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「ルイーゼ・フェルカーの焼死から十日が経ったわけだが」
皇帝の執務室には、いつも通りの空気が流れていた。俺は、皇帝が使用する大きな机の前に立ち、机の上に両手を置いてヴィルヘルムと対峙する。ヴィルの背後に見える窓の外では大粒の雪が静かに舞い降りて、国中を白く染め上げていた。
「俺は、現状の情報を以て、焼死体がルイーゼであると断じて良いと思う」
情報をかき集め、熟慮を重ねた。彼女の遺体とされる巨大な炭の塊も、宮殿へ運ばせて見分した。体の殆どの部分が真っ黒になり、黒くなっていない部分は肉が溶けて、原形を留めていなかった。俺とヴィルヘルムが揃って彼女の遺骸を検めたが、それが遺骸というよりは焼けた岩のようだった。
「燃え残った衣服は、ゾフィーと共に誂えたものだと針子からの証言も得た。顔は判別が出来ないが、背丈や身幅などはゾフィーのそれと同等だった。何よりも、ルイーゼがあの屋敷に入っていったという証言がある。状況的に言えば、あの死体はルイーゼだ」
部屋の中の大きな暖炉を見つめる。人の背丈ほどもある大きな暖炉に、巨木が横たえられて燃えていた。パチパチと爆ぜる音が聞こえる。ルイーゼも、このように焼かれていって死んだのだろうか。それとも、別の方法で死にながら、屋敷に火を放ったのだろうか。
「……イーヴの言いたいことも分かる。だが、万が一」
「だが万が一、彼女が生きていたとしたら」
ヴィルヘルムの言葉尻に己の言葉を重ね、俺は続ける。ヴィルヘルムは迷っているのだ。確証の持てない遺体をルイーゼと断じて、実はルイーゼが生きていたらという可能性を危惧している。その気持ちはよく分かる。俺だって、ルイーゼ・フェルカーが生きている場合を考えないわけではない。だが、これ以上は不毛だ。
「それを考えることに意味があるのか? 死体の身元を判別出来ない以上、ルイーゼが生きているのか、死んでいるのかさえ俺たちには知りようが無い。もし、このままルイーゼ生存の線で捜索を続けたとしても、俺たちは延々と亡霊を探す羽目になるかもしれない」
「それは……そうだが」
「敵はルイーゼだけじゃないかもしれない。ヴィルがフェルカー家を徹底的に潰したこと。アリウス様がノウェ様を庇護してくださること。この二点があってもなお、ノウェ様を害そうとする気狂いがまだいるかもしれない」
ルイーゼ・フェルカーは何の企ても起こしていない。自殺だったのか、他殺だったのか、そもそも何故死んだのかも分からないままだ。だが俺やヴィルヘルムにとっては、あのフェルカー家の血筋というだけで敵という認識になってしまっていた。
ルイーゼ本人について、俺は詳しい人となりを知らないがそれでも、姉や父のことがあったせいで、彼女のことを、何かしでかそうとしている狂人にしか思えなくなっていた。これで、悪意の全くない聖女であれば俺たちは深く詫びなければならないが、その確認すらもう出来ないのだ。
「だったら、ノウェ様の守りを厚くすることで、全てに対応するしかないだろ」
ルイーゼが生きているかどうかに、これ以上固着する意味はない。ノウェ様を害そうとする全ての敵から守るという意識を持てば、知らず知らずのうちにルイーゼの毒牙からノウェ様を守れるのだ。その考え方の方が、随分と建設的だった。
「今から準備を始めれば、寒さが収まる頃にはノウェ様をクユセンへ送り出せる。俺はいつまでもこの面倒な一件を先延ばしにしたくないんだよ、ヴィル。……お前まさか、ノウェ様を行かせたくないだとか、今更言うわけじゃないだろうな?」
ノウェ様が毒を盛られた晩餐会は、もう随分と前の出来事になっていた。俺たちがもたもたとしている間に季節は過ぎ、今では雪が降りしきる冬の真っ最中だ。真っすぐに俺を見ていたヴィルヘルムの双眸が、気まずそうに逸れた。
「こんなこと、俺に言われなくても分かってるとは思うけど言わせてもらう。ノウェ様が関わると途端に愚鈍になるヴィルヘルム陛下へ、忠心からの進言だ。約束した事は絶対に守らなくてはならない。皇帝としても、夫としても」
「……分かってる」
「本当に分かってるのか?」
約束は、易しい言葉ではあるがその実、契約と同義だった。ノウェ様は乗り気ではない晩餐会に出た。その対価が、クユセンへの帰郷なのだ。ノウェ様は己のすべきことを為した。あとは俺たちがその約定を果たすだけなのだ。
俺にとって都合の良い皇帝をヴィルヘルムが務める代わりに、俺はヴィルとノウェ様の婚姻を全力で支えた。自由に武器開発をするという夢のために、アナは何年もヴィルの婚約者を務めた。それらは全て契約だった。俺たちは契約を守りながら生きているのだ。
契約を破れば、信頼が失われる。せっかく、ノウェ様からの信頼を勝ち取り始めているのであれば、ここで裏切っては駄目だ。国の安泰の為、ノウェ様とヴィルには仲睦まじくいてもらわなければ困る。二人の良好な関係を維持するためにも、今はクユセン行きを検討すべきなのだ。
「何を恐れてるんだよ。俺の目から見れば、ノウェ様は完全に初夜のことを許しているし、お前のことだって憎からず思ってる。今更、クユセンに残るなんていう選択はしないさ」
「あぁ……、そうだな」
誰がこんな未来を予想出来ただろう。俺は一生、ノウェ様がヴィルヘルムを憎んで過ごすことになると思っていた。それでもヴィルは幸せだと言うのだろう。だが、ノウェ様は辛い一生をお過ごしになる。それを犠牲に、この国の平穏を得ようと思っていたのだ。非道な考えであることは分かっているが、大事の前の小事だと割り切っていた。
だというのに、今の二人はなんだ。まるで想い合って添い遂げているかのようではないか。ノウェ様にはまだ、どこか拗ねた態度を取られるところがあるが、かといって、かつての憎悪や嫌悪は一切見えない。
体を重ねることは許していないようだが、軽く触れる程度であれば怒られないらしい。十代の初々しい恋愛模様を見ているようで、こちらとしては全身をむず痒くしながら見守っていた。
「俺はただ、ノウェと一日でも離れているのが嫌なだけだ」
「……下らない」
「心の底から人を愛したことが無いから、そんなことが言えるんだ」
「酷いやつだな。俺だって人を愛したことくらいある」
憤慨する俺を見て、ヴィルヘルムは小さく笑う。俺に笑みを向けるというのは、とても珍しいことだった。俺だって人並みに愛くらい感じる。
だが、恋愛に頭を支配されているヴィルヘルムのような感覚は一度として抱いたことがなかった。どうすれば、あそこまで一途に人を想えるのだろうか。どちらかといえば、人を愛することは無いと断言するアナスタシアの方が、俺は理解することが出来る。
「ノウェが俺に寄り添ってくれる機会が増えたことを、俺自身も感じ取っている。……想いを向けてもらえているのかも、と思うこともある。でもクユセンへ戻って、ノウェに気持ちの変化が起きたらどうしようと、考えてしまうんだ」
何が起こるかは、誰にも分からない。特に、ロア族は同性婚に対し侮蔑的な目を向ける傾向がある。男と結婚したノウェ様がそういった視線を受けて恥じ、やっぱり男と結婚なんて間違ってる、と言い出す可能性もある。
そうなれば、最初に逆戻りだ。何もかもがご破算。関係性の構築から、やり直さなければならなくなる。だが、そうはならないかもしれない。未来のことなど、俺たちには分からないのだ。であるなら、信じて待つしかない。
「もう、クユセンになんて帰らない。って、言って欲しかったのか?」
「正直なことを言えばな」
「ずっと故郷から離されてきたんだ。帰郷したいと思うのも当然だろ」
「分かってる。……分かってるんだ」
ヴィルヘルムは悲しそうに眉を下げて笑った。心の底から人を愛することが出来たとして、その人がいてくれるだけで世界は幸福に満ちていると思えたのだとして。それは幸せなことなのだろうか。ヴィルはいつだってノウェ様のことで一喜一憂している。俺はそんな風に翻弄されたくはない。どうやら、俺たちは相容れない生き方をしているようだ。
「弱気になるなよ、世界随一の大国、リオライネンの皇帝なんだぞ。お前」
「帝位に意味なんてない。ノウェの前では、ただの愚かな男だよ」
「この世で一番強いのは、ノウェ様かもな」
「きっとそうだ」
俺たちは小さく笑いながらそう言った。皇妃になることを全く望んでいなかった辺境の地の異民族の男が、今やリオライネンを牛耳っているだなんて。帝国臣民には聞かせられない話だな、とぼんやり思う。
ヴィルヘルムの背後に視線を向ければ、雪は止むことなく降り続いていた。この分では、随分と積もるだろう。身動きひとつ取らない警備兵たちは、寒い窓際でも表情を微塵も変えず立ち尽くしている。書記官たちの手は止まることなく、文字を記し続けていた。
この執務室の風景にも、だいぶ慣れた。皇帝の執務室にヴィルヘルムがいて、俺は内務卿としてヴィルに向き合う。首相とも良い関係性も築けたし、議会との間に問題もない。即位から、三月が過ぎていた。ずっと慌ただしく、目の前の問題になんとか対処するという日々だったが、何故か今この瞬間にほっと一息つけたような気がする。
「ノウェの帰郷の計画を進めてくれ」
一度だけ、ヴィルヘルムが溜息を吐いた。とても穏やかな表情と声で、ヴィルは言う。ノウェ様が戻って来てくれると、そう信じるのだろう。もう、そのおもてには迷いの類は残っていなかった。
「ノウェの願いは叶えたい。それが、俺から離れていく願いであったとしても」
俺にとって、ヴィルヘルムの恋愛が成就しようがしまいが、どちらでも良かった。ヴィルの願いは、ノウェ様と結婚することだったのだ。俺はそれを成し遂げた。これ以上は俺の管轄ではない。そう割り切っていた。
けれど、いつからかノウェ様がヴィルを愛してくれたらいいのにと、願うようになってしまった。他人の色恋など、最も興味がなく、果てしなくどうでも良いことなのだけれど。それでも、この一途な男の想いが、報われる日が来たら良いのにと思わずにはいられないのだ。
皇帝の執務室には、いつも通りの空気が流れていた。俺は、皇帝が使用する大きな机の前に立ち、机の上に両手を置いてヴィルヘルムと対峙する。ヴィルの背後に見える窓の外では大粒の雪が静かに舞い降りて、国中を白く染め上げていた。
「俺は、現状の情報を以て、焼死体がルイーゼであると断じて良いと思う」
情報をかき集め、熟慮を重ねた。彼女の遺体とされる巨大な炭の塊も、宮殿へ運ばせて見分した。体の殆どの部分が真っ黒になり、黒くなっていない部分は肉が溶けて、原形を留めていなかった。俺とヴィルヘルムが揃って彼女の遺骸を検めたが、それが遺骸というよりは焼けた岩のようだった。
「燃え残った衣服は、ゾフィーと共に誂えたものだと針子からの証言も得た。顔は判別が出来ないが、背丈や身幅などはゾフィーのそれと同等だった。何よりも、ルイーゼがあの屋敷に入っていったという証言がある。状況的に言えば、あの死体はルイーゼだ」
部屋の中の大きな暖炉を見つめる。人の背丈ほどもある大きな暖炉に、巨木が横たえられて燃えていた。パチパチと爆ぜる音が聞こえる。ルイーゼも、このように焼かれていって死んだのだろうか。それとも、別の方法で死にながら、屋敷に火を放ったのだろうか。
「……イーヴの言いたいことも分かる。だが、万が一」
「だが万が一、彼女が生きていたとしたら」
ヴィルヘルムの言葉尻に己の言葉を重ね、俺は続ける。ヴィルヘルムは迷っているのだ。確証の持てない遺体をルイーゼと断じて、実はルイーゼが生きていたらという可能性を危惧している。その気持ちはよく分かる。俺だって、ルイーゼ・フェルカーが生きている場合を考えないわけではない。だが、これ以上は不毛だ。
「それを考えることに意味があるのか? 死体の身元を判別出来ない以上、ルイーゼが生きているのか、死んでいるのかさえ俺たちには知りようが無い。もし、このままルイーゼ生存の線で捜索を続けたとしても、俺たちは延々と亡霊を探す羽目になるかもしれない」
「それは……そうだが」
「敵はルイーゼだけじゃないかもしれない。ヴィルがフェルカー家を徹底的に潰したこと。アリウス様がノウェ様を庇護してくださること。この二点があってもなお、ノウェ様を害そうとする気狂いがまだいるかもしれない」
ルイーゼ・フェルカーは何の企ても起こしていない。自殺だったのか、他殺だったのか、そもそも何故死んだのかも分からないままだ。だが俺やヴィルヘルムにとっては、あのフェルカー家の血筋というだけで敵という認識になってしまっていた。
ルイーゼ本人について、俺は詳しい人となりを知らないがそれでも、姉や父のことがあったせいで、彼女のことを、何かしでかそうとしている狂人にしか思えなくなっていた。これで、悪意の全くない聖女であれば俺たちは深く詫びなければならないが、その確認すらもう出来ないのだ。
「だったら、ノウェ様の守りを厚くすることで、全てに対応するしかないだろ」
ルイーゼが生きているかどうかに、これ以上固着する意味はない。ノウェ様を害そうとする全ての敵から守るという意識を持てば、知らず知らずのうちにルイーゼの毒牙からノウェ様を守れるのだ。その考え方の方が、随分と建設的だった。
「今から準備を始めれば、寒さが収まる頃にはノウェ様をクユセンへ送り出せる。俺はいつまでもこの面倒な一件を先延ばしにしたくないんだよ、ヴィル。……お前まさか、ノウェ様を行かせたくないだとか、今更言うわけじゃないだろうな?」
ノウェ様が毒を盛られた晩餐会は、もう随分と前の出来事になっていた。俺たちがもたもたとしている間に季節は過ぎ、今では雪が降りしきる冬の真っ最中だ。真っすぐに俺を見ていたヴィルヘルムの双眸が、気まずそうに逸れた。
「こんなこと、俺に言われなくても分かってるとは思うけど言わせてもらう。ノウェ様が関わると途端に愚鈍になるヴィルヘルム陛下へ、忠心からの進言だ。約束した事は絶対に守らなくてはならない。皇帝としても、夫としても」
「……分かってる」
「本当に分かってるのか?」
約束は、易しい言葉ではあるがその実、契約と同義だった。ノウェ様は乗り気ではない晩餐会に出た。その対価が、クユセンへの帰郷なのだ。ノウェ様は己のすべきことを為した。あとは俺たちがその約定を果たすだけなのだ。
俺にとって都合の良い皇帝をヴィルヘルムが務める代わりに、俺はヴィルとノウェ様の婚姻を全力で支えた。自由に武器開発をするという夢のために、アナは何年もヴィルの婚約者を務めた。それらは全て契約だった。俺たちは契約を守りながら生きているのだ。
契約を破れば、信頼が失われる。せっかく、ノウェ様からの信頼を勝ち取り始めているのであれば、ここで裏切っては駄目だ。国の安泰の為、ノウェ様とヴィルには仲睦まじくいてもらわなければ困る。二人の良好な関係を維持するためにも、今はクユセン行きを検討すべきなのだ。
「何を恐れてるんだよ。俺の目から見れば、ノウェ様は完全に初夜のことを許しているし、お前のことだって憎からず思ってる。今更、クユセンに残るなんていう選択はしないさ」
「あぁ……、そうだな」
誰がこんな未来を予想出来ただろう。俺は一生、ノウェ様がヴィルヘルムを憎んで過ごすことになると思っていた。それでもヴィルは幸せだと言うのだろう。だが、ノウェ様は辛い一生をお過ごしになる。それを犠牲に、この国の平穏を得ようと思っていたのだ。非道な考えであることは分かっているが、大事の前の小事だと割り切っていた。
だというのに、今の二人はなんだ。まるで想い合って添い遂げているかのようではないか。ノウェ様にはまだ、どこか拗ねた態度を取られるところがあるが、かといって、かつての憎悪や嫌悪は一切見えない。
体を重ねることは許していないようだが、軽く触れる程度であれば怒られないらしい。十代の初々しい恋愛模様を見ているようで、こちらとしては全身をむず痒くしながら見守っていた。
「俺はただ、ノウェと一日でも離れているのが嫌なだけだ」
「……下らない」
「心の底から人を愛したことが無いから、そんなことが言えるんだ」
「酷いやつだな。俺だって人を愛したことくらいある」
憤慨する俺を見て、ヴィルヘルムは小さく笑う。俺に笑みを向けるというのは、とても珍しいことだった。俺だって人並みに愛くらい感じる。
だが、恋愛に頭を支配されているヴィルヘルムのような感覚は一度として抱いたことがなかった。どうすれば、あそこまで一途に人を想えるのだろうか。どちらかといえば、人を愛することは無いと断言するアナスタシアの方が、俺は理解することが出来る。
「ノウェが俺に寄り添ってくれる機会が増えたことを、俺自身も感じ取っている。……想いを向けてもらえているのかも、と思うこともある。でもクユセンへ戻って、ノウェに気持ちの変化が起きたらどうしようと、考えてしまうんだ」
何が起こるかは、誰にも分からない。特に、ロア族は同性婚に対し侮蔑的な目を向ける傾向がある。男と結婚したノウェ様がそういった視線を受けて恥じ、やっぱり男と結婚なんて間違ってる、と言い出す可能性もある。
そうなれば、最初に逆戻りだ。何もかもがご破算。関係性の構築から、やり直さなければならなくなる。だが、そうはならないかもしれない。未来のことなど、俺たちには分からないのだ。であるなら、信じて待つしかない。
「もう、クユセンになんて帰らない。って、言って欲しかったのか?」
「正直なことを言えばな」
「ずっと故郷から離されてきたんだ。帰郷したいと思うのも当然だろ」
「分かってる。……分かってるんだ」
ヴィルヘルムは悲しそうに眉を下げて笑った。心の底から人を愛することが出来たとして、その人がいてくれるだけで世界は幸福に満ちていると思えたのだとして。それは幸せなことなのだろうか。ヴィルはいつだってノウェ様のことで一喜一憂している。俺はそんな風に翻弄されたくはない。どうやら、俺たちは相容れない生き方をしているようだ。
「弱気になるなよ、世界随一の大国、リオライネンの皇帝なんだぞ。お前」
「帝位に意味なんてない。ノウェの前では、ただの愚かな男だよ」
「この世で一番強いのは、ノウェ様かもな」
「きっとそうだ」
俺たちは小さく笑いながらそう言った。皇妃になることを全く望んでいなかった辺境の地の異民族の男が、今やリオライネンを牛耳っているだなんて。帝国臣民には聞かせられない話だな、とぼんやり思う。
ヴィルヘルムの背後に視線を向ければ、雪は止むことなく降り続いていた。この分では、随分と積もるだろう。身動きひとつ取らない警備兵たちは、寒い窓際でも表情を微塵も変えず立ち尽くしている。書記官たちの手は止まることなく、文字を記し続けていた。
この執務室の風景にも、だいぶ慣れた。皇帝の執務室にヴィルヘルムがいて、俺は内務卿としてヴィルに向き合う。首相とも良い関係性も築けたし、議会との間に問題もない。即位から、三月が過ぎていた。ずっと慌ただしく、目の前の問題になんとか対処するという日々だったが、何故か今この瞬間にほっと一息つけたような気がする。
「ノウェの帰郷の計画を進めてくれ」
一度だけ、ヴィルヘルムが溜息を吐いた。とても穏やかな表情と声で、ヴィルは言う。ノウェ様が戻って来てくれると、そう信じるのだろう。もう、そのおもてには迷いの類は残っていなかった。
「ノウェの願いは叶えたい。それが、俺から離れていく願いであったとしても」
俺にとって、ヴィルヘルムの恋愛が成就しようがしまいが、どちらでも良かった。ヴィルの願いは、ノウェ様と結婚することだったのだ。俺はそれを成し遂げた。これ以上は俺の管轄ではない。そう割り切っていた。
けれど、いつからかノウェ様がヴィルを愛してくれたらいいのにと、願うようになってしまった。他人の色恋など、最も興味がなく、果てしなくどうでも良いことなのだけれど。それでも、この一途な男の想いが、報われる日が来たら良いのにと思わずにはいられないのだ。
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