月と裏切りの温度

シオ

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「リュシラ様、せっかくの休日なんですから、少し外を歩かれて如何ですか」

 務めを果たさなくていいその日、僕は特に何をするでもなくぼんやりと部屋で空を眺めていた。そんな僕の有様を見て優しいレジテが声をかけてくれた。

「馬鹿っ、リュシラ様のお姿だと目立っちゃって、のんびり散歩なんて出来ないだだろ」
「馬鹿ってなんだよっ、それに目立っちゃってって、なんか失礼だぞ」
「別に俺は悪い意味で言ったんじゃないっ」
「こらこら、喧嘩しないの」

 二人のレジテが、じゃれるように喧嘩を始めてしまった。二人は僕を心配してくれているのだ。その気持ちを無碍にすることは出来ない。

 いずれウェテになる二人に、大した指導もせず、ただの下働きばかりさせている僕を、それでも彼らは慕ってくれている。とてもありがたいことだった。

「……そうだな、たまには、外に出てみるのも良いかもしれない」
「リュシラ様、僕、お供します」
「俺もっ」

 元気よく手を上げる二人は、年の離れた弟のように思える存在だった。そんな子たちに、ウェテとしての手練手管を教導する気にはどうしてもなれず、その役目を果たすことから逃げ続けているのがこの僕だ。

「いいよ、二人とも今日はお休みの日なんだから。のんびりして」
「え……でも」

 戸惑う二人を手招き、ベッドの近くに置かれたチェストから、金の入った包みを取り出した。僕は二人に数枚の金貨を手渡す。レジテである彼らのひと月分くらいの稼ぎだろうか。

「いつも頑張ってくれてるから、お小遣いだよ。好きに使って」

 二人は飛び跳ねて喜び、何度も感謝を口にしてくれた。そんな二人に見送られて、僕はロファジメアンを出る。娼館の立ち並ぶ花街は、男娼や娼婦たちの足抜けを防ぐために、厳しい警備体制が敷かれていた。

 それは同時に、花街の中であれば、ウェテやウェザリテたちも安全に気兼ねなく出歩けるということだった。

 とはいえ、自分が目立つ容姿をしている自覚はある。頭巾のついた外套を纏って、静かに裏口から出た。どこに行きたいわけでもない。けれど、ふらふらと歩いていると花街の中にある庭園についた。

 夜は、男を連れた娼婦や男娼たちで溢れる庭園ではあるが、彼女ら彼らが眠る日中は閑古鳥が鳴く様相だった。

 人工的に作られた小川のそばをゆっくりと歩く。何も考えず、何にも捕らわれず。ぼうっとしながら歩を進めた。

「アサヒ」

 こんな場所でその声を聞くはずがない。けれど、その声は確かに彼の声だった。

「……ヨルハ」

 思わず一歩後ずさる。小川への転落防止でつけられた低い柵に腰がぶつかる。そんな僕を逃がさない、というようにヨルハが一歩詰め寄った。

「どうして……ここに」
「今日、お前休みなんだろ。通い詰めて、五日に一度、休日があるって分かった」
「お客と男娼が娼館の外で会うのは駄目だよ」

 ふい、と顔を逸らせば、ヨルハの手が僕の腰の横を通り過ぎて柵を掴む。そうされてしまうと、僕はヨルハと柵の間に挟まれる構図となり、逃げる手立てがなくなってしまった。

「禁じられてるのか?」
「禁じるっていうほど……厳密ではないけど」
「折檻されるか?」
「……たぶん、されない、けど」

 僕がただのウェテであれば、お灸をすえるという意味合いで軽い折檻はあったかもしれない。けれど今の僕は、ロファジメアンの顔ともいえるウェザリテだ。館側も、そうそう容易くは僕に折檻をしない。

「ならいいだろ。ただ並んで歩くだけだ。指一本触れない。それなら、許してくれるか?」

 言葉が出てこない。いい、とも、いや、とも言えなかった。頷くことすらしなかったのに、ヨルハは僕から少し離れて歩き出す。僕がヨルハの横に並んで一緒に歩くと、信じて疑わない様子だった。

 事実、僕は彼に並ぶように歩き出してしまう。一体なんなのだ。僕は何をどうしたいんだ。自分のことが分からなくて、腹が立った。

「……俺を奴隷の身分から解放してくれたのは、お前だ」

 十年前のことを言っていた。十五歳だったあの雨の日。いつ思い出しても胸を掻きむしられるような、壮絶な痛みが伴う。嫌いだと言った。顔も見たくない、とも。

「僕がいなくても、きっとヨルハは自分の手で自由を掴んでたと思うよ」
「それは違う。今思うと恥ずかしくて目も当てられないほどに、俺のあの脱走計画は杜撰だった。ミファロストの世話役……なんて言ったっけ」
「ブランデンさん」
「そ、ブランデンがさ、俺を見逃しまくっただろ。鍵盗んだのもそうだし、馬で逃げたけど、追いかけようと思えば追いかけられたし。お前が何か交渉したんだって、すぐに気付いた。……でも俺は、一緒に来てくれなかったアサヒに腹が立ったんだ」
「……ごめん」

 それもそのはずだ。酷いことを言った上に裏切った。僕は最低なことをしたのだ。恨まれたって、憎まれたって仕方のないことだった。僕は、ヨルハから向けられる殺意ですら受け入れる覚悟だった。

「謝るなよ。俺があまりにもガキだったんだ。……アサヒに腹を立てるって、そうじゃねぇだろって思った。俺のためにアサヒは、自分を苦しめる道を選んだんだろって」

 ヨルハは、嘲笑うように鼻を鳴らした。それはきっと自嘲だったのだと思う。過去の自分を思って、呆れながら悔しそうに笑っていた。

「ミファロストを出て、しばらくはブラブラしてたんだ。悪さもした。金がすぐに底をついてたから、盗みを結構な。……腐った生き方をしてたよ。不貞腐れてたんだ。……で、やっぱりちゃんと金を払って自分の身を解放して、そんでアサヒのことを身請けしようと思った。……でも、ミファロストに行ってもアサヒはもういなかった。その時にルードスからあの日のことを聞いてさ。俺が殺されないように、お前が必死だったって。……なにもかもが遅かったんだって、あのとき思った。俺の手は、もうアサヒには届かないって」

 僕を、身請けしようとしていたなんて。わざわざ、逃げて出ていったミファロストに戻っていたなんて。そんなこと、考えもしなかった。ヨルハは奴隷の身分から解放されて、自由に楽しく生きているんだと、ずっとそう思っていたから。

 仲間を見つけ出して、テシィダバルに復讐をするんだと信じていたから。まさか僕の存在が、彼から自由を奪っていたなんて。

「色んな娼館を回って、お前を探してたんだけど……まさか、こんなに近くにいたなんてな。会えて、本当に嬉しい。……アサヒも、嬉しいって思ってくれるか……?」

 足を止めて、ヨルハは僕を見ていた。自分本位で、強引なくせに、こういうところで不安がるなんて。馬鹿みたいだ。ヨルハは、馬鹿だ。そして、彼のそんな言葉を聞いて喜んでしまう僕は、もっともっと馬鹿だ。

「……嬉し……い」

 言ってはいけない言葉を言った。ウェザリテとして、客に言ってはいけない言葉を。アサヒとして、ヨルハに言ってはいけない言葉を。気付いた時には、瞳から涙がこぼれ落ちていた。その雫を、ヨルハの人差し指が拭う。彼が触れた目元が、とても熱くて、その熱すら愛おしく思えた。

「しまった、指一本触れないって約束だったのにな」

 困ったように笑うくせに、嬉しそうな声だった。もっと触れて欲しいと願う僕の心を、もう抑えられそうにない。

 これ以上、ヨルハと一緒にいてはだめだ。守りたかった彼の生涯を壊してしまう。ウェザリテを愛するなんて、不毛だ。僕は彼に、実りある一生を過ごしてほしいのに。

「……十五のあの時に、抱いてくれたら良かったのに」

 あの時に、ヨルハに抱かれていたら、どれだけ幸せだっただろうか。初めてがヨルハであったなら、どれだけ体が穢れても、その誇りを胸に抱けただろう。

 あの日、彼に抱かれていたら、すべてが変わっていたような、そんな気がする。変えることの出来ない過去を思って泣くのは、何度目だろうか。

「俺もそうすれば良かったって、深く後悔してるよ」


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