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第三章 我、太陽の如き愛の伯(おさ)とならん
第四十九話 残された傷は深く
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夕食は、粥だった。真血によって健康体になったとはいえ、いきなり通常の食事をとることはできないと言われ、ほとんど重湯同然の粥をすすった。味の濃い食事に慣れた口には、ほんのりとした塩気だけの粥はあまりに味気なかったが、温かい食事がうれしくて、気づけば鍋が空になるまで匙を動かし続けた。食欲は十分だなと朱昂が機嫌よく笑う。血の杯を飲み干し、寝台に横になった。
一旦城に戻るよと朱昂が言うのを布団の中で聞く。今伯陽がいるのは柘律殿という名の離宮で、朱昂が寝起きする王城は別にあるのだと、伯陽は説明されていた。
何日も眠っていた反動だろうか、朱昂がいなくなってから、伯陽は浅い眠りと覚醒を繰り返した。うとうとしていたところ、布団が動く気配がして目を覚ます。火はほとんど消していたはずなのに、室内が明るい。
夜着一枚で布団の中に入り込もうとする朱昂と目が合った。伯陽の鼻先で揺れていた黒髪を、朱昂が肩の後ろへ流す。
「起こしたか? ちょうどいい、もう少し奥にいって」
「ん……、うん? こっちで寝るのか? 一緒に?」
「そうだよ。いいだろ、別に」
「いいけど……」
よじよじと尻をずらすと、朱昂が入ってきた。十分に広い寝台だから、男二人が並んで眠ることはできる。ぴとっと冷たい足が触れ、伯陽は思い切り隣を見た。
「足、つめた!」
「外寒かったんだよ」
半分眠りかけた口で朱昂がぼやいている。朱昂がすっと指を振ると、室内の明かりが消え、枕もとの燭台にだけ火が残された。少し体を起こして朱昂の寝場所を広げると、朱昂はもうはやまぶたを下ろしている。
月鳴を名乗って以来、夜ただ眠るためだけに誰かと枕を並べたことはない。本来であれば体を開くことも想定しなければならない状況だが、伯陽は不思議と緊張を覚えなかった。
ほんの数刻過ごしただけで、伯陽はかつての兄弟のような親友のような関係性と、常に朱昂と温もりを共有する距離感を思い出していた。
朱昂への想いは果てしない。その中には情熱的で、暴力的な熱情も含んでいたが、だからといって気取った仕草は不要であったし、いまさら身構えるものでもなかった。
伯陽は体を横向けて、朱昂の寝顔を見た。額から鼻にかけての整った稜線を、火の色に淡く照らされた唇を見て、嘆息する。牙の先端が、下唇をあまく噛んでいる。口を開けて、鏡を覗き込んでいた若い朱昂の後ろ姿を思い出した。
「朱昂、牙見せてくれないか」
「ん、ふあ、ぁ」
くわっとあくびをして、朱昂は口を半開きにした。少し体を起こして覗き込むと、朱昂がまぶたを下ろす。
他の歯よりも長い牙が桃色の肉から真っすぐに生えていた。表面はつるりと光り、先端は鋭いが意外なことに錐のように尖っているのではなかった。かつては自らにも生えていたもののはずだが、見れば見るだけ知らないものに伯陽は感じた。
「王の牙ってのは、もっと違うのを想像していた。もっとこう、凶器のようなものかと」
「十分凶器だが」
「あー……、触ったらすぐに獲物を傷つけそうな感じ」
「うっかり舌で触れられぬだろう」
それもそうかと伯陽がつぶやくと、朱昂が吹き出した。笑う朱昂に伯陽も頬を上げる。しかし笑みは奇妙に歪み、やがて消える。異変に気付いた朱昂が目を大きく開いて伯陽を見た。問いかけるように伯陽に向けて伸ばした指が、中途半端な位置で止まる。
「伯陽」
聞くなと伯陽が顔を背ける。言葉を失くした様子の朱昂が、ぎゅうと敷布を握った。それを見た伯陽が嘆息する。
「俺は朱昂のしもべに戻れたんだろう」
「戻ったよ。だからお前の体は短期間で癒えたんだ。――何か不安でもあったか」
しもべに戻れたことは、昼間朱昂から詳しいことを聞いていた。朱昂の声に心配の色が濃くなる。主の様子に、ごまかせば不必要に傷つけるなと伯陽は悟った。口にしても傷つけると分かっているのに、口にしなければならないことが辛い。
「俺の牙もこんなだったろうかと思ったんだ。朱昂にもらったものを失くしたきりになるとはと、そう思っただけ」
「伯陽……」
「気にするな。牙がなくて不便だったことはさしてない。もともと人間だ。周りが思うほど牙にこだわりはないよ。ただ、なんとなく当てが外れたような気持ちになったんだ」
朱昂が体を起こした。朱昂が何かを言う前に、伯陽は言葉を続けた。
「牙がなくても、俺が朱昂の傍にいられるならなんだっていい」
「伯陽、お前の牙がないのは牙と引き換えに俺を守ったからだよ。俺は絶対に忘れない。伯陽があの日龍宮で――」
龍宮と聞いた瞬間、伯陽の右手が朱昂の口を塞いでいた。紅い目が見開かれるのを見て、慌てて手を離す。
「すまん。すまない、朱昂。ごめんな」
「いや……」
伯陽が頭を抱える。腕を押さえつけられているような気がする。喉の辺りが重い。
「俺どうもだめなんだよ、アレが、もう。そもそも牙を失くした時の記憶だけ戻らないんだ。朱昂が前に言ったように、朱昂が奴らに力を奪われそうになって、代わりに俺の牙と、真血の結びつきがなくなったんだろう? それは分かってるから、お願いだから、もうアレの話をしないでくれ。朱昂、すまん。頼む、お願いだ。俺はお前のしもべに戻った。それだけで、もう、十分なんだ。ごめん、もう牙の話はしない」
伯陽は、龍族のことを「アレ」とか「奴ら」としか表現できなかった。牙を失くしたのは百年以上前のこと。対して、一年前の記憶はあまりにも生々しい。
龍と聞くだけで、荒々しい息遣いを思い出す。下半身の痛みを、血と精液の混ざった匂いを、「二度と朱昂の前に出られぬようにしてやる」と言い放った龍王の灰色の瞳を思い出さずにいられなかった。龍王は指一本触れることなく伯陽の精神を極限まで痛めつけていたのだ。
朱昂の力強い腕で抱かれた。朱昂の胸はあたたかく、甘い血に似た香りがした。
「謝るな。……もう言わないよ」
あの時は幻影でしかなかった朱昂が、こうまで近くにいる。伯陽は朱昂の背中に腕を回した。想い続けた幸福が訪れたのだと伯陽は己に言い聞かせた。朱昂が傍にいる。貴いものを手に入れるために何かを失うのは仕方ないことだと、朱昂の抱擁にすがりつきながら震える息を吐いた。
眠りに意識が途切れるまで、朱昂の腕は背中に回されていた。
一旦城に戻るよと朱昂が言うのを布団の中で聞く。今伯陽がいるのは柘律殿という名の離宮で、朱昂が寝起きする王城は別にあるのだと、伯陽は説明されていた。
何日も眠っていた反動だろうか、朱昂がいなくなってから、伯陽は浅い眠りと覚醒を繰り返した。うとうとしていたところ、布団が動く気配がして目を覚ます。火はほとんど消していたはずなのに、室内が明るい。
夜着一枚で布団の中に入り込もうとする朱昂と目が合った。伯陽の鼻先で揺れていた黒髪を、朱昂が肩の後ろへ流す。
「起こしたか? ちょうどいい、もう少し奥にいって」
「ん……、うん? こっちで寝るのか? 一緒に?」
「そうだよ。いいだろ、別に」
「いいけど……」
よじよじと尻をずらすと、朱昂が入ってきた。十分に広い寝台だから、男二人が並んで眠ることはできる。ぴとっと冷たい足が触れ、伯陽は思い切り隣を見た。
「足、つめた!」
「外寒かったんだよ」
半分眠りかけた口で朱昂がぼやいている。朱昂がすっと指を振ると、室内の明かりが消え、枕もとの燭台にだけ火が残された。少し体を起こして朱昂の寝場所を広げると、朱昂はもうはやまぶたを下ろしている。
月鳴を名乗って以来、夜ただ眠るためだけに誰かと枕を並べたことはない。本来であれば体を開くことも想定しなければならない状況だが、伯陽は不思議と緊張を覚えなかった。
ほんの数刻過ごしただけで、伯陽はかつての兄弟のような親友のような関係性と、常に朱昂と温もりを共有する距離感を思い出していた。
朱昂への想いは果てしない。その中には情熱的で、暴力的な熱情も含んでいたが、だからといって気取った仕草は不要であったし、いまさら身構えるものでもなかった。
伯陽は体を横向けて、朱昂の寝顔を見た。額から鼻にかけての整った稜線を、火の色に淡く照らされた唇を見て、嘆息する。牙の先端が、下唇をあまく噛んでいる。口を開けて、鏡を覗き込んでいた若い朱昂の後ろ姿を思い出した。
「朱昂、牙見せてくれないか」
「ん、ふあ、ぁ」
くわっとあくびをして、朱昂は口を半開きにした。少し体を起こして覗き込むと、朱昂がまぶたを下ろす。
他の歯よりも長い牙が桃色の肉から真っすぐに生えていた。表面はつるりと光り、先端は鋭いが意外なことに錐のように尖っているのではなかった。かつては自らにも生えていたもののはずだが、見れば見るだけ知らないものに伯陽は感じた。
「王の牙ってのは、もっと違うのを想像していた。もっとこう、凶器のようなものかと」
「十分凶器だが」
「あー……、触ったらすぐに獲物を傷つけそうな感じ」
「うっかり舌で触れられぬだろう」
それもそうかと伯陽がつぶやくと、朱昂が吹き出した。笑う朱昂に伯陽も頬を上げる。しかし笑みは奇妙に歪み、やがて消える。異変に気付いた朱昂が目を大きく開いて伯陽を見た。問いかけるように伯陽に向けて伸ばした指が、中途半端な位置で止まる。
「伯陽」
聞くなと伯陽が顔を背ける。言葉を失くした様子の朱昂が、ぎゅうと敷布を握った。それを見た伯陽が嘆息する。
「俺は朱昂のしもべに戻れたんだろう」
「戻ったよ。だからお前の体は短期間で癒えたんだ。――何か不安でもあったか」
しもべに戻れたことは、昼間朱昂から詳しいことを聞いていた。朱昂の声に心配の色が濃くなる。主の様子に、ごまかせば不必要に傷つけるなと伯陽は悟った。口にしても傷つけると分かっているのに、口にしなければならないことが辛い。
「俺の牙もこんなだったろうかと思ったんだ。朱昂にもらったものを失くしたきりになるとはと、そう思っただけ」
「伯陽……」
「気にするな。牙がなくて不便だったことはさしてない。もともと人間だ。周りが思うほど牙にこだわりはないよ。ただ、なんとなく当てが外れたような気持ちになったんだ」
朱昂が体を起こした。朱昂が何かを言う前に、伯陽は言葉を続けた。
「牙がなくても、俺が朱昂の傍にいられるならなんだっていい」
「伯陽、お前の牙がないのは牙と引き換えに俺を守ったからだよ。俺は絶対に忘れない。伯陽があの日龍宮で――」
龍宮と聞いた瞬間、伯陽の右手が朱昂の口を塞いでいた。紅い目が見開かれるのを見て、慌てて手を離す。
「すまん。すまない、朱昂。ごめんな」
「いや……」
伯陽が頭を抱える。腕を押さえつけられているような気がする。喉の辺りが重い。
「俺どうもだめなんだよ、アレが、もう。そもそも牙を失くした時の記憶だけ戻らないんだ。朱昂が前に言ったように、朱昂が奴らに力を奪われそうになって、代わりに俺の牙と、真血の結びつきがなくなったんだろう? それは分かってるから、お願いだから、もうアレの話をしないでくれ。朱昂、すまん。頼む、お願いだ。俺はお前のしもべに戻った。それだけで、もう、十分なんだ。ごめん、もう牙の話はしない」
伯陽は、龍族のことを「アレ」とか「奴ら」としか表現できなかった。牙を失くしたのは百年以上前のこと。対して、一年前の記憶はあまりにも生々しい。
龍と聞くだけで、荒々しい息遣いを思い出す。下半身の痛みを、血と精液の混ざった匂いを、「二度と朱昂の前に出られぬようにしてやる」と言い放った龍王の灰色の瞳を思い出さずにいられなかった。龍王は指一本触れることなく伯陽の精神を極限まで痛めつけていたのだ。
朱昂の力強い腕で抱かれた。朱昂の胸はあたたかく、甘い血に似た香りがした。
「謝るな。……もう言わないよ」
あの時は幻影でしかなかった朱昂が、こうまで近くにいる。伯陽は朱昂の背中に腕を回した。想い続けた幸福が訪れたのだと伯陽は己に言い聞かせた。朱昂が傍にいる。貴いものを手に入れるために何かを失うのは仕方ないことだと、朱昂の抱擁にすがりつきながら震える息を吐いた。
眠りに意識が途切れるまで、朱昂の腕は背中に回されていた。
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