は急いで袖で鼻を覆う。脂粉の香りに慣れた鼻に獣じみた刺激臭がしたのだ。一歩踏み込んだ白火が後ずさる。白火が息を呑む気配を感じながら、朱昂は急いで寝室に向かった。
寝室の窓は開いていた。寝台の帳は上げられ、力なく腕が垂れ下がっている。袖を覆うのをやめて朱昂は駆け寄った。たしかに、第十五楼の娼妓はそこにいた。
痩せた首、ほぼ白髪になってしまった乾いた髪。目は見開き、しわになった敷布には血の染みが広がっている。こと切れた月鳴の姿がそこにあった。
「月鳴!」
悲鳴を出したのは後からやってきた白火だった。「そんな馬鹿な」「月鳴になんという仕打ちを」と声を上ずらせる。朱昂は白火の嘆きに構わず遺骸の口を大きく開き、喉を大きく広げた。
「何をなさる!」
「黙ってくれ」
朱昂は月鳴に顔を寄せて己の指にかじりついた。鮮血が指先を伝って喉の奥に入り込む。
――戻っておいで。
鼓動を落ちつかせ、朱昂は真血を使って呼びかけ始めた。真血による蘇生術だ。
蘇生は、真血による通常の治療とは全く異なる。治療は操作だが、蘇生は共鳴だ。真血の霊気を体内にあまねく行きわたらせ、命を響かせる。生きるとは何か、命とは何であるかを教え諭す。真血が主の体を通じて脈々と受け継いできた生命の記憶を、生を忘れた魂に打ちつける。魂が真血の命の響きに共鳴したとき、体は再び熱を取り戻すのだ。
蘇生は、癒しの力を持つ真血の真骨頂。経験を積み、血術においては歴代最高と称される朱昂がようやく到達した頂だ。
――思い出して。
蘇生にはどうしても相性がある。体からその者の命の形を探り出し、それに合わせて霊力を響かせる必要がある。そのため、長時間の集中が必要だった。だが、それは知らぬ体の場合だ。
目を閉じた朱昂の額から汗が落ちる。集中を深くする。朱昂の真血に絡まってくる何かがある。伯陽が手を伸ばしている。触れ合ったところから、命のすべてが流れ込んでくる。
心の中に、爽快な風が吹いた。同時に、子どもの頃に繰り返し読んだ、真血の主従に関する研究の一節が思い出される。
『真血のしもべは、主の真血に応えて肉体の時を止め、主と死を共にするまで主を守り続ける。真血の主従とはすなわち魂の双子、血の伴侶である。』
朱昂の唇がほころぶ。ふたつの命が、縒り合される。
「戻っておいで、伯陽」
大きな痩せた手が、朱昂の二の腕を掴んだ。引っ張られた朱昂の肩に、唐突に激痛が走った。肩が食われるような痛み。本来肉を食いちぎるのに向かぬ歯が、力任せに朱昂を噛む。ぶちぶちっと皮膚が食い破られる音が耳元でした。
「朱昂様!」
止めようとする白火を、痛まぬ方の手を上げて制する。襲い掛かってきたモノは、喉を鳴らして朱昂の血を飲んでいた。貧血なのに、と朱昂は痛みに眉を寄せながらも乾いた髪をなでる。牙が震える。首筋に牙を立てたい衝動をこらえて耳元に唇を寄せた。
「伯陽。頼むからあまり飲んでくれるな」
冷たい唇が離れた。指が、朱昂の二の腕に食い込む。主従は鼻が触れあいそうな距離で、視線を絡ませた。
黒い瞳が、濡れ光っている。
「朱昂……?」
朱昂が紅い目を輝かせて力強くうなずく。伯陽が涙をこぼした。朱昂にすがりつく。
「ごめんよ、朱昂。本当にごめん」
「伯陽、恐ろしいことはもう終わったよ。……一度おやすみ」
しもべの体内に残した真血を操ると、重い体から力が抜けた。しばらく伯陽の肩に目を押し当てていた朱昂が長く息を吐いて顔を上げた。白火が涙をこらえている。「帰る」という朱昂の一言に、首を縦に振った。
「後片付けはお任せを。残った荷物は後でお送りいたします」
しもべを抱えたまま立ち上がった朱昂は一瞬膝が萎える感覚を覚えたが、取り落とさぬよう歯を食い縛る。腰を起こすと、ガチャリと何か金属が落ちたような音がした。首を伸ばすと、金色の輪が転がっている。白火が屈んで、それに触れた。朱昂を見上げて、痛みをごまかすように笑った。
「湛礼台の籍から月鳴が消滅した証です」
「そうか」
眠るしもべをゆすり上げて、朱昂は歩き始める。
朱昂は急いで袖で鼻を覆う。脂粉の香りに慣れた鼻に獣じみた刺激臭がしたのだ。一歩踏み込んだ白火が後ずさる。白火が息を呑む気配を感じながら、朱昂は急いで寝室に向かった。
寝室の窓は開いていた。寝台の帳は上げられ、力なく腕が垂れ下がっている。袖を覆うのをやめて朱昂は駆け寄った。たしかに、第十五楼の娼妓はそこにいた。
痩せた首、ほぼ白髪になってしまった乾いた髪。目は見開き、しわになった敷布には血の染みが広がっている。こと切れた月鳴の姿がそこにあった。
「月鳴!」
悲鳴を出したのは後からやってきた白火だった。「そんな馬鹿な」「月鳴になんという仕打ちを」と声を上ずらせる。朱昂は白火の嘆きに構わず遺骸の口を大きく開き、喉を大きく広げた。
「何をなさる!」
「黙ってくれ」
朱昂は月鳴に顔を寄せて己の指にかじりついた。鮮血が指先を伝って喉の奥に入り込む。
――戻っておいで。
鼓動を落ちつかせ、朱昂は真血を使って呼びかけ始めた。真血による蘇生術だ。
蘇生は、真血による通常の治療とは全く異なる。治療は操作だが、蘇生は共鳴だ。真血の霊気を体内にあまねく行きわたらせ、命を響かせる。生きるとは何か、命とは何であるかを教え諭す。真血が主の体を通じて脈々と受け継いできた生命の記憶を、生を忘れた魂に打ちつける。魂が真血の命の響きに共鳴したとき、体は再び熱を取り戻すのだ。
蘇生は、癒しの力を持つ真血の真骨頂。経験を積み、血術においては歴代最高と称される朱昂がようやく到達した頂だ。
――思い出して。
蘇生にはどうしても相性がある。体からその者の命の形を探り出し、それに合わせて霊力を響かせる必要がある。そのため、長時間の集中が必要だった。だが、それは知らぬ体の場合だ。
目を閉じた朱昂の額から汗が落ちる。集中を深くする。朱昂の真血に絡まってくる何かがある。伯陽が手を伸ばしている。触れ合ったところから、命のすべてが流れ込んでくる。
心の中に、爽快な風が吹いた。同時に、子どもの頃に繰り返し読んだ、真血の主従に関する研究の一節が思い出される。
『真血のしもべは、主の真血に応えて肉体の時を止め、主と死を共にするまで主を守り続ける。真血の主従とはすなわち魂の双子、血の伴侶である。』
朱昂の唇がほころぶ。ふたつの命が、縒り合される。
「戻っておいで、伯陽」
大きな痩せた手が、朱昂の二の腕を掴んだ。引っ張られた朱昂の肩に、唐突に激痛が走った。肩が食われるような痛み。本来肉を食いちぎるのに向かぬ歯が、力任せに朱昂を噛む。ぶちぶちっと皮膚が食い破られる音が耳元でした。
「朱昂様!」
止めようとする白火を、痛まぬ方の手を上げて制する。襲い掛かってきたモノは、喉を鳴らして朱昂の血を飲んでいた。貧血なのに、と朱昂は痛みに眉を寄せながらも乾いた髪をなでる。牙が震える。首筋に牙を立てたい衝動をこらえて耳元に唇を寄せた。
「伯陽。頼むからあまり飲んでくれるな」
冷たい唇が離れた。指が、朱昂の二の腕に食い込む。主従は鼻が触れあいそうな距離で、視線を絡ませた。
黒い瞳が、濡れ光っている。
「朱昂……?」
朱昂が紅い目を輝かせて力強くうなずく。伯陽が涙をこぼした。朱昂にすがりつく。
「ごめんよ、朱昂。本当にごめん」
「伯陽、恐ろしいことはもう終わったよ。……一度おやすみ」
しもべの体内に残した真血を操ると、重い体から力が抜けた。しばらく伯陽の肩に目を押し当てていた朱昂が長く息を吐いて顔を上げた。白火が涙をこらえている。「帰る」という朱昂の一言に、首を縦に振った。
「後片付けはお任せを。残った荷物は後でお送りいたします」
しもべを抱えたまま立ち上がった朱昂は一瞬膝が萎える感覚を覚えたが、取り落とさぬよう歯を食い縛る。腰を起こすと、ガチャリと何か金属が落ちたような音がした。首を伸ばすと、金色の輪が転がっている。白火が屈んで、それに触れた。朱昂を見上げて、痛みをごまかすように笑った。
「湛礼台の籍から月鳴が消滅した証です」
「そうか」
眠るしもべをゆすり上げて、朱昂は歩き始める。
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