五番目の婚約者

シオ

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「兎の肉……ですか?」

 イーヴァンは怪訝な顔をして、俺が要求したものを復唱した。ノウェ様の食事は、皇帝によってつけられた侍従たちが用意をするが、それらは当然この国の料理たちだった。

 八年という月日をこのリオライネンで過ごしているが、それでもノウェ様はこの国の料理をあまり好まれていない。仕方がないから食べている、という感じだった。

 だからこそ、心身ともに弱っておられる今、ノウェ様の舌に馴染んだものを食して頂きたいと思った。それを侍従に伝えたが、自分たちでは判断が出来ない、という回答が返ってくる。

 それから暫く経ち、ノウェ様が休まれている大きな寝室の横の侍従部屋に俺は呼び出され、内務卿であるイーヴァン・ダレルと対峙することになったのだ。

「あぁ。出来れば、羊のミルクも頼みたい」
「羊……あんな臭いミルク、よく飲めますね」
「文化はそれぞれだろう。一方的な嫌悪を押し付けるな」
「まぁ、それは確かに。貴方の言う通りだ。で、あるならば。同性で愛すると言う文化を、ノウェ様にも受け入れて頂きたいものですね」

 人を食ったような顔で笑うイーヴァンのことが、俺は大嫌いだった。こんな性格が歪みきったようなやつは、ロア族にはいない。顔も合わせたくないのだが、ノウェ様のためにと胸の中で唱えて俺は耐える。

「ノウェ様は別に、同性愛を嫌悪しているわけでも、否定しているわけでもない。ただ、陛下を受け入れていないだけです」
「それが一番困るんですよ、我々臣下はね」
「そんなこと、ノウェ様には関係がない」

 臣下が困ろうが、なんだろうか、そんなことはノウェ様には関係がない。この国の横暴に振り回されているノウェ様は、一番の被害者なのだ。なぜそんなノウェ様が、あの男の臣下のことを慮らなければならないのか。

 小さな侍従部屋には、俺と目の前のイーヴァンを除いて三人の侍従たちがいた。皆、色々な雑務をこなしており俺たちの会話には全く興味を示していない。

「その後、ノウェ様のご様子は如何ですか?」

 俺たちの会話が、どこにも帰着せず平行線をいくことを察したのか、イーヴァンは話題を変えてきた。侍従部屋の中では一番大きな椅子に腰掛けて、眼前に立つ俺を見上げるイーヴァン。

「医師が処方したものは全て毎日服用されている。熱も下がったし、体の痛みも無くなったようだ」
「それは重畳。貴方の献身的な看病のおかげですかね」

 心にも思っていない言葉だと、すぐに分かる声だった。ノウェ様の身を本気で案じているわけでもなく、俺の看病を讃える気もない。奴の声には、ただ皇妃の状態を知ろうとする事務的な感情しか含まれていなかった。

「ノウェ様の体調が戻られたのであれば、そろそろ陛下を床で寝かせるのをやめて頂きたいのですが?」
「ノウェ様が強いているわけではない」
「そうでしょうね。しかし、ノウェ様の許しがなければ陛下は床で寝続けるだけです」
「そうしたいのなら、そうすればいい」

 あの男が毎夜、寝台そばの絨毯の上で寝ていることはノウェ様から聞いている。俄には、信じ難いことだった。曲がりなりにも、あの男は皇帝なのだ。このリオライネンをまとめる一人の長。だというのに、床で寝るとは。

 誇りや矜持などといったものはないのだろうか。否、それらを投げ打ってでも、ノウェ様の怒りを鎮めたいと思っているということか。そんなことで許されると思っているのなら、浅知恵だとしか言いようがない。

「皇帝が床で寝ているだなんて、醜聞にしかならない。私は、何とかやめて頂きたいんですよ。ノウェ様にベッドで寝ることを許すよう、お願いして頂けませんか」
「……決めるのは、ノウェ様だ」
「ええ。それで構いません。ただ、私がそう願っていると、貴方からノウェ様に伝えてください」

 俺が言って聞かせれば、ノウェ様が頷くとでも思っているのだろうか。言われたことを伝えるまではしてやるが、説得などは絶対にしない。だが、少しだけ協力的な姿勢も見せておくべきだ。わかった、と頷いて、ならば、とこの男からの譲歩を引き出す。

「ノウェ様の願いも聞いてもらわなければ、不平等だ」
「……そうですね。兎肉と羊の乳以外にまだご要望が?」

 ノウェ様があの男にされた暴力を思えば、同じ寝台で寝ることを承諾することがどれほど苦しいことであるかを察することが出来る。その要望を叶えることが、兎肉や羊乳と釣り合うとは、流石にイーヴァンも思っていないらしい。

「馬に乗せて差し上げたい。あの方はずっと、馬に乗りたがっている」
「馬……ですか。それに関しては、陛下がずっと渋っておられるのですよ。陛下は、ノウェ様が落馬などされて怪我をされないかが不安なのです」
「落馬? ふざけているのか。我らロア族が馬から落ちるわけがない」
「そういう根拠のない自信とか、別に聞きたくないんですよね」

 俺の発言を戯言のように流して鼻で笑うイーヴァンを、一発殴ってやれたならばどれほど爽快だろうか。だが、ここでそれをしてしまえば何もかもが台無しだ。最悪、ノウェ様の侍従の任を強制的に解かれる可能性もある。怒りをぐっと押し殺した。

「まぁ、でも少しはこちらも譲歩しなければ。何とか陛下を説得してみせますので、そちらもどうか、床で寝る件を解決してくださいね」

 そこで、俺たちの会話は終わった。そそくさと出て行ったイーヴァンの背中を睨む。侍従の一人が俺に、兎肉と羊乳の調理法などを尋ねてきた。聞いていないようで、しっかりと話を聞いていたようだ。というよりも、この狭い空間の中であれば嫌でも聞こえてくるのだろう。

 俺が要求したものは、その日の昼食で用意された。香りの強い香草とでしっかりと焼かれた兎肉が入った塩味のスープと、とろみの強い羊乳をノウェ様の目の前に差し出す。

「ノウェ様。兎の肉と羊の乳を用意してもらいました」

 興味無さそうに眺めていた本を閉じて、ノウェ様は寝室に置かれた机と椅子まで歩いてやって来た。暴行を受けた直後などは、歩くことすら痛みが伴うようで、閑所に行くのにも手助けが必要なほどだった。

 あの頃を思えば、随分と体は復調したように見える。ノウェ様が皇妃となられ、あの男に暴行を受けたのは、五日も前のことだった。だが、いくら月日が過ぎようとも、あの時の恐怖と屈辱をノウェ様が忘れることはなく、俺にもしっかりと染み付いている。

「懐かしい組み合わせだな」
「故郷にいた頃は、体調を崩すとこの二つを食べていましたよね」
「あぁ」

 椅子に座り、料理を眺めるノウェ様の眼差しはとても優しかった。滋養の高いこの二つは、怪我人や病人に用意されるものだったのだ。リオライネンよりは乏しい食糧事情を抱えていたが、それでも平和で、幸せだった。

 物に溢れたこの国は、過食だと言わざるを得ない。必要以上に食べ、お茶請けだなんだと言って菓子を貪る。そのくせ、食べきれないと言い捨てることもある。俺には理解が出来ない。

 自然と共存し、そこから命をもらい、自らの命を繋いでいく。そうやって生きるロア族の俺たちには、この国の風土がそもそも合わないのだ。

「……いつになったら帰れるんだろう」

 懐かしい料理を見て、ノウェ様の里心を刺激してしまったらしい。喜んでもらいたいと思って用意してもらったものだったが、逆に寂しい思いをさせる結果になってしまったようだ。故郷を恋しがるノウェ様に、俺は何も言えなかった。

「今、ノウェ様が馬に乗れるように掛け合っています」
「本当か!」
「まだ、許可が出るかはわからないのですが……」
「そう……か」

 勢いよく喜んだ体が、少しずつ萎んでいく。子犬のようなその姿は愛らしいが、ノウェ様が心の底から喜んでくれる報せを俺は持ち合わせていなかった。

 乗馬を即時快諾されなかったことに対し、少しばかり落ち込んでいるようだったが、食事を進めると表情が明るくなっていた。食事を終えて、一息ついたところで、俺は口を開く。

「交換条件、のようなものを提示されました」
「交換条件?」
「はい。……それが、その。……陛下を、寝台で寝かせるように、と」

 伝えるべきか否かを迷った。だが、何事においても判断するのはノウェ様なのだ。ノウェ様が許すというのなら、もしかすると乗馬の件が容易く許可されるかもしれない。だが、絶対に許さないと仰るのならそれまでだ。俺はノウェ様の判断に従う。

 最初、何を言われているのかが分からないというお顔をされた。きょとんとして頭上に疑問符を掲げられていたのだ。だが、少しずつ俺の発言の内容が頭に染み込んでいったようで、そのおもてに怒りが浮かび上がる。

「別に俺が床で寝ろと言ったわけじゃない」
「勿論。承知しております」
「そもそも、そんなものを交換条件に提示する方がどうかしている。俺は、我慢して我慢してこの皇妃だとかいう訳のわからない状況に留まっているっていうのに! その我慢の対価として乗馬を許せと言ってるだけじゃないか……っ!」

 ノウェ様の声には、明確な怒りが滲み出ており、段々と言葉も強くなる。慟哭のように響き渡るその声を聞いて、俺は苦しくなった。立ち尽くしていた足を動かし、その場に跪いて額突く。

「申し訳ありません、ノウェ様。このようなこと、お伝えするべきではありませんでした」
「……あっ……、ごめん。イェルマには何も悪くないのに。本当、ごめん。頭を上げてくれ。イェルマが詫びるようなことじゃないだろ」

 俺に怒りをぶつけることで、ノウェ様が少しでもお心健やかでいて下さるのなら、どんな悪罵でも浴びせて欲しい。ノウェ様をお救い出来ない役立たずと、罵って欲しかった。

「俺、本当にイェルマがいてくれなかったら駄目になってたと思う。こんなとこで、一人で生きてなんていけなかったよ」

 微笑みながら、そんなことを仰る。嬉しい気持ちと、こんな不遇から助け出すことの出来ない己への怒りが心の中で入り混じった。ノウェ様が大切だった。俺の中には、その感情しかなかった。



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