五番目の婚約者

シオ

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 痛みが俺を抱擁しているようだった。
 体の全ての痛覚が泣き叫び、関節がじくじくとした熱を持っている。どうしてこんなに痛いんだ。一体俺の体はどうしてしまったんだ。そんな疑問を抱きながら、ゆっくりと目を覚ます。

 見えたのは、白い天蓋。俺は、こんな視界を知らない。一体ここはどこなのだろう。ぼんやりと考えて、少し身動ぎをしようとした瞬間に、強い痛みが全身を走った。どこと言うことも出来ないほどに、全身がひたすらに痛い。

 息を吸うだけで、喉にひりつくような痛みが生まれる。痛くて痛くて、泣きそうだ。痛みに耐えているうちに、俺は昨夜の出来事を思い出した。あれが現実だなんて信じられない。それでも、この痛みが如実に語っている。あの悪夢のような出来事は、夢ではなかったのだと。

「……ィ……ェル、マ」

 俺のすぐそばで、俺に背を向けながら何事か作業をしているその姿。誰何せずとも、それがイェルマであることは分かっていた。名を呼ぼうにも、喉が痛くて声が出てこない。何度か唾を嚥下して出た声は、随分とか細いものだった。

「ノウェ様……!」

 それでも、イェルマは気付いて振り返ってくれた。手に持っていた急須のようなものを、寝台の側の机に置いて急いで俺の近くへ来てくれる。

「イェルマ……、イェルマ……っ!」

 必死になって上体を起こし、イェルマに縋り付く。そんな俺を、イェルマはしっかりと抱きしめてくれた。昨日の即位の日に、俺はイェルマと引き離された。昨日の出来事だと言うのに、もう随分とイェルマと会っていないように感じる。

 五番目であっても、婚約者なので即位式に出席しなければならないとあの男が寄越した侍従にそう説明されたのだ。おかしな話だと思った。一番目の婚約者が皇妃となるのは当然なのだから、他の婚約者が出席する必要はないだろうと思ったが、そういう習慣だというのだから仕方ないと自分自身を納得させたのだ。

 だと言うのに、俺が連れて行かれた先は、どう考えても皇妃となる人が立つ場所だった。皇帝となるあの男の横の席。他の出席者より一段高い場所に置かれた、立派な椅子に座らされた。あまりにも混乱し過ぎて、それ以降の記憶が曖昧だった。

「ノウェ様、熱が出ているんです。横になってください」
「いやだ……、こうしてて、ぎゅってしてて」

 幼な子の様な声を出して、イェルマにしがみ付く。イェルマも、俺を無理に寝台に戻すことはなく、抱きしめたままでいてくれた。成る程、熱が出ているから全身が痛いのか。頭もぼうっとしているし、寒気もあるように感じる。

「……変なとこが、痛い。喉も、腰も……痛いところばっかりだ」
「医者が患部に軟膏を塗っていましたが、あまり効いていないのでしょうか」
「……わからない」

 尻の穴が痛い。そんな、排泄でしか使わないような場所が今まで痛くなることなどなかった。それなのに、異常なほどに痛む。あの男が、そこを暴いたからだった。夢であってくれたなら、どれほど幸せだっただろうか。

「悪夢だと、思ってたんだ。全部、嫌な夢を見ただけだって」
「……ノウェ様」
「でも、痛いってことは、本当なんだ……本当に、あったことなんだ」

 押し倒されて、手首を縛られた。自由にならない体に、あの男は乱暴をしたのだ。色々なところを舐められて、無理やり口を吸われて、信じられないところに、信じられないものを入れられた。

「イェルマ、俺、本当にあいつの妻になったのか? そんなの、冗談だよな?」

 信じられなかった。何も聞かされていない。何もかもが一方的だ。あんなことが許されるわけがない。俺は否定して欲しい一心でイェルマに言い募る。

「……事実のようです」
「そんな……そんなのって、おかしい。おかしいだろ。だって、俺、五番目なのに……そもそも、男なのに」

 男の俺が、皇妃になるなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。しかも、それを俺への説明が一切無いままだなんて、どうかしている。俺の悲鳴じみた声に、イェルマは何も言えなくなっていた。

「とにかく、今は眠って下さい。体を休めないと」
「……眠りたくない。嫌な夢を見そうだ」
「大丈夫です。俺が、そばにいますから」

 イェルマがそっと俺を寝台に戻す。そうして、シーツを被せてくれた。再び悪夢を見そうで、目を閉じるのが怖い。けれど、体が眠りを必要としていることも分かっていた。

「手を握っていて」
「はい。ずっと、握っています」

 シーツの中から片手を出せば、イェルマの両手が俺を包んでくれる。温かくて、大きな手だった。いつだって、イェルマはこの大きな手で俺を支えてくれていた。幼い頃から、今もずっと。

 じんわりと、イェルマの優しい温もりが手を介して俺の中へ入ってくる。この手が、悪夢から俺を守ってくれると、そう信じることが出来た。少しずつ重くなる瞼。気付いた時には、意識を手放していた。

 俺には、生まれた時から母がいなかった。母の命と引き換えに生まれたのが、俺だったのだ。父には何人もの妻がいて、その中で一番体が弱かったから、子供を産むのは無理だと言われていたそうだ。

 無理をして産まなくても父には他の妻との間に子供がいたから、父は出産は諦めようと母に言ったらしい。だが、その申し出を母は拒んだ。絶対に産むのだと母は決意を固めて、そして皆が予想した通りに命を落とした。

 幼い子供は、母親から愛情をもらって育つ。どの子供たちも、父と毎日顔を合わせるということはなく、数日に一度遊んでもらう程度だった。子供のそばに常にいるのは母親だけ、というのがロア族では当たり前の光景だった。

 けれど、俺には母親がいなかったから、母からの愛情は望めなかった。その穴を埋めてくれたのが、イェルマと、イェルマの母であり俺の乳母となってくれた人だった。

 二人がいたから、俺は不幸ではなかった。幸せだった。故郷から遠く離れても、イェルマが一緒にいてくれるから、孤独ではなかった。それなりに幸せを感じて生きていたのだ。昨夜の悪夢までは。

「ノウェから手を離せ!」

 大きな声に驚いて、俺は意識を覚醒させた。何事かと思って周囲を見れば、あの男が部屋の中にいることに気がつく。息を強く飲むような、鋭い悲鳴が俺の喉から出た。俺は痛む体を無視して寝台から飛び降り、寝台のそばに立っていたイェルマの背後に隠れた。

「……ノウェ」

 イェルマの背中から少しだけ顔を出し、男の様子を伺うと、つい先程まで怒りの表情を見せていたと言うのに、今度は傷ついたような顔をした。俺が隠れたことに衝撃を受けているらしい。だが、傷ついたのは俺の方だ。

「出……っ、出て行け」

 情けないことに喉が震える。イェルマの服をぎゅっと掴みながら、俺は臆病な声を出した。

「ノウェの様子を見たら、すぐに出ていく。だから、少し顔を見せてくれ」
「嫌だ! ちっ、近づくな!」

 一歩、足を動かして距離を詰めてくる男に対し、俺は大きな声で拒絶を示す。喉が痛かった。だが、今はそれどころではない。

「陛下、今はそっとして差し上げましょう」

 男の一挙手一投足に集中しすぎて気付かなかったのだが、男の傍らには見知らぬ男がいた。銀色の短い髪に、眼鏡。宮殿の中で何度か姿を見たことがあるような気がするが、どこの誰なのかは知らない。俺の訝しく見る視線に気付いたのか、眼鏡の男が頭を下げた。

「ノウェ様へのご挨拶が遅れておりましたね。私は陛下のもとで内務卿の任を仰せつかっております、イーヴァン・ダレルと申します。ノウェ様の生活で、何か不便がありましたらお申し付けください」
「……だったら、今すぐ俺を故郷に帰らせてくれ。こんなの可笑しい。俺が、そいつの妻だなんて、間違ってる」
「いいえ、間違ってなどいませんよ。ノウェ様が陛下の妃殿下となられたことはすでに、周辺諸国や帝国内の各州、自治区へと布告がなされました。名実ともに、ノウェ様は陛下の奥方様であらせられます」

 イーヴァンと名乗ったその男が、淡々と説明を口にする。俺はもう、その男の妻なのだと。リオライネン帝国の皇妃なのだと、ふざけたことを言う。直後、足から力が抜けた。床にぶつかる瞬間にイェルマが俺を抱きとめてくれる。

「皇妃に軽々しく触れるなど、無礼にも程がある!」

 また男が怒鳴る。目を覚ました時に聞いたものと同種の怒声だった。俺は怖くて、イェルマにしがみつく。男は、恐ろしい目でイェルマを睨んでいた。そして、イェルマを指差して再び吠える。

「やはりお前はクユセンへ返す。ノウェには新たな侍従をロア族から出してもらうことにする」
「なんで……! イェルマが帰るなら、俺も帰る!」

 クユセン。懐かしい響き。俺の故郷の名前。ずっとずっと、帰りたいと願っていた場所。クユセンという名は、俺たちの祖先の名だった。あの広大な草原を手に入れた戦士の名だ。俺の家は、そのクユセンの血を受け継ぐ家系だと言われている。だからこそ、族長なのだと。

「ノウェ、不本意なことも分かっているし、ノウェが俺へ向ける憎悪だって理解している。ただ、分かってくれ。ノウェはもう、俺の妻となったんだ」
「なんでそんな勝手なことを、分からなくちゃいけないんだ!」
「でも、ノウェは俺の婚約者だっただろう? 婚約者っていうのは、将来の結婚を約束する間柄の事だ」
「だって……、だって、俺は、五番目だから……結婚なんてしないって言われて、ここに来たのに……」
「騙すような形になってすまない。俺は、最初からノウェと結婚したかった」

 申し訳ないと、本気で思っていることは分かった。声音からも、表情からも、それは感じ取ることができる。だからといって、許せることではない。俺は手酷い裏切りと、筆舌に尽くしがたい暴力を受けた。

「……酷い」

 俺には勝手な振る舞いをし、欺いて、こんなふざけた状況に陥れたくせに。その上、俺が唯一大切に想っているイェルマまで取り上げるだなんて。こんな暴挙が何故許されるのか。

「イェルマを俺から引き離したら、俺は舌を噛み切る」

 どうして、こんな場所で一人で生きていかなければならないのだ。何の意味があって、味わいたくもない辛酸を舐め続けなければならない。俺をここに留め置くくせに、イェルマを取り上げるだなんて、許せるはずがなかった。

「……ノウェ」
「俺は、今噛み切ってもいい」

 今、この場で目の前の男を恨みながら死んでもいい。そう思っていた。こんな下らないことで死ぬことは不本意ではあったけれど、こんなところで一人で生きていくくらいなら、死んだ方がましだと思えたのだ。

「……分かった、その侍従を認める」

 本気であることがきっと伝わったのだろう。引き下がったのは、男の方だった。そもそも、何故それほどまでにイェルマを邪険に思うのかが俺にはよく分からない。俺にロア族の侍従をつけたくない、という訳ではないようだし、男の敵意はイェルマにのみ向いているように見える。

「栄養のあるものをたくさん食べて、薬も飲んで、養生してくれ。……傷つけたいわけじゃなかった。それだけは、覚えていて欲しい」

 それだけを言い残して、男とイーヴァンが去って行った。安堵から、体の力が抜ける。もともとイェルマに抱き締められていた体だったけれど、さらに体重を預けることになった。

「……なんでこんなことになったんだよぉ、もう、わけわかんない」

 泣き言を漏らす俺を持ち上げ、イェルマが寝台へと下ろす。丁寧にシーツを掛けられた。イェルマは寝台のそばに置いた椅子に腰掛けて、急須の中に入っていた薬湯を俺に差し出した。

 杯を受け取り、寝台の上に座り込んだまま飲み干す。実を言うと、とても喉が渇いていたのだ。薬草の匂いが強く、平素であれば顔をしかめて口をつけることすら拒否したかもしれないが、今は乾きを癒すためなら何でも良いと嚥下する。

「何か食べたいものはありますか」
「……何も食べたくない」
「しかし、ノウェ様。食事を摂らないと、元気になれませんよ」
「元気になってどうするんだ。元気にあいつの妻を務めろっていうのか」

 そんな地獄のような未来を想像したくない。俺の願いはどこまでも単純なのに。どうしてそれが叶わないのだろう。故郷に帰りたいと、そう願っただけだ。たったそれだけのことであるのに、それは難しい願いなのだろうか。

「馬に乗りたいでしょう? ノウェ様を皇妃にしたなどというのであれば、それは身分ある者の願いとなります。ある程度許されるはずです。ずっと馬に乗りたがっていたじゃないですか。元気になって、馬に乗りましょう」
「……乗りたい」

 ずっと禁じられていた。馬に乗りたいと言う欲望を、馬の世話をすることでなんとか慰めてきた。けれど、もう限界だ。馬に乗って、風を切って進みたい。高く広い視界の中で、自由に走りたい。

「馬に乗って、あの草原を思いっきり走りたい」

 故郷の、クユセンの草原をいつでも思い出すことが出来る。心地よい夏の季節の美しい空と、若草の匂い。厳しい寒さをもたらす冬が見せる、真っ白の雪原。その全てを愛していた。帰りたい。帰りたい。

「きっと、その願いもいつか叶うはずです。だからどうか、元気になって下さい」




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