下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 三の宮である私に宛てがわれた己の部屋を出て、廊下を歩く。昨日今日と続けて外出している。それは私の普段の生活から考えれば珍しいことだった。

 今までの私は、出歩けば過剰な尊崇の目で見られることを疎んでいたし、周囲も外は危険だと私に言って外出を控えるよう勧めてきていた。そうすると、外出する機会は減っていく。

 身に覚えのない敬いは、不気味に見えてしまう。ただ髪と瞳が黒い。それだけで天と等しく見られるのは、分不相応に思えて私の心を重くするのだ。黒髪黒目であることだけを称賛され、私自身の人となりなど、誰も見ていない。

 けれど、そんなことでいちいち俯いていては私は進めなくなってしまう。瞳が黒いことも、髪が黒いことも、どちらも変えようのない事実なのだ。そして、私が姫宮になるということも。

「おや珍しい。お出かけかい、吉乃」

 廊下の先で遭遇したのは、上から二番目の兄、二の宮である柊弥兄上だった。丁度兄上は政務に関わっているであろう文官たちと言葉を交わしている最中だったようだ。

 彼らとの会話を止めて、私の方を向く。談議を邪魔されたというのに、文官たちは嫌な顔ひとつせず、私に向かって礼を取り数歩下がって控えた。私はゆっくりとした足取りで柊弥兄上に近づく。

「はい、ちょっと蛍星のところへ行ってみようと思いまして」
「右殿へ? これは、ますます珍しい」
「……兄上は、私をお止めにならないのですか?」
「優秀な侍従長には止められたのかい?」

 悪戯な笑みを浮かべて、兄上はちらりと淡月を見た。背後に控えていた淡月はばつが悪そうに小さく頭を下げる。兄上に行き先を告げれば止められると思っていた。淡月と同じように。

「好きなところへ、好きに行くといい。別に吉乃は軟禁されているわけではないのだからね」
「……柊弥兄上」
「と、まぁ。兄としては弟の好きなようにさせてやれと無責任なことを言うけれど、お前の身の安全を第一に思っている侍従長としては止めたいところだろうね。だから、あまり我儘はいけないよ」

 そう言ってしっかりと淡月のことも庇う兄上は、流石としか言いようがない。こんな優しい兄上のことが大好きだった。私は気付けば頰に笑みを浮かべている。

 馬の尾のように高い位置で結んでいる兄上の鶯色の毛先が、ふわふわと風に揺れている。ふいに、私は問いたくなってしまった。心地の良い風は何にも縛られることなく自由に吹き抜けていく。

「もし……私が、全てから逃げたいと申し上げたら……兄上は、一緒に逃げて下さいますか」

 愚かな問いをしたという自覚はある。逃げられるわけがない。全ての責任を放棄して、どこに逃げるというのだ。何故こんなことを問うたのか、自分でもよく分からない。まるで無目的な児戯だ。

「いいよ」

 予想外の返答に場が固まる。兄上は、容易く頷いた。逡巡はなかったように見える。そんな兄上の様子に、二の宮付きの侍従や文官たちも、皆顔を青ざめて私たちの会話の行く末を見守った。

「吉乃が考えて、考えて、考え抜いた結果、その答えにしか行き着かなかったのなら私は一緒に逃げてあげよう」
「……本当、ですか?」
「あぁ、私は兄弟には嘘は吐かない」

 兄弟には、と限定したあたりに兄上の優しいだけではなく、したたかな部分を感じる。つまりそれは、兄弟以外には要すれば嘘を吐くということを意味している。

 幼い頃から政について学んできた兄上とは異なり、私にはその手の教育は一切施されなかった。だから私にはよく分からないのだけれど、きっと、私が考える以上に政治というのは優しさだけでは行なえないものなのだ。時には、嘘も必要となるほどに。

 兄上は、私と逃げてくれる。その言葉に対して、喜んでいいのかいけないのかが分からなくなった。自分から問うておいて、なんという有様だろうか。

「まぁ、そんなことをしたらきっと、紫蘭兄上に怒られるだろうけれどね」

 そう付け加えて、柊弥兄上はもう一度微笑んだ。ああそういうことか、と腑に落ちる。柊弥兄上は、私が決死の覚悟を持てば一緒に逃げてくれる。だが、そんなことをすれば紫蘭兄上に怒られるという。

 そんなことを言われてしまえば、私はどうすることも出来なくなる。私のせいで柊弥兄上が紫蘭兄上に怒られることなど、私は望まない。そこまで分かっていて、柊弥兄上は口にしていたのだ。

 逃げるのであれば、他の兄弟たちを悲しませることを覚悟しろと。そういうことだ。この世で一番大切な兄弟たち。私には、彼らを悲しませるという覚悟を決めることが出来ない。

「……そろそろ行きます。邪魔をして申し訳ありませんでした」
「邪魔などではなかったよ、可愛い弟と話せてよかった。あぁ、そうだ。蛍星にちゃんと黒珠宮に毎日帰ってくるよう伝えておいて」
「はい、分かりました」

 なかなか家に寄り付かない末弟を、兄上たちはいつも気にしていた。そんな彼への伝言を携えて、私は黒珠宮を出る。通りがかる全ての者がその場で膝を折り、抱拳礼を取っていた。

 出会う者たち全てが礼を取るが、それら全てに反応することは難しく、途中から私は彼らのことを気にしないよう努める。そうしなければ到底、右殿には辿り着けないからだ。

「右殿に入るのは、初めてな気がする」
「おっしゃる通りです、宮様」
「……すっかり忘れていた」
「よく、あんな人の多いところに行くと御決断なされたなと、この淡月めは思っておりました」

 呆れるように溜息を吐き出した淡月に対して、何も言えなくなる。右殿が目と鼻の先にやってきた頃に、急に緊張が体を支配してしまった。立ち止まった私の側で淡月が、帰りますか、と尋ねてくる。その淡月の顔は妙に勝ち誇って見えて、悔しくなる。

「い、行くぞ、淡月」

 気合いを入れ直し、強く一歩を踏み出す。己の住む黒珠宮の近くにあるというのに、私は右殿に足を踏み入れたことがなかった。今までの日々においては、私にとって最も縁遠い場所だったのだ。

 右殿の敷地は広く、敷地内に兵舎と鍛錬場、軍馬の厩舎が建立されている。門構えの立派な門の外側に立っていても、中からの喧騒が耳に届いた。門前に立ち、その門の両側に控えていた衛兵がこちらを凝視して硬直しているのが見てとれる。

「ここに入るには、何か許可が必要だろうか?」

 衛兵に問うても、彼らは返事をしてくれない。声が聞こえていないのだろうか、と訝しく彼らを見た。私はどうすれば良いのか分からなくなり、背後に控える淡月に声を向ける。

「聞こえていないのか?」
「聞こえてはいるのでしょう。ただ、理解が追いつかないだけで」
「何故そんなことに?」
「宮様に驚かれているのですよ」
「……驚かれても困る」

 どうしたものかと戸惑ってしまう。まさか、右殿に入る前に立ち往生するとは。右往左往する私に助け船を出してくれたのは、信頼の厚い淡月だった。淡月が衛兵に向き合う。

「そこの貴方。宮様がお尋ねになっているのですよ」
「は、はい! 宮様におかれましては、許可などは不要かと……!」
「でしょうね」
「なんだ、淡月。分かっていたなら教えてくれれば良いものを」
「宮様が許可を得ないと入れない空間など、この国にありはしませんよ」

 そういうものなのか、と妙に感心してしまう。確かに蛍星も好き勝手に色々なところに出入りしている。兄上たちも昔はよく厨房に忍び込んで菓子などを頂戴していたそうだ。

「このような場所で一体どうなされたのです、三の宮様」

 随分と低い声が聞こえた。地に響くような轟音。背後から聞こえたその声。鼓膜を震わせる声から、その屈強な体躯を想像することが出来た。私は振り返ってその人を見る。

 とても大きな人だった。同年代の男より少々小さい私と比べると、その差が顕著になる。直接言葉を交わしたことはないが、その男が右軍大将である鴻凱だとすぐに分かった。右軍を束ねる者。天瀬国を守る双璧の片翼だ。

「なにか、うちの者がご無礼を?」
「いや、何も。私が突然現れ、彼らを徒らに戸惑わせてしまっただけだ」
「この国土において宮様は何事にも捕らわれぬ御身の御方。如何な場所へ突然現れようとも、我ら臣民はお喜び申し上げるもの。むしろ、躾けが行き届かぬ衛兵らのせいで御心を惑わせてしまい、大変申し訳ありませんでした」

 鴻凱は不思議な男だった。大男で、少しばかり着崩して粗野な雰囲気を醸し出すくせに、その所作や言葉は洗練されている。齢はどれほどだろうか。陛下よりも上に見えるが、幾千の戦を越えてきたであろうその傷だらけの皮膚は彼を老け顔にしているようにも思えた。

「右殿に入りたい。良いか」
「御心のままに」

 そうして私は鴻凱に付き添われて易々と右殿の中に入っていく。一歩踏み入れば、そこは武人の世界だった。どことなく汗臭く、土埃を肌で感じる。兵舎や食堂からぞろぞろと人が出てくるが、彼らは遠目に私を見ているだけで、誰一人として近寄ってはこなかった。

「蛍星に会いたいのだが、どこだろうか」
「七の宮様は大抵、鍛錬場におります。ご案内致しましょう」
「宜しく頼む」

 鍛錬場は、右殿の最奥にあった。門から暫く歩き、その道中、視線を数多受けながら私は鴻凱のあとに続いた。開けた場所にあり、多くの武官が修練に明け暮れていた。剣戟が幾つも響き渡り、怜悧な音が私の耳に届く。

「七の宮様はあそこにおわします」

 随分と遠くに蛍星の姿があった。剣を振り回し、俊敏な動きを見せながら対峙する相手を翻弄している。剣術のことは門外漢で、何も分からないけれど、蛍星の動きが優れているものであるということは感じ取られた。ふと、蛍星の相手をしている者に目を向けた。そこには見覚えのある姿が。

「あれは……清玖?」
「清玖をご存知でしたか」
「ああ、昨日知ったばかりだが」
「それはそれは。三の宮様に名を覚えて頂けているとは、清玖も果報者ですな」

 ゆっくりと近付く。その度に私に気付いた武官たちが礼を取る。彼ら一人一人に目を向け、見つめる。誰もが天瀬国が誇る屈強な戦士たちだった。そんな逞しい戦士たちだが、私が見つめると少し頬を赤く染めていく。

「あれ! 三の兄上!?」

 私の存在に先に気付いたのは蛍星だった。それに続いて清玖も気付く。清玖は慌てて剣を収めて抱拳礼を取り、蛍星は私に向かって手を振っていた。私も蛍星に向かって手を振り返す。

「え、どうされたんですか? 何か用でも?」
「いや……ちょっと、蛍星がどんなところで日々を過ごしているのか見てみたくてね」
「それでわざわざこんな所まで?」

 蛍星は私の来訪を喜んでくれているのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。邪魔だからとばっさり切られた髪と相まって、蛍星は実年齢よりも幼く見えた。

 だが、と思い直す。こうして側に立つと、やはり鍛錬の賜物なのだろうか、私よりもがっしりとした体躯をしている。背だって私よりも少しばかり大きい。

 私は兄弟の中では最も体が小さかった。侍女頭の朱華よりも、私は背が低い。けれど、私の背丈が小さいのは、姫宮の座に就く者として私を産み落とした黒闢天の天寵なんだと主張したい。仕方のないことなのだと。

「清玖、会いに来た」

 そう告げれば、困ったように少し笑う。喜びを目一杯に表現する蛍星とは、随分と異なっている。その笑みを見て、私の心は穏やかとは程遠いものになった。

「ここに来ては、迷惑だったか?」
「い、いえっ、そのようなことは!」
「困った顔をしたように見えたが」
「……それは、……その」
「忌憚なく申せ。許す」
「……昨夜のこともあり、どのように宮様に向き合えば宜しいのか分からず」
「私は、吉乃と呼べと申したな?」
「……はい」

 どこまでも萎縮してしまう清玖に、私は悲しくなった。何故私は蛍星と清玖のようになれないのだろうか。私が三の宮だからか。それとも私の人柄がそうさせるのか。

「え? なになに? 清玖と兄上って何かあったの?」
「……私が清玖に、友になって欲しいと願ったのだ」
「えー! そうなんですか!? いいじゃん、清玖、兄上とも友達になろうよ!」
「そ……そんな軽々しくは……」
「まーた、そんなこと言って。僕の時はすぐ友達になってくれたくせに」
「それとこれとは……!」

 清玖と蛍星はすぐに友になったのか。知らされる事実に、私の心は重くなる一方だった。私は清玖の友に向いていないのかもしれない。もっと、私に丁度いい者を探すべきだろうか。

 否。そんな考えには何故か、なれなかった。理由は分からないが、私は清玖がいいのだ。他の者ではなく清玖と、友になりたい。私の心が他でもない清玖を選んだ。

「清玖が緊張してばっかりだから、兄上といい感じに向き合えないんだよ」
「確かに……緊張は、しているが」
「だからさ、僕がその緊張を解してあげるね」
「……どうやって?」
「さっきの続き! 武官が緊張を解すっていったら、手合わせしかないでしょ!」

 その直後、目にも留まらぬ速さで蛍星が抜剣。大きく振り翳し、その剣先を清玖へと振り下ろした。それを無抵抗に受ける清玖でもなく、抜いた剣身でそれを受け止める。

 突如始まった手合わせに、息つく暇もなく魅了される私の手をそっと引いて淡月が少し下がらせる。二人の手合わせの邪魔にならぬよう。そして私の身に危険が及ばぬよう。淡月が導いた距離は絶妙なものだった。

 ひゅんひゅんと、風を切る音が私の耳元にまで届く。剣先は蛍星と清玖の間を飛び交い、ぎりぎりの所で二人ともそれを避ける。あと少しでも近ければ、その肌に傷がつくだろうというものばかりだった。そう思っていた矢先、蛍星の放った一撃が清玖の頰を掠め、赤い飛沫が微かに飛び散る。

「こ、鴻凱、あれはまさか真剣なのか?」
「ええ、勿論。右軍の者は皆、真剣にて訓練を行います。実戦と同等の緊張感を得るにはそれが一番ですので」
「では……では、それで怪我をすることも……?」
「無いとは言い切れませんな。まぁ、とはいえ少々血を流すくらいで、手足を切断するようなことにはなりませぬ」
「せ……切断?」

 考えただけで足元から力が抜けていく。戦による死も、怪我も、私は物語の中のものしか知らない。実際に剣によって傷つけられ、血を流すなど想像も出来ない光景だった。

「あっぶな! ちょっと清玖! 服切るのはやめてよね、繕うの面倒じゃん!」
「どうせ侍従の方にやってもらってるんだろ、面倒も何もないじゃないか」
「それに伴っての小言が面倒なんだってば!」

 清玖の剣戟をかわせず、蛍星の腹部が浅く裂けた。衣服はあっさりと切られ、蛍星の鍛えられた腹筋が露わになる。白い肌の上に一線ひかれた赤い筋。そこからたらりと血が流れるのがはっきりと見えた。思わず両手で顔を覆ってしまう。

「宮様、ご気分が優れませんか。手合わせを止めましょうか」
「いや……大事ない、ただ少し、驚いただけだ」

 ゆっくりと手を外す。彼らの手合わせを直視した。これが蛍星や清玖の生きる世界だ。私が知らず、触れてこなかった武官たちの世界。目を逸らしてはならない。そう心に決め、向き合ったその直後。

「お返しだよ清玖!」

 勢いよく繰り出されたその一撃は、清玖の予想を越える動きをしたようだった。反応しきれずその攻撃を直に食らった清玖。蛍星の剣先が、清玖の首筋を抉った。瞬間、血液が勢いよく噴出したのだ。

 私は体から全ての力が抜けていくのを感じた。その後に、暗転。全てが闇に包まれ、あらゆる感覚が遠くなる。ああ気絶するのだな、と他人事のように分析していた。最後に聞こえたのは、淡月、蛍星そして清玖が私の名を呼ぶ声だった。


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